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2020年12月25日 (金) 10:11時点における版

谷田川 元
やたがわ はじめ
生年月日 (1963-01-17) 1963年1月17日(61歳)
出生地 日本の旗 日本 千葉県佐原市
(現:香取市
出身校 早稲田大学政治経済学部政治学
前職 丸紅従業員
山村新治郎衆議院議員秘書
千葉県議会議員
所属政党自由民主党→)
無所属→)
民主党野田グループ)→)
民進党→)
希望の党→)
国民民主党→)
立憲民主党
称号 政治学士
親族 弟・谷田川充丈(千葉県議会議員)
公式サイト 衆議院議員 谷田川はじめ オフィシャルサイト

選挙区千葉10区→)
比例南関東ブロック
当選回数 2回
在任期間 2009年8月30日 - 2012年11月16日
2019年3月14日 - 現職

選挙区 佐原市選挙区
当選回数 4回
在任期間 1993年 - 2003年
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谷田川 元 (やたがわ はじめ、1963年1月17日 - )は、日本政治家立憲民主党所属の衆議院議員(2期)。

経歴

生い立ち

千葉県佐原市(現:香取市)出身。千葉県立佐原高等学校早稲田大学政治経済学部政治学科卒業。松下政経塾7期生。同期に赤池誠章清水勇人神風英男山井和則丸紅勤務、米下院議員政策スタッフ、山村新治郎衆議院議員秘書を歴任し、1993年千葉県議会議員選挙に当選。4期務めた。県議時代は自由民主党に所属。

2003年第43回衆議院議員総選挙には千葉10区から無所属で、2005年第44回衆議院議員総選挙には同区より民主党公認で立候補するも落選。

政治家として

2012年5月シンガポールにて国務大臣(外務・内務担当)マサゴス・ズルキフリ(中央)、衆議院議員仙谷由人(左から2人目)、田村謙治(左端)、三宅雪子(右端)らと

2009年第45回衆議院議員総選挙では同区より民主党公認で再度立候補し、現職の沖縄及び北方対策担当大臣国家公安委員会委員長林幹雄を破り初当選した。2011年民主党代表選挙においては、所属グループ会長である野田佳彦の推薦人をつとめた。

2012年第46回衆議院議員総選挙では前回下した林に敗れ、議席を失った。

2014年第47回衆議院議員総選挙でも再び林に敗れ、比例復活もおよばなかった。比例南関東ブロック民主党が獲得した議席は4議席であったが、惜敗率67.31%で4番目に入った神奈川17区神山洋介と谷田川との差はわずか0.009ポイントであった。谷田川にとって約10票差で当落が分かれた選挙となった[1][2]

2017年第48回衆議院議員総選挙では希望の党公認候補として立候補するも3度目の落選。比例復活もおよばなかった[3]。その後、希望の党が分党した際は国民民主党に参加した[4]

2019年3月7日本村賢太郎相模原市長選挙立候補準備に伴い衆議院議員を辞職したことにより、同月13日に行われた選挙会で谷田川の繰り上げ当選が決定し[5]、翌14日に告示された[6][7]

政策

  • 選択的夫婦別姓制度導入について、「どちらとも言えない」としている[8]

所属団体・議員連盟

脚注

外部リンク