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{{by|2015年}}は、レギュラーシーズンで自身2年振りの2桁勝利となる11勝を挙げたが、前年と同じ13敗で2年連続のリーグ最多敗戦をマーク。防御率も3.72と、規定投球回に達した投手では最も悪かった。クローザーの[[呉昇桓]]が故障で離脱したシーズン終盤には、中継ぎで2試合に登板したが、いずれの試合でも打ち込まれている。チームがレギュラーシーズン3位で迎えた巨人との[[2015年のセントラル・リーグクライマックスシリーズ|CS]]では、ファーストステージの第3戦(東京ドーム)で先発投手として5回1失点と好投したがチームは敗れ、[[2015年の日本シリーズ|日本シリーズ]]進出を逸した。
{{by|2015年}}は、レギュラーシーズンで自身2年振りの2桁勝利となる11勝を挙げたが、前年と同じ13敗で2年連続のリーグ最多敗戦をマーク。防御率も3.72と、規定投球回に達した投手では最も悪かった。クローザーの[[呉昇桓]]が故障で離脱したシーズン終盤には、中継ぎで2試合に登板したが、いずれの試合でも打ち込まれている。チームがレギュラーシーズン3位で迎えた巨人との[[2015年のセントラル・リーグクライマックスシリーズ|CS]]では、ファーストステージの第3戦(東京ドーム)で先発投手として5回1失点と好投したがチームは敗れ、[[2015年の日本シリーズ|日本シリーズ]]進出を逸した。


{{by|2016年}}は8勝12敗、防御率3.67をマーク。シーズンを通してローテーションを守ったものの、3年連続でリーグ最多敗戦を記録した。NPBの一軍公式戦において、同じ投手が3年連続でリーグ最多敗戦を記録した事例は、{{by|1986年}}から{{by|1988年}}までの[[尾花高夫]](ヤクルト)以来で、左腕投手では初である。シーズンの終盤には、自身と同じく先発ローテーションの一角を担っていた[[岩崎優]]に続いて中継ぎへ転向<ref>{{Cite news|title=阪神、能見を中継ぎ起用 泣きどころ救援陣テコ入れ|newspaper=[[日刊スポーツ]]|date=2016-09-26|url=http://www.nikkansports.com/baseball/news/1715766.html|accessdate=2017-2-17}}</ref>。一軍の救援陣に左投手が少なかったことによる措置であったが、中継ぎ登板で1ホールドを挙げるなど好投を続けたことから、シーズン終了後には[[セットアッパー]]への転向も視野に調整を進めた<ref>{{Cite news|title=阪神能見 来季見据え先発&中継ぎの準備進める|newspaper=[[日刊スポーツ]]|date=2016-10-9|url=http://www.nikkansports.com/baseball/news/1722005.html|accessdate=2017-2-17}}</ref>。
{{by|2016年}}は8勝12敗、防御率3.67をマーク。シーズンを通してローテーションを守ったものの、3年連続でリーグ最多敗戦を記録した。NPBの一軍公式戦において、同じ投手が3年連続でリーグ最多敗戦を記録した事例は、{{by|1986年}}から{{by|1988年}}までの[[尾花髙夫|尾花高夫]](ヤクルト)以来で、左腕投手では初である。シーズンの終盤には、自身と同じく先発ローテーションの一角を担っていた[[岩崎優]]に続いて中継ぎへ転向<ref>{{Cite news|title=阪神、能見を中継ぎ起用 泣きどころ救援陣テコ入れ|newspaper=[[日刊スポーツ]]|date=2016-09-26|url=http://www.nikkansports.com/baseball/news/1715766.html|accessdate=2017-2-17}}</ref>。一軍の救援陣に左投手が少なかったことによる措置であったが、中継ぎ登板で1ホールドを挙げるなど好投を続けたことから、シーズン終了後には[[セットアッパー]]への転向も視野に調整を進めた<ref>{{Cite news|title=阪神能見 来季見据え先発&中継ぎの準備進める|newspaper=[[日刊スポーツ]]|date=2016-10-9|url=http://www.nikkansports.com/baseball/news/1722005.html|accessdate=2017-2-17}}</ref>。


{{by|2017年}}、岩崎を本格的にセットアッパーへ転向させるチーム方針の下で、先発に再び専念。レギュラーシーズンでは一軍公式戦での救援登板がなく、先発登板23試合で6勝6敗という成績を残した。シーズン防御率は3.72ながら、4試合に登板した5月には、防御率0.43を記録するなど好調だった<ref>{{Cite news|title=阪神能見、防御率0.34で「黄金の5月」快投締め|newspaper=[[日刊スポーツ]]|date=2017-06-01|url=https://www.nikkansports.com/baseball/news/1833139.html|accessdate=2017-11-08}}</ref>。逆に、7月に3連敗を喫してからは、2ヶ月にわたって白星から見放された。それでも、レギュラーシーズンの最終登板であった9月28日の対DeNA戦(横浜)では、93球を投げて同年唯一の完投勝利を挙げている<ref>{{Cite news|title=阪神・能見 スイスイ93球今季初完投 CSは「地元の甲子園でやりたい」 |newspaper=[[スポーツニッポン]]|date=2017-09-28|url=http://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2017/09/28/kiji/20170928s00001007265000c.html|accessdate=2017-11-08}}</ref>。チームのレギュラーシーズン2位で臨んだDeNAとの[[2017年のセントラル・リーグクライマックスシリーズ|CSファーストステージ]](甲子園)では、1勝1敗で迎えた第3戦(10月17日)の先発を任されたものの、1死しか取れずに3点を失って1回表の途中で降板<ref>{{Cite news|title=先発の能見、わずか1/3回KO CS大一番でまさかの3失点背信投球 |newspaper=[[デイリースポーツ]]|date=2017-10-17|url=https://www.daily.co.jp/tigers/2017/10/17/0010651822.shtml|accessdate=2017-11-08}}</ref>。チームはこの試合に敗れたことによって、広島とのファイナルステージ進出を逸した。
{{by|2017年}}、岩崎を本格的にセットアッパーへ転向させるチーム方針の下で、先発に再び専念。レギュラーシーズンでは一軍公式戦での救援登板がなく、先発登板23試合で6勝6敗という成績を残した。シーズン防御率は3.72ながら、4試合に登板した5月には、防御率0.43を記録するなど好調だった<ref>{{Cite news|title=阪神能見、防御率0.34で「黄金の5月」快投締め|newspaper=[[日刊スポーツ]]|date=2017-06-01|url=https://www.nikkansports.com/baseball/news/1833139.html|accessdate=2017-11-08}}</ref>。逆に、7月に3連敗を喫してからは、2ヶ月にわたって白星から見放された。それでも、レギュラーシーズンの最終登板であった9月28日の対DeNA戦(横浜)では、93球を投げて同年唯一の完投勝利を挙げている<ref>{{Cite news|title=阪神・能見 スイスイ93球今季初完投 CSは「地元の甲子園でやりたい」 |newspaper=[[スポーツニッポン]]|date=2017-09-28|url=http://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2017/09/28/kiji/20170928s00001007265000c.html|accessdate=2017-11-08}}</ref>。チームのレギュラーシーズン2位で臨んだDeNAとの[[2017年のセントラル・リーグクライマックスシリーズ|CSファーストステージ]](甲子園)では、1勝1敗で迎えた第3戦(10月17日)の先発を任されたものの、1死しか取れずに3点を失って1回表の途中で降板<ref>{{Cite news|title=先発の能見、わずか1/3回KO CS大一番でまさかの3失点背信投球 |newspaper=[[デイリースポーツ]]|date=2017-10-17|url=https://www.daily.co.jp/tigers/2017/10/17/0010651822.shtml|accessdate=2017-11-08}}</ref>。チームはこの試合に敗れたことによって、広島とのファイナルステージ進出を逸した。

2020年12月23日 (水) 05:06時点における版

能見 篤史
オリックス・バファローズ (予定) 
選手兼任コーチ #26
阪神時代
(2011年3月9日、阪神甲子園球場
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 兵庫県出石郡出石町(現:豊岡市
生年月日 (1979-05-28) 1979年5月28日(45歳)
身長
体重
180 cm
74 kg
選手情報
投球・打席 左投左打
ポジション 投手
プロ入り 2004年 自由獲得枠
初出場 2005年4月3日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
選手歴
コーチ歴
  • オリックス・バファローズ (2021 (予定) - )
国際大会
代表チーム 日本の旗 日本
WBC 2013年
獲得メダル
日本の旗 日本
ワールド・ベースボール・クラシック
2013 野球

能見 篤史(のうみ あつし、1979年5月28日 - )は、兵庫県出石郡出石町(現在の豊岡市)出身のプロ野球選手投手)。左投左打。オリックス・バファローズに選手兼投手コーチとして所属(予定)[1]

NPBの一軍公式戦における40代の投手としてのシーズン最多登板数記録保持者2020年シーズン終了時点)である。

経歴

プロ入り前

神戸市で出生。生後4ヶ月の時に兵庫県警察の警察官だった実父が出石町内の駐在所へ赴任したため、自身も中学卒業するまで同町で過ごした[2]

小学校3年時に実父が指導者をしていた出石町内の軟式野球チーム「小坂プラッキーズ」で野球をスタート[2]。その後、鳥取城北高校普通科体育コースへ進学すると、硬式野球部のエースとして活躍した。2年時には、夏の鳥取大会で準優勝を経験。秋には、秋季県大会での優勝を経て、秋季中国地区大会でチームのベスト4進出に貢献した。3年時の春季県大会ではノーヒットノーランを達成している。

在学中は全国大会と無縁であったが、上記の実績から、川口知哉平安)・井川慶水戸商業)とともに「高校生左腕三羽ガラス」と称されるほど注目された[3]NPBの一部球団もドラフト会議の指名に向けて動いていたが、当時大阪ガス硬式野球部の監督だった竹村誠から熱心な誘いを受けた末に、同社へ入社した[2]

大阪ガスへの入社後は相次ぐ故障に悩まされ、熱心なファンですら投げる姿をほとんど見ることができなかったため、一時は「幻の投手」とまで呼ばれた。入社5年目の2003年には、「来年もダメだったら社業に戻る」と考えていたという。しかし、竹村の後任として監督に就任した湯川素哉から、「(左肘が)痛くても投げなさい。どうせなら、(左肘を)壊して辞めないか」という「最後通告」を受けたことから一念発起。左肘に痛みを抱えながら投げ込みの球数を増やしたところ、その成果を湯川に認められたことから、対外試合での登板機会を徐々に増やした[3]

2003年の第30回社会人野球日本選手権大会では予選から好成績を残し、本大会で決勝に進出。決勝で日産自動車と対戦したが、延長11回に伊藤祐樹適時打サヨナラ負けを喫した。翌2004年には、後に阪神でもチームメイトになる渡辺亮久保康友らと共に、第22回ハーレムベースボールウィーク日本代表として第22回ハーレムベースボールウィークに出場。その後に催された日本選手権でも、2年連続で本大会への出場を果たすと、野村克也監督率いるシダックス戦で野間口貴彦との投げ合いを制するなど活躍した。JFE西日本との決勝戦にもリリーフで登板したが、延長15回表に福竹政人に決勝ソロ本塁打を打たれ、2年連続で敗戦投手になった[3]

2004年のNPBドラフト会議自由獲得枠[4]、当時井川がエースとして活躍していた阪神タイガースに、契約金1億円、年俸1,500万円(金額は推定)という条件で入団した。背番号は14。担当スカウト池之上格[5]

阪神時代

2005年、開幕一軍入りを果たしたが、6月中旬に二軍へ降格。7月末に一軍へ再び昇格すると、9月には一軍公式戦で2連勝を記録したものの、一軍公式戦の通算防御率は5点台に達した。10試合に登板したウエスタン・リーグ公式戦では、投球回(38回)を上回る41三振を記録するとともに、22被安打、15与四球でWHIP0.97、防御率1.42をマーク。セントラル・リーグ優勝で臨んだ日本シリーズでも、救援での登板を経験した。

2006年、左のセットアッパーとして前年のセ・リーグ優勝に大きく貢献したジェフ・ウィリアムスが、膝の手術を受けた影響でレギュラーシーズンの開幕に出遅れたため、開幕から中継ぎとして一軍公式戦で登板。チームが4敗を喫した開幕からの10試合には継投の失敗が相次いだ影響で、3試合で自身に黒星が付いた。セ・パ交流戦の期間中にウィリアムスが復帰すると、二軍へ降格。降格後には、ウエスタン・リーグ公式戦6試合の登板で、防御率3.60を記録した。シーズン終了後にハワイ・ウィンターリーグへ派遣。

2007年、井川がMLBニューヨーク・ヤンキースへ移籍したことに伴い一軍公式戦での開幕から先発ローテーションに入ったが、4月末までに5試合の登板で1勝3敗と不振だった。中継ぎへの再転向後も不安定な投球が続き、5月27日の対千葉ロッテマリーンズ戦(阪神甲子園球場)では9回表に救援登板して1回5失点を記録した。この登板では、チーム3個目の死球福浦和也に与えたことがきっかけで、その裏に藤田宗一による金本知憲への死球で乱闘を招いている。翌28日に二軍へ降格したが、8月中旬に先発要員として一軍へ復帰。復帰直後の4試合では、8月18日の対広島東洋カープ戦(京セラドーム大阪)で一軍公式戦初完封を挙げるなど3勝を挙げた。ウエスタン・リーグ公式戦では7試合に登板。チームトップタイ(リーグ2位)の6勝、防御率2.51、通算投球イニング43回で37奪三振を記録した。また、被安打35、与四球15でWHIP1.12と安定していた。

2008年は中継ぎでスタート。5月7日の対読売ジャイアンツ(巨人)戦(東京ドーム)で7回裏に救援登板すると、アレックス・ラミレスに本塁打性の打球を浴びたが、外野席の最前列にいた観客が打球を手で押さえたことから、審判団の協議で二塁打として判定される珍事に見舞われた。同年の一軍公式戦での登板は11試合で、プロ入り後初の未勝利でシーズンを終えた。ウエスタン・リーグ公式戦では、29試合に登板してリーグ6位の5勝、チームトップ(リーグ2位)の11セーブ、リーグ5位の52奪三振をマーク。防御率0.83、WHIP0.90という好成績を残した。

2009年、自身と同じ左投手の岩田稔など、投手陣に故障者が相次いだことを背景に、レギュラーシーズンの開幕から一軍の先発ローテーションに入った。6月までは先発登板の試合で打線の援護に恵まれず、7月上旬には救援で3試合に登板した。7月19日の対巨人戦(東京ドーム)に9回を2安打無失点12奪三振の好投で勝利投手になってからは、11試合の先発登板で9勝2敗と好調。セ・リーグ3位の165回を投げて、プロ入り後初めて最終規定投球回に到達した。また、防御率2.62、13勝(いずれもリーグ4位)、リーグ2位の154奪三振など、チームの投手陣トップの成績をマーク。対巨人戦では内海哲也との先発対決に4試合連続で投げ勝ったほか、対広島戦では7試合の登板で4勝、防御率1.45という好成績を残した。

2010年、2年連続でレギュラーシーズンの開幕から一軍の先発ローテーションを担ったが、5月2日の対巨人戦で走塁中に右足楔状骨の剥離骨折に見舞われたため、4ヶ月もの戦線離脱を余儀なくされた。9月9日の対中日ドラゴンズ戦(いずれも甲子園)で一軍に復帰すると、勝敗は付かなかったものの、7回2失点10奪三振と好投。復帰後の対巨人戦で2勝を挙げたことによって、前年7月から始まった同カードので連勝を7にまで伸ばした[6][7]。レギュラーシーズン全体でも、一軍公式戦で8勝無敗をマーク。9月には、 5試合の登板で3勝、防御率1.29を記録するなどとりわけ好調で、セ・リーグ投手部門の月間MVPに初めて選ばれた。

2011年、入団後初めてレギュラーシーズンの開幕投手として臨んだ4月12日の対広島戦に、7回途中3失点でシーズン初勝利。4月19日の対巨人1回戦(いずれも甲子園)では、一軍公式戦7者連続三振の球団最多タイ記録を達成した。5月3日の対巨人4回戦(東京ドーム)での9回完投勝利によって、1979年小林繁が達成した同カード8連勝の球団記録に並んだものの、6月26日の9回戦(甲子園)で黒星を喫したことで連勝が止まった。それでも、レギュラーシーズン全体では、自己最多の200回1/3を投げて12勝をマークした。

2012年、前年に続いてレギュラーシーズンの開幕投手に起用されると、シーズン序盤は好調。中盤は巨人相手に3連敗を喫するなどの不振に陥ったが、4試合に登板した9月には、3勝1敗、防御率0.55という好成績で球団選定の月間MVPを受賞した[8]。レギュラーシーズンのチーム最終戦であった10月9日の対DeNA戦(甲子園)では、1回表に2三振を奪った末に降板したことによって、杉内俊哉と同数(172)ながらセ・リーグ最多奪三振のタイトルを確定させた。同タイトルを阪神の投手が獲得したのは、2006年の井川以来6年振り[9]で、2年連続のシーズン2桁勝利も達成[8]。シーズン終了後には、翌2013年に開催される第3回ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)の日本代表候補に入った[10][11]

2013年、NPBのオープン戦期間中に開かれた第3回WBCに、日本代表の一員として参加[12]代表入りした[13][14]東京ドームで開催された2次ラウンドでは、代表合宿からの好調を買われて、対台湾代表戦の先発に起用された。2回裏までは好投したものの、3回裏に突如制球を乱すと、2死満塁から押し出し四球で先制点を献上。結局、2回2/3を自責点1という内容で交代したが、試合自体は延長10回の末に4 - 3で日本代表が勝利した。日本代表の2次ラウンド1位通過を経て臨んだ決勝ラウンドでは、プエルトリコ代表との準決勝(サンフランシスコAT&Tパーク)において、1点ビハインドの6回表から2番手で登板。7回表無死1塁から1回0/3を投げたものの、8回表にアレックス・リオスから2点本塁打を浴びて自責点2で降板する[15]と、日本代表も1 - 3というスコアで敗れた。

NPBのレギュラーシーズンは、開幕戦への登板を回避。4月に爪が割れるアクシデントがあったが、5月6日の対巨人戦(東京ドーム)では、笠原将生から一軍公式戦初本塁打を記録するとともに、完投勝利を挙げた[16][17]。シーズン成績は11勝7敗で、3年連続の2桁勝利、自己最多の6完投勝利をマーク。

2014年、3月28日の対巨人戦(東京ドーム)で2年振りに開幕投手を務めたが、序盤での4点リードを守れず、5回途中10被安打10失点(全て自責点)の乱調で大敗を喫した[18]。5月16日の対横浜DeNAベイスターズ戦(甲子園)から6月14日の対埼玉西武ライオンズ戦(西武ドーム)まで2桁奪三振を続けた結果、5試合連続2桁奪三振のセ・リーグ最長記録を達成した[19]が、同年は自己ワーストの13敗を記録。防御率も3.99で、6シーズン振りに2点台を突破するなど安定感を欠いた。しかし、レギュラーシーズン2位で迎えたクライマックスシリーズ(CS)では、10月12日に広島とのファーストステージ第2戦(甲子園)に先発すると、8回を無失点と好投。チームはこの試合を引き分けで終えたものの、シリーズ規定によってファイナルステージ進出が決まった。リーグ優勝の巨人と対戦したファイナルステージでは、10月18日の第4戦(東京ドーム)で先発。5回94球2失点という内容で交代すると、救援陣の逃げ切りによって勝利投手になるとともに、チームも日本シリーズ進出を果たした[20]福岡ソフトバンクホークスとの日本シリーズでは、甲子園での第2戦に先発。6回2失点と好投しながら敗戦投手となった。その後は登板の機会がなく、チームも球団史上2回目のシリーズ制覇を逃した。日本シリーズの終了後は、11月11日に甲子園で催された「日本プロ野球80周年記念試合」で、阪神・巨人連合チームの先発投手としてMLBオールスターチームを2回無失点に抑えた[21]。また、レギュラーシーズン中に取得した国内FA権を行使したうえで、阪神と3年契約を結んだ[22]

2015年は、レギュラーシーズンで自身2年振りの2桁勝利となる11勝を挙げたが、前年と同じ13敗で2年連続のリーグ最多敗戦をマーク。防御率も3.72と、規定投球回に達した投手では最も悪かった。クローザーの呉昇桓が故障で離脱したシーズン終盤には、中継ぎで2試合に登板したが、いずれの試合でも打ち込まれている。チームがレギュラーシーズン3位で迎えた巨人とのCSでは、ファーストステージの第3戦(東京ドーム)で先発投手として5回1失点と好投したがチームは敗れ、日本シリーズ進出を逸した。

2016年は8勝12敗、防御率3.67をマーク。シーズンを通してローテーションを守ったものの、3年連続でリーグ最多敗戦を記録した。NPBの一軍公式戦において、同じ投手が3年連続でリーグ最多敗戦を記録した事例は、1986年から1988年までの尾花高夫(ヤクルト)以来で、左腕投手では初である。シーズンの終盤には、自身と同じく先発ローテーションの一角を担っていた岩崎優に続いて中継ぎへ転向[23]。一軍の救援陣に左投手が少なかったことによる措置であったが、中継ぎ登板で1ホールドを挙げるなど好投を続けたことから、シーズン終了後にはセットアッパーへの転向も視野に調整を進めた[24]

2017年、岩崎を本格的にセットアッパーへ転向させるチーム方針の下で、先発に再び専念。レギュラーシーズンでは一軍公式戦での救援登板がなく、先発登板23試合で6勝6敗という成績を残した。シーズン防御率は3.72ながら、4試合に登板した5月には、防御率0.43を記録するなど好調だった[25]。逆に、7月に3連敗を喫してからは、2ヶ月にわたって白星から見放された。それでも、レギュラーシーズンの最終登板であった9月28日の対DeNA戦(横浜)では、93球を投げて同年唯一の完投勝利を挙げている[26]。チームのレギュラーシーズン2位で臨んだDeNAとのCSファーストステージ(甲子園)では、1勝1敗で迎えた第3戦(10月17日)の先発を任されたものの、1死しか取れずに3点を失って1回表の途中で降板[27]。チームはこの試合に敗れたことによって、広島とのファイナルステージ進出を逸した。

2018年、レギュラーシーズンの開幕から一軍の先発ローテーションに入っていたが、5月までに登板した3試合で0勝2敗、防御率7.53と振るわず、5月11日の広島戦登板後から二軍で調整。元々肩の仕上がりが早いことに加えて、一軍の救援陣から戦線を離脱する投手が相次いだことを[28][29]背景に、6月からセットアッパーへ本格的に転向した。6月9日の対千葉ロッテマリーンズ戦(甲子園)では、同点の延長11回表から救援で登板すると、チームのサヨナラ勝ちによってシーズン初勝利を記録 [30]。6月28日の対DeNA戦(横浜スタジアム)では、同点の8回裏に1回を無失点で抑えると、チームの勝利によって一軍公式戦通算100勝目を挙げた。日本プロ野球では歴代135人目[31]で、阪神の生え抜き投手では選手では1985年山本和行以来33年ぶりの記録である[32]。8月16日の対広島戦(京セラドーム大阪)では、9回表にクローザーのラファエル・ドリスが先頭打者・會澤翼へ投じた初球が頭部死球で危険球とみなされて退場処分を受けたため、無死1塁の場面で緊急登板。そのまま抑えてチームの勝利につなげたことから、入団14年目にして一軍公式戦初セーブを挙げた[33]。同年は45試合の登板で4勝3敗1セーブ、防御率2.56をマーク。救援に専念した6月以降は、42試合の登板で4勝1敗1セーブ、防御率0.86という好成績を収めた[34]。シーズン終了後には、矢野燿大の一軍監督就任に伴って先発への再転向も検討された[35]が、矢野との面談で中継ぎに専念する意向を伝えている[34]。また、中日で43歳までプレーを続けていた左投手の岩瀬仁紀が、シーズン終了後に現役を引退。能見自身は、39歳だった12月14日に推定年俸1億1,000万円(前年から1,000万円減)という条件で阪神との契約を更改したこと[36]によって、NPB現役最年長の左腕投手になった[37]

2019年、開幕から中継ぎに専念。ナゴヤドームでの対中日戦では、阪神の40代投手としては歴代3人目の一軍公式戦勝利を8月14日に記録した[38]ほか、9月15日の登板でシーズンの登板数が50試合に達した。40歳以上の現役投手がNPBのレギュラーシーズンで一軍公式戦50試合に登板した事例は、2017年に42歳で達成した岩瀬に次いで2人目である[39]。最終的に自己最多の51試合に登板。入団後初めて公式戦に先発しなかった[40]ものの、1勝2敗18ホールドという成績で、チームの2年振りCS進出に貢献した。シーズン防御率は4.30と高く、7月にはリフレッシュを兼ねての二軍調整を経験した[41]が、シーズン終了後の12月11日には推定年俸9,500万円(前年から1,500万円減)という条件で契約を更改した[40]

2020年新型コロナウイルスへの感染拡大の影響で、当初3月20日に予定されていたレギュラーシーズンの開幕が誕生日より後(6月19日)まで延期されたものの、41歳にして開幕から救援陣の一角を担った。6月20日に巨人との開幕カード第2戦(東京ドーム)8回裏にシーズン初登板を果たしたことによって、阪神一筋で41歳のシーズンにも現役で在籍した投手としては若林忠志(1リーグ時代の1941年)以来2人目の公式戦登板を達成[42][43]。7月19日の対中日戦(甲子園)では、先発で登板した2018年5月11日の対広島戦(マツダ)以来の打席へ立った(記録は見逃し三振)一方で、救援投手としてチームのリードを守った末にシーズン初勝利を挙げた。41歳のシーズンに現役で阪神に在籍していた投手では若林(1941年)・下柳剛(2009年)に次ぐ打席と勝利で、2009年から始まった一軍公式戦での連続勝利シーズン記録も、この試合での勝利によって中西清起以来の12シーズンにまで伸ばした[44]。同年は開幕直後から調子が上がらず、7月の前半には、一軍への帯同を続けていながら2週間登板の機会がなかった[45]。9月3日の対ヤクルト戦(甲子園)では、7回表2死2・3塁からの救援登板で対戦した山崎晃大朗を投ゴロに仕留めながら、マウンド付近で跳ねた打球が自分の身体を直撃。その影響で体勢を崩してゴロの処理に手こずったため、1点を献上したばかりか、わずか1球を投げただけで交代を余儀なくされた(記録は能見の適時失策)[46]。9月8日からの対DeNA3連戦(横浜)には全試合で登板したものの、3点リードの4回表から救援した3戦目(10日)には、2者連続のソロ本塁打などで打者4人から1死しか取れずに降板[47]。9月11日付で、1年2ヶ月振りに出場選手登録を抹消された[48]。しかし、抹消後に一軍から複数の選手が新型コロナウイルスに感染したことを受けて、NPBが定める「感染拡大防止特例2020」に沿った代替選手の1人として9月25日に再昇格した。10月21日に翌2021年における球団の戦力構想から外れていることを通告され、新型コロナウイルス感染拡大の影響でシーズン開幕が延期されていた5月に、3週間ほど練習の中断を余儀なくされた影響で調子が戻らず消化不良のシーズンになったことを理由に、家族と相談したうえで他球団での現役続行を希望したため[49][50]、11月6日には同年限りで福留孝介上本博紀と共に退団することが球団から正式に発表された[51]。再昇格後は広島の石原慶幸の引退試合として開催された11月7日の対広島戦(マツダ)で8回裏に石原の現役最終打席限定で登板すると、全5球のストレート勝負で石原の引退に花を添えた(記録は右飛)[52]。シーズン最終戦となった11月11日の対DeNA戦(甲子園)ではチームが1点を勝ち越した直後の9回表に登板し、2018年の中継ぎ転向以来封印していたワインドアップ投法を交えて[53]1イニングを無失点に抑え、球団の歴代最年長記録となる41歳5ヶ月でのセーブを記録した[54][55]。同年はチームで4番目に多い34試合に登板し、防御率4.74、1勝1セーブ4ホールドを記録した。 能見の阪神退団と藤川球児の現役引退により、2005年に阪神でセ・リーグ優勝を経験した現役選手は2020年シーズンで阪神から完全に姿を消した。12月8日、一軍投手コーチ兼任選手としてオリックス・バファローズとの契約に合意した[56]。背番号は26[56]

選手としての特徴

スリークォーターのワインドアップ投法から投げる平均球速140km/h[57]フォーシームスライダーフォークボールを軸に、チェンジアップも交える[58]。決め球はフォークで、高い精度を誇る[59]。リリーフ時には最速151km/hを記録した[60][61]。2008年までは力に頼ったフォームで投げていたが、2009年からはしっかりと腕を振ることを意識した打者のタイミングを外すフォームに改良[62]。2010年頃までは、サイドスロー気味のフォームも時折織り交ぜていた[63]

少年野球チームで監督を務めていた実父と同じく、マウンドでは常にポーカーフェイスを貫いている[39]

平成元年(1989年)以降に阪神へ入団した投手としては、2020年シーズンの終了時点で最多となる104勝を挙げている。

人物

社会人野球時代に映画へ出演

大阪ガスに在籍していた2002年に、阪神をテーマにした長嶋一茂主演の映画ミスター・ルーキー』に、阪神のユニフォーム姿でエキストラとして出演。「阪神が7連敗中の試合に中継ぎで登板したところ、痛打を浴びた末に敗戦投手になる」という役どころだった。その際には大阪ガスで着けていた背番号「14」を付けていたが、阪神への入団後もこの番号を着用している。ただし、背番号の上のローマ字表記は「NOHMI」ではなく「NOUMI」だった。

『ミスター・ルーキー』は、阪神の野村克也監督時代最終年(2001年)に撮影されたため、劇中に登場する阪神の選手は「DASH! HANSHIN」というロゴの入った当時のホーム用ユニフォームを身に付けていた。このユニフォーム姿で出演した後に、現役の選手として実際に阪神へ入団した人物は能見だけである。

投手では異例の専用ヒッティングマーチの制作

一軍の先発陣に定着してからは、2009年9月25日の対中日戦(ナゴヤドーム)で、中日の先発投手・吉見一起から2打席連続適時打を放ったり、2013年には前述のプロ初本塁打のほか、7月2日の対巨人戦(甲子園)で菅野智之から先制二塁打、7月27日の対DeNA戦(同)では4回裏2死満塁のチャンスにティム・コーコランから先制打を放つなど、投手として先発したセ・リーグ公式戦で3本の適時打を放っている。

阪神の応援団では、阪神の投手が打席に立つ場合に、基本として全投手共通の応援歌「投手汎用ヒッティングマーチ」を演奏している。しかし、2014年のシーズン前には、阪神選手の応援歌を制作・管理・運営を一手に担う「阪神タイガース応援団 ヒッティングマーチ委員会」が能見専用のヒッティングマーチを制作した[64]。能見本人から「打席では打者として評価してほしい」との要望があったことや、前述した打撃面での活躍がヒッティングマーチ委員会からも評価されたことによる[65]

NPBの他球団では、巨人、福岡ソフトバンクホークス、西武が投手ごとに応援歌を設定している。ただし、球団公認の応援団が(いわゆる「二刀流」の選手を除く)特定の投手専用の応援歌を制作した事例は、DeNA投手時代の三浦大輔や、北海道日本ハムファイターズ時代のダルビッシュ有など極めて少ない。

登場曲

2014年より登場曲にはGReeeeNの「刹那」を使用しているが、歌詞の一部を変更した能見専用オリジナルバージョンとなっている。

詳細情報

年度別投手成績





















































W
H
I
P
2005 阪神 16 12 1 0 0 4 1 0 1 .800 293 64.2 78 10 27 0 1 64 3 0 40 40 5.57 1.62
2006 38 2 0 0 0 2 4 0 8 .333 210 47.0 49 4 16 0 3 46 2 0 27 26 4.98 1.38
2007 23 12 1 1 1 4 4 0 2 .500 330 74.0 79 7 30 1 4 51 2 0 39 36 4.38 1.47
2008 11 1 0 0 0 0 0 0 0 ---- 54 11.1 15 1 6 0 0 10 1 0 6 6 4.76 1.85
2009 28 25 1 1 0 13 9 0 0 .591 675 165.0 142 11 44 1 5 154 3 1 61 48 2.62 1.13
2010 12 10 0 0 0 8 0 0 0 1.000 267 62.1 63 3 13 2 5 57 2 0 23 18 2.60 1.27
2011 29 28 5 1 1 12 9 0 1 .571 799 200.1 151 8 55 5 6 186 3 0 59 56 2.52 1.03
2012 29 27 3 2 1 10 10 0 0 .500 737 182.0 157 14 37 2 3 172 5 0 61 49 2.42 1.07
2013 25 25 6 2 1 11 7 0 0 .611 724 180.2 155 18 41 1 0 127 5 0 57 54 2.69 1.08
2014 26 26 3 1 0 9 13 0 0 .409 720 169.1 170 16 48 0 3 151 9 0 81 75 3.99 1.29
2015 27 25 1 1 1 11 13 0 0 .458 672 159.2 170 13 38 1 2 125 6 0 73 66 3.72 1.30
2016 26 24 2 1 0 8 12 0 1 .400 634 147.1 140 17 52 2 6 126 5 1 67 60 3.67 1.30
2017 23 23 1 0 0 6 6 0 0 .500 533 128.1 117 14 40 0 2 119 2 1 57 53 3.72 1.22
2018 45 3 0 0 0 4 3 1 16 .571 229 56.1 40 5 19 0 3 48 6 0 23 16 2.56 1.05
2019 51 0 0 0 0 1 2 0 18 .333 191 44.0 37 5 24 3 1 41 2 0 21 21 4.30 1.39
2020 34 0 0 0 0 1 0 1 4 1.000 109 24.2 25 6 12 0 1 19 1 0 14 13 4.74 1.50
NPB:16年 443 243 24 10 5 104 93 2 51 .528 7177 1717.0 1588 152 502 18 45 1496 57 3 709 637 3.34 1.22
  • 2020年度シーズン終了時
  • 各年度の太字はリーグ最高

WBCでの投手成績










































2013 日本 3 1 0 0 0 23 4.2 6 1 2 0 1 3 0 0 3 3 5.79

年度別守備成績



投手












2005 阪神 16 1 8 0 1 1.000
2006 38 1 14 0 1 1.000
2007 23 3 15 0 0 1.000
2008 11 0 1 0 0 1.000
2009 28 5 35 1 2 .976
2010 12 4 7 0 1 1.000
2011 29 7 39 1 4 .979
2012 29 6 33 1 1 .975
2013 25 13 24 1 3 .974
2014 26 8 26 1 2 .971
2015 27 11 29 0 3 1.000
2016 26 4 27 0 0 1.000
2017 23 6 33 2 3 .951
2018 45 1 11 1 2 .923
2019 51 4 8 0 0 1.000
2020 34 4 3 1 1 .875
通算 443 77 313 9 24 .977
  • 2020年度シーズン終了時

タイトル

表彰

記録

初記録
投手記録
打撃記録
節目の記録
  • 1000投球回:2014年4月12日、対読売ジャイアンツ5回戦(阪神甲子園球場)、2回表2死目に橋本到を三ゴロ ※史上337人目
  • 1000奪三振:2014年9月5日、対中日ドラゴンズ19回戦(ナゴヤドーム)、4回裏にエクトル・ルナから空振り三振 ※史上140人目
  • 1500投球回:2017年5月17日、対中日ドラゴンズ8回戦(阪神甲子園球場)、5回表1死目に平田良介を左飛 ※史上176人目
  • 100勝:2018年6月28日、対横浜DeNAベイスターズ10回戦(横浜スタジアム)、8回裏に3番手で救援登板、1回無失点 ※史上135人目
その他の記録
  • 7者連続奪三振:2011年4月19日、対読売ジャイアンツ1回戦(阪神甲子園球場) ※セリーグ2位タイ、球団タイ記録[68][69]
  • 5試合連続2ケタ奪三振:2014年 ※セ・リーグ記録
登板日 対戦チーム 球場 投球回 奪三振
5月16日 DeNA 阪神甲子園球場 8 11
5月24日 ソフトバンク 福岡 ヤフオク!ドーム 6 13
5月31日 日本ハム 札幌ドーム 8 10
6月6日 オリックス 阪神甲子園球場 7 1/3 10
6月14日 西武 西武ドーム 6 10

背番号

  • 14 (2005年 - 2020年)
  • 26 (2021年 - ) ※予定

登場曲

代表歴

関連情報

出演

CM

漫画

脚注

  1. ^ 能見篤史投手 獲得のお知らせ オリックス・バファローズ (2020年12月8日) 2020年12月10日閲覧。
  2. ^ a b c 阪神・能見、平成最後に悲しき別れ…2人の恩人の教え胸にマウンドへ スポーツニッポン 2019年5月2日
  3. ^ a b c 【ターニングポイント】能見が覚悟を固めた瞬間 大阪ガス時代に受けた“最後通告” デイリースポーツ 2019年4月16日
  4. ^ “オリックス、能見獲得へ1軍投手コーチ兼任プラン”. 日刊スポーツ. (2020年11月27日). https://www.nikkansports.com/baseball/news/202011260000827.html 2020年11月28日閲覧。 
  5. ^ 湯川氏(左)は大阪ガス時代に能見(中)を指導した。…|元大阪ガス監督・湯川氏、能見に… 写真1/1|SANSPO.COM(サンスポ)
  6. ^ 阪神・能見“巨人キラー”ぶり発揮 スポーツニッポン、2010年9月29日。
  7. ^ 日刊スポーツ 2010年9月27日付紙面 猛虎データセンター
  8. ^ a b 阪神タイガース公式サイト
  9. ^ “能見初の奪三振王、阪神では6年ぶり”. 日刊スポーツ. (2012年10月10日). http://www.nikkansports.com/baseball/news/p-bb-tp0-20121010-1030616.html 2012年10月14日閲覧。 
  10. ^ 2013WBC日本代表候補選手発表 日本野球機構 (2012年12月4日) 2015年4月3日閲覧
  11. ^ 2013 WORLD BASEBALL CLASSIC 日本代表候補選手 日本野球機構 (2012年12月4日) 2015年4月3日閲覧
  12. ^ 2013WBC日本代表28選手の発表 日本野球機構オフィシャルサイト (2013年2月20日) 2015年4月2日閲覧
  13. ^ 2013 Tournament Roster WBC公式サイト 英語 2015年4月2日閲覧
  14. ^ 2013 WORLD BASEBALL CLASSIC 日本代表メンバー 日本野球機構オフィシャルサイト (2013年2月20日) 2015年4月2日閲覧
  15. ^ Classic moment: Rios' homer pushes PR to final
  16. ^ “能見大暴れ「高校2年以来」一発&完投2勝目”. スポーツニッポン. (2013年5月7日). http://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2013/05/07/kiji/K20130507005753570.html 2013年5月7日閲覧。 
  17. ^ “能見「振ったら当たった」初HR”. 日刊スポーツ. (2013年5月6日). http://www.nikkansports.com/baseball/news/f-bb-tp0-20130506-1123267.html 2013年5月7日閲覧。 
  18. ^ “阪神能見まさかの10失点…4点先制守れず”. 日刊スポーツ. (2014年3月28日). http://www.nikkansports.com/baseball/news/f-bb-tp0-20140328-1276921.html 2014年3月28日閲覧。 
  19. ^ “阪神:能見篤史投手 セ新記録の連続試合2桁奪三振”. 日刊スポーツ. (2014年6月14日). http://www.nikkansports.com/baseball/news/f-bb-tp0-20140614-1317629.html 2014年6月22日閲覧。 
  20. ^ “能見 CS初勝利 開幕戦10失点KOリベンジ果たした”. スポニチ. (2014年10月19日). http://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2014/10/19/kiji/K20141019009128390.html 2015年2月1日閲覧。 
  21. ^ 2014 SUZUKI 日米野球シリーズ 日本プロ野球80周年記念試合 打席結果・投打成績野球日本代表公式サイト (2014年11月11日) 2017年2月17日閲覧
  22. ^ “FA残留の能見 3年契約締結”. デイリースポーツ. (2014年11月13日). http://www.daily.co.jp/newsflash/tigers/2014/11/13/0007499536.shtml 2017年1月19日閲覧。 
  23. ^ “阪神、能見を中継ぎ起用 泣きどころ救援陣テコ入れ”. 日刊スポーツ. (2016年9月26日). http://www.nikkansports.com/baseball/news/1715766.html 2017年2月17日閲覧。 
  24. ^ “阪神能見 来季見据え先発&中継ぎの準備進める”. 日刊スポーツ. (2016年10月9日). http://www.nikkansports.com/baseball/news/1722005.html 2017年2月17日閲覧。 
  25. ^ “阪神能見、防御率0.34で「黄金の5月」快投締め”. 日刊スポーツ. (2017年6月1日). https://www.nikkansports.com/baseball/news/1833139.html 2017年11月8日閲覧。 
  26. ^ “阪神・能見 スイスイ93球今季初完投 CSは「地元の甲子園でやりたい」”. スポーツニッポン. (2017年9月28日). http://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2017/09/28/kiji/20170928s00001007265000c.html 2017年11月8日閲覧。 
  27. ^ “先発の能見、わずか1/3回KO CS大一番でまさかの3失点背信投球”. デイリースポーツ. (2017年10月17日). https://www.daily.co.jp/tigers/2017/10/17/0010651822.shtml 2017年11月8日閲覧。 
  28. ^ “能見、中継ぎ転向の成算 肩の仕上がり早く、福原&安藤の成功例も”. 夕刊フジ. (2018年6月11日). https://www.zakzak.co.jp/spo/news/180611/spo1806110003-n1.html 2019年12月11日閲覧。 
  29. ^ “能見、中継ぎへ配置転換 39歳で新境地で復権へ 安藤、福原に続く”. デイリースポーツ. (2018年5月31日). https://www.daily.co.jp/tigers/2018/05/31/0011309323.shtml 2019年12月11日閲覧。 
  30. ^ “【阪神】能見、忘れられない今季初白星…39歳が二軍で黙々と試行錯誤を繰り返してつかんだ”. スポーツ報知. (2018年6月10日). http://www.hochi.co.jp/baseball/npb/20180610-OHT1T50049.html 2019年12月11日閲覧。 
  31. ^ “阪神能見100勝感謝も「あまりピンと来ない」”. 日刊スポーツ. (2018年6月28日). https://www.nikkansports.com/baseball/news/201806280000906.html 2019年12月11日閲覧。 
  32. ^ “「能見さん」ツイッターでトレンド入り 100勝達成で祝福”. デイリースポーツ (神戸新聞社). (2018年6月28日). https://www.daily.co.jp/tigers/2018/06/28/0011397187.shtml 2018年8月17日閲覧。 
  33. ^ “能見、救った!超スクランブルでプロ初セーブ ドリス初球退場の大ピンチを3人斬り”. デイリースポーツ (神戸新聞社). (2018年8月17日). https://www.daily.co.jp/tigers/2018/08/17/0011549764.shtml 2018年8月17日閲覧。 
  34. ^ a b 能見、来季も中継ぎ 矢野監督との面談で意向伝達「力を発揮できると思う」 デイリースポーツ 2018年10月30日
  35. ^ “阪神能見&岩崎あるぞ先発 再転向プランが浮上”. 日刊スポーツ. (2018年10月2日). https://www.nikkansports.com/baseball/news/201810210000366.html 2019年12月11日閲覧。 
  36. ^ “阪神・能見 救援専念直訴していた 先発未練なし!負け数減&防御率下げる”. スポーツニッポン. (2018年10月21日). https://www.nikkansports.com/baseball/news/201810210000366.html 2019年12月11日閲覧。 
  37. ^ “今季40歳能見「50歳までやれ」山本昌氏から激励”. 日刊スポーツ. (2019年2月5日). https://www.nikkansports.com/baseball/news/201902050000936.html 2019年12月11日閲覧。 
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関連項目

外部リンク