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[[ソ連崩壊]]に先立つ[[1990年]]のソビエト連邦末期にモルドバ民族主義の昂揚により、モルダビアからモルドバへの国名変更や主権宣言が6月23日に行われた。これに対して、ドニエストル川左岸のロシア語系住民が[[ティラスポリ]]で臨時国会を開催し「'''沿ドニエストル・ソビエト社会主義共和国'''」(Road Dneistol Soviet Socialist Republic、沿ドニエストルSSR)の創設を宣言してモルドバから分離を目指した<ref>{{Cite web|title=モルドバ|url=http://www.anzen.mofa.go.jp/info/pchazardspecificinfo_2010T036.html#ad-image-0|website=外務省 海外安全ホームページ|accessdate=2020-11-16|language=ja|last=外務省|publisher=}}</ref>。さらに同年9月2日には、「'''沿ドニエストル共和国'''」として独立を宣言。追って[[1991年]]8月25日に'''[[沿ドニエストル最高評議会]]'''が、同領土内にUSSR憲法とUSSR法案の効果を保持する『沿ドニエストル地域の独立に関する宣言』を採択したが、翌年[[1992年]]に[[トランスニストリア戦争]]へ発展。7月、和平協定が締結され、[[ロシア連邦]]、モルドバ、沿ドニエストル合同の{{仮リンク|JCC (モルドバ)|label=平和維持軍|en|Joint Control Commission}}({{lang|en|Joint Control Commission, JCC}}) によって停戦監視が行われている。 |
[[ソビエト連邦の崩壊]]に先立つ[[1990年]]のソビエト連邦末期にモルドバ民族主義の昂揚により、モルダビアからモルドバへの国名変更や主権宣言が6月23日に行われた。これに対して、ドニエストル川左岸のロシア語系住民が[[ティラスポリ]]で臨時国会を開催し「'''沿ドニエストル・ソビエト社会主義共和国'''」(Road Dneistol Soviet Socialist Republic、沿ドニエストルSSR)の創設を宣言してモルドバから分離を目指した<ref>{{Cite web|title=モルドバ|url=http://www.anzen.mofa.go.jp/info/pchazardspecificinfo_2010T036.html#ad-image-0|website=外務省 海外安全ホームページ|accessdate=2020-11-16|language=ja|last=外務省|publisher=}}</ref>。さらに同年9月2日には、「'''沿ドニエストル共和国'''」として独立を宣言。追って[[1991年]]8月25日に'''[[沿ドニエストル最高評議会]]'''が、同領土内にUSSR憲法とUSSR法案の効果を保持する『沿ドニエストル地域の独立に関する宣言』を採択したが、翌年[[1992年]]に[[トランスニストリア戦争]]へ発展。7月、和平協定が締結され、[[ロシア連邦]]、モルドバ、沿ドニエストル合同の{{仮リンク|JCC (モルドバ)|label=平和維持軍|en|Joint Control Commission}}({{lang|en|Joint Control Commission, JCC}}) によって停戦監視が行われている。 |
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先の[[モンテネグロ]]の独立に影響を受けた共和国議会は[[2006年]]7月12日、沿ドニエストル共和国が国際的な独立の承認を受けた後にロシアに編入することなどの是非を問う住民投票を行うことを決めた。投票は同年9月17日に実施され、圧倒的多数で賛成票が反対票を上回った。 |
先の[[モンテネグロ]]の独立に影響を受けた共和国議会は[[2006年]]7月12日、沿ドニエストル共和国が国際的な独立の承認を受けた後にロシアに編入することなどの是非を問う住民投票を行うことを決めた。投票は同年9月17日に実施され、圧倒的多数で賛成票が反対票を上回った。 |
2020年12月25日 (金) 23:34時点における版
- 沿ドニエストル・モルドバ共和国
- Приднестровская Молдавская Республика
Република Молдовеняскэ Нистрянэ
Придністровська Молдавська Республіка -
(国旗) (国章) - 国の標語:なし
- 国歌:Мы славим тебя, Приднестровье(ロシア語)
Слэвитэ сэ фий, Нистрене(モルドバ語)
Ми славимо тебе, Придністров’я(ウクライナ語)
トランスニストリアよ、われら汝を称える -
公用語 ロシア語
モルドバ語(キリル文字表記)
ウクライナ語首都 ティラスポリ 最大の都市 ティラスポリ 独立
- 宣言モルドバから
1990年9月2日通貨 沿ドニエストル・ルーブル(PRB)[2] 時間帯 UTC+2 (DST:+3) ISO 3166-1 なし ccTLD なし 国際電話番号 373[3]
沿ドニエストル・モルドバ共和国(えんドニエストル・モルドバきょうわこく)、通称沿ドニエストルは、東ヨーロッパ、モルドバの東部ドニエストル川東岸のウクライナ国境に接する国家である。
国際的にはモルドバ共和国の一部(自治権を持った構成体とする場合もある)と見なされており、国際機関や世界のほとんどの国家からは主権国家として承認されていないが、現在、モルドバ共和国政府の実効統治は及んでおらず、事実上の独立状態にある。また、2020年現在国旗において鎌と槌を採用しているのは沿ドニエストルのみである。
国名
沿ドニエストル共和国が定めた公用語に基づく正式名称は
- ロシア語: Приднестровская Молдавская Республика (ПМР)
- ラテン文字転写:Pridnestrovskaya Moldavskaya Respublika
- モルドバ語(キリル文字):Република Молдовеняскэ Нистрянэ (РМН)
- ラテン文字表記:Republica Moldovenească Nistreană
- ウクライナ語: Придністровська Молдавська Республіка (ПМР)
- ラテン文字転写:Prydnistrovs'ka Moldavs'ka Respublika
である。なお、英語ではPridnestrovian Moldavian Republic (PMR)と表記する。
また、略称は
- ロシア語: Приднестровье
- ラテン文字転写:Pridnestrovie
- モルドバ語(キリル文字):Нистрения
- ラテン文字転写:Nistrenia
- ウクライナ語: Придністров'я
- ラテン文字転写:Prydnistrovya
と表記される。モルドバ語(ラテン文字)ではTransnistriaと表記される。
なお、この地域は、ロシア語ではプリドニエスローヴィエ(プリドニエストル、Приднестровье、Pridn'estrov'ye)、ルーマニア語ではトランスニストリア (Transnistria) と呼称する。国際機関ではトランスドニエストル (Transdniester) という呼称を用いている。略称はПМР (PMR) で、ロシア語の名称「Приднестро́вская Молда́вская Респу́блика」(Pridnestrovskaya Moldavskaya Respublika、沿ドニエストル・モルドバ共和国)に由来する。
公用語
沿ドニエストル共和国の定める公用語はロシア語、モルドバ語、ウクライナ語の3つである。しかし、沿ドニエストル共和国での「モルドバ語」は現在のモルドバ共和国で使用されているラテン文字表記(実質的にルーマニア語と同じ)とは異なり、ソビエト連邦からの独立前に使われていたキリル文字表記である。
歴史
ドニエストル川西岸の都市ベンデルを除けば、元々この地域はモルダビア公国やベッサラビアに属していなかった。 18世紀、ロシア帝国の西の国境であったこの一帯を防衛する意味もあり、ロシア人やウクライナ人が移住した。ただし南スラブ族は、6世紀の後半からこの地域にいた。1924年にソビエト連邦がドニエストル河東岸にウクライナ・ソヴィエト社会主義共和国(以下USSR)の構成部分としてモルダヴィア自治共和国を創設した。その頃はルーマニア人が大部分を占めており、ルーマニア語で教える学校も開校した。
1940年(ソ連によるベッサラビア併合)と、独ソ戦でソ連がナチス・ドイツ軍とルーマニア王国軍を押し返した第二次世界大戦後にはモルダビア・ソビエト社会主義共和国の一部となる。
ソビエト連邦の崩壊に先立つ1990年のソビエト連邦末期にモルドバ民族主義の昂揚により、モルダビアからモルドバへの国名変更や主権宣言が6月23日に行われた。これに対して、ドニエストル川左岸のロシア語系住民がティラスポリで臨時国会を開催し「沿ドニエストル・ソビエト社会主義共和国」(Road Dneistol Soviet Socialist Republic、沿ドニエストルSSR)の創設を宣言してモルドバから分離を目指した[1]。さらに同年9月2日には、「沿ドニエストル共和国」として独立を宣言。追って1991年8月25日に沿ドニエストル最高評議会が、同領土内にUSSR憲法とUSSR法案の効果を保持する『沿ドニエストル地域の独立に関する宣言』を採択したが、翌年1992年にトランスニストリア戦争へ発展。7月、和平協定が締結され、ロシア連邦、モルドバ、沿ドニエストル合同の平和維持軍(Joint Control Commission, JCC) によって停戦監視が行われている。
先のモンテネグロの独立に影響を受けた共和国議会は2006年7月12日、沿ドニエストル共和国が国際的な独立の承認を受けた後にロシアに編入することなどの是非を問う住民投票を行うことを決めた。投票は同年9月17日に実施され、圧倒的多数で賛成票が反対票を上回った。
ところがモルドバのヘルシンキ人権委員会が当日現地に出向き出口調査等独自で監視を行ったところ、当局によって発表された70%を超えるという投票率に対し実際には10%から30%程度しか確認できなかったこと、結果に関しても少なくとも2~3倍に水増しされたか全く捏造された不公正な投票である可能性が高いと発表している。かつ
- 選挙当日には投票に行かない者を選挙後にルーマニアに強制的に移住させるという脅し文句で投票を強制させていた。
- 過去にボイコットを行った反体制的国民は有権者のリストから除外されていること。
- 公安や軍人がガードをしており投票所の近くに監視員が近づけないようにしていた投票場があったこと、また彼らが投票結果を改竄していたことなどが目撃されている。
この住民投票は欧州安全保障協力機構、欧州連合、アメリカ合衆国がそろってこの開催と結果を認めない声明をかねてより出している。欧州評議会においても議長国のロシアのみがこれを認める立場を固持しているのみである。また同様の住民投票は過去に数度行われており、今回のも含めて実際の影響力、ましてや拘束力は乏しいものといえる。
しかし2014年クリミア危機によって成立したクリミア共和国が、ロシアへの編入を求めた結果、ロシア側から承認された。これを受けて、沿ドニエストル共和国政府は再びロシア下院に対してロシア連邦への編入を求めた[2]。
政治
元首は大統領であり、大統領は国民による選挙で選出される。長くスミルノフ大統領による統治が続いたが、議会やシェリフ・グループ、さらには駐留ロシア軍、ロシア資本の意向も絡まり、一概には独裁体制と言えない政治状況にある。2011年には選挙による政権交代が実現した。1940年代から1960年代のソビエト連邦のような政治文化が街中に色濃く残っているが、2代目大統領シェフチュクによる自由化の流れも見られる。軍事、経済をロシアに頼っており、欧米寄りのモルドバに対してロシア寄りの政策を採っている。旧ソ連軍の備蓄した膨大な量の武器を保有しており、国際的な武器密輸疑惑で非難を受けている。
モルドバの中央選挙管理委員会は、沿ドニエストル共和国の住民がモルドバ政府の支配地域に来れば、モルドバの国政選挙への投票が可能であるとの見解を示している[3]。
外交
2006年6月14日に、アブハジア共和国、南オセチア共和国、沿ドニエストル共和国の3か国の大統領が、スフミで会談を行い、共同声明の形で民主主義と民族の権利のための共同体の設立を宣言した。この共同体にはアルツァフ共和国(ナゴルノ・カラバフ)も参加している。
沿ドニエストル共和国は、これら旧ソ連の、国際的にはほとんど国家として承認されていない3カ国との相互承認を行っている。ロシアは約1500人の兵力を駐留させ、天然ガスを無償で供与し、実質的に支援している[3]。
地理
モルドバ共和国のドニエストル川東岸からウクライナとの国境までの南北に細長い地域を主な領土としている。なお、川は直線ではなく蛇行しており、ウクライナとの国境は直線でジグザグした部分も多い。
しかし、全ての領土(実効支配地域)が東岸にあるわけではない。例えば、沿ドニエストル共和国が実効支配しているベンデルはドニエストル川西岸に位置している。一方、東岸にあるコシエリという都市はモルドバ共和国の実効支配下にある。また、中部のドゥボッサールィ地区(モルドバ語名ドゥベサリ)ではモルドバ共和国の実効支配地域が大きく食い込んでおり、分断されているところもある。なお、その分断地域(モルドバ共和国実効支配地域)を横切る道路(沿ドニエストル共和国の南北間を結ぶ)は、沿ドニエストル共和国領となっているためモルドバ共和国の飛地が存在する。
地方行政区分
地区
地区 (район) | 中心地 |
---|---|
カーメンカ地区 | カーメンカ |
ルィブニツァ地区 | ルィブニツァ |
ドゥボッサールィ地区 | ドゥボッサールィ |
グリゴリオポリ地区 | グリゴリオポリ |
スロボゼヤ地区 | スロボゼヤ |
共和国級市
国民
民族構成は、ルーマニア(モルドバ)系が31.9%、ウクライナ系が28.8%、ロシア系が30.4%。
1990年代の経済低迷により移民する人が多く、1989年に546,400人だったこの地域の人口は、2001年には633,600人までに増加した。ただ、年齢構成が高齢傾向にある。2015年の推計人口は475,665で2004年と比べ7万人以上減少した[4]。
経済
GDP(国内総生産)はおよそ10億ドル。また、独自通貨たる沿ドニエストル・ルーブルが国内で流通している。シェリフ・グループと呼ばれる企業グループがスーパーマーケット、ガソリンスタンド、携帯電話会社などを経営しており、大きな影響力を持っている。
国際法的にはほとんど承認されていないが、貿易は約80カ国との間で行われている[3]。
工業
ソビエト連邦時代から重化学工場が立地しており、工業が主要産業となっている。現在でも、鉄鋼、発電、セメント生産、繊維生産が盛んである。
農業
反面で農業はモルドバと比べると生産量に乏しいものの、温室栽培で青果物を生産していることから品質が比較的良いものが収穫出来ると言われている。[誰によって?]2016年にロシアは自国空軍の戦闘機をトルコによって撃墜された事件への報復としてトルコからの物品の輸入を禁止したが、その代償として輸入の主要品物となっていた青果物を失うこととなった。これを受け、沿ドニエストルは代替の青果供給地として名乗りを上げており、特にトマトの供給に対しては積極的にアピールをしている[注 1][5]。
脚注
注釈
- ^ ロシアは青果物をトルコを始めとした諸外国からの輸入に頼っている現状がある。輸入される青果物の品目の中で依存度が高いのはトマトであり、2014年の青果物輸入に於けるトルコ産トマトの割合は42%で全体の4割を占めるものであった。
出典
- ^ 外務省. “モルドバ”. 外務省 海外安全ホームページ. 2020年11月16日閲覧。
- ^ “沿ドニエストル ロシアへの連邦加盟を希望”. The Voice of Russia. (2014年3月19日). オリジナルの2014年3月20日時点におけるアーカイブ。
- ^ a b c 【旧ソ連国の選択 モルドバ議会選】(中)選挙不参加の「独立国」和平停滞 ロシアが影響力維持『東京新聞』朝刊2019年2月20日(国際面)。
- ^ Переписи подлежали все граждане республики, а также лица без гражданства, иностранцы, постоянно проживающие или временно пребывающие на территории Приднестровья.
- ^ “Томаты из Приднестровья заменят турецкие помидоры на рынке России”. Новости Молдовы (2015年12月7日). 2016年8月21日閲覧。
参考文献
- 廣瀬陽子『強権と不安の超大国・ロシア 旧ソ連諸国から見た「光と影」』光文社新書、2008年 ―第2章「『未承認国家』という名の火薬庫」に著者の沿ドニエストル訪問記が収録されている。
この節の加筆が望まれています。 |
関連項目
- ガガウズ自治区:沿ドニエストル共和国と同じくモルドバより独立宣言した、ガガウズ人が多く住む地域
- ノヴォロシア人民共和国連邦:かつて存在していた国家の一つで、ウクライナの親露派の分離・独立運動により州地域2ヶ所を中心に構成されていた。過去に加盟予定地域の1つとしてこの国が含められていた。
- モルダヴィア自治ソビエト社会主義共和国
- 独立主張のある地域一覧
- 国家承認を得た国連非加盟の国と地域の一覧
外部リンク
- 大統領府
- 議会
- 非公認の国-沿ドニエストル共和国 - ウェイバックマシン(2006年2月16日アーカイブ分)
- Trans-border Trans-Dniester