「米比相互防衛条約」の版間の差分
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この体制は[[1989年]]の冷戦終結から[[1991年]]12月の[[ソビエト連邦の崩壊]]によって見直しが図られる。緊張緩和によるアメリカ軍兵力の削減と、1991年の[[ピナトゥボ山]]大噴火によって基地が被災したこともあり、基地協定は期限延長されず、両政府間で在比米軍の撤退が決定した<ref name="fukuda2010"/>。まず[[クラーク空軍基地]]から撤収を始め、[[1992年]]に[[スービック海軍基地]]からも撤収し、フィリピンにおけるアメリカの軍事的な影響は著しく減少した。またアメリカの[[ビル・クリントン]][[アメリカ合衆国大統領|大統領]]が軍事費削減を政策としたため、[[1995年]]以降米比共同[[軍事演習]]が取りやめとなった(後に再開・後述)。 |
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ところが、このアメリカ軍撤収の直後から[[南シナ海]]で中国と[[東南アジア]]各国が領有を主張する[[南沙諸島]](スプラトリー諸島)において[[中国人民解放軍]]の活動が活発化し、フィリピンが領有権を主張する環礁([[ミスチーフ礁]])を占領して建造物を構築した。またアメリカ軍・アメリカ政権内でも[[中国脅威論]]が唱えられ始め、1998年に「[[訪問米軍に関する地位協定]]」が締結され<ref name="fukuda2010"/>、[[1999年]]に共同軍事演習を再開した。 |
ところが、このアメリカ軍撤収の直後から[[南シナ海]]で中国と[[東南アジア]]各国が領有を主張する[[南沙諸島]](スプラトリー諸島)において[[中国人民解放軍]]の活動が活発化し、フィリピンが領有権を主張する環礁([[ミスチーフ礁]])を占領して建造物を構築した。またアメリカ軍・アメリカ政権内でも[[中国脅威論]]が唱えられ始め、1998年に「[[訪問米軍に関する地位協定]]」が締結され<ref name="fukuda2010"/>、[[1999年]]に共同軍事演習を再開した。 |
2020年12月25日 (金) 23:44時点における版
アメリカ合衆国とフィリピン共和国との間の相互防衛条約 | |
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通称・略称 | 米比相互防衛条約 |
署名 | 1951年8月30日 |
署名場所 | ワシントンD.C. |
発効 | 1952年8月27日 |
締約国 | アメリカ合衆国とフィリピン共和国 |
条文リンク | 条約和訳文 東京大学東洋文化研究所 田中明彦研究室 |
米比相互防衛条約(べいひそうごぼうえいじょうやく)は、アメリカ合衆国とフィリピンの間で結ばれた相互防衛のための安全保障条約。
1951年8月調印・有効期間は無期限となっている。
設立
ヨーロッパでソビエト連邦の影響力が増し、米ソ対立の冷戦構造が深まる中、1949年に共産主義の中華人民共和国が成立したことに伴い、アジア諸国が立て続けに共産化するのではといったドミノ理論が湧き起った。
1950年に朝鮮戦争の勃発により冷戦構造がいよいよ激化し、アメリカはアジアにおいても共産主義の封じ込めを図る必要に迫られた。1946年まで植民地として支配していたフィリピンと、既に1947年に米比軍事基地協定及び米比軍事援助協定を締結して[1]アメリカ軍が駐留していたが、正式に相互防衛条約を結ぶことで、西部太平洋における安全保障の一角を担わせることとした。
なお1954年から1977年にかけては、反共主義の集団防衛機構として東南アジア条約機構も設置されていた。
冷戦から対テロ戦争・対中警戒へ
この体制は1989年の冷戦終結から1991年12月のソビエト連邦の崩壊によって見直しが図られる。緊張緩和によるアメリカ軍兵力の削減と、1991年のピナトゥボ山大噴火によって基地が被災したこともあり、基地協定は期限延長されず、両政府間で在比米軍の撤退が決定した[1]。まずクラーク空軍基地から撤収を始め、1992年にスービック海軍基地からも撤収し、フィリピンにおけるアメリカの軍事的な影響は著しく減少した。またアメリカのビル・クリントン大統領が軍事費削減を政策としたため、1995年以降米比共同軍事演習が取りやめとなった(後に再開・後述)。
ところが、このアメリカ軍撤収の直後から南シナ海で中国と東南アジア各国が領有を主張する南沙諸島(スプラトリー諸島)において中国人民解放軍の活動が活発化し、フィリピンが領有権を主張する環礁(ミスチーフ礁)を占領して建造物を構築した。またアメリカ軍・アメリカ政権内でも中国脅威論が唱えられ始め、1998年に「訪問米軍に関する地位協定」が締結され[1]、1999年に共同軍事演習を再開した。
2001年9月にアメリカ同時多発テロ事件が発生すると、同年1月に就任したフィリピンのグロリア・アロヨ大統領はクラーク・スービック両基地の再使用を承認し、アメリカの対テロ戦争に協力した。また2000年半ばからマニラなどで頻発していた爆弾テロをイスラム原理主義過激派「アブ・サヤフ」による犯行と見ていたアロヨは軍による掃討作戦を行っていたが、アメリカ軍もこれに参加して陸軍特殊部隊などがミンダナオ島などで軍事活動を行っている。
南沙諸島海域における中華人民共和国の人工島建設などに対抗して、米比両国は2016年3月にアメリカ軍がフィリピン国内の5基地を利用する協定を結んだ。パラワン島のアントニオ・バウティスタ空軍基地、ルソン島のバサ基地やフォート・マグサイサイ基地などが対象である[2]。
2017年5月にフィリピン軍はミンダナオ島マラウィ市にてアブ・サヤフと交戦状態になった。フィリピン政府はアメリカに対して支援を要請し、アメリカの特殊部隊がフィリピン軍を支援した[3]。
脚注
- ^ a b c 平成22年度外務省国際問題調査研究・提言事業報告書「日米関係の今後の展開と日本の外交」『第十章 東南アジアにおける米国同盟―米比同盟を中心に』,福田保,日本国際問題研究所
- ^ “米、比の5基地使用 南シナ海の中国念頭”. 朝日新聞. (2016年3月20日)
- ^ “フィリピン南部で市街戦、比海兵隊員13人死亡 米特殊部隊が支援”. AFP BB. (2017年6月11日)