「コムソモリスク・ナ・アムーレ」の版間の差分
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市の創立は[[1932年]]である。1930年にソ連政府は極東における経済と文化の建設指令を発表し、1931年8月にはアムール川沿岸への造船所建設が発表された。1932年1月、造船所建設の場所はこの地に決まり、[[1932年]][[5月10日]]に最初の建設労働者を乗せた船「コミンテルン」と「コロンブス」が着岸した。以後、アムール沿岸の原野だったこの地に極東の中心となる工業都市建設が進み、[[ソビエト連邦共産党]]の青年組織[[コムソモール]]の若者や政治犯らが集められて飛行機工場や造船所などの建築作業に従事した。[[1945年]]までにはソ連極東唯一の製鉄所、アムール製鋼所も建設され、のちには第二次大戦後の[[シベリア抑留]]で連行された日本人らも住宅や工場、鉄道建設をさせられた。 |
市の創立は[[1932年]]である。1930年にソ連政府は極東における経済と文化の建設指令を発表し、1931年8月にはアムール川沿岸への造船所建設が発表された。1932年1月、造船所建設の場所はこの地に決まり、[[1932年]][[5月10日]]に最初の建設労働者を乗せた船「コミンテルン」と「コロンブス」が着岸した。以後、アムール沿岸の原野だったこの地に極東の中心となる工業都市建設が進み、[[ソビエト連邦共産党]]の青年組織[[コムソモール]]の若者や政治犯らが集められて飛行機工場や造船所などの建築作業に従事した。[[1945年]]までにはソ連極東唯一の製鉄所、アムール製鋼所も建設され、のちには第二次大戦後の[[シベリア抑留]]で連行された日本人らも住宅や工場、鉄道建設をさせられた。 |
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20世紀半ば以降、コムソモリスク・ナ・アムーレは製鉄などをはじめとした金属工業、機械工業、石油精製、造船業、航空機製造などで栄え、極東の工業中心地となった。[[Yu.A.ガガーリン記念コムソモーリスク・ナ・アムーレ航空機工場|コムソモリスク・ナ・アムーレ航空機製造工場]]は[[スホーイ]]の主力工場として[[戦闘機]]などを製造し、現在も[[軍用機]]や民間機を製造している。[[ソ連崩壊]]後は極東唯一だった製鉄所の倒産など苦境にあったが、外資の導入による製鉄工場再編などにより盛り返しつつある。他に、石油製品パイプライン計画が進行中で、コムソナリスク=ナ=アムーレの製油所からデ=カストリまで年間300~400万トンの送油能力の見込み。 |
20世紀半ば以降、コムソモリスク・ナ・アムーレは製鉄などをはじめとした金属工業、機械工業、石油精製、造船業、航空機製造などで栄え、極東の工業中心地となった。[[Yu.A.ガガーリン記念コムソモーリスク・ナ・アムーレ航空機工場|コムソモリスク・ナ・アムーレ航空機製造工場]]は[[スホーイ]]の主力工場として[[戦闘機]]などを製造し、現在も[[軍用機]]や民間機を製造している。[[ソビエト連邦の崩壊]]後は極東唯一だった製鉄所の倒産など苦境にあったが、外資の導入による製鉄工場再編などにより盛り返しつつある。他に、石油製品パイプライン計画が進行中で、コムソナリスク=ナ=アムーレの製油所からデ=カストリまで年間300~400万トンの送油能力の見込み。 |
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== 気候 == |
== 気候 == |
2020年12月25日 (金) 23:55時点における版
コムソモリスク・ナ・アムーレ Комсомо́льск-на-Аму́ре | |||
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レーニン広場に建つスターリン様式の建物。1953年に建てられた | |||
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位置 | |||
ロシア内のコムソモリスク・ナ・アムーレの位置 | |||
座標 : 北緯50度34分 東経137度00分 / 北緯50.567度 東経137.000度 | |||
歴史 | |||
建設 | 1932年 | ||
市に昇格 | 1933年 | ||
行政 | |||
国 | ロシア | ||
連邦管区 | 極東連邦管区 | ||
行政区画 | ハバロフスク地方 | ||
市 | コムソモリスク・ナ・アムーレ | ||
市長 | ジョリニックアレクサンダー | ||
地理 | |||
面積 | |||
市域 | 325 km2 | ||
人口 | |||
人口 | (2019年現在) | ||
市域 | 246,607人 | ||
その他 | |||
等時帯 | ウラジオストク時間 (UTC+10) | ||
郵便番号 | 6810xx | ||
市外局番 | +7 4217 | ||
ナンバープレート | 27 | ||
公式ウェブサイト : http://www.kmscity.ru/ |
コムソモリスク・ナ・アムーレ(ロシア語:Комсомо́льск-на-Аму́реカムサモーリスク・ナ・アムーリェ;ラテン文字転写の例:Komsomolsk-na-Amure)はロシア極東部、ハバロフスク地方のアムール川下流の左岸に位置する港湾都市・工業都市である。
概要
コムソモリスク・ナ・アムーレ駅はバイカル・アムール鉄道(バム鉄道)とヴォロチャーエフカ・ジョムギ鉄道の分岐駅である。このほかアムール上流やオホーツク海への水運や、デ=カストリへの道路もある。2018年10月1日まではコムソモリスク・ナ・アムーレ市電も運行されていた。
極東の中心都市ハバロフスクからの距離は404km。人口は、2002年全ロシア国勢調査で251,283人。ハバロフスク、ウラジオストクに次ぐ極東ロシア第3の都市である。
町の名前は「アムールにあるコムソモール(共産党青年組織)の町」の意味で、現代中国語では「共青城」とも表記される。清朝時代は瓦倫と呼ばれた。
歴史
19世紀半ばまでアムール川下流は満州の一部であり清の領土だったが、1858年のアイグン条約でロシア帝国に割譲された。1860年にはペルミ州からの移住者がこの地に村を作りペルムスコエと名付けられた。
市の創立は1932年である。1930年にソ連政府は極東における経済と文化の建設指令を発表し、1931年8月にはアムール川沿岸への造船所建設が発表された。1932年1月、造船所建設の場所はこの地に決まり、1932年5月10日に最初の建設労働者を乗せた船「コミンテルン」と「コロンブス」が着岸した。以後、アムール沿岸の原野だったこの地に極東の中心となる工業都市建設が進み、ソビエト連邦共産党の青年組織コムソモールの若者や政治犯らが集められて飛行機工場や造船所などの建築作業に従事した。1945年までにはソ連極東唯一の製鉄所、アムール製鋼所も建設され、のちには第二次大戦後のシベリア抑留で連行された日本人らも住宅や工場、鉄道建設をさせられた。
20世紀半ば以降、コムソモリスク・ナ・アムーレは製鉄などをはじめとした金属工業、機械工業、石油精製、造船業、航空機製造などで栄え、極東の工業中心地となった。コムソモリスク・ナ・アムーレ航空機製造工場はスホーイの主力工場として戦闘機などを製造し、現在も軍用機や民間機を製造している。ソビエト連邦の崩壊後は極東唯一だった製鉄所の倒産など苦境にあったが、外資の導入による製鉄工場再編などにより盛り返しつつある。他に、石油製品パイプライン計画が進行中で、コムソナリスク=ナ=アムーレの製油所からデ=カストリまで年間300~400万トンの送油能力の見込み。
気候
冬の気候は極寒で1月平均気温は‐24.7度にもなるが、夏は7月の平均気温が20.3と高く、30度に達することも珍しくない。
コムソモリスク・ナ・アムーレの気候 | |||||||||||||
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月 | 1月 | 2月 | 3月 | 4月 | 5月 | 6月 | 7月 | 8月 | 9月 | 10月 | 11月 | 12月 | 年 |
最高気温記録 °C (°F) | 0.7 (33.3) |
0.0 (32) |
13.6 (56.5) |
23.9 (75) |
31.0 (87.8) |
33.2 (91.8) |
36.2 (97.2) |
38.0 (100.4) |
30.0 (86) |
20.5 (68.9) |
8.3 (46.9) |
1.0 (33.8) |
38.0 (100.4) |
平均最高気温 °C (°F) | −19.6 (−3.3) |
−13.9 (7) |
−4.0 (24.8) |
7.5 (45.5) |
16.1 (61) |
22.8 (73) |
25.1 (77.2) |
23.4 (74.1) |
17.1 (62.8) |
7.4 (45.3) |
−6.4 (20.5) |
−17.2 (1) |
4.6 (40.3) |
日平均気温 °C (°F) | −24.7 (−12.5) |
−19.8 (−3.6) |
−9.5 (14.9) |
2.3 (36.1) |
10.4 (50.7) |
17.3 (63.1) |
20.3 (68.5) |
18.5 (65.3) |
11.9 (53.4) |
2.5 (36.5) |
−10.5 (13.1) |
−21.8 (−7.2) |
−0.6 (30.9) |
平均最低気温 °C (°F) | −30.8 (−23.4) |
−27.2 (−17) |
−17.1 (1.2) |
−3.4 (25.9) |
3.7 (38.7) |
10.8 (51.4) |
15.2 (59.4) |
13.5 (56.3) |
6.4 (43.5) |
−2.9 (26.8) |
−16.1 (3) |
−27.4 (−17.3) |
−6.6 (20.1) |
最低気温記録 °C (°F) | −47.0 (−52.6) |
−42.0 (−43.6) |
−33.9 (−29) |
−20.8 (−5.4) |
−7.5 (18.5) |
−2.2 (28) |
0.0 (32) |
−8.9 (16) |
−6.0 (21.2) |
−22.0 (−7.6) |
−34.0 (−29.2) |
−42.0 (−43.6) |
−47.0 (−52.6) |
降水量 mm (inch) | 30 (1.18) |
19 (0.75) |
30 (1.18) |
43 (1.69) |
63 (2.48) |
65 (2.56) |
95 (3.74) |
110 (4.33) |
74 (2.91) |
62 (2.44) |
49 (1.93) |
32 (1.26) |
669 (26.34) |
平均降水日数 | 14 | 12 | 13 | 15 | 15 | 13 | 15 | 14 | 14 | 13 | 16 | 15 | 169 |
平均降雨日数 | 0 | 0 | 1 | 7 | 14 | 13 | 15 | 14 | 14 | 8 | 1 | 0 | 87 |
平均降雪日数 | 14 | 12 | 13 | 11 | 3 | 0 | 0 | 0 | 0 | 8 | 15 | 15 | 91 |
出典:climatebase.ru[1] |
姉妹都市・友好都市
出身者
- ウラジーミル・クラコフ - 政治家
- ユーリー・ベレジュコ - バレーボール選手
- ヴャチェスラフ・シュポルト - 政治家
- ワレリー・リューミン - 宇宙飛行士
- ユリヤ・チェパロワ - クロスカントリースキー選手
- ヴァシーリー・バルチューク - 政治家
- ユーリ・ガジンスキー - サッカー選手
脚注
- ^ “climatebase.ru (1948-2011)”. 2012年4月28日閲覧。