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「ノート:祭政一致」の版間の差分

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以上の観点より、[[祭政一致]]と[[政教分離]]が対立概念であるかのように記述された部分を本文から削除させて頂く。
以上の観点より、[[祭政一致]]と[[政教分離]]が対立概念であるかのように記述された部分を本文から削除させて頂く。
--Demian 2010年1月3日 (日) 05:26 (UTC) ----<span class="autosigned" style="font-size: smaller">以上の[[Wikipedia:署名|署名]]の無いコメントは、[[利用者:でみあん|でみあん]]([[利用者‐会話:でみあん|会話]]・[[Special:Contributions/でみあん|投稿記録]])さんによるものです。</span>‎
--Demian 2010年1月3日 (日) 05:26 (UTC) --{{unsigned|でみあん}}‎

2020年12月24日 (木) 09:08時点における最新版

祭政一致政教分離と対立概念ではなく、必ずしも矛盾しないので、本文を修正する。

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一家の長が家の祭祀を司り、一族の長が氏神を祭ることの延長で、古代国家の王は神々(自民族や被征服民族の先祖たち)を祀ってきた。一族のリーダーが祖神に感謝し祈る祭祀は、何らおかしなことではない。 さらに、何ら相互の血縁関係が感じられない多民族国家(ローマ帝国等)の統治者が、人々の心を崇高なるものにまとめる世界宗教を統治原理として求めることにも、必然性がある。 よって、祭政一致自体が悪いとは言えない。

他方、政教分離原則の源流は、ドイツ三十年戦争。 特定宗派と結び付いた政治権力が他宗派を弾圧する悲惨から弱小宗派の信教の自由を守るために出てきた概念。 日本でいえば、廃仏毀釈に始まり様々な宗教を弾圧してきた国家神道に対するくびきとして、戦後、日本国憲法で謳われる等した概念。 よって、政教分離の反義語「政教一致」には良い意味がない。


なお、祭政一致政教分離が矛盾せず両立している例としては、インドのアショーカ王がある。 仏教という世界宗教を内心の指針としながらも信教の自由を認め、国内すべての宗教の信者となり、保護したといわれる。

逆に、決して祭政一致ではないのに政教一致している例としては、フランス革命以降の全体主義国家が挙げられるかもしれない。 そこでは、たとえばマルクスヒトラーの暴力肯定のいわば教義を奉ずる団体と政治権力が一体となり、信教の自由は許されなかった。

以上の観点より、祭政一致政教分離が対立概念であるかのように記述された部分を本文から削除させて頂く。 --Demian 2010年1月3日 (日) 05:26 (UTC) ----以上の署名の無いコメントは、でみあん会話投稿記録)さんによるものです。