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「A・S・ヤコヴレフ記念試作設計局」の版間の差分

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初期の開発機である[[AIR (航空機)|AIR]]シリーズの成功により[[Yak-1 (航空機)|Yak-1]]戦闘機の設計を命ぜられ、[[第二次世界大戦]]から[[朝鮮戦争]]まで「ヤク戦闘機」はソ連戦闘機の代名詞であった。だが、その後は政治的な理由もあり恵まれず、軍用機分野の前面からはほとんど追い出された形となった。逆に[[旅客機]]分野では大きな躍進を見せ、[[Yak-40 (航空機)|Yak-40]]や[[Yak-42 (航空機)|Yak-42]]では東側随一の成功を収めている。また、[[イルクート (航空機メーカー)|イルクート]]と共同で[[イルクート MS-21|MS-21]]の開発が進められている<ref>{{en icon}}[http://www.yak.ru/ENG/FIRM/art_switch.php?art=6 公式HPより(2)]</ref>。他の設計局と違い、[[旅客機]]、[[戦闘機]]、[[垂直離着陸機|VTOL機]]、[[早期警戒機]]、[[ヘリコプター]]といった殆ど全ての航空機を設計した唯一の設計局でもある。
初期の開発機である[[AIR (航空機)|AIR]]シリーズの成功により[[Yak-1 (航空機)|Yak-1]]戦闘機の設計を命ぜられ、[[第二次世界大戦]]から[[朝鮮戦争]]まで「ヤク戦闘機」はソ連戦闘機の代名詞であった。だが、その後は政治的な理由もあり恵まれず、軍用機分野の前面からはほとんど追い出された形となった。逆に[[旅客機]]分野では大きな躍進を見せ、[[Yak-40 (航空機)|Yak-40]]や[[Yak-42 (航空機)|Yak-42]]では東側随一の成功を収めている。また、[[イルクート (航空機メーカー)|イルクート]]と共同で[[イルクート MS-21|MS-21]]の開発が進められている<ref>{{en icon}}[http://www.yak.ru/ENG/FIRM/art_switch.php?art=6 公式HPより(2)]</ref>。他の設計局と違い、[[旅客機]]、[[戦闘機]]、[[垂直離着陸機|VTOL機]]、[[早期警戒機]]、[[ヘリコプター]]といった殆ど全ての航空機を設計した唯一の設計局でもある。


[[ソ連崩壊]]後には注文が激減したこともあり、第二次世界大戦時のレシプロ戦闘機のレストア部品を製造するなど、海外から航空機部品の製造を受注するなど新たな事業を行っていた。ロシアの航空業界再編の動きの中で、2004年にイルクートに買収され、最終的に[[統一航空機製造会社]]の傘下となった。
[[ソビエト邦の崩壊]]後には注文が激減したこともあり、第二次世界大戦時のレシプロ戦闘機のレストア部品を製造するなど、海外から航空機部品の製造を受注するなど新たな事業を行っていた。ロシアの航空業界再編の動きの中で、2004年にイルクートに買収され、最終的に[[統一航空機製造会社]]の傘下となった。


== 主な機体 ==
== 主な機体 ==

2020年12月25日 (金) 23:36時点における版

公開株式会社「A・S・ヤコヴレフ記念試作設計局」
ОАО «Опытно-конструкторское бюро имени А.С. Яковлева»
種類 公開株式会社
略称 ヤコヴレフ設計局
ヤコヴレフ
Yak
本社所在地 ロシアの旗 ロシア
モスクワ
設立 1934年
業種 輸送用機器
事業内容 航空機
主要株主 (間接的には統一航空機製造会社
イルクート 75.46%
外部リンク http://www.yak.ru/
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A・S・ヤコヴレフ記念試作設計局 (Опытно-конструкторское бюро имени А.С. Яковлева オーカーベー・イーミェニ・アリクサーンドラ・スィルギェーイェヴィチャ・ヤーカヴリェヴァ)は、ソ連ロシア連邦航空機メーカーである。

略称 ОКБ им. А.С. Яковлева。単にヤコヴレフ設計局、ヤコヴレフまたはヤクという略称でも呼ばれる。アレクサンドル・セルゲーエヴィチ・ヤコヴレフ (1906年1989年)が開設を命ぜられた。

概要

一部の部品をヤコヴレフ設計局で新造し飛行可能となった零戦二二型(N553TT)

初期の開発機であるAIRシリーズの成功によりYak-1戦闘機の設計を命ぜられ、第二次世界大戦から朝鮮戦争まで「ヤク戦闘機」はソ連戦闘機の代名詞であった。だが、その後は政治的な理由もあり恵まれず、軍用機分野の前面からはほとんど追い出された形となった。逆に旅客機分野では大きな躍進を見せ、Yak-40Yak-42では東側随一の成功を収めている。また、イルクートと共同でMS-21の開発が進められている[1]。他の設計局と違い、旅客機戦闘機VTOL機早期警戒機ヘリコプターといった殆ど全ての航空機を設計した唯一の設計局でもある。

ソビエト連邦の崩壊後には注文が激減したこともあり、第二次世界大戦時のレシプロ戦闘機のレストア部品を製造するなど、海外から航空機部品の製造を受注するなど新たな事業を行っていた。ロシアの航空業界再編の動きの中で、2004年にイルクートに買収され、最終的に統一航空機製造会社の傘下となった。

主な機体

※表記は「日本語のローマ字表記(ソ連科学アカデミーロシア語表記)」の順。ただし、日本語表記とソ連科学アカデミーの表記が同じ場合は後者を省略。

脚注

  1. ^ (英語)公式HPより(2)

関連項目

外部リンク