「オリョール (国境警備艦)」の版間の差分
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[[1987年]][[2月10日]]には[[セヴァストポリ|セヴァストーポリ]]を出航、[[アフリカ]]大陸沿岸を一周してソ連の極東岸を目指した。[[ポートサイド]]、[[アデン]]、[[カムラン湾]]、[[ウラジオストク|ヴラジヴォストーク]]を経由し、[[3月25日]]には[[ナホトカ]]で実働状態に入った。[[国境]]や200海里[[排他的経済水域]]の警備をその任務とし、場合によっては国境を侵した[[潜水艦]]の撃滅や航行船舶の護衛、上陸部隊の安全の確保を行うものとされた。特に、[[日本海]]や[[千島列島]](クリル列島)における[[漁船]]の違法操業の取締りが目下の主要任務となった。 |
[[1987年]][[2月10日]]には[[セヴァストポリ|セヴァストーポリ]]を出航、[[アフリカ]]大陸沿岸を一周してソ連の極東岸を目指した。[[ポートサイド]]、[[アデン]]、[[カムラン湾]]、[[ウラジオストク|ヴラジヴォストーク]]を経由し、[[3月25日]]には[[ナホトカ]]で実働状態に入った。[[国境]]や200海里[[排他的経済水域]]の警備をその任務とし、場合によっては国境を侵した[[潜水艦]]の撃滅や航行船舶の護衛、上陸部隊の安全の確保を行うものとされた。特に、[[日本海]]や[[千島列島]](クリル列島)における[[漁船]]の違法操業の取締りが目下の主要任務となった。 |
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[[1991年]][[8月24日]]に[[ソ連崩壊|ソ連が崩壊]]すると、イーメニXXVIIスエーズダKPSSは他の艦艇とともに[[ロシア国境軍|ロシア連邦の海上国境警備隊]]に引き継がれた。1991年[[12月1日]]には、[[共産主義]]的な名称を嫌い'''オリョール'''と改称された。これは、ロシア連邦の都市に因んだ名称であったが、代々[[戦艦]]などに用いられてきた由緒ある名称であった。国の[[経済]]の悪化から11351型国境警備艦の活動はあまり積極なものとはなり得ず、多くの艦は退役した。[[2007年]]現在、稼動状態にあるのはわずかにオリョールと7番艦[[ヴォロフスキー_(国境警備艦)|ヴォロフスキー]]の2 隻に過ぎない。なお、オリョールは[[2001年]]12月にナホトカから[[ペトロパブロフスク・カムチャツキー|ペトロパーヴロフスク=カムチャーツキイ]]に異動している。また、[[船長|艦長]]は[[セルゲイ・チルキン]]である。 |
[[1991年]][[8月24日]]に[[ソビエト連邦の崩壊|ソ連が崩壊]]すると、イーメニXXVIIスエーズダKPSSは他の艦艇とともに[[ロシア国境軍|ロシア連邦の海上国境警備隊]]に引き継がれた。1991年[[12月1日]]には、[[共産主義]]的な名称を嫌い'''オリョール'''と改称された。これは、ロシア連邦の都市に因んだ名称であったが、代々[[戦艦]]などに用いられてきた由緒ある名称であった。国の[[経済]]の悪化から11351型国境警備艦の活動はあまり積極なものとはなり得ず、多くの艦は退役した。[[2007年]]現在、稼動状態にあるのはわずかにオリョールと7番艦[[ヴォロフスキー_(国境警備艦)|ヴォロフスキー]]の2 隻に過ぎない。なお、オリョールは[[2001年]]12月にナホトカから[[ペトロパブロフスク・カムチャツキー|ペトロパーヴロフスク=カムチャーツキイ]]に異動している。また、[[船長|艦長]]は[[セルゲイ・チルキン]]である。 |
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=== 要綱 === |
=== 要綱 === |
2020年12月26日 (土) 00:04時点における最新版
ユーリイ・アンドローポフ イーメニXXVIIスエーズダKPSS オリョール | ||
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1992年9月22日、ヴラジヴォストークにてアメリカ沿岸警備隊の警備艇と並んだオリョール(最手前) | ||
艦歴 | ||
ユーリイ・アンドローポフ Юрий Андропов | ||
起工 | 1983年9月26日 ザリーフ造船所 | |
進水 | 1985年11月2日 | |
所属 | ソ連国家保安委員会 | |
イーメニXXVIIスエーズダKPSS Имени XXVII съезда КПСС | ||
改称 | 1986年3月7日 | |
竣工 | 1986年9月30日 | |
所属 | ソ連国家保安委員会 ロシア連邦保安庁 | |
オリョール Орел | ||
改称 | 1991年12月1日 | |
所属 | ロシア連邦保安庁 | |
要目 | ||
艦種 | 国境警備艦 | |
艦型 | 11351号計画「ネレーイ」型 | |
工場番号 | 203 | |
排水量 | 最大排水量 | 3774 t |
満載排水量 | 3642 t | |
通常排水量 | 3458 t | |
基準排水量 | 3274 t | |
全長 | 122.98 m | |
全幅 | 14.2 m | |
喫水 | 4.8 m | |
機関 | COGAG2 基 | 20000 馬力 |
COGAG2 基 | 6000 馬力 | |
推進 | 2軸推進 | |
速力 | 最大速度 | 31.04 kn |
巡航速度 | 14.05 kn | |
航続距離 | 3636 浬/14.05 kn | |
乗員 | 198 名 | |
武装 | ZIF-122「オサーMA2」艦対空ミサイル連装発射機 | 1 基(9M33Mミサイル20 発) |
100 mm単装両用砲AK-100 | 1 基 | |
30 mm6砲身機関砲AK-630M | 2 基 | |
533 mm4連装魚雷発射管UTA-53-1135 | 2 基(SET65または53-65K魚雷を使用) | |
12連装対潜ロケット弾発射機RBU-6000「スメールチ2」 | 2 基(RGB-60ロケット96 発) | |
電子戦装備 | 各種レーダー、ソナー | |
搭載機 | Ka-27PS | 1 機 |
オリョール(ロシア語:Орёлアリョール)は、ソ連で建造されたロシア連邦の国境警備艦(пограничный сторожевой корабль)である。艦の規模から、しばしばフリゲートに分類される。艦名は、ロシア連邦の都市オリョールに因む。
概要
[編集]来歴
[編集]オリョールは、11351号計画「ネレーイ」型国境警備艦の3 番艦として計画された。当初の艦名は第4代ソ連国家保安委員会議長に因んだユーリイ・アンドローポフ(Юрий Андроповユーリイ・アンドローパフ)であった。この新型警備艦は極東方面へ集中配備することが予定され、ユーリイ・アンドローポフも1984年1月11日付けでソ連国家保安委員会(KGB)国境軍海上部への配属が決定された。1983年9月26日にはケルチのB・Ye・ブートマ記念ザリーフ造船所第203工場で起工、1985年11月2日には進水した。1986年5月7日にはイーメニXXVIIスエーズダKPSS(Имени XXVII съезда КПССイーミェニ・ドヴァーッツァチ・スィヂモーヴァ・スイェーズダ・カーペーエーセース)に改称された。これは、ロシア語で「第27回ソ連共産党大会記念」という意味の名称であった。イーメニXXVIIスエーズダKPSSは、この年9月30日には竣工した。
1987年2月10日にはセヴァストーポリを出航、アフリカ大陸沿岸を一周してソ連の極東岸を目指した。ポートサイド、アデン、カムラン湾、ヴラジヴォストークを経由し、3月25日にはナホトカで実働状態に入った。国境や200海里排他的経済水域の警備をその任務とし、場合によっては国境を侵した潜水艦の撃滅や航行船舶の護衛、上陸部隊の安全の確保を行うものとされた。特に、日本海や千島列島(クリル列島)における漁船の違法操業の取締りが目下の主要任務となった。
1991年8月24日にソ連が崩壊すると、イーメニXXVIIスエーズダKPSSは他の艦艇とともにロシア連邦の海上国境警備隊に引き継がれた。1991年12月1日には、共産主義的な名称を嫌いオリョールと改称された。これは、ロシア連邦の都市に因んだ名称であったが、代々戦艦などに用いられてきた由緒ある名称であった。国の経済の悪化から11351型国境警備艦の活動はあまり積極なものとはなり得ず、多くの艦は退役した。2007年現在、稼動状態にあるのはわずかにオリョールと7番艦ヴォロフスキーの2 隻に過ぎない。なお、オリョールは2001年12月にナホトカからペトロパーヴロフスク=カムチャーツキイに異動している。また、艦長はセルゲイ・チルキンである。
要綱
[編集]オリョールは、武装としては、短射程艦対空ミサイル・コンプレックスや100 mm両用砲、30 mm多砲身機関砲(近接防禦火器システム)を装備した。レーダーとしてはまず、従来のMR-310U「アンガラー」にかえて当時最新型の3次元レーダーMR-760「フレガートMA」が本艦より採用された。対空捜索レーダーとしては、MR-212/201「ヴァイガーチU」、「ヴォールガ」、「キヴァーチ」が搭載された。これに加え、火器管制レーダーとして対空火器管制用のMPZ-301「バーザ」、主砲管制用のMR-114「バールス」、近接防禦火器システム用のMP-123「ヴィーンペル」電子戦装備としてMP-401S「スタールトS」やPK-16が搭載された。水中音響探知システムとしては、MGK-335S「プラーチナS」と可変追跡装置MGK-345「ブローンザ」、水中通信システムMG-26およびMGS-407Kが搭載された。この他、航法機械、各種データー処理機器及び指揮・通信設備、電子戦用設備を搭載していた。また、後甲板にはKa-27などのヘリコプターを搭載するための飛行甲板と格納庫が備えていた。
ガスタービン動力のエンジンは、30 kn以上の速力と、速力14 knにおける4000 浬の航続力とを保障していた。また、外部からの補給なしに30日間行動を続けることが可能であるとされている。