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「R-44 (大型ミサイル艇)」の版間の差分

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[[1985年]]秋には[[クリミア自治共和国]][[チョルノモールシケ|チェルノモールスコエ]]に本拠を置く[[黒海艦隊]]第296ミサイル艇旅団第41ミサイル艇戦隊に配属された。
[[1985年]]秋には[[クリミア自治共和国]][[チョルノモールシケ|チェルノモールスコエ]]に本拠を置く[[黒海艦隊]]第296ミサイル艇旅団第41ミサイル艇戦隊に配属された。


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[[ソビエト邦の崩壊|ソ連が崩壊]]すると、R-30は[[ロシア海軍]]に編入された。黒海艦隊艦艇の帰属がロシアと[[ウクライナ]]との間で争われた結果、第296ミサイル艇旅団に所属した艦艇の多くは[[ウクライナ海軍]]へ譲渡された。R-44はロシア海軍に留まり、[[1990年]]から[[1995年]]末にかけては[[1234型小型ミサイル艦]]や[[1241型大型ミサイル艇|1241.1型大型ミサイル艇]]、[[R-71 (大型ミサイル艇・2代)|1241.7型大型ミサイル艇]]を装備する第349ミサイル艇旅団に所属、その後第41ミサイル艇旅団第295スリンスク赤旗受賞ミサイル艇旅団に配置換えされた。


R-44では[[1995年]]初頭までV・N・セルジューク[[中佐|2等佐官]]が[[船長|艦長]]を務め、その後S・I・ポポーフ[[少佐|3等佐官]]に交代した。
R-44では[[1995年]]初頭までV・N・セルジューク[[中佐|2等佐官]]が[[船長|艦長]]を務め、その後S・I・ポポーフ[[少佐|3等佐官]]に交代した。

2020年12月26日 (土) 00:09時点における版

R-44
Р-44
2005年8月31日、カラチンナヤ湾で撮影された
R-44(右奥)
艦歴
竣工 1978年8月31日 スレドネ=ネーフスキイ造船工場
所属 ソ連海軍バルト艦隊
転属 1985年
所属 ソ連海軍黒海艦隊
ロシア海軍黒海艦隊
除籍 2008年10月5日
要目
艦種 大型ミサイル艇
艦型 206MR号計画「ヴィーフリ」型
工場番号 242
排水量 基準排水量 230 t
満載排水量 257 t
全長 38.6 m
全幅 7.6 m(艇体幅)
12.5 m(水中翼間)
喫水 2.1 m(艇体高)
3.26 m(水中翼高)
機関 3倍膨張式ディーゼルエンジンM-504 3 基 15000 馬力
推進 2推進
電源 ディーゼル発電機3 基 200 kWt
速力 最大速度 42.3 kn
巡航速度 14 kn
航続距離 1450 /14 kn
600 浬/37 kn
行動期間 5 日間
乗員 士官 5 名
水兵 24 名
武装 艦対艦ミサイルP-15M「テルミート」発射機 2 基
76 mm単装両用AK-176 1 基(弾数300 発)
30 mm6砲身機関砲AK-630 2 基(弾数1000 発)
個艦防空用艦対空ミサイル9K34「ストリラー3M」発射機 1 基(弾体16 発)
レーダー 水上索敵レーダー「ガルプーン」 1 基
射撃管制レーダーMR-123/176「ヴィーンペル」 1 基
航法レーダー「ドン」 1 基

R-44(ロシア語:Р-44エール・ソーラク・チトィーリェ)は、ソ連およびロシア連邦大型ミサイル艇(Большой ракетный катер)である。

概要

来歴

R-44は、ソ連時代に206MR号計画「ヴィーフリ」型大型ミサイル艇の2番艇として建造された。1978年8月31日スレドネ=ネーフスキイ造船工場で竣工、二重赤旗受賞バルト艦隊に配属された。

1985年秋にはクリミア自治共和国チェルノモールスコエに本拠を置く黒海艦隊第296ミサイル艇旅団第41ミサイル艇戦隊に配属された。

ソ連が崩壊すると、R-30はロシア海軍に編入された。黒海艦隊艦艇の帰属がロシアとウクライナとの間で争われた結果、第296ミサイル艇旅団に所属した艦艇の多くはウクライナ海軍へ譲渡された。R-44はロシア海軍に留まり、1990年から1995年末にかけては1234型小型ミサイル艦1241.1型大型ミサイル艇1241.7型大型ミサイル艇を装備する第349ミサイル艇旅団に所属、その後第41ミサイル艇旅団第295スリンスク赤旗受賞ミサイル艇旅団に配置換えされた。

R-44では1995年初頭までV・N・セルジューク2等佐官艦長を務め、その後S・I・ポポーフ3等佐官に交代した。

新兵器の試験

R-44は、3M24「ウラーン」艦対艦ミサイルを装備した最初の艦艇となった。1983年、R-44は02066号計画[1]によってこの新型ミサイルの発射装置を装備する改修を受けた。3M24「ウラーン」の発射装置は4連装のものが2 基搭載され、代わりに従来のP-15M「テルミート」艦対艦ミサイル単装発射機2 基は撤去された。

2000年夏までにR-44の「ウラーン」コンプレックスは撤去され、大型対潜艦スメートリヴイ[2]に移設された。これが、ロシア艦艇で3M24「ウラーン」を装備する2番目の艦艇となった。しかし、2002年には3M24「ウラーン」コンプレックスはスメートリヴイから撤去され、R-44に戻された。スメートリヴイでは合わせて24 発の「ウラーン」ミサイルが試射されたとされる。R-44に戻された3M24「ウラーン」コンプレックスは2003年には基部を残して撤去され、それ以降R-44は対艦ミサイルを搭載しない状態で現役についている。3M24「ウラーン」ミサイルは、結局ロシア海軍ではごく一部の艦艇にしか採用されず、主としてインド東ドイツなどの海外艦艇に採用された。

R-44では、もうひとつ新しい装備の試験が行われた。AK-630M1-2「ローイ」と呼ばれる近接防御システムがそれである。「ローイ」("Рой")とはロシア語でなどの「群れ」を意味する単語で、無数の弾丸を発射するこの兵器のイメージから名付けられた。

AK-630M1-2「ローイ」は従来のAK-630Mの代替兵器として開発された防空システムで、重量は2.5 t、2 門装備する30 mm機関砲AO-18Kの発射速度は毎分10000 発、弾数は4000 発とされている。なお、従来のAK-630Mの発射速度は毎分5000 発程度、弾数は1000 発である。操作には2 名を要した。

1987年にこのAK-630M1-2「ローイ」システムがR-44に装備され、試験が開始された。代わりに、従来のAK-630Mは撤去されている。また、新システムの搭載に伴い、射撃管制レーダーも従来のMR-123「ヴィーンペル」からMR-123-02に変更されている。

1989年夏に実施された試験では、AK-630M1-2「ローイ」は優秀な成績を収めた。試験には、西側の標準的艦対艦ミサイル「ハープーン」に見立てた標的機La-17K対戦車ミサイル9M17「ファラーンガ2」が用いられた。AK-630M1-2「ローイ」は、上空10 m付近で「ファラーンガ2」を撃墜することに成功した。迎撃に要した弾数はわずか200 発であった。

しかし、最終的にロシア海軍で採用されたのは3M87「コールチク」で、AK-630M1-2「ローイ」は結局量産には至らずわずかにR-44で試験されたに留まった。R-44からも年内に撤去されている。

その後、AK-630M1-2「ローイ」は1990年代後半から輸出向けに販売が試みられていた。また、2007年初夏にはステルス仕様の砲塔を持った「ドゥエート」(Дуэт)も公開されている。しかし、ロシア海軍で採用されたの輸出型「カシュターン」も販売しており、今後海外でもAK-630M1-2「ローイ」が採用される見込みは限りなく低いと見られている。

この他、1996年には新しい射撃管制システムSP-521「ラークルス」(опто-электронная СУ СП-521 "Ракурс")を搭載して洋上試験を行っている。「ラークルス」とは、遠近法における短縮法のことで、「ラクールス」とも発音される。SP-521「ラークルス」は、自動制御で目標を追尾・攻撃できるシステムであった。このシステムの試験は1998年初頭には終了した。

晩年

結局、R-44で試験された新兵器はどれも採用されなかった。各種試験の挙句主砲を除く兵装一切が撤去されてしまったR-44は、すでにミサイル艇と呼べるだけの武装を有しておらず、晩年は専らセヴァストーポリのカランチンナヤ湾に係留されていた。

なお、黒海艦隊所属の同型艇には管轄地域の都市の名称が与えられている。R-44に対してもヴォルゴレーチェンスク(Волгореченскヴァルガリェーチェインスク)の名称が与えられる予定であったが、実現しなかった。結局、R-44は係留されたまま活動を再開することはなく、2008年10月5日付けで海軍旗を降ろし、退役した。今後は恐らくは海上標的として使用される予定である。

脚注

  1. ^ 206.6号計画などとも呼ばれる。
  2. ^ スメートリヴイは現在は警備艦に類別変更されている。

外部リンク