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|前職 = [[三菱電機]]労組長崎支部執行委員長<br />[[長崎市]]議会議員<br />[[長崎県議会]]議員
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2012年、[[第46回衆議院議員総選挙]]では、[[長崎県第2区|長崎2区]]に立候補したが、[[自由民主党 (日本)|自由民主党]]新人の[[加藤寛治 (政治家)|加藤寛治]]のみならず、無所属で出馬した元[[雲仙市]]長の奥村慎太郎にも敗れ選挙区3位となり、[[比例復活]]もならず落選した。
2012年、[[第46回衆議院議員総選挙]]では、[[長崎県第2区|長崎2区]]に立候補したが、[[自由民主党 (日本)|自由民主党]]新人の[[加藤寛治 (政治家)|加藤寛治]]のみならず、無所属で出馬した元[[雲仙市]]長の奥村慎太郎にも敗れ選挙区3位となり、[[比例復活]]もならず落選した。


その後は[[民進党]]を経て、[[国民民主党 (日本 2018-)|国民民主党]]長崎県連顧問<ref>[https://dpfp-nagasaki.org/officer.html 役員紹介 - 民主党長崎県連合会]</ref>。
その後は[[民進党]]を経て、[[国民民主党 (日本 2018)|国民民主党]]長崎県連顧問<ref>[https://dpfp-nagasaki.org/officer.html 役員紹介 - 民主党長崎県連合会]</ref>。


== 脚注 ==
== 脚注 ==

2020年12月25日 (金) 09:12時点における版

川越 孝洋
生年月日 (1943-07-12) 1943年7月12日(81歳)
出生地 大分県
出身校 大分県立大分工業高等学校
前職 三菱電機労組長崎支部執行委員長
長崎市議会議員
長崎県議会議員
所属政党日本社会党→)
社会民主党→)
民主党→)
民進党→)
国民民主党

選挙区 比例九州ブロック
当選回数 1回
在任期間 2009年 - 2012年

選挙区 長崎市選挙区
当選回数 4回
在任期間 1995年 - 2007年

当選回数 2回
在任期間 1989年 - 1995年
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川越 孝洋(かわごえ たかひろ、1943年7月12日 - )は、日本政治家。元衆議院議員(1期)。

経歴

大分県出身。大分県立大分工業高等学校卒業後三菱電機に入社。同社労組長崎支部執行委員長、長崎市議会議員(2期)、長崎県議会議員(4期)を歴任。日本社会党社会民主党に在籍していたが途中で民主党に移籍。党長崎県連幹事長を務めた。

2009年の第45回衆議院議員総選挙で民主党の比例九州ブロックより単独29位で立候補し、初当選した。

2012年、第46回衆議院議員総選挙では、長崎2区に立候補したが、自由民主党新人の加藤寛治のみならず、無所属で出馬した元雲仙市長の奥村慎太郎にも敗れ選挙区3位となり、比例復活もならず落選した。

その後は民進党を経て、国民民主党長崎県連顧問[1]

脚注

外部リンク