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「P-39 (航空機)」の版間の差分

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輸出用として[[軍事機密]]の排気タービンが外された[[P-38 (航空機)|P-38「'''ライトニングI'''」]]と同様、[[イギリス空軍]]へ輸出されたP-39C相当の機体「'''エアラコブラI'''」は期待はずれの性能(カタログ[[スペック]]に満たず、[[ホーカー ハリケーン]]より劣ると評価された)により、とても実戦に使えるものではないとされ、僅かな期間で運用を中止された。11機が受領されたに過ぎず、残る機体は受け取りを拒否されたため、212機が[[1941年]]12月から[[ソビエト連邦|ソヴィエト連邦]](ソ連)への[[レンドリース法|レンドリース]]に回された他、残る179機が'''P-400'''と名付けられ、アメリカ陸軍が引き取ることとなった。なお、これらの機体は機首砲が37 mmから、発射速度の高い [[イスパノ・スイザ HS.404|M1 20 mm機関砲]](弾数60発)に換装されていた。
輸出用として[[軍事機密]]の排気タービンが外された[[P-38 (航空機)|P-38「'''ライトニングI'''」]]と同様、[[イギリス空軍]]へ輸出されたP-39C相当の機体「'''エアラコブラI'''」は期待はずれの性能(カタログ[[スペック]]に満たず、[[ホーカー ハリケーン]]より劣ると評価された)により、とても実戦に使えるものではないとされ、僅かな期間で運用を中止された。11機が受領されたに過ぎず、残る機体は受け取りを拒否されたため、212機が[[1941年]]12月から[[ソビエト連邦|ソヴィエト連邦]](ソ連)への[[レンドリース法|レンドリース]]に回された他、残る179機が'''P-400'''と名付けられ、アメリカ陸軍が引き取ることとなった。なお、これらの機体は機首砲が37 mmから、発射速度の高い [[イスパノ・スイザ HS.404|M1 20 mm機関砲]](弾数60発)に換装されていた。


ソ連には合計4,773機が送られ、[[1942年]]5月から空軍及び[[ソ連防空軍|防空軍]]に配備されたP-39は、大変な好評をもって迎えられた。対地支援任務を主とするソ連空軍では戦闘機でも低空域での[[航空戦|空戦]]がメインであり、高度による性能低下に苦しむことなくその本領を発揮できたのである。以前は他の戦線での低い評価により、37 mm機関砲による対地攻撃任務<ref>37mm機関砲M4は元々対爆撃機用に装備されたものであり、またソ連軍の機体用には榴弾しか供与されておらず、対戦車攻撃に使われたという記録は無い。</ref>に活躍したと思われていたが、[[ソ連崩壊]]以降公開され伝わっている記録や、当時の[[操縦士|パイロット]]の証言によると、ドイツ戦闘機との空戦において十分対抗できたとされており、事実、多くの有名[[エース・パイロット]]が搭乗している。ソ連軍では[[マニューバ|機動性]]を優先し、翼内機銃や[[ガンポッド]]を撤去し軽量化して、機首武装(37 mm機関砲をソ連製の[[B-20 (機関砲)|20 mm B-20]]に換装した機体もあった)のみで運用された。また[[独ソ戦|東部戦線]]で運用されるアリソン・エンジンの[[寿命]]は短かった為、頻繁に交換する必要があったとされる。
ソ連には合計4,773機が送られ、[[1942年]]5月から空軍及び[[ソ連防空軍|防空軍]]に配備されたP-39は、大変な好評をもって迎えられた。対地支援任務を主とするソ連空軍では戦闘機でも低空域での[[航空戦|空戦]]がメインであり、高度による性能低下に苦しむことなくその本領を発揮できたのである。以前は他の戦線での低い評価により、37 mm機関砲による対地攻撃任務<ref>37mm機関砲M4は元々対爆撃機用に装備されたものであり、またソ連軍の機体用には榴弾しか供与されておらず、対戦車攻撃に使われたという記録は無い。</ref>に活躍したと思われていたが、[[ソビエト邦の崩壊]]以降公開され伝わっている記録や、当時の[[操縦士|パイロット]]の証言によると、ドイツ戦闘機との空戦において十分対抗できたとされており、事実、多くの有名[[エース・パイロット]]が搭乗している。ソ連軍では[[マニューバ|機動性]]を優先し、翼内機銃や[[ガンポッド]]を撤去し軽量化して、機首武装(37 mm機関砲をソ連製の[[B-20 (機関砲)|20 mm B-20]]に換装した機体もあった)のみで運用された。また[[独ソ戦|東部戦線]]で運用されるアリソン・エンジンの[[寿命]]は短かった為、頻繁に交換する必要があったとされる。


[[太平洋戦争|太平洋戦線]]ではアメリカ陸軍や[[オーストラリア軍]]に配備されたP-39及びP-400が[[大日本帝国海軍|日本海軍]]の[[零式艦上戦闘機|零戦]]と戦ったが、中高度域での性能、特に加速性が零戦には及ばなかった事から、不利な戦闘を強いられた。それでもP-39はD型以降も次々と改良されており、最終的にはモデルはQ型(ただし、H、I、Oは欠番)にまで至っている。だが、生産機数の52 %はソ連へのレンドリースであり、本家アメリカ陸軍では[[1943年]]以降、機種改変によって第一線から退いている。
[[太平洋戦争|太平洋戦線]]ではアメリカ陸軍や[[オーストラリア軍]]に配備されたP-39及びP-400が[[大日本帝国海軍|日本海軍]]の[[零式艦上戦闘機|零戦]]と戦ったが、中高度域での性能、特に加速性が零戦には及ばなかった事から、不利な戦闘を強いられた。それでもP-39はD型以降も次々と改良されており、最終的にはモデルはQ型(ただし、H、I、Oは欠番)にまで至っている。だが、生産機数の52 %はソ連へのレンドリースであり、本家アメリカ陸軍では[[1943年]]以降、機種改変によって第一線から退いている。

2020年12月25日 (金) 23:31時点における版

P-39 / P-400 エアラコブラ

USAAF P-39F-1BE 41-7224号機(撮影年不詳)

USAAF P-39F-1BE 41-7224号機(撮影年不詳)

P-39 エアラコブラBell P-39 Airacobra)は、アメリカ合衆国ベル社が開発し、第二次世界大戦初期にアメリカ陸軍航空軍等で運用された戦闘機。主にレンドリース先のソ連で活躍した。

愛称の「エアラコブラ(Airacobra)」は、「空飛ぶコブラ」といったような意味だが、坂井三郎[1]によると日本軍の一部では「エア・コブラ」と読んでいたようである。イギリスへのレンドリースでの受取拒否機をアメリカ陸軍航空軍が逆輸入の形で引き取った機体はP-400 エアラコブラと呼ばれる。

概要

1936年に出されたアメリカ陸軍の高々度新型迎撃機の要求へ応えて、XFM エアラクーダ戦闘機に続く第二弾として、新進気鋭のベル社が出した回答がXP-39である。その形態はエアラクーダ譲りの新機軸が山盛りの珍しい設計で、胴体中央(操縦席の後)に液冷式のエンジンを置き、プロペラ軸を通して装備される37 mm機関砲を機首に装備した。これは主に機関砲の安定性を保つための仕組みであったが、エンジンを機体中央に置くことで運動性も向上すると見込まれた。また、米国の単発戦闘機で初めて前輪式降着装置を備えたが、これにより離着陸時の視界も従来の戦闘機と比べて良好だった。またキャノピーは涙滴型だがスライド式ではなく、コックピットへの出入りは前に蝶番のある自動車のような側面ドアから行うと言う変則的なものであった。

高々度戦闘機として排気タービン過給器を備えた試作機は、1939年4月6日に初飛行し、クリーン状態で最大速度628 km/h、上昇率1,219 m/minなどの高性能を発揮した。しかし、陸軍は仕様に反して本機を高々度戦闘機にする気は無く、排気タービンを外して中高度戦闘機として生産するように指示を出した。これにより工場では機械式一段一速過給器のV-1710-35エンジンを取り付けて量産が開始されたが、量産型のP-39Cは重量増加などで性能は低下してしまった。武装は37 mm機関砲と機首に12.7 mm機銃×2+7.62 mm機銃×2である。P-39Dは機首の7.62 mm機銃を撤去したかわりに主翼付け根左右に7.62 mm機銃×4を装備した武装強化型だが、このため、ますます性能は低下した。

輸出用として軍事機密の排気タービンが外されたP-38「ライトニングIと同様、イギリス空軍へ輸出されたP-39C相当の機体「エアラコブラI」は期待はずれの性能(カタログスペックに満たず、ホーカー ハリケーンより劣ると評価された)により、とても実戦に使えるものではないとされ、僅かな期間で運用を中止された。11機が受領されたに過ぎず、残る機体は受け取りを拒否されたため、212機が1941年12月からソヴィエト連邦(ソ連)へのレンドリースに回された他、残る179機がP-400と名付けられ、アメリカ陸軍が引き取ることとなった。なお、これらの機体は機首砲が37 mmから、発射速度の高い M1 20 mm機関砲(弾数60発)に換装されていた。

ソ連には合計4,773機が送られ、1942年5月から空軍及び防空軍に配備されたP-39は、大変な好評をもって迎えられた。対地支援任務を主とするソ連空軍では戦闘機でも低空域での空戦がメインであり、高度による性能低下に苦しむことなくその本領を発揮できたのである。以前は他の戦線での低い評価により、37 mm機関砲による対地攻撃任務[2]に活躍したと思われていたが、ソビエト連邦の崩壊以降公開され伝わっている記録や、当時のパイロットの証言によると、ドイツ戦闘機との空戦において十分対抗できたとされており、事実、多くの有名エース・パイロットが搭乗している。ソ連軍では機動性を優先し、翼内機銃やガンポッドを撤去し軽量化して、機首武装(37 mm機関砲をソ連製の20 mm B-20に換装した機体もあった)のみで運用された。また東部戦線で運用されるアリソン・エンジンの寿命は短かった為、頻繁に交換する必要があったとされる。

太平洋戦線ではアメリカ陸軍やオーストラリア軍に配備されたP-39及びP-400が日本海軍零戦と戦ったが、中高度域での性能、特に加速性が零戦には及ばなかった事から、不利な戦闘を強いられた。それでもP-39はD型以降も次々と改良されており、最終的にはモデルはQ型(ただし、H、I、Oは欠番)にまで至っている。だが、生産機数の52 %はソ連へのレンドリースであり、本家アメリカ陸軍では1943年以降、機種改変によって第一線から退いている。

XP-39が初飛行した際、アメリカ海軍も同機の高性能さに目を付け、XFL「エアラボニータ」を尾輪式の艦上戦闘機として試作要求した。同機は大幅な改修を加えて1940年に完成したものの、不具合が続出し、加えてチャンス・ヴォート社のXF4Uが高性能を発揮していたため、海軍での本採用は見送られ、1942年に対空射撃試験の標的機として生涯を終えている。

後継機として、同じレイアウトで高度による性能低下問題を解決した発展型、P-63「キングコブラ」が採用されたが、P47P-51といった優秀な新型機の配備が進むアメリカ陸軍ではほとんど使用されず、やはりソ連に渡り活躍した。

日本軍のパイロットからは、その形状より「カツオブシ」と呼ばれた。

諸元

三面図(P-39D)

参考:航空ファンイラストレイテッドNo74「第二次大戦米陸軍機全集」39-40頁など

制式名称 P-39D P-39M P-39Q
試作名称 XP-39
全幅 10.36m
全長 9.21m
全高 3.6m 3.61m 3.75m
翼面積 19.8m²
翼面荷重 ? kg/m²
自重 2,853kg 2,545kg 2,900kg
正規全備重量 3,465kg 3,810kg 3,443kg
発動機 アリソン
V-1710-35
(離昇1,150馬力)1基
アリソン
V-1710-67/83
(離昇1,200馬力)1基
アリソン
V-1710-85
(離昇1,343馬力)1基
最高速度 579km/h(高度4,600m) 621km/h(高度2,900m) 616km/h(高度3,600m)
上昇力 5,000mまで6分24秒 ? 5,000mまで5分
航続距離 1,770km 1,046km 2,000km
武装 プロペラ軸内 M4機関砲1門(携行弾数15発)
機首 AN/M2 12.7mm機銃2門(携行弾数各200発)
主翼 ブローニング 7.62mm機関銃4門(携行弾数各500発)
M4 37mm機関砲1門(携行弾数30発)
機首 AN/M2 12.7mm機関銃2門(携行弾数各200発)
主翼下ガンポッドAN/M2 12.7mm機関銃2門(携行弾数各300発)
爆装 225kg爆弾1発
生産数 554機 240機 4,905機

現存する機体

型名      番号    機体写真    所在地         所有者                  公開状況      状態  備考               
P-39D-15-BE 41-6951 写真 オーストラリア
クイーンズランド州
マリーバ
ベック軍事博物館
(Beck Military Museum)
公開 静態展示 「Erminie」[1]
P-39F-1-BE 41-7215
A53-12
オーストラリア
ビクトリア州
グレンロワン
クラシックジェッツ戦闘機博物館[2] 公開 修復中 [3][4]
P-39K-1-BE 42-4312 写真 アメリカ
フロリダ州
ポークシティ
ファンタジー・オブ・フライト 非公開 修復中 [5]
P-39N-1-BE 42-8740 アメリカ
カリフォルニア州
チノ
ヤンクス航空博物館[6] 公開 飛行可能 [7]
P-39N-5-BE 42-18814 写真 アメリカ
アリゾナ州
ツーソン
ピマ航空宇宙博物館[8] 公開 静態展示 「Girlie」[9]
P-39N-5-BE 42-19027 アメリカ
アリゾナ州
ヴェイルおよび
カリフォルニア州
チノ
プレーンズ・オブ・フェイム航空博物館 [10] 公開 静態展示 「Small Fry / Little Sir Echo」[11]
P-39N-5-BE 42-19039 写真 パプアニューギニア
東部山岳州
ゴロカ
J・K・マッカーシー博物館[12]
(J. K. McCarthy Museum)
公開 静態展示 「San Antonio Rose」[13]
P-39N-5-BE 42-19158 ロシア
ノヴォシビルスク
ノヴォシビルスク・リストアラーズ
(Novosibirsk Restorers)
公開 静態展示
P-39Q-5-BE 42-19597 アメリカ
テキサス州
サンマルコス
記念空軍(CAF) 公開 飛行可能 「Miss Connie」
P-39Q-6-BE 42-19993 アメリカ
テキサス州
サンアントニオ
ルイス・エア・レジェンズ[14] 公開 飛行可能 「Brooklyn Bum 2nd」[15]
P-39Q-6-BE 42-19995 アメリカ
ニューヨーク州
バッファロー
バッファロー・エリー郡海軍軍事公園
海軍サーヴィスマンズパーク[16]
公開 静態展示 「Snooks 2nd / Betty Lou 3rd」[17]
P-39Q-5-BE 42-20000 アメリカ
カリフォルニア州
リヴァーサイド
マーチフィールド航空博物館[18] 公開 静態展示 [19]
P-39Q-6-BE 42-20007 アメリカ
ヴァージニア州
ハンプトン
ヴァージニア航空宇宙センター[20] 公開 静態展示 42-20027号機の塗装で展示されている。[21]
P-39Q-5-BE 42-20341 写真 ニュージーランド
オークランド
パイオニア・エアロ財団[22] 公開 修復中 [23][24]
P-39Q-10-BE 42-20613 ロシア
サハ共和国
ヤクーツク
文化の家(House of Culture) 公開 静態展示 [25]
P-39Q-15-BE 44-2433 写真 アメリカ
メリーランド州
シルバーヒル
国立航空宇宙博物館
ポール・ガーバー修復施設
非公開 修復中 「Galloping Gertie」[26]
P-39Q-15-BE 44-2485 写真 アメリカ
オレゴン州
マドラス
エリクソン航空機コレクション[27] 公開 静態展示 [28]
P-39Q-15-BE 44-2664 フィンランド
中央スオミ県
ユヴァスキュラ
中央フィンランド航空博物館[29][30] 公開
(B-25と入れ替わり)
静態展示 [31]
P-39Q-15-BE 44-2911 アメリカ
ニューヨーク州
ナイアガラフォールズ市
ナイアガラ航空宇宙博物館[32] 公開 修復中 「Miss Lend Lease」[33]
P-39Q-20-BE
RP-39Q-20-BE
TP-39Q-20-BE
44-3887 アメリカ
オハイオ州
デイトン
国立アメリカ空軍博物館[34] 公開 静態展示 [35]
P-39Q-20-BE 44-3908 アメリカ
ミシガン州
カラマズー
エア・ズー航空宇宙科学博物館[36] 公開 静態展示 「Whistlin Britches」[37]
P-400-BE AP335 写真 アメリカ
ヴァージニア州
ヴァージニアビーチ
ファイター・ファクトリー[38] 非公開 修復中 [39][40]
P-400-BE AP347 写真 パプアニューギニア
ポートモレスビー
国立博物館・美術館
(National Museum & Art Gallery)
公開 静態展示 [41]
P-400-BE BW157 写真 ソロモン諸島
ホニアラ
ヴィル戦争博物館
(Vilu War Museum)
公開 静態展示 [42]
P-39? P-400? 不明 写真 ロシア ムルマンスク州 サフォーノヴァ市 北方艦隊空軍博物館 公開 静態展示
P-39? P-400? 不明 ロシア ムルマンスク州 サフォーノヴァ市 北方艦隊空軍博物館 公開 修復中 北方艦隊航空隊第255戦闘機連隊第2飛行隊所属機で、1945年3月6日にヒョードル・ドミトリーヴィチ・バラヴィコフ少尉の操縦で戦闘飛行訓練の際に凍り付いた湖上に墜落したもの。[43]

登場作品

小説

『大日本帝国欧州電撃作戦』
後継機のP-63と共に日本陸軍の襲撃機部隊に供与され、日本兵には「神様、仏様、鰹節様」と有り難がられるほど、地上攻撃に猛威を振るう。
被弾した機体の修理を要請した時、「これを修理するより、あそこに新品の代替機が山の様に到着しているので乗り換えてくれ」と整備兵に伝えられ、日本陸軍のパイロットがアメリカの膨大な兵器生産能力に驚くと同時に呆れるシーンがある。

ゲーム

War Thunder
アメリカツリーにP-400型、N-0型、Q-5型がプレイヤーの操縦できる機体として登場。
その他、ソ連ツリーのプレミアム機としても数機が登場する。
War Wings
アメリカツリーに迎撃機としてP-39のQ型、プレミアム機体としてN型が登場している。

脚注

注釈

  1. ^ アメリカ陸軍航空軍が独立して空軍となった後も、P-39Qの後期生産機はZF-39Qとして保管されていたが、間もなく民間へ払い下げられたりなどした。

出典

  1. ^ 著書『大空のサムライ』より。
  2. ^ 37mm機関砲M4は元々対爆撃機用に装備されたものであり、またソ連軍の機体用には榴弾しか供与されておらず、対戦車攻撃に使われたという記録は無い。

参考文献

関連項目

外部リンク