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「MPK-41 (小型対潜艦)」の版間の差分

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[[1988年]][[9月8日]]には、[[日本海]]にて練習航海中に僚艦の[[コーンドル (国境警備艦)|PSKR-803]]と衝突し損傷を受けた。そのため、MPK-41は修理を余儀なくされた。その間、[[1991年]]年末に[[ソ連崩壊]]が発生し、MPK-41は[[1992年]][[7月26日]]付けでソ連の[[軍艦旗|海軍旗]]を降ろし、ロシアの[[聖アンデレ十字|聖アンドレイ旗]]を掲揚した。しかし、経済の混乱と物資および資金の不足から修理は進まず、[[1993年]][[6月30日]]には売却・解体のため除籍となった。解体作業は同年12月31日に完了した。
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== 脚注 ==
== 脚注 ==

2020年12月26日 (土) 00:12時点における版

MPK-41
МПК-41
艦歴
起工 1971年4月12日 ゼレノドーリスク造船工場
進水 1972年8月22日
竣工 1972年12月31日
所属 ソ連海軍黒海艦隊
ロシア海軍黒海艦隊
除籍 1993年6月30日
解体 1993年12月31日
要目
艦種 小型対潜艦
艦型 1124号計画「アリバトロース」型
工場番号 11
排水量 基準排水量 786 t
通常排水量 862 t
満載排水量 938 t
全長 71.21 m
全幅 10.00 m
喫水 3.67 m
機関 ガスタービンM-86 2 基 18000 馬力
ディーゼルM-507A 2 基 20000 馬力(合計)
3 基
推進 2推進
電源 ディーゼル発電機DG-500 1 基
ディーゼル発電機DG-300 1 基
ディーゼル発電機DG-200 1 基
タービン発動機2 基 各1250 kWt
速力 最大速度 36 kn
巡航速度 18 kn
最小速度 9 kn
航続距離 3250 /9 kn
活動日数 9 日
燃料 130 t
10.5 t
27.2 t
乗員 士官 9 名
准士官 14 名
下士官 20 名
水兵 41 名
武装 ZIF-122 9K33M「オサーM」艦対空ミサイル連装発射機 1 基(9M33ミサイル20 発)
57 mm連装両用AK-725 1 基(弾数500 発)
533 mm2連装魚雷発射管DTA-53-1124 2 基(SET-65または53-65K魚雷4 本)
12連装対潜ロケット弾発射機RBU-6000「スメールチ2」 2 基(RGB-60ロケット96 発)
爆雷投射器 2 基(RBM爆雷12 個)
機雷 18 個まで
レーダー 対空・対水上捜索照準レーダーMR-302「ループカ」 1 基
航法レーダー「ヴァイガーチ」 1 基
射撃管制レーダー 4R33(「オサーM」用) 1 基
MR-103「バールス」(主砲用) 2 基
ソナー 垂下式「シェローニ」 1 基
キール固定式MG-322「アルグーニ」 1 基
「ホースタ」 1 基
電子戦装備 「ビザーニ-4B」 1 基
チャフ・フレア16連装発射機PK-16 2 基
諸装備 通信システム 1 式
敵味方識別装置 各種
搭載機 なし

MPK-41(ロシア語:МПК-41エーム・ペー・カー・ソーラク・アヂーン)は、ソ連ロシア連邦小型対潜艦(Малый противолодочный корабль)である。艦名は「第41号小型対潜艦」といった意味。

概要

1971年4月12日[1]1124号計画型小型対潜艦の1 隻として、工場番号第11号艦がハバロフスク第876造船工場で起工された。1972年4月4日[2]にはソ連海軍に登録され、MPK-41と命名された。同年8月22日[3]には進水12月31日には竣工、1973年3月19日付けで赤旗受賞太平洋艦隊第11対潜艦分艦隊へ配備された。

1988年9月8日には、日本海にて練習航海中に僚艦のPSKR-803と衝突し損傷を受けた。そのため、MPK-41は修理を余儀なくされた。その間、1991年年末にソビエト連邦の崩壊が発生し、MPK-41は1992年7月26日付けでソ連の海軍旗を降ろし、ロシアの聖アンドレイ旗を掲揚した。しかし、経済の混乱と物資および資金の不足から修理は進まず、1993年6月30日には売却・解体のため除籍となった。解体作業は同年12月31日に完了した。

脚注

  1. ^ 資料によっては1月1日
  2. ^ 資料によっては10月18日
  3. ^ 資料によっては8月15日

外部リンク