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「ヴァリャーク (ミサイル巡洋艦・2代)」の版間の差分

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本艦は、[[艦対艦ミサイル]]が、2番艦までの[[P-500_(ミサイル)|P-500「バザーリト」]]に代わり、バザーリト改良型で射程700 kmの[[P-1000_(ミサイル)|P-1000「ヴルカーン」]]が搭載されている。


[[1990年]][[2月28日]]にはソ連海軍[[太平洋艦隊_(ロシア海軍)|太平洋艦隊]]に編入された。[[ソ連崩壊|ソ連が崩壊]]するとそのまま[[ロシア海軍]]に委譲された。しかし、ソ連の崩壊とウクライナの独立により「赤いウクライナ」という名称がイデオロギー的にも国際関係的にも好ましくない名称となったため、[[1996年]][[2月9日]]には'''ヴァリャーク'''と改称された。この名称は、建造が中止された[[航空母艦|重航空巡洋艦]]から譲り受け、[[日露戦争]]の殊勲艦を記念したものである。同艦は「親衛ミサイル巡洋艦」の称号を与えられた。ヴァリャークは、この年内にそれまで駐留していた[[カムチャツカ半島]]から[[ウラジオストク]]へ回航され、ロシア海軍太平洋艦隊の[[旗艦]]となった。
[[1990年]][[2月28日]]にはソ連海軍[[太平洋艦隊_(ロシア海軍)|太平洋艦隊]]に編入された。[[ソビエト邦の崩壊|ソ連が崩壊]]するとそのまま[[ロシア海軍]]に委譲された。しかし、ソ連の崩壊とウクライナの独立により「赤いウクライナ」という名称がイデオロギー的にも国際関係的にも好ましくない名称となったため、[[1996年]][[2月9日]]には'''ヴァリャーク'''と改称された。この名称は、建造が中止された[[航空母艦|重航空巡洋艦]]から譲り受け、[[日露戦争]]の殊勲艦を記念したものである。同艦は「親衛ミサイル巡洋艦」の称号を与えられた。ヴァリャークは、この年内にそれまで駐留していた[[カムチャツカ半島]]から[[ウラジオストク]]へ回航され、ロシア海軍太平洋艦隊の[[旗艦]]となった。


親衛ミサイル巡洋艦ヴァリャークは、その後も積極的な活動を続けた。[[1996年]]7月のロシア海軍創設300周年記念[[観艦式]]においては、受閲部隊の旗艦を務める。[[1997年]]には[[大韓民国]]と[[日本]]を表敬訪問した。[[1999年]]に小規模な火災事故を起こし、ウラジオストクの[[ダーリ・ザヴォート]]で修理された。
親衛ミサイル巡洋艦ヴァリャークは、その後も積極的な活動を続けた。[[1996年]]7月のロシア海軍創設300周年記念[[観艦式]]においては、受閲部隊の旗艦を務める。[[1997年]]には[[大韓民国]]と[[日本]]を表敬訪問した。[[1999年]]に小規模な火災事故を起こし、ウラジオストクの[[ダーリ・ザヴォート]]で修理された。

2020年12月25日 (金) 23:42時点における版

チェルヴォナ・ウクライナ
ヴァリャーク
1990年10月1日、黒海から太平洋へ向かうチェルヴォナ・ウクライナ
1990年10月1日黒海から太平洋へ向かう
チェルヴォナ・ウクライナ
艦歴
チェルヴォナ・ウクライナ
Червона Украина
起工 1979年7月31日 61コムナール記念工場
所属 ソ連海軍太平洋艦隊
ロシア海軍太平洋艦隊
進水 1983年8月28日
竣工 1989年12月25日
ヴァリャーク
Варяг
改称 1995年12月21日
所属 ロシア海軍太平洋艦隊
要目
艦種 ミサイル巡洋艦
艦型 1164/1164.1号計画「アトラーント」型
工場番号 2010
排水量 基準排水量: 9,500 t
満載排水量: 11,530 t
全長 192 m
全幅 20.8 m
喫水 8.4 m
機関 COGAG方式(110,000shp)、2軸推進
M70ガスタービン
(巡航用: 10,000shp)
2基
M8KFガスタービン
(加速用: 22,500shp)
4基
速力 最大: 32.5ノット (60.2 km/h)
巡航: 18ノット (33 km/h)
航続距離 18ノット時: 8,070海里 (14,950 km)
乗員 610 名
武装 AK-130 130 mm連装速射砲 2基
AK-630M 30mmCIWS 2基
B-204 VLS
5V55RM SAM×8発)
8 基
ZIF-122ミサイル連装発射機
9M33MA2 短SAM×20発)
2 基
P-1000 SSM連装発射筒 8 基
RBU-6000 12連装対潜ロケット発射機
(RGB-60ロケット弾×72発)
2 基
PTA-53 5連装533mm魚雷発射管 2 基
C4I レソループ-1164型戦術情報処理装置
FCS 「アルゴーン1164」(対艦ミサイル用) 1 基
「コルヴェート5」(対艦ミサイル指令誘導用) 2 基
「ヴォルナー」(「フォールト」用) 1 基
4R33(「オサーMA2」用) 2 基
MR-184「レーフ218M」(130 mm砲用) 1 基
MR-123「ヴィーンペル」(CIWS用) 3 基
レーダー MR-600「ヴォスホート」対空捜索 1 基
MR-500「クリーヴェル」対空捜索 1 基
MR-750「フレガートMA」汎用捜索 1 基
「ヴァイガーチ」航法 3 基
ソナー MGK-335 プラチナ 1 式
電子戦
対抗手段
妨害装置MRP-3「コリツォー」 1 式
「グルズーフA/B」 1 式
MP-150「スタールト」 1 式
MP-152「オグラーダ」 1 式
16連装デコイ発射機PK-2 (AIF-121) 2 基
200 発
光学電子装置 MT-45 2 基
通信装備 「タイフーン2」 1 式
「ツナミBM」 1 式
艦載機 Ka-25TsまたはKa-27PL 1 機

ヴァリャークロシア語:Варягヴァリャーク)は、ロシア連邦ミサイル巡洋艦Ракетный крейсер)である。1164.1号計画「アトラーント」型(スラヴァ級)ミサイル巡洋艦の3番艦。

艦名は「ワリャーク」とも表記される[1]

概要

ヴァリャークは、1979年7月31日ウクライナ共和国ニコラーエフ61コムナール記念工場で起工された。工場番号は2010で、建造当初の名称は「ウクライナ」という意味のチェルヴォナ・ウクライナЧервона Украинаチルヴォーナ・ウクライーナ)であった。この名称は、第二次世界大戦で戦没した軽巡洋艦の名称を受け継いだものであった。[2]チェルヴォナ・ウクライナは、1982年11月5日にはソ連海軍に登録され、1983年8月28日には進水1989年12月25日には竣工した。

本艦は、艦対艦ミサイルが、2番艦までのP-500「バザーリト」に代わり、バザーリト改良型で射程700 kmのP-1000「ヴルカーン」が搭載されている。

1990年2月28日にはソ連海軍太平洋艦隊に編入された。ソ連が崩壊するとそのままロシア海軍に委譲された。しかし、ソ連の崩壊とウクライナの独立により「赤いウクライナ」という名称がイデオロギー的にも国際関係的にも好ましくない名称となったため、1996年2月9日にはヴァリャークと改称された。この名称は、建造が中止された重航空巡洋艦から譲り受け、日露戦争の殊勲艦を記念したものである。同艦は「親衛ミサイル巡洋艦」の称号を与えられた。ヴァリャークは、この年内にそれまで駐留していたカムチャツカ半島からウラジオストクへ回航され、ロシア海軍太平洋艦隊の旗艦となった。

親衛ミサイル巡洋艦ヴァリャークは、その後も積極的な活動を続けた。1996年7月のロシア海軍創設300周年記念観艦式においては、受閲部隊の旗艦を務める。1997年には大韓民国日本を表敬訪問した。1999年に小規模な火災事故を起こし、ウラジオストクのダーリ・ザヴォートで修理された。 2001年には、ヴァリャークをモスクワ総主教アレクシー2世が訪問した。2002年秋には日本の海上自衛隊の50周年記念国際観艦式に参加、東京湾を訪れた。さらに、2004年には先々代の巡洋艦ヴァリャークが参加し激戦の末沈没した仁川沖海戦100周年を記念して大韓民国を訪問した。この他、中華人民共和国をたびたび訪問している。

本艦の母港は、ウラジオストク近郊のストレロク(シュトコヴァ17)基地であるが、実際には、太平洋艦隊旗艦という性格上、ウラジオストクの太平洋艦隊司令部ビルの前の埠頭に、ウダロイ級駆逐艦4隻と共に停泊している事が多い。2006年春からはウラジオストク工廠でオーバーホールを開始し、2008年1月16日より海上テストを開始、2月9日付けで正式に艦隊へ復帰した。

ギャラリー

脚注

  1. ^ “ロシア、日米と連続演習 中国の軍拡けん制”. 日本経済新聞. (2011年9月1日). http://www.nikkei.com/news/headline/article/g=96958A9C9381959FE1E3E2E6938DE1E3E2EAE0E2E3E39F9FEAE2E2E2 2011年9月2日閲覧。 
  2. ^ 元来はウクライナ語の名称で正しい綴りはЧервона Українаであり初代艦はこの綴りを用いているが、2代艦についてはロシア語化したЧервона Украинаを艦尾に記している。

関連項目

外部リンク

画像リンク

解説リンク