「アイドルユニットサマーフェスティバル2010」の版間の差分
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増田は岡田から井上を紹介され、「来年(2010年)の夏はアイドルが熱くなる」との情報によりアイドルイベントの開催を決める。出演者は井上からの推薦に基づき選定した。当初社内外から「アイドルブームが来るの?」と疑いの目で見られていたものの、[[ハロー!プロジェクト]](ハロプロ)のライブにしか出演したことのない[[スマイレージ]](現[[アンジュルム]])が外部のイベントに初出演するという話題性もあり、いざチケットを販売したところ即完売したことから、周囲が「アイドルブームへの疑いから確信に変わった」と述懐している<ref name="natalie20200526_1" />。ただし、「[[ブブカ (雑誌)|BUBKA]]」の編集長・森田秀一(サミュL)と編集部員(現副編集長{{Refnest|group="注"|文中<ref name="natalie20200905" />では「編集長」となっているが「副編集長」の誤り(2020年現在も編集長は森田)}})・並木愼一郎(ゾンビーノ)は当日券で入ったと証言している<ref name="BUBKA202010" />。 |
増田は岡田から井上を紹介され、「来年(2010年)の夏はアイドルが熱くなる」との情報によりアイドルイベントの開催を決める。出演者は井上からの推薦に基づき選定した。当初社内外から「アイドルブームが来るの?」と疑いの目で見られていたものの、[[ハロー!プロジェクト]](ハロプロ)のライブにしか出演したことのない[[スマイレージ]](現[[アンジュルム]])が外部のイベントに初出演するという話題性もあり、いざチケットを販売したところ即完売したことから、周囲が「アイドルブームへの疑いから確信に変わった」と述懐している<ref name="natalie20200526_1" />。ただし、「[[ブブカ (雑誌)|BUBKA]]」の編集長・森田秀一(サミュL)と編集部員(現副編集長{{Refnest|group="注"|文中<ref name="natalie20200905" />では「編集長」となっているが「副編集長」の誤り(2020年現在も編集長は森田)}})・並木愼一郎(ゾンビーノ)は当日券で入ったと証言している<ref name="BUBKA202010" />。 |
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「[[紙のプロレス]]」編集者の経歴を持つ吉田は、伝説のイベントとなった要因として、[[川上アキラ]]([[ももいろクローバー]](現[[ももいろクローバーZ]])マネージャー)、山田昌治(当時スマイレージマネージャー、現[[YU-M エンターテインメント]]代表取締役)といった「プロレス心」を持ったマネージャーが交流戦で「(ガチを)仕掛けた」ことにあると指摘している<ref name="natalie20200526_1" />。山田も、「僕らは[[桜庭和志]]<ref group="注">2000年5月1日に開催された『[[PRIDE GRANDPRIX 2000 決勝戦]]』([[東京ドーム]])にて[[ホイス・グレイシー]]に勝利</ref>になりたかった」と語っている<ref name="natalie20200526_2">{{Cite web|url=https://natalie.mu/music/column/380454/page/2|title=2010年代のアイドルシーン Vol.1“アイドル戦国時代”幕開けの瞬間(前編)|page=2|work=音楽ナタリー|date=2020-05-26|accessdate=2020-06-18}}</ref>。一方、吉田は当時編集長以下[[SKE48]]をプッシュしていたBUBKAの関係者がそのパフォーマンスに落胆した様子を「[[高田延彦]]が[[ヒクソン・グレイシー]]に何もできずに負けた<ref group="注">1997年10月11日に開催された『[[PRIDE.1]]』(東京ドーム)</ref>ときぐらいの落ち込み方」と例えている<ref name="natalie20200526_2" />。 |
「[[紙のプロレス]]」編集者の経歴を持つ吉田は、伝説のイベントとなった要因として、[[川上アキラ]]([[ももいろクローバー]](現[[ももいろクローバーZ]])マネージャー)、山田昌治(当時スマイレージマネージャー、現[[YU-M エンターテインメント]]代表取締役)といった「プロレス心」を持ったマネージャーが交流戦で「(ガチを)仕掛けた」ことにあると指摘している<ref name="natalie20200526_1" />。山田も、「僕らは[[桜庭和志]]<ref group="注">2000年5月1日に開催された『[[PRIDE GRANDPRIX 2000 決勝戦]]』([[東京ドーム]])にて[[ホイス・グレイシー]]に勝利</ref>になりたかった」と語っている<ref name="natalie20200526_2">{{Cite web|url=https://natalie.mu/music/column/380454/page/2|title=2010年代のアイドルシーン Vol.1“アイドル戦国時代”幕開けの瞬間(前編)|page=2|work=音楽ナタリー|date=2020-05-26|accessdate=2020-06-18}}</ref>。一方、吉田は当時編集長以下[[SKE48]]をプッシュしていたBUBKAの関係者がそのパフォーマンスに落胆した様子を「[[髙田延彦|高田延彦]]が[[ヒクソン・グレイシー]]に何もできずに負けた<ref group="注">1997年10月11日に開催された『[[PRIDE.1]]』(東京ドーム)</ref>ときぐらいの落ち込み方」と例えている<ref name="natalie20200526_2" />。 |
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2020年、[[音楽ナタリー]]にて、連載「2010年代のアイドルシーン」がスタート。その第1弾として本イベントに焦点を当てた「"アイドル戦国時代"幕開けの瞬間」が前後編で掲載された。また、同年8月31日には、当事者であった増田、川上、山田、湯浅洋(当時SKE48劇場支配人、現[[JKT48]]スペシャルアドバイザーを迎え、吉田の司会による配信イベント「ライブナタリー オンライントーク 「その時、アイドルシーンの歴史が動いた」"仕掛けた側"と"仕掛けられた側"が語る"アイドル戦国時代"幕開けの瞬間」が開催された。イベント中、当時SKE48のパフォーマンスを酷評した並木が参入、「盛り上がった記憶しかない」とする湯浅との間で論争となった<ref name="natalie20200905">{{Cite web|url=https://natalie.mu/music/news/395015|title=「本当に戦いだった」当事者たちが語り合った10年前、アイドルシーンの歴史が動いたその瞬間|work=音楽ナタリー|date=2020-09-05|accessdate=2020-09-17}}</ref>。 |
2020年、[[音楽ナタリー]]にて、連載「2010年代のアイドルシーン」がスタート。その第1弾として本イベントに焦点を当てた「"アイドル戦国時代"幕開けの瞬間」が前後編で掲載された。また、同年8月31日には、当事者であった増田、川上、山田、湯浅洋(当時SKE48劇場支配人、現[[JKT48]]スペシャルアドバイザーを迎え、吉田の司会による配信イベント「ライブナタリー オンライントーク 「その時、アイドルシーンの歴史が動いた」"仕掛けた側"と"仕掛けられた側"が語る"アイドル戦国時代"幕開けの瞬間」が開催された。イベント中、当時SKE48のパフォーマンスを酷評した並木が参入、「盛り上がった記憶しかない」とする湯浅との間で論争となった<ref name="natalie20200905">{{Cite web|url=https://natalie.mu/music/news/395015|title=「本当に戦いだった」当事者たちが語り合った10年前、アイドルシーンの歴史が動いたその瞬間|work=音楽ナタリー|date=2020-09-05|accessdate=2020-09-17}}</ref>。 |
2020年12月23日 (水) 04:59時点における版
アイドルユニットサマーフェスティバル2010(アイドルユニットサマーフェスティバルにせんじゅう)は、ニッポン放送の主催で2010年8月30・31日に渋谷C.C.Lemonホール(渋谷公会堂)で開催された女性アイドルグループ4組によるライブイベントである。
概要
2010年代前半のいわゆる「アイドル戦国時代」の幕開けを告げるエポックメイキングな出来事として、アイドルに造詣の深い吉田豪(プロインタビュアー)[1]や嶺脇育夫(タワーレコード社長)[2]が言及するように、「MUSIC JAPAN 女性アイドル大特集!」(NHK総合テレビジョン、2010年5月30日放送)[3]、「TOKYO IDOL FESTIVAL 2010 @Shinagawa」(2010年8月7・8日、品川プリンスホテル)[4]と並び、10年後の2020年現在においても語り継がれるイベントとなっている。
スウィートパワー社長の岡田直弓は、結成したばかりのbump.yがどうやったらファンが増えるか、当時「B.L.T.」編集長であった井上朝夫(現HUSTLE PRESS社長)に相談したところ、「他のアイドルファンに見せればよい」との提案を受ける[5]。 また、ニッポン放送の増田佳子(現エンターテインメント開発局長)は、2009年の秋に番組制作ディレクターからイベント制作の部署に異動、その際に夏休み最後の2日間に渋谷公会堂を押さえることができたので何か企画してほしいとの上司の依頼を受けていた[1]。
増田は岡田から井上を紹介され、「来年(2010年)の夏はアイドルが熱くなる」との情報によりアイドルイベントの開催を決める。出演者は井上からの推薦に基づき選定した。当初社内外から「アイドルブームが来るの?」と疑いの目で見られていたものの、ハロー!プロジェクト(ハロプロ)のライブにしか出演したことのないスマイレージ(現アンジュルム)が外部のイベントに初出演するという話題性もあり、いざチケットを販売したところ即完売したことから、周囲が「アイドルブームへの疑いから確信に変わった」と述懐している[1]。ただし、「BUBKA」の編集長・森田秀一(サミュL)と編集部員(現副編集長[注 1])・並木愼一郎(ゾンビーノ)は当日券で入ったと証言している[5]。
「紙のプロレス」編集者の経歴を持つ吉田は、伝説のイベントとなった要因として、川上アキラ(ももいろクローバー(現ももいろクローバーZ)マネージャー)、山田昌治(当時スマイレージマネージャー、現YU-M エンターテインメント代表取締役)といった「プロレス心」を持ったマネージャーが交流戦で「(ガチを)仕掛けた」ことにあると指摘している[1]。山田も、「僕らは桜庭和志[注 2]になりたかった」と語っている[7]。一方、吉田は当時編集長以下SKE48をプッシュしていたBUBKAの関係者がそのパフォーマンスに落胆した様子を「高田延彦がヒクソン・グレイシーに何もできずに負けた[注 3]ときぐらいの落ち込み方」と例えている[7]。
2020年、音楽ナタリーにて、連載「2010年代のアイドルシーン」がスタート。その第1弾として本イベントに焦点を当てた「"アイドル戦国時代"幕開けの瞬間」が前後編で掲載された。また、同年8月31日には、当事者であった増田、川上、山田、湯浅洋(当時SKE48劇場支配人、現JKT48スペシャルアドバイザーを迎え、吉田の司会による配信イベント「ライブナタリー オンライントーク 「その時、アイドルシーンの歴史が動いた」"仕掛けた側"と"仕掛けられた側"が語る"アイドル戦国時代"幕開けの瞬間」が開催された。イベント中、当時SKE48のパフォーマンスを酷評した並木が参入、「盛り上がった記憶しかない」とする湯浅との間で論争となった[6]。
出演者
放送
2010年9月4日(3日深夜)放送「オールナイトニッポンR」(ニッポン放送)でライブの模様が放送された[9]。
脚注
注釈
出典
- ^ a b c d “2010年代のアイドルシーン Vol.1“アイドル戦国時代”幕開けの瞬間(前編)”. 音楽ナタリー. p. 1 (2020年5月26日). 2020年6月18日閲覧。
- ^ “平成アイドル史のターニングポイントを考える「アイドル戦国時代はいかにして起こったか」”. ENTAME next (2019年4月27日). 2020年6月18日閲覧。
- ^ “総勢59人!「MJ」収録に人気女性アイドル7組が集結”. 音楽ナタリー (2010年5月17日). 2020年6月17日閲覧。
- ^ “総勢40組以上!品川を熱く盛り上げたアイドルフェス大成功”. 音楽ナタリー (2010年8月10日). 2020年6月19日閲覧。
- ^ a b BUBKA2020年10月号「アイドルのへそ #03 10年目の新証言!」p.108
- ^ a b “「本当に戦いだった」当事者たちが語り合った10年前、アイドルシーンの歴史が動いたその瞬間”. 音楽ナタリー (2020年9月5日). 2020年9月17日閲覧。
- ^ a b “2010年代のアイドルシーン Vol.1“アイドル戦国時代”幕開けの瞬間(前編)”. 音楽ナタリー. p. 2 (2020年5月26日). 2020年6月18日閲覧。
- ^ “アイドルユニットサマーフェスティバル2010”. ニッポン放送. 2020年6月18日閲覧。
- ^ “最後にサプライズも!アイドル4組が渋谷で夏フェス”. 音楽ナタリー (2010年9月1日). 2020年6月18日閲覧。