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「現代 (時代区分)」の版間の差分

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1918年11月11日に[[第一次世界大戦]]が終わる前は、三つ以上の大国が[[植民地]]を持って鎬を削る[[多極体制]]であった。しかし、第一次世界大戦の終わりと共に、各国の植民地体制が揺らぎ始め、その中でアメリカ合衆国の台頭が始まった。そして、1945年8月の[[日本への原子爆弾投下|広島と長崎への原爆投下]]により、植民地体制と[[世界大戦]]に象徴される多極体制は終わり、アメリカ合衆国と[[ソビエト連邦]]による'''[[冷戦]]([[両極体制]])'''が始まった。
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そして、1989年秋の[[東欧革命]]によって冷戦が終わり、1991年12月26日に[[ソ連崩壊|ソビエト連邦が消滅]]した後も、アメリカ合衆国の動向が世界情勢を左右する時代が、2018年現在も続いている。
そして、1989年秋の[[東欧革命]]によって冷戦が終わり、1991年12月26日に[[ソビエト邦の崩壊|ソビエト連邦が消滅]]した後も、アメリカ合衆国の動向が世界情勢を左右する時代が、2018年現在も続いている。
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[[1989年]]以後、現在に至るまでの時代の特徴は、短い周期で変化する世界である。
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1989年11月10日に[[ベルリンの壁崩壊|ベルリンの壁が撤去]]され([[東欧革命]])、1991年12月26日に[[ソ連崩壊|ソビエト連邦が消滅]]すると、[[冷戦]]という長い安定期は終わり、冷戦後という短い周期で変化する世界が始まった。
1989年11月10日に[[ベルリンの壁崩壊|ベルリンの壁が撤去]]され([[東欧革命]])、1991年12月26日に[[ソビエト邦の崩壊|ソビエト連邦が消滅]]すると、[[冷戦]]という長い安定期は終わり、冷戦後という短い周期で変化する世界が始まった。


ソビエト連邦が消滅すると、[[アメリカ合衆国]]による'''[[一極体制]]・[[新自由主義]]的な[[グローバリズム]]'''の時代が始まり、[[中国]]や[[ベトナム]]などの[[共産党]]国家は[[国家資本主義]]による経済成長を達成し、ヨーロッパ諸国は[[欧州連合]](1993年11月1日設立)や通貨[[ユーロ]](1999年1月1日施行)による緩やかな地域統合を打ち出した。このアメリカ合衆国による一極体制は、2008年まで続くこととなる。
ソビエト連邦が消滅すると、[[アメリカ合衆国]]による'''[[一極体制]]・[[新自由主義]]的な[[グローバリズム]]'''の時代が始まり、[[中国]]や[[ベトナム]]などの[[共産党]]国家は[[国家資本主義]]による経済成長を達成し、ヨーロッパ諸国は[[欧州連合]](1993年11月1日設立)や通貨[[ユーロ]](1999年1月1日施行)による緩やかな地域統合を打ち出した。このアメリカ合衆国による一極体制は、2008年まで続くこととなる。
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日本を初めとするアジア各国では、1945年の[[第二次世界大戦]]の終結により、欧米日の[[植民地主義|植民地支配]]から独立した国家が多数成立し、1945年までの既存国家も[[政体]]が変わって新国家に生まれ変わった。これらの国家は、第二次世界大戦末期の[[ヤルタ会談]]に始まる[[冷戦]]体制の下で独立・成立した国家が多い。これらの中には、[[朝鮮半島]]や[[ベトナム]]のように[[分断国家|分断される国家]]も現れた。ただし、ベトナムのように分断を解消して統一を実現した国家では、統一後の時代([[ベトナムの歴史|ベトナム史]]では、1976年の[[ベトナム|ベトナム社会主義共和国]]の成立以後)が「現代」になる。<!--日本史においては1945年を近代と現代の境目とする一般的な見方の他にも、{{要出典範囲|date=2020年4月|[[沖縄県の歴史|琉球史]]の観点を加える立場{{誰|date=2020年3月}}から1972年5月15日の[[沖縄返還]]以後を「現代」とする見方}}もある。-->
日本を初めとするアジア各国では、1945年の[[第二次世界大戦]]の終結により、欧米日の[[植民地主義|植民地支配]]から独立した国家が多数成立し、1945年までの既存国家も[[政体]]が変わって新国家に生まれ変わった。これらの国家は、第二次世界大戦末期の[[ヤルタ会談]]に始まる[[冷戦]]体制の下で独立・成立した国家が多い。これらの中には、[[朝鮮半島]]や[[ベトナム]]のように[[分断国家|分断される国家]]も現れた。ただし、ベトナムのように分断を解消して統一を実現した国家では、統一後の時代([[ベトナムの歴史|ベトナム史]]では、1976年の[[ベトナム|ベトナム社会主義共和国]]の成立以後)が「現代」になる。<!--日本史においては1945年を近代と現代の境目とする一般的な見方の他にも、{{要出典範囲|date=2020年4月|[[沖縄県の歴史|琉球史]]の観点を加える立場{{誰|date=2020年3月}}から1972年5月15日の[[沖縄返還]]以後を「現代」とする見方}}もある。-->


冷戦が終わり、[[ソ連崩壊|ソビエト連邦が崩壊]]すると、[[中央アジア]]では次々と独立国家が成立した。しかし、冷戦が終わり、ソビエト連邦が崩壊した後も、日本と韓国の[[アメリカ軍]]駐留、朝鮮半島の未統一、[[北朝鮮核問題]]、中国の[[中国共産党|共産党]][[一党独裁]]、中国と台湾の対立の未解消に象徴される通り、[[北東アジア]]には冷戦の残滓が残されたままである。[[リージョナリズム|地域統合論]]の観点としては、[[東南アジア]]では冷戦時代から[[東南アジア諸国連合]]が既に存在しているが、北東アジアまで巻き込んで「[[東アジア共同体]]」となるような地域連合には至っていない。
冷戦が終わり、[[ソビエト邦の崩壊|ソビエト連邦が崩壊]]すると、[[中央アジア]]では次々と独立国家が成立した。しかし、冷戦が終わり、ソビエト連邦が崩壊した後も、日本と韓国の[[アメリカ軍]]駐留、朝鮮半島の未統一、[[北朝鮮核問題]]、中国の[[中国共産党|共産党]][[一党独裁]]、中国と台湾の対立の未解消に象徴される通り、[[北東アジア]]には冷戦の残滓が残されたままである。[[リージョナリズム|地域統合論]]の観点としては、[[東南アジア]]では冷戦時代から[[東南アジア諸国連合]]が既に存在しているが、北東アジアまで巻き込んで「[[東アジア共同体]]」となるような地域連合には至っていない。


===ヨーロッパ===
===ヨーロッパ===

2020年12月25日 (金) 23:30時点における版

時代区分の現代げんだいとは、世界の歴史における時代区分で、現在進行している時代のことである。平たく言えば「現在の時代」ではない。 通例では、対象とする分野における体制や状態が、現在と同じ形に変化した時点以後の時代を指す。時系列の「古代中世近世近代、現代」という時代区分の最後である。

国際社会

1945年以後

長崎原爆キノコ雲(1945年8月9日)

1945年以後、現在に至るまでの現代の特徴は、アメリカ合衆国との関係が物を言う時代である。

1918年11月11日に第一次世界大戦が終わる前は、三つ以上の大国が植民地を持って鎬を削る多極体制であった。しかし、第一次世界大戦の終わりと共に、各国の植民地体制が揺らぎ始め、その中でアメリカ合衆国の台頭が始まった。そして、1945年8月の広島と長崎への原爆投下により、植民地体制と世界大戦に象徴される多極体制は終わり、アメリカ合衆国とソビエト連邦による冷戦両極体制が始まった。

そして、1989年秋の東欧革命によって冷戦が終わり、1991年12月26日にソビエト連邦が消滅した後も、アメリカ合衆国の動向が世界情勢を左右する時代が、2018年現在も続いている。

1989年以後

アメリカ同時多発テロ事件で炎上するWTC(2001年9月11日)

1989年以後、現在に至るまでの時代の特徴は、短い周期で変化する世界である。

1989年11月10日にベルリンの壁が撤去され(東欧革命)、1991年12月26日にソビエト連邦が消滅すると、冷戦という長い安定期は終わり、冷戦後という短い周期で変化する世界が始まった。

ソビエト連邦が消滅すると、アメリカ合衆国による一極体制新自由主義的なグローバリズムの時代が始まり、中国ベトナムなどの共産党国家は国家資本主義による経済成長を達成し、ヨーロッパ諸国は欧州連合(1993年11月1日設立)や通貨ユーロ(1999年1月1日施行)による緩やかな地域統合を打ち出した。このアメリカ合衆国による一極体制は、2008年まで続くこととなる。

その中で、冷戦時代には考えられなかったツールや事件が、今日の世界に小さからぬ影響を与えている。2000年前後のインターネットの世界的普及や、2010年前後のWeb 2.0の発展は情報社会を開いた、2011年冬のアラブの春にも影響を与えた。また、2001年9月11日に発生したアメリカ同時多発テロ事件により、「テロの時代」が始まって現在に至っている。

2008年以後

第1回G20首脳会談(2008年11月15日)

2008年以後、現在に至るまでの時代の特徴は、アメリカ合衆国の覇権が弱まっている多極体制である。

1992年元日に「ソ連亡き世界」が始まった後の世界は、アメリカ合衆国による一極体制新自由主義的なグローバリズムの時代であった。しかし、2007年から2008年までのアメリカ発の世界金融危機、なかんずく2008年9月15日のリーマン・クライシスと同年11月14日の第1回G20首脳会談により、アメリカ合衆国による一極体制は終わり、これ以後の世界は多極体制へと変わった。

そして、2016年には、アメリカ大統領選挙の選挙戦では、「アメリカン・ドリームは死んだ」[1]と呼ばれるなど、新自由主義的なグローバリズムへの嫌悪が明らかになっている。また、イギリス欧州連合から離脱したり、ドナルド・トランプロドリゴ・ドゥテルテなど排外的言動で支持を集める政治家が躍進するなど、「保護主義と分裂抗争の世界」に変わりつつある。その傾向は、2020年に起こった新型コロナウィルスの世界的大流行によって、さらに顕著になりつつある。

各地域

アジア

ベトナム戦争テト攻勢

アジア史では、概ね1945年の帝政日本の降伏を境にして、「近代」と「現代」に分けられている。

日本を初めとするアジア各国では、1945年の第二次世界大戦の終結により、欧米日の植民地支配から独立した国家が多数成立し、1945年までの既存国家も政体が変わって新国家に生まれ変わった。これらの国家は、第二次世界大戦末期のヤルタ会談に始まる冷戦体制の下で独立・成立した国家が多い。これらの中には、朝鮮半島ベトナムのように分断される国家も現れた。ただし、ベトナムのように分断を解消して統一を実現した国家では、統一後の時代(ベトナム史では、1976年のベトナム社会主義共和国の成立以後)が「現代」になる。

冷戦が終わり、ソビエト連邦が崩壊すると、中央アジアでは次々と独立国家が成立した。しかし、冷戦が終わり、ソビエト連邦が崩壊した後も、日本と韓国のアメリカ軍駐留、朝鮮半島の未統一、北朝鮮核問題、中国の共産党一党独裁、中国と台湾の対立の未解消に象徴される通り、北東アジアには冷戦の残滓が残されたままである。地域統合論の観点としては、東南アジアでは冷戦時代から東南アジア諸国連合が既に存在しているが、北東アジアまで巻き込んで「東アジア共同体」となるような地域連合には至っていない。

ヨーロッパ

欧州経済統合の象徴、欧州中央銀行

ヨーロッパ史では、東欧革命を境にして「近代」と「現代」を分ける見方が増えている。

ヨーロッパの国家は2度の世界大戦を経験したが、2度にわたる世界大戦は植民地主義の段階的な崩壊を意味した。第二次世界大戦の戦勝国(連合国)であっても、アメリカ合衆国をのぞき打撃は大きかった。帝政日本の降伏により第二次世界大戦が終わった後、アジアの植民地では独立戦争が始まり、やや遅れてアフリカの植民地も次々と独立、1960年代までにヨーロッパ諸国は植民地の多くを失った。2度の世界大戦は植民地主義が極限に達して始まったが、第二次世界大戦が終わっても凝りは残った(例:2度の世界大戦を巡る独仏関係)。冷戦という米ソ二極体制も、欧米の第二次世界大戦の最高権力者が作ったシステムである。

ところが、東欧民主化革命・ベルリンの壁崩壊・冷戦終結・ソビエト連邦崩壊という一連の大変動は、欧米の第二次世界大戦の最高権力者が作ったシステムの崩壊を意味した。そして、冷戦終結後のヨーロッパは、欧州連合に象徴されるように、東欧民主化革命やソビエト連邦崩壊によって成立した国家も巻き込んで、「ヨーロッパは一つ」の動きを強めている。そして、現在の「ヨーロッパは一つ」の動きは、冷戦の44年間を通して西ヨーロッパ諸国が作った「正の遺産」でもあり、旧ソ連諸国(バルト三国)をも含めたヨーロッパの統合が急速に進んだ。

一方で、1970年頃から興った近代を批判的に捉え直すポストモダン(postmodern)という運動も、「近代」の枠組みの中に入っているのではないかという議論もある。

フランスの歴史学界隈ではフランス革命の1789年を境としてこちらがわを現代と見なしている[2]

軍事史

広島原爆(リトルボーイ)

軍事史では、大量破壊兵器と無差別大量虐殺を特徴とする戦争の時代が、「現代」と見なされている。この場合、第二次世界大戦以後が「現代」と見なされている。

普仏戦争日露戦争第一次世界大戦など、第二次世界大戦前の「近代」の戦争は、戦車戦艦などの最新鋭の兵器が使用されたが、殺傷する/殺傷される対象は戦闘員(=軍人)に限定されていた。

ところが、第二次世界大戦では、殺傷する/殺傷される対象は非戦闘員にまで拡大され、非戦闘員を狙った無差別爆撃や、大量破壊兵器の一種である核兵器の使用も実施された。そして、第二次世界大戦以後は、核兵器のような大量破壊兵器が「戦争抑止力」や「開戦の口実」として国際社会を動かしている。

関連書籍
  • 『岩波小事典 現代の戦争』前田哲男著

文化史

ヒッピー

美術建築ファッションなど文化の歴史では、購買者たる大衆が文化の担い手になっている時代が、「現代」と見なされている。この場合、第二次世界大戦終結後が「現代」と見なされている。

近世」と「近代」の文化は、大商人が作った都市文化と、農村など地方庶民が作った地方文化の2つに分かれる傾向が大きかった。強力な統一政府や連邦政府の下で、交通網が整備され、商人は力を増して都市文化を形成し、その担い手になっていた。一方で、農村など地方には、大商人が作った都市文化には瞬時に浸透せず、幾らか時間を経てから都市文化が浸透したり、地方で独自の文化が形成されるかのいずれかの傾向を持っていた。

ところが、1945年に第二次世界大戦が終わり、冷戦が始まると、テレビラジオなど情報が瞬時で遠隔地に伝わるメディアが普及し、多国籍企業の成長による商取引のグローバリゼーションが加速したことで、「都市と地方に二極化した文化」の時代から、「同時多発的な大衆文化」の時代に文化は変わった。

なお、日本における文化史では1960年代高度経済成長期以後が「現代」と見なされる。

脚注・出典

  1. ^ 産経新聞大阪本社版 2016年2月22日付 「アメリカンドリームは“死んだ”米国の危機」
  2. ^ プレッシ アラン and 齊藤 佳史 and 矢後 和彦「フランス経済史の研究動向(19-20世紀)(海外寄稿)」『歴史と経済』第47巻、第2号、35-48頁、2005年。 

関連項目