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[[1975年]]、[[和光市議会]]議員選挙に立候補し、初当選。[[1991年]]まで4期16年間[[和光市]]議を務める。[[1991年]]より[[東京電子専門学校]]講師。[[1995年]]、[[埼玉県議会]]議員選挙に立候補し、当選。埼玉県議会議員時代は、[[日本労働組合総連合会|連合]]埼玉や埼玉[[民社協会]]に所属する県議で構成される会派「[[地方主権の会|歩みの会]]」に所属しており、埼玉民社協会の会長も務めた。県議を2期務めた後、[[2001年]]に和光市長選挙に立候補し当選。[[2005年]]の[[市町村長|和光市長]]選で再選されたが、[[2009年]]の和光市長選では[[松本武洋]]に敗れ、落選した。 |
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[[2009年]]、[[第45回衆議院議員総選挙]]に[[比例北関東ブロック]]単独で立候補し、名簿登載者36人中登載順位32位であったが当選した。党県連幹事長代理などを務めたが、[[2012年]]の[[第46回衆議院議員総選挙]]に際しては高齢を理由に立候補せず、政界からの引退を表明した。その後も県連の役員等を務めていたが、[[2014年]]の[[第47回衆議院議員総選挙]]に際して民主党から比例代表名簿登載を求められ、再び[[比例北関東ブロック]]単独で立候補(名簿登載者21人中登載順位21位)したものの落選した。その後は[[民進党]]を経て、[[2018年]]、[[国民民主党 (日本 2018 |
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2017年11月3日付の秋の[[叙勲]]で[[旭日中綬章]]を受章<ref name="soumu"/>。 |
2017年11月3日付の秋の[[叙勲]]で[[旭日中綬章]]を受章<ref name="soumu"/>。 |
2020年12月25日 (金) 09:11時点における版
野木 実 のぎ みのる | |
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生年月日 | 1941年9月20日(83歳) |
出生地 | 東京市中野区 |
出身校 | 早稲田大学法学部 |
前職 | 和光市長 |
所属政党 |
(民社党→) (連合埼玉の会→) (民主党→) (民進党→) 国民民主党 |
称号 |
法学士 旭日中綬章 |
選挙区 | 比例北関東ブロック |
当選回数 | 1回 |
在任期間 | 2009年8月30日 - 2012年11月16日 |
和光市長 | |
当選回数 | 2回 |
在任期間 | 2001年5月26日 - 2009年5月25日 |
選挙区 | 南第2区 |
当選回数 | 2回 |
在任期間 | 1995年 - 2001年 |
当選回数 | 4回 |
在任期間 | 1975年 - 1991年 |
野木 実(のぎ みのる、戸籍名:野木 實[1]、1941年9月20日 - )は、日本の政治家。衆議院議員(1期)、埼玉県和光市長(2期)、埼玉県議会議員(2期)、和光市議会議員(4期)などを歴任した。
来歴
東京都中野区生まれ。早稲田大学法学部卒業。大学卒業後の1965年、鍛冶田産業株式会社に入社し、1972年まで勤務する。退社後、埼玉産業教育協会を設立し、専務理事に就任した。
1975年、和光市議会議員選挙に立候補し、初当選。1991年まで4期16年間和光市議を務める。1991年より東京電子専門学校講師。1995年、埼玉県議会議員選挙に立候補し、当選。埼玉県議会議員時代は、連合埼玉や埼玉民社協会に所属する県議で構成される会派「歩みの会」に所属しており、埼玉民社協会の会長も務めた。県議を2期務めた後、2001年に和光市長選挙に立候補し当選。2005年の和光市長選で再選されたが、2009年の和光市長選では松本武洋に敗れ、落選した。
2009年、第45回衆議院議員総選挙に比例北関東ブロック単独で立候補し、名簿登載者36人中登載順位32位であったが当選した。党県連幹事長代理などを務めたが、2012年の第46回衆議院議員総選挙に際しては高齢を理由に立候補せず、政界からの引退を表明した。その後も県連の役員等を務めていたが、2014年の第47回衆議院議員総選挙に際して民主党から比例代表名簿登載を求められ、再び比例北関東ブロック単独で立候補(名簿登載者21人中登載順位21位)したものの落選した。その後は民進党を経て、2018年、国民民主党埼玉県総支部連合会顧問となる[2]。
出典
- ^ a b 「平成29年秋の叙勲 勲章受章者名簿」 - 総務省
- ^ 役員一覧2018年 国民民主党埼玉県総支部連合会