「セルギエフ・ポサード」の版間の差分
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セルギエフ・ポサードは、[[1340年代]]に[[セルギー・ラドネシスキー]]によって創建された[[至聖三者聖セルギイ大修道院]]の周囲に形成された門前町([[ポサード]])。[[1742年]]には周辺の村落と合併して市域を拡大している。宗教的な市名を理由に[[ソビエト連邦|ソ連]]時代には「セルギエフ」と改名し、さらに「ザゴルスク」({{lang|ru|Загорск}}, {{lang|en|Zagorsk}})と改称したが、[[ソ連崩壊]]後の[[1991年]]、元の市名に戻った。市は「[[黄金の輪]]」を構成する古都のひとつである。モスクワから日帰りで観光できる距離にあるため、週末には多くの観光客が訪れる。 |
セルギエフ・ポサードは、[[1340年代]]に[[セルギー・ラドネシスキー]]によって創建された[[至聖三者聖セルギイ大修道院]]の周囲に形成された門前町([[ポサード]])。[[1742年]]には周辺の村落と合併して市域を拡大している。宗教的な市名を理由に[[ソビエト連邦|ソ連]]時代には「セルギエフ」と改名し、さらに「ザゴルスク」({{lang|ru|Загорск}}, {{lang|en|Zagorsk}})と改称したが、[[ソビエト連邦の崩壊]]後の[[1991年]]、元の市名に戻った。市は「[[黄金の輪]]」を構成する古都のひとつである。モスクワから日帰りで観光できる距離にあるため、週末には多くの観光客が訪れる。 |
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主な産業としては、古くからの[[ミニアチュール]]と木製[[玩具]]の製作が盛んである。産業都市としての側面もあり、[[1947年]]に、[[ソビエト連邦]]はセルギエフ・ポサードの郊外に[[天然痘]]を[[化学兵器]]化するため、国内で最初に工場を建設した。 |
主な産業としては、古くからの[[ミニアチュール]]と木製[[玩具]]の製作が盛んである。産業都市としての側面もあり、[[1947年]]に、[[ソビエト連邦]]はセルギエフ・ポサードの郊外に[[天然痘]]を[[化学兵器]]化するため、国内で最初に工場を建設した。 |
2020年12月25日 (金) 23:59時点における版
セルギエフ・ポサード[1](ロシア語: Се́ргиев Поса́д, ラテン文字転写: Sergiyev Posad)は、ロシア、モスクワ州の都市、セルギエフ・ポサード地区の首府でもある。モスクワの北北東70kmの地点に位置する。人口は10万人。1993年、至聖三者聖セルギイ大修道院は、ユネスコの世界遺産に登録された。
概要
セルギエフ・ポサードは、1340年代にセルギー・ラドネシスキーによって創建された至聖三者聖セルギイ大修道院の周囲に形成された門前町(ポサード)。1742年には周辺の村落と合併して市域を拡大している。宗教的な市名を理由にソ連時代には「セルギエフ」と改名し、さらに「ザゴルスク」(Загорск, Zagorsk)と改称したが、ソビエト連邦の崩壊後の1991年、元の市名に戻った。市は「黄金の輪」を構成する古都のひとつである。モスクワから日帰りで観光できる距離にあるため、週末には多くの観光客が訪れる。
主な産業としては、古くからのミニアチュールと木製玩具の製作が盛んである。産業都市としての側面もあり、1947年に、ソビエト連邦はセルギエフ・ポサードの郊外に天然痘を化学兵器化するため、国内で最初に工場を建設した。
ロシア正教会の中心地のひとつでモスクワ神学大学、同神学校が設置されている。
交通網
モスクワ – ヤロスラヴリ間を走る鉄道と高速道路によって、セルギエフ・ポサードへのアクセスが可能である。
- モスクワヤロスラフスキー駅からセルギエフ・ポサード駅まで約1時間である(2018年9月時点で片道315ルーブル~1,942ルーブル)[2]。
- モスクワ地下鉄6号線のヴェデンハ駅近くのバスターミナルから、セルギエフ・ポサード駅前行き(388系統)のバスがあり、1時間に2~3本程度運行している(2018年7月時点で片道200ルーブル)。
姉妹都市
脚注
- ^ セルギエフ・パサド、セールギエフ・パサート、セールギエフ・ポサードなどとも表記。
- ^ Select a date,to search for railroad tickets Yaroslavskiy station → Sergiev Posad - tutu.travel