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「国民政党」の版間の差分

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「[[日本労働組合総評議会|総評]]政治部」とも左派労働組合の政党と批判された日本社会党は、安保闘争時に日米安保を支持する議員や右派労働組合らが離脱して民主社会党を結成したことで[[社会党左派|左派]]主導の下で[[階級的大衆政党]]を標榜してきた。しかし[[1970年代]]末に西欧の左派政党と同じ路線を支持する党内[[社会党右派|右派]]の影響力が強まると、マルクス・レーニン主義や社会主義を放棄して西欧の左派政党のように国民政党に転換すべきとの声が台頭した。[[日本社会党の新宣言]]は国民政党との用語を使用しないものの、事実上国民政党への転換を目指す内容だったが積極的支持者や支持母体の反対で以前の路線を維持し、万年野党のまま与党になれなかった。1991年のソ連解体による冷戦集結で社会党は路線はそのままで、社会民主党に改名したが社会党時代の野党第1等の座から転落して自民党批判票を失ったことで衰退している。社会党離党者含む「現実的な中道路線」を掲げて民主党が結成し、自民党への批判票から2009年に[[政権交代]]が起きた<ref name=":1" /><ref name=":2" /><ref name=":0" /><ref>{{Cite web|title=立憲民主党が肝心の「立憲主義」を勘違いしてどうする(篠田英朗)|url=http://gendai.ismedia.jp/articles/-/53213|website=現代ビジネス|accessdate=2019-03-21}}</ref>。{{main|階級的大衆政党#概要|日本社会党の新宣言#影響}}
「[[日本労働組合総評議会|総評]]政治部」とも左派労働組合の政党と批判された日本社会党は、安保闘争時に日米安保を支持する議員や右派労働組合らが離脱して民主社会党を結成したことで[[社会党左派|左派]]主導の下で[[階級的大衆政党]]を標榜してきた。しかし[[1970年代]]末に西欧の左派政党と同じ路線を支持する党内[[社会党右派|右派]]の影響力が強まると、マルクス・レーニン主義や社会主義を放棄して西欧の左派政党のように国民政党に転換すべきとの声が台頭した。[[日本社会党の新宣言]]は国民政党との用語を使用しないものの、事実上国民政党への転換を目指す内容だったが積極的支持者や支持母体の反対で以前の路線を維持し、万年野党のまま与党になれなかった。1991年のソ連解体による冷戦集結で社会党は路線はそのままで、社会民主党に改名したが社会党時代の野党第1等の座から転落して自民党批判票を失ったことで衰退している。社会党離党者含む「現実的な中道路線」を掲げて民主党が結成し、自民党への批判票から2009年に[[政権交代]]が起きた<ref name=":1" /><ref name=":2" /><ref name=":0" /><ref>{{Cite web|title=立憲民主党が肝心の「立憲主義」を勘違いしてどうする(篠田英朗)|url=http://gendai.ismedia.jp/articles/-/53213|website=現代ビジネス|accessdate=2019-03-21}}</ref>。{{main|階級的大衆政党#概要|日本社会党の新宣言#影響}}


しかし民主党は旧[[社会党右派]]や旧[[民社党]]系勢力([[民社協会]])の影響もあって労働組合に重きを置いていたことで国民政党になれなかったとして、[[菅直人]]は[[立憲民主党 (日本)|立憲民主党]]を「本物の国民政党」にすることを訴えている<ref name=":3" />。同様に[[国民民主党 (日本 2018-)|国民民主党]]の[[原口一博]]は自党の立場を「自民党に代わる国民政党だ」と述べている<ref>{{Cite web|title=国民民主党結成 両議員一問一答 原口氏、大串氏|行政・社会|佐賀新聞ニュース|佐賀新聞LiVE|url=https://www.saga-s.co.jp/articles/-/214218|website=佐賀新聞LiVE|accessdate=2019-03-21|language=ja}}</ref>。{{main|国民民主党 (日本 2018-)#政策|立憲民主党 (日本 2017)#綱領}}
しかし民主党は旧[[社会党右派]]や旧[[民社党]]系勢力([[民社協会]])の影響もあって労働組合に重きを置いていたことで国民政党になれなかったとして、[[菅直人]]は[[立憲民主党 (日本)|立憲民主党]]を「本物の国民政党」にすることを訴えている<ref name=":3" />。同様に[[国民民主党 (日本 2018)|国民民主党]]の[[原口一博]]は自党の立場を「自民党に代わる国民政党だ」と述べている<ref>{{Cite web|title=国民民主党結成 両議員一問一答 原口氏、大串氏|行政・社会|佐賀新聞ニュース|佐賀新聞LiVE|url=https://www.saga-s.co.jp/articles/-/214218|website=佐賀新聞LiVE|accessdate=2019-03-21|language=ja}}</ref>。{{main|国民民主党 (日本 2018)#政策|立憲民主党 (日本 2017)#綱領}}


== 脚注 ==
== 脚注 ==

2020年12月25日 (金) 11:54時点における版

国民政党(こくみんせいとう)とは、労働組合など特定の組織利益を代表するのではなく、国民全体の利益を代表することを標榜する政党を指す[1][2][3]。あるいは「本来は一定の階級的利害を代表しながらも、国民的同質性を前提とし、その支持基盤を広く国民各層に求めようとする政党」[4]と定義される場合もある。対義語は階級政党

概説

国民政党は政党の性格づけを分類したときの階級政党に対する概念である[5]。階級政党とは階級対立を最も重要な要素として結党し組織される政党をいう[5]。これに対して国民政党は全国民的な立場を代表すると標榜して組織される政党をいう[5]

なお、国民の各層から広く支持を受けることに成功した政党のことを包括政党(catch all party)という[5]

政党の性格づけを分類する場合、階級政党と国民政党のほかに議員政党(幹部政党)と大衆政党という分類もある[5]。議員政党あるいは幹部政党とは、国や地方の議会の議員が中心となって構成されており一般党員は少ない政党をいう[5]。これに対して、大衆政党とは多くの一般党員を擁している政党をいう[5]。国民政党は大衆政党と混同されることも多いが、党の組織に着目した別の概念である(大衆政党は組織政党とも呼ばれる)。

各国の国民政党

西欧は日本と異なり、左派第1党が冷戦初期に階級政党としての性格を過去のものとしており、社会民主主義政党として中産階級を含む国民政党としての性格を明瞭にしていたことで政権交代を起こす二大政党となっていた[6]。なかでもドイツ社会民主党が1959年には階級的国民政党から国民政党へ、反対主義から改革・介入主義を指向したゴーデスベルク綱領によって国民政党への転換を果たした例が有名である[2]。ほかにイギリス労働党などもフェビアン協会などの社会改良主義の影響により、早くからマルクス・レーニン主義・社会主義を放棄して国民政党を指向した社会民主主義政党の例である。日本でも社会党から分かれた民社党は当初から階級政党の考えを批判し、国民政党を標榜していた。これらのケースは前述の「一定の階級的利害を代表しながらも、国民的同質性を前提」とする政党、という意味で国民政党だと考えられる。江田五月議員は西ドイツを訪問した際に左派第1党のドイツ社民党の党内大会でヴィリー・ブラントがNATOからの離脱・米軍の西独撤退、中立外交への転換を要求する党内青年部や党内左派の主張への反論に感銘を受けて、社会民主主義否定・マルクス・レーニン主義の社会党・日本の革新陣営のあり方に疑問を抱いている[2]。スウェーデンではスウェーデン社民党が国民政党を志向したため、第二次大戦後の冷戦期には労働組合に近い人物が党首になることは一度もなかった[7]

日本の政党

戦後日本の主要政党は多くが、国民政党でもある一方で大衆政党でもありなおかつ階級政党的な性格も兼ね備えるという形で支持拡大を競ってきた。

自由民主党冷戦期に日本の社会主義化・日米安保破棄と自衛隊違憲解体による非武装中立を目指す日本社会党に対して、自由民主主義・自衛隊合憲・日米安保条約堅持・西側陣営を支持する政党として極右反共主義者、保守強硬派だけではなく、自由民主主義・自衛隊合憲・軽武装アメリカ依存安全保障政策を支持するリベラル派有権者も取り込んだ国民政党であると有権者の多数派に見なされる一方で、JAJFなど第一次産業系団体を取り込んだことによって労働者階級からも多くの支持を獲得するなど大衆政党・階級政党として低所得の庶民レベルにまで浸透した。その結果冷戦期には2:1という国会議席を占めて「1.5大政党制」という55年体制を維持してきた。1955年の結党以降に補助金分配など成長の果実が国民諸階層に等しく分配し、一億総中流状態で世界2位の経済大国に押し上げたことも要因にある。また、中選挙区制度のために派閥による政権の交代など、擬似的政権交代が起こっていたことで一定の有権者の支持を維持し、議席の3分の2未満過半数以上を占めていた。しかし、中選挙区では選挙で自民党の議員が同一選挙区で対立するために金権政治が起きていた。金権政治を封じる為に衆議院小選挙区制となり、政治資金規正法の強化・政党交付金の創設選挙制度改革が行われた[6][6]田中眞紀子は選挙制度改革後の自民党について、「自由民主党内においては穏健リベラルが切り捨てられ、多様性を失ったモノトーンな性格の政党となりつつある」と主張している[8]

総評政治部」とも左派労働組合の政党と批判された日本社会党は、安保闘争時に日米安保を支持する議員や右派労働組合らが離脱して民主社会党を結成したことで左派主導の下で階級的大衆政党を標榜してきた。しかし1970年代末に西欧の左派政党と同じ路線を支持する党内右派の影響力が強まると、マルクス・レーニン主義や社会主義を放棄して西欧の左派政党のように国民政党に転換すべきとの声が台頭した。日本社会党の新宣言は国民政党との用語を使用しないものの、事実上国民政党への転換を目指す内容だったが積極的支持者や支持母体の反対で以前の路線を維持し、万年野党のまま与党になれなかった。1991年のソ連解体による冷戦集結で社会党は路線はそのままで、社会民主党に改名したが社会党時代の野党第1等の座から転落して自民党批判票を失ったことで衰退している。社会党離党者含む「現実的な中道路線」を掲げて民主党が結成し、自民党への批判票から2009年に政権交代が起きた[1][2][6][9]

しかし民主党は旧社会党右派や旧民社党系勢力(民社協会)の影響もあって労働組合に重きを置いていたことで国民政党になれなかったとして、菅直人立憲民主党を「本物の国民政党」にすることを訴えている[3]。同様に国民民主党原口一博は自党の立場を「自民党に代わる国民政党だ」と述べている[10]

脚注

  1. ^ a b 政党”. www.kyoritsu-wu.ac.jp. 2019年3月21日閲覧。
  2. ^ a b c d 新しい政治をめざして/社会党は“歌”を忘れよ 江田五月”. www.eda-jp.com. 2019年3月21日閲覧。
  3. ^ a b kannaoto (2017年11月18日). “立憲民主党を草の根に根差した政党に育てるために”. 菅直人公式サイト. 2019年3月21日閲覧。
  4. ^ 百科事典マイペディア「国民政党」の項目
  5. ^ a b c d e f g 橋本五郎、飯田政之、加藤秀治郎『図解・日本政治の小百科』2002年 一藝社、159頁。
  6. ^ a b c d 書評と紹介 - 高木郁朗/住沢博紀/ T.マイヤー編著 『グローバル化と政治の イノベーション ――「 公正」の再構築をめざしての対話』 法政大学大原社会問題研究所 (評者:高橋善隆). 2018年9月6日閲覧。
  7. ^ 9:スウェーデンの労働運動ーその実績と試練<2/2> | 国際経済労働研究所インフォメーションセンター”. www.iewri.or.jp. 2019年3月21日閲覧。
  8. ^ 自民党内の多様性が薄れている…田中真紀子氏読売新聞 2015年7月13日
  9. ^ 立憲民主党が肝心の「立憲主義」を勘違いしてどうする(篠田英朗)”. 現代ビジネス. 2019年3月21日閲覧。
  10. ^ 国民民主党結成 両議員一問一答 原口氏、大串氏|行政・社会|佐賀新聞ニュース|佐賀新聞LiVE”. 佐賀新聞LiVE. 2019年3月21日閲覧。

関連項目