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北朝鮮の公式な歴史では、「主体」の最初の適用とされるものの1つは[[千里馬運動]]とも呼ばれている1956年から1961年の[[五カ年計画]]である。この五カ年計画は[[ソビエト連邦]]と[[中華人民共和国]]の両方からの政治的独立を確実にするために、[[工業#工業の分野|重工業]]に焦点を当てた北朝鮮の迅速な経済発展を目的としたが、1928年のソビエト連邦の[[第一次五カ年計画]]と同様の中央集権的な国家計画の手法を適用し、また[[毛沢東]]の第一次五カ年計画や[[大躍進政策]]とも部分的には関連があった。
北朝鮮の公式な歴史では、「主体」の最初の適用とされるものの1つは[[千里馬運動]]とも呼ばれている1956年から1961年の[[五カ年計画]]である。この五カ年計画は[[ソビエト連邦]]と[[中華人民共和国]]の両方からの政治的独立を確実にするために、[[工業#工業の分野|重工業]]に焦点を当てた北朝鮮の迅速な経済発展を目的としたが、1928年のソビエト連邦の[[第一次五カ年計画]]と同様の中央集権的な国家計画の手法を適用し、また[[毛沢東]]の第一次五カ年計画や[[大躍進政策]]とも部分的には関連があった。


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その後、中華人民共和国が最大の援助国となり、人道援助に年4億ドルを提供し<ref>[http://www.parapundit.com/archives/001464.html ParaPundit: On China's Aid To North Korea And Sanctions]</ref>、北朝鮮の貿易は中国が90.6%も占めている<ref>{{cite news |title=北朝鮮、中国への貿易依存度90%超|newspaper=[[中央日報]] |date=2015-1-14 |url=http://japanese.joins.com/article/298/195298.html |accessdate=2015-4-19 | author=中央日報日本語版}}</ref>。2005年には北朝鮮は2番目に多い[[国際食糧援助]]を受けており、恒常的な食料不足に悩まされている。{{main|朝鮮民主主義人民共和国の経済史#混迷続く経済状態|朝鮮民主主義人民共和国の国際関係#中華人民共和国}}
その後、中華人民共和国が最大の援助国となり、人道援助に年4億ドルを提供し<ref>[http://www.parapundit.com/archives/001464.html ParaPundit: On China's Aid To North Korea And Sanctions]</ref>、北朝鮮の貿易は中国が90.6%も占めている<ref>{{cite news |title=北朝鮮、中国への貿易依存度90%超|newspaper=[[中央日報]] |date=2015-1-14 |url=http://japanese.joins.com/article/298/195298.html |accessdate=2015-4-19 | author=中央日報日本語版}}</ref>。2005年には北朝鮮は2番目に多い[[国際食糧援助]]を受けており、恒常的な食料不足に悩まされている。{{main|朝鮮民主主義人民共和国の経済史#混迷続く経済状態|朝鮮民主主義人民共和国の国際関係#中華人民共和国}}

2020年12月25日 (金) 23:22時点における版

主体思想
各種表記
ハングル 주체사상
漢字 主體思想
発音 チュチェササン
日本語読み: しゅたいしそう
MR式
2000年式
英語表記:
Chuch'e sasang
Juche sasang
Juche idea
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主体思想(しゅたいしそう)またはチュチェ思想(チュチェしそう)とは、朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)及び朝鮮労働党政治思想である。

概要

この思想は、中ソ対立のはざまで、自国の自主性維持に腐心する金日成が、「我々式の社会主義(ウリシク社会主義)」に言及する中で登場し、金正日によって体系的に叙述された。この過程で、モスクワ国立大学哲学博士である黄長燁[1]が哲学的緻密化に貢献したといわれる。後に金日成により性格づけられ[2][3]1972年の憲法で「マルクス・レーニン主義を我が国の現実に創造的に適用した朝鮮労働党の主体思想」と記載された[4]。朝鮮人民が国家開発の主人であり、国家には強力な軍事的姿勢と国家的資源が必要、とする。

「主体(チュチェ)」は、哲学およびマルクス主義の用語「主体」を朝鮮語に変換したもので[3]、さらに北朝鮮では「自主独立」や「自立精神」を意味する場合も多い。主体思想は「常に朝鮮の事を最初に置く」との意味でも使われている[5]。金日成は、主体思想は「人間が全ての事の主人であり、全てを決める」という信念を基礎としている、とした。

用語

ハングルでは「주체사상」、朝鮮漢字では「主體思想」と表記される。日本語では「主体思想」[6]と表記される場合が多いが、「チュチェ思想」[7]の表記も使用されている。なお統一教会文鮮明による「三大主体思想」は全く別の意味[8]である。

歴史

朝鮮労働党の公式党史では「主体(思想)」の起源は1930年代で、最初の言及は1930年主体19年=昭和5年)6月30日の金日成が18歳の時の演説とされている[9]。しかし、これらの情報には信憑性が無い[10]

知られている北朝鮮での「主体(チュチェ)」への最初の言及は、1955年12月28日の金日成による演説『思想的研究における教条主義および形式主義の除去と「主体(チュチェ)」の構築」』[11]である。金日成はこの演説で、党の宣伝担当者はソビエト連邦から思想や慣習を輸入するのではなく、朝鮮自身の「ウリシク(我々式)」の方法によって朝鮮革命を前進させるべきであると論じた。これは、スターリン批判が国内に波及することを恐れた金日成が防波堤を作ったものであるとの見方もある。

朝鮮で革命を行うために、我々は朝鮮人民の慣習と同様に、朝鮮の歴史や地理学も知るべきである。それらが彼らに適合し、彼らの生まれ故郷や祖国への激しい愛情を彼らに呼び起こすことを通じてのみ、我々の人民を教育する事が可能になる。 — 金日成[5]:421

1950年代後半、金日成がマルクス・レーニン主義の彼自身の見解の構築を考えていた時に、首席思想相談役だった黄長燁が、この演説の「主体」がマルクス・レーニン主義の独創的な発展とみなせる事を発見し[12]、この概念を社会的に定義された信条として構築を開始した[2]との主張がある。1958年までに金日成が北朝鮮での支配を確立すると、この言葉は人民による彼への献身を示す目的で使い始められ、金日成やその家族(金王朝英語版)の歴史や指導者としての正統性への美化など、個人崇拝が進められた[13]

冷戦の期間中、北朝鮮は主体(思想)と自立の原則を他国、特に非同盟諸国への経済発展の方法として推進した。1967年から自己への権力集中を強化していたルーマニア大統領ニコラエ・チャウシェスクは、1971年、朝鮮民主主義人民共和国を含むアジア諸国訪問時の北朝鮮の思想的な動員力と大衆による賞賛に影響を受けていた。

1972年の憲法改正で、主体思想は公式な国家思想としてマルクス・レーニン主義と置き換えた。これは中ソ対立の影響でもあったが、主体思想は「マルクス・レーニン主義の創造的な適用」と定義された。金日成はまた、主体思想は全てのスターリン主義国家を継承する、計画的な位置づけであると説明した[14]

1977年8月、北朝鮮政府は主体思想に関する最初の国際的会議を主催し、その中で日本チュチェ思想国際研究所と、スペイン朝鮮友好連盟英語版が注目された[15]

金日成は1994年の死去以後も崇拝され、1998年の憲法改正で「永遠の主席」とされた。後継者の金正日は「金日成主席にならぶ偉大な指導者・民族の太陽」と呼ばれるようになった。朝鮮の歴史は1866年に遡って、アメリカ帝国主義(米帝)に対して闘争する「英雄的な」金一族と、その祖先について書き直された。これらの金一族への崇拝は、主体思想によって支援され、金日成は全人民の「最上の指導者で太陽」とされた[13]

1997年には主体暦が開始された。

2012年4月に開催された第4回党代表者会朝鮮語版中国語版の中で、主体思想は定義が拡張され、金正恩が金日成思想の包括的な理解者かつ金正日思想の発展かつ進化であり、「金日成・金正日主義」との用語で表現された。金正恩は党代表者会の直前、党中央委員会の責任幹部を前に以下の演説を行った。

金日成・金正日主義は、整合性ある思想体系であり、チュチェ(思想)の理論と手法であり、チュチェ時代を代表する偉大で革命的な思想である。金日成・金正日主義に従い、(金日成)主席および(金正日)将軍の思想と方向性を合致させて、我々は党建設と党活動を指揮し、我々の党の革命的な特性を強化し、革命を前進させ建設すべきである。 — 金正恩[16]

内容

主体思想の確立期

主体思想自身は1956年から表面化した中ソ対立による政治的緊張下で、全体的で思想的なドクトリンとして段階的に形成されていった。すなわち北朝鮮国内における親ソ派(ソ連派)・親中派(延安派)の粛清(8月宗派事件)とソ連、中国の影響の排除を通じ、金日成はマルクス・レーニン主義の独自解釈を進めることとなった。特に、フルシチョフ政権下のソ連共産党第20回大会で「西側諸国との平和共存路線」が打ち出されると、朝鮮半島の解放(すなわち南朝鮮からのアメリカ帝国主義の排除)を国是とする北朝鮮と、ソ連との対立は深まってゆく(これに対し、ソ連の平和共存路線を「修正主義」として批判した中華人民共和国は、北朝鮮と接近することになった)[17]

主体思想は約10年間は脇に押しやられ、1963年の金日成の朝鮮人民軍への「主体」原則の演説により再登場した[13]

主体思想という言葉は、1965年4月14日に金日成がインドネシアアリ・アハラム社会科学院で行った演説『朝鮮民主主義人民共和国における社会主義建設と南朝鮮革命』に登場する。同演説によると、一国の独立には「思想における主体」「政治における自主」「経済における自立」「国防における自衛」の確立が必要であり、北朝鮮が保持してきたこの立場が「主体思想」であるとされた。

その後1966年10月の朝鮮労働党第2回代表者会では主体思想が定式化され、「帝国主義との徹底闘争」「植民地民族解放運動と国際労働運動の支持」「社会主義政権」「内政不干渉・相互尊重・互恵平等」が北朝鮮の進むべき路線であるとされた。このように、主体思想はその確立期にあって、大国による内政干渉を排除し自主路線を歩むこと、そのためにマルクス・レーニン主義に対する独自のアプローチをとることを主要な内容としていた。

1967年5月の党中央委員会全員会議では、「唯一思想体系」を確立し、修正主義分子を排除することが謳われた。これにより、金日成と共に抗日パルチザン闘争を戦った甲山派も党内から排除された。主体思想が朝鮮労働党の首領である金の思想であることが確立されたことで、党内のイデオロギー的対立は形式的には克服されたことになった[18]

なお現在では、主体思想台に朝鮮人民軍の兵士や平壌市民、大勢の訪朝観光客が観光・崇拝をしている。

主体思想の変容期

北朝鮮の自主独立路線と、マルクス・レーニン主義独自解釈を打ち出した主体思想は、やがて、首領金日成の唯一絶対の思想としての地位を確立し、これに対する一切の批判を排除することを通じて、金一族の絶対的権力を正当化するイデオロギーとしての色彩を強めていく。そのことは、いずれ訪れる長男・金正日への地位の継承を準備する意味も持っていた。

1972年(主体61年)12月27日の最高人民会議第5期第1回会議でそれまでの朝鮮民主主義人民共和国憲法を全面的に改正した朝鮮民主主義人民共和国社会主義憲法では、主体思想が国家の指導指針とされた。同時に国家主席ポストが新設され、それまで朝鮮労働党の「首領」とされていた金日成に憲法上も最高指導者の地位が付与された。

さらに、1974年には党の唯一思想体系確立の10大原則が成立。主体思想の目指すところを具体化しつつ簡潔にまとめた、社会主義憲法や朝鮮労働党規約を上回る北朝鮮公民の最高規範と位置付けられた。そして、公民に対しては戦前・戦中の大日本帝国教育勅語にも劣らぬ徹底的な教育が行われた。

1982年の金正日の『チュチェ思想について』によると、国家政策における主体思想の適用の概要は以下である[19]

  1. 人民は、思想や政治的には独立し、経済的には自己供給し、国防では自己依存していなければならない。
  2. 政策は大衆の意思と願望を反映し、革命と建設の中で彼らを完全に雇用しなければならない。
  3. 革命と建設の手法は、国家の状況に適応されなければならない。
  4. 革命と建設の最重要作業は、人民を思想的に共産主義者に形成し、彼らを建設作業に動員する事である。

「主体」の視点では、革命的な党と指導者への絶対的な忠誠心を要求した。北朝鮮では、それらは朝鮮労働党と、最高指揮官たる金日成であった。スターリンが押し進めた個人崇拝を北朝鮮の実情に合わせて進化させたもので、「領袖は党、党は国家」というスローガンとともに朝鮮社会への浸透を推し進めた。そして金日成の死後、金正日指導の下では先軍思想が主体思想と同列に推されたことにより、事実上「領袖は軍、軍は党、党は国家」という軍国主義的な要素を含んだものへと変質する。

北朝鮮の公式な歴史では、「主体」の最初の適用とされるものの1つは千里馬運動とも呼ばれている1956年から1961年の五カ年計画である。この五カ年計画はソビエト連邦中華人民共和国の両方からの政治的独立を確実にするために、重工業に焦点を当てた北朝鮮の迅速な経済発展を目的としたが、1928年のソビエト連邦の第一次五カ年計画と同様の中央集権的な国家計画の手法を適用し、また毛沢東の第一次五カ年計画や大躍進政策とも部分的には関連があった。

しかし、経済的自立の願望に反して、北朝鮮は他の諸国からの経済援助に依存し続けている[20]。歴史的には、1991年のソビエト連邦の崩壊まではソビエト連邦からの援助に最も依存していた[20]朝鮮戦争後の1953年から1963年は「兄弟」諸国からの経済援助や資金に頼り、1953年から1976年はさらにソビエト連邦の産業支援に強く依存した。ソ連崩壊により北朝鮮経済は危機に陥り、社会基盤の運営にも失敗し続けたことから、1990年代半ばには大規模な飢饉が発生した。

その後、中華人民共和国が最大の援助国となり、人道援助に年4億ドルを提供し[21]、北朝鮮の貿易は中国が90.6%も占めている[22]。2005年には北朝鮮は2番目に多い国際食糧援助を受けており、恒常的な食料不足に悩まされている。

批評

ブライアン・レイノルズ・マイヤーズ英語版などの人権監視組織や政治アナリストは、北朝鮮の実情は「主体思想」との類似性が無いと継続的に報告している[23]。北朝鮮の経済は、社会主義国間の貿易ブロックが崩壊する前も後も海外からの輸入や支援に深く依存しており、また人々は実際には意思決定を重視されていない。

主体思想の理論家である黄長燁は、韓国への亡命後の書籍『金正日への宣戦布告』などで、本来の主体思想はマルクス・レーニン主義の適用だが、実際には金一族による独裁政治や個人崇拝に利用されていると批判した[24]

論理学者の Thomas J. Belke による1999年の著作『Juche: A Christian Study of North Korea's State Religion』や、政治学者の Han S. Park による2002年の著作『Juche: The Politics of Unconventional Wisdom』は、いずれも主体思想は政治的宗教英語版に関連していると記した[25]。また Myers は、毛沢東に関する政治的理論と比較して、主体思想は金日成への賞賛のための単なる欺瞞となっているとした[23]

中国の映画監督の胡戈中国語版は、主体思想を風刺した[26]

2001年に、内藤陽介は、著書『北朝鮮事典』の主体思想の項目[27]において、日成の死後、当時、思想担当の責任者であった正日が主体思想を宗教思想へとつくりかえたとした。正日は、主体思想を宗教思想として整備する上で、社会政治的生命体論に基づき、首領を脳髄、党を神経とし、人民を手足とする三位一体の有機体国家論(革命的首領観)を提唱した。この有機体国家論の整備をもって、主体思想は存在論を備えた宗教思想[28]としての一応の完成をみたとした[29]

2007年デイリーNKの報道では、アメリカ宗教情報統計サイト『アドヘレンツ・ドットコム』[30]は、主体思想を「宗教」と規定し、その追従者は1900万人(当時の数値。現在は2300万人に修正)を数え、信者数世界第10位の宗教であると発表した[31]。アドヘレンツ・ドットコムの発表は、その多くをThomas J. Belke著、『Juche - A Christian Study of North Korea's State Religion』に準拠している[32][33]

参考文献

  • 『哲学への主体的アプローチ』(韓東成、2007年、白峰社)
  • 『社会主義への主体的アプローチ』(韓東成、2006年、白峰社)
  • 『二十一世紀と金正日書記』(李珍珪、1995年、朝鮮青年社)
  • 『金正日主義入門』(尾上健一、1995年、白峰社)
  • 『金正日伝(第一巻)』(朝鮮・金正日伝編纂委員会、2004年、白峰社、ISBN 4434041657
  • 『金正日略伝』(在日本朝鮮人総聯合会中央常任委員会、1995年、雄山閣出版、ISBN 4639012764
  • 『金正日への宣戦布告』(黄長燁、文春文庫)
  • 『北朝鮮事典』(内藤陽介、2001年、竹内書店新社)

脚注

  1. ^ 最終役職は朝鮮労働党中央委員会国際担当書記・最高人民会議外交委員会委員長
  2. ^ a b Becker, Jasper (2005). Rogue Regime: Kim Jong Il and the Looming Threat of North Korea. en:New York City: Oxford University Press. ISBN 0-19-517044-X 
  3. ^ a b B. R. Myers: The Cleanest Race: How North Koreans See Themselves and Why It Matters. Pages 44–48. Paperback edition. (2011)
  4. ^ 朝鮮民主主義人民共和国社会主義憲法(1972年) 第1章 政治
  5. ^ a b Cumings, Bruce. Korea's Place in the Sun: a Modern History. New York: W.W. Norton, 2005.
  6. ^ 読売新聞朝日新聞、「「主体思想」と黄長燁」(荒木和博[1]、「主体思想について」(在日本朝鮮人総聯合会中央常任委員会、1982年)など。
  7. ^ 大辞泉、「ブリタニカ国際大百科事典(小項目電子辞書版 2008年)」、チュチェ思想国際研究所日本共産党など。
  8. ^ 「神様の理想家庭と平和理想世界王国」(文鮮明、光言社)[2]
  9. ^ Hyung-chan Kim and Tong-gyu Kim. Human Remolding in North Korea: A Social History of Education. Lanham, MD: University Press of America. 2005. p. 10.
  10. ^ Dae-Sook Suh. Kim Il Sung: The North Korean Leader. New York: Columbia University Press. 1988. pp. 305–306.
  11. ^ 金日成思想活動において教条主義と形式主義を一掃し、主体性を確立するために 1955年12月28日」。 
  12. ^ French, Paul. North Korea: The Paranoid Peninsula – A Modern History.2nd ed. New York: Zed Books, 2007. 30. Print.
  13. ^ a b c Choe, Yong-ho., Lee, Peter H., and de Barry, Wm. Theodore., eds. Sources of Korean Tradition, Chichester, NY: Columbia University Press, p. 419, 2000.
  14. ^ http://www.freemediaproductions.info/Editorials/2009/08/30/juche-is-third-position-ideology-built-on-marx-not-marxist-leninism/
  15. ^ [3]
  16. ^ 金正恩偉大な金正日同志をわが党の永遠なる総書記として高く戴き、チュチェの革命偉業を立派に成し遂げよう チュチェ101(2012)年4月6日」。 
  17. ^ 平岩俊司『北朝鮮―変貌を続ける独裁国家』中公新書、2013年、74-82頁
  18. ^ 平岩俊司『北朝鮮―変貌を続ける独裁国家』中公新書、2013年、86頁
  19. ^ 金正日 チュチェ思想について 1982年3月31日
  20. ^ a b http://www.adherents.com/largecom/Juche.html
  21. ^ ParaPundit: On China's Aid To North Korea And Sanctions
  22. ^ 中央日報日本語版 (2015年1月14日). “北朝鮮、中国への貿易依存度90%超”. 中央日報. http://japanese.joins.com/article/298/195298.html 2015年4月19日閲覧。 
  23. ^ a b Immersion in propaganda, race-based nationalism and the un-figure-outable vortex of Juche Thought: Colin Marshall talks to B.R. Myers, author of The Cleanest Race: How North Koreans See Themselves and Why it Matters”. 2010年4月13日閲覧。
  24. ^ 黄長燁氏と衆参両院議員の懇談会記録 - 日本政府拉致問題対策会議
  25. ^ Juche (Major Religions Ranked by Size)”. 2006年10月10日閲覧。
  26. ^ http://www.archive.org/details/nk_007
  27. ^ 内藤陽介著、『北朝鮮事典』247ページ〜250ページ。
  28. ^ 存在論を兼ね備えていることは、宗教思想としてだけでなく、政治哲学としても特殊なことではないことに留意すべし。
  29. ^ 内藤陽介著、『北朝鮮事典』250ページ。
  30. ^ http://www.adherents.com/Na/Na_390.html#2147
  31. ^ http://www.asyura2.com/07/bd48/msg/744.html
  32. ^ 『Juche - A Christian Study of North Korea's State Religion』1ページ、88ページ、96~97ページの引用であることが、アドヘレンツ・ドットコムのウェブサイトの「主体」の項目において示されている。
  33. ^ 他に、同サイトにおいては、Gascoigne, Bamber. The Christians; New York: William Morrow & Co. (1977); pg. 290. Nash, Amy K. North Korea (series: Major World Nations), Philadelphia: Chelsea House Publishers (1999); pg. 96.より引用が行なわれている

関連項目

外部リンク