「MPK-41 (小型対潜艦)」の版間の差分
表示
削除された内容 追加された内容
m 外部リンクの修正 http:// -> https:// (archive.is) (Botによる編集) |
|||
128行目: | 128行目: | ||
[[1971年]][[4月12日]]<ref>資料によっては[[1月1日]]。</ref>、[[1124型小型対潜艦|1124号計画型小型対潜艦]]の1 隻として、工場番号第11号艦が[[ハバロフスク]]の[[S・M・キーロフ記念ハバロフスク造船工場|第876造船工場]]で起工された。[[1972年]][[4月4日]]<ref>資料によっては[[10月18日]]。</ref>には[[ソ連海軍]]に登録され、'''MPK-41'''と命名された。同年[[8月22日]]<ref>資料によっては[[8月15日]]。</ref>には[[進水式|進水]]、[[12月31日]]には竣工、[[1973年]][[3月19日]]付けで[[太平洋艦隊 (ロシア海軍)|赤旗受賞太平洋艦隊]]第11対潜艦分艦隊へ配備された。 |
[[1971年]][[4月12日]]<ref>資料によっては[[1月1日]]。</ref>、[[1124型小型対潜艦|1124号計画型小型対潜艦]]の1 隻として、工場番号第11号艦が[[ハバロフスク]]の[[S・M・キーロフ記念ハバロフスク造船工場|第876造船工場]]で起工された。[[1972年]][[4月4日]]<ref>資料によっては[[10月18日]]。</ref>には[[ソ連海軍]]に登録され、'''MPK-41'''と命名された。同年[[8月22日]]<ref>資料によっては[[8月15日]]。</ref>には[[進水式|進水]]、[[12月31日]]には竣工、[[1973年]][[3月19日]]付けで[[太平洋艦隊 (ロシア海軍)|赤旗受賞太平洋艦隊]]第11対潜艦分艦隊へ配備された。 |
||
[[1988年]][[9月8日]]には、[[日本海]]にて練習航海中に僚艦の[[コーンドル (国境警備艦)|PSKR-803]]と衝突し損傷を受けた。そのため、MPK-41は修理を余儀なくされた。その間、[[1991年]]年末に[[ソ連崩壊]]が発生し、MPK-41は[[1992年]][[7月26日]]付けでソ連の[[軍艦旗|海軍旗]]を降ろし、ロシアの[[聖アンデレ十字|聖アンドレイ旗]]を掲揚した。しかし、経済の混乱と物資および資金の不足から修理は進まず、[[1993年]][[6月30日]]には売却・解体のため除籍となった。解体作業は同年12月31日に完了した。 |
[[1988年]][[9月8日]]には、[[日本海]]にて練習航海中に僚艦の[[コーンドル (国境警備艦)|PSKR-803]]と衝突し損傷を受けた。そのため、MPK-41は修理を余儀なくされた。その間、[[1991年]]年末に[[ソビエト連邦の崩壊]]が発生し、MPK-41は[[1992年]][[7月26日]]付けでソ連の[[軍艦旗|海軍旗]]を降ろし、ロシアの[[聖アンデレ十字|聖アンドレイ旗]]を掲揚した。しかし、経済の混乱と物資および資金の不足から修理は進まず、[[1993年]][[6月30日]]には売却・解体のため除籍となった。解体作業は同年12月31日に完了した。 |
||
== 脚注 == |
== 脚注 == |
2020年12月26日 (土) 00:12時点における版
MPK-41 МПК-41 | ||
---|---|---|
艦歴 | ||
起工 | 1971年4月12日 ゼレノドーリスク造船工場 | |
進水 | 1972年8月22日 | |
竣工 | 1972年12月31日 | |
所属 | ソ連海軍黒海艦隊 ロシア海軍黒海艦隊 | |
除籍 | 1993年6月30日 | |
解体 | 1993年12月31日 | |
要目 | ||
艦種 | 小型対潜艦 | |
艦型 | 1124号計画「アリバトロース」型 | |
工場番号 | 11 | |
排水量 | 基準排水量 | 786 t |
通常排水量 | 862 t | |
満載排水量 | 938 t | |
全長 | 71.21 m | |
全幅 | 10.00 m | |
喫水 | 3.67 m | |
機関 | ガスタービンM-86 2 基 | 18000 馬力 |
ディーゼルM-507A 2 基 | 20000 馬力(合計) | |
缶 | 3 基 | |
推進 | 2軸推進 | |
電源 | ディーゼル発電機DG-500 | 1 基 |
ディーゼル発電機DG-300 | 1 基 | |
ディーゼル発電機DG-200 | 1 基 | |
タービン発動機2 基 | 各1250 kWt | |
速力 | 最大速度 | 36 kn |
巡航速度 | 18 kn | |
最小速度 | 9 kn | |
航続距離 | 3250 浬/9 kn | |
活動日数 | 9 日 | |
燃料 | 130 t | |
油 | 10.5 t | |
水 | 27.2 t | |
乗員 | 士官 | 9 名 |
准士官 | 14 名 | |
下士官 | 20 名 | |
水兵 | 41 名 | |
武装 | ZIF-122 9K33M「オサーM」艦対空ミサイル連装発射機 | 1 基(9M33ミサイル20 発) |
57 mm連装両用砲AK-725 | 1 基(弾数500 発) | |
533 mm2連装魚雷発射管DTA-53-1124 | 2 基(SET-65または53-65K魚雷4 本) | |
12連装対潜ロケット弾発射機RBU-6000「スメールチ2」 | 2 基(RGB-60ロケット96 発) | |
爆雷投射器 | 2 基(RBM爆雷12 個) | |
機雷 | 18 個まで | |
レーダー | 対空・対水上捜索照準レーダーMR-302「ループカ」 | 1 基 |
航法レーダー「ヴァイガーチ」 | 1 基 | |
射撃管制レーダー | 4R33(「オサーM」用) | 1 基 |
MR-103「バールス」(主砲用) | 2 基 | |
ソナー | 垂下式「シェローニ」 | 1 基 |
キール固定式MG-322「アルグーニ」 | 1 基 | |
「ホースタ」 | 1 基 | |
電子戦装備 | 「ビザーニ-4B」 | 1 基 |
チャフ・フレア16連装発射機PK-16 | 2 基 | |
諸装備 | 通信システム | 1 式 |
敵味方識別装置 | 各種 | |
搭載機 | なし |
MPK-41(ロシア語:МПК-41エーム・ペー・カー・ソーラク・アヂーン)は、ソ連・ロシア連邦の小型対潜艦(Малый противолодочный корабль)である。艦名は「第41号小型対潜艦」といった意味。
概要
1971年4月12日[1]、1124号計画型小型対潜艦の1 隻として、工場番号第11号艦がハバロフスクの第876造船工場で起工された。1972年4月4日[2]にはソ連海軍に登録され、MPK-41と命名された。同年8月22日[3]には進水、12月31日には竣工、1973年3月19日付けで赤旗受賞太平洋艦隊第11対潜艦分艦隊へ配備された。
1988年9月8日には、日本海にて練習航海中に僚艦のPSKR-803と衝突し損傷を受けた。そのため、MPK-41は修理を余儀なくされた。その間、1991年年末にソビエト連邦の崩壊が発生し、MPK-41は1992年7月26日付けでソ連の海軍旗を降ろし、ロシアの聖アンドレイ旗を掲揚した。しかし、経済の混乱と物資および資金の不足から修理は進まず、1993年6月30日には売却・解体のため除籍となった。解体作業は同年12月31日に完了した。
脚注
外部リンク
- Малый противолодочный корабль пр. 1124 "МПК-41"
- Военно-Морская Коллекция / Малые противолодочные корабли пр. 1124 ("Альбатрос")
- Сайт «АТРИНА» • Малый противолодочный корабль 1124 / 1124-П / 1124-М «Альбатрос» типа МПК-147; Grisha class
- Малые противолодочные корабли проектов 1124, 1124М и 1124К — 68+1 ед.
- Russarms.com / Корабли ВМФ / Противолодочные корабли / Проект 1124 «Альбатрос»
- TARGET&ЗВО / СТОРОЖЕВЫЕ КОРАБЛИ СССР 1945-1991