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== 来歴 ==
== 来歴 ==
国立大学に7年間在籍し、[[名古屋市]]の[[カプセルホテル]]に就職。3年後に転職したイベント制作会社H2Oが[[東海テレビ事業]]の[[榊原信行]]とともに[[高田延彦]]対[[ヒクソン・グレイシー]]を実現するための格闘技イベントのプロジェクトに参加したことから、総合格闘技イベント[[PRIDE (格闘技イベント)|PRIDE]]の実行委員会組織[[格闘技レボリューション・スピリッツ|KRS]]に参加した。その後、[[1999年]]に発足したPRIDEを運営する企業[[ドリームステージエンターテインメント]](DSE)に加わり、以後、[[2007年]]まで同社で広報局長を務めた。
国立大学に7年間在籍し、[[名古屋市]]の[[カプセルホテル]]に就職。3年後に転職したイベント制作会社H2Oが[[東海テレビ事業]]の[[榊原信行]]とともに[[髙田延彦|高田延彦]]対[[ヒクソン・グレイシー]]を実現するための格闘技イベントのプロジェクトに参加したことから、総合格闘技イベント[[PRIDE (格闘技イベント)|PRIDE]]の実行委員会組織[[格闘技レボリューション・スピリッツ|KRS]]に参加した。その後、[[1999年]]に発足したPRIDEを運営する企業[[ドリームステージエンターテインメント]](DSE)に加わり、以後、[[2007年]]まで同社で広報局長を務めた。


[[2004年]]にDSEが[[プロレス]]イベント「[[ハッスル (プロレス)|ハッスル]]」を開始すると、ハッスル事業主任も担当。当初は広報として記者会見を担当していたが、同年6月からは、プロレスのストーリー上のギミックとして、ハッスルの初代ゼネラルマネージャー(GM)を担当<ref>[http://sportsnavi.yahoo.co.jp/fight/other/column/200406/at00000941.html 小川、就任直後のハッスル新GMに接触 取り入るヤドカリ参謀長はガムテープ葬に] スポーツナビ 2004年6月5日</ref>。オープニングに赤い[[ジャケット]]と[[サングラス]]で登場して観客に挨拶し、[[新日本プロレス]]の[[蝶野正洋]]を真似て、「アイアムGM」と決め台詞を言うのがお約束だった<ref>[http://sportsnavi.yahoo.co.jp/fight/other/column/200502/at00003930.html 笹原GM、蝶野ポーズで「アイアムGM」] スポーツナビ 2005年2月11日</ref>。ハッスルGMの座は、[[2005年]]9月8日の「ハッスル・ハウスvol.9」で行われた「ハッスル総選挙」で元新日本プロレス社長の[[草間政一]]に奪われ、同年10月からはエージェントのケイ・ササハラとしてハッスルのストーリーに関わっていたが<ref>[http://www.hustlehustle.com/free/news/?id=1128576965 笹原前GMがエージェント業に転身!「KENZO&HIROKOと専属契約を交わした」] ハッスル公式サイト 2005年10月6日</ref>、その後、ハッスルからは徐々にフェードアウトしていった。
[[2004年]]にDSEが[[プロレス]]イベント「[[ハッスル (プロレス)|ハッスル]]」を開始すると、ハッスル事業主任も担当。当初は広報として記者会見を担当していたが、同年6月からは、プロレスのストーリー上のギミックとして、ハッスルの初代ゼネラルマネージャー(GM)を担当<ref>[http://sportsnavi.yahoo.co.jp/fight/other/column/200406/at00000941.html 小川、就任直後のハッスル新GMに接触 取り入るヤドカリ参謀長はガムテープ葬に] スポーツナビ 2004年6月5日</ref>。オープニングに赤い[[ジャケット]]と[[サングラス]]で登場して観客に挨拶し、[[新日本プロレス]]の[[蝶野正洋]]を真似て、「アイアムGM」と決め台詞を言うのがお約束だった<ref>[http://sportsnavi.yahoo.co.jp/fight/other/column/200502/at00003930.html 笹原GM、蝶野ポーズで「アイアムGM」] スポーツナビ 2005年2月11日</ref>。ハッスルGMの座は、[[2005年]]9月8日の「ハッスル・ハウスvol.9」で行われた「ハッスル総選挙」で元新日本プロレス社長の[[草間政一]]に奪われ、同年10月からはエージェントのケイ・ササハラとしてハッスルのストーリーに関わっていたが<ref>[http://www.hustlehustle.com/free/news/?id=1128576965 笹原前GMがエージェント業に転身!「KENZO&HIROKOと専属契約を交わした」] ハッスル公式サイト 2005年10月6日</ref>、その後、ハッスルからは徐々にフェードアウトしていった。

2020年12月23日 (水) 04:45時点における版

笹原 圭一(ささはら けいいち、1967年9月16日 - )は、日本総合格闘技イベントDREAMの元プロデューサー、元株式会社リアルエンターテインメント代表。愛知県豊田市出身。元ドリームステージエンターテインメント広報局長。 現在はRIZINの広報を担当。

来歴

国立大学に7年間在籍し、名古屋市カプセルホテルに就職。3年後に転職したイベント制作会社H2Oが東海テレビ事業榊原信行とともに高田延彦ヒクソン・グレイシーを実現するための格闘技イベントのプロジェクトに参加したことから、総合格闘技イベントPRIDEの実行委員会組織KRSに参加した。その後、1999年に発足したPRIDEを運営する企業ドリームステージエンターテインメント(DSE)に加わり、以後、2007年まで同社で広報局長を務めた。

2004年にDSEがプロレスイベント「ハッスル」を開始すると、ハッスル事業主任も担当。当初は広報として記者会見を担当していたが、同年6月からは、プロレスのストーリー上のギミックとして、ハッスルの初代ゼネラルマネージャー(GM)を担当[1]。オープニングに赤いジャケットサングラスで登場して観客に挨拶し、新日本プロレス蝶野正洋を真似て、「アイアムGM」と決め台詞を言うのがお約束だった[2]。ハッスルGMの座は、2005年9月8日の「ハッスル・ハウスvol.9」で行われた「ハッスル総選挙」で元新日本プロレス社長の草間政一に奪われ、同年10月からはエージェントのケイ・ササハラとしてハッスルのストーリーに関わっていたが[3]、その後、ハッスルからは徐々にフェードアウトしていった。

DSE在籍中の2004年、映画『実写版 まいっちんぐマチコ先生 THE MOVIE Oh! コスプレ大作戦』で俳優に挑戦。黒幕という大役を演じた。

2007年にPRIDEの運営会社であるDSEがUFCのオーナーであるロレンゾ・フェティータに買収され、DSEのスタッフとともに新たにPRIDEを運営するPRIDE FC WORLDWIDEに移籍した。引き続き広報を担当していたが、新体制でのPRIDE開催の目処が立たず、10月に同社の事務所が閉鎖。同時に解雇される[4]。これを受けて、同年大晦日に、旧DSEのスタッフとともにやれんのか! 大晦日! 2007実行委員会を組織し、一夜限りの総合格闘技イベントやれんのか! 大晦日! 2007を開催することで、PRIDEのけじめの大会とした[5]

2008年から、立ち技格闘技イベントK-1を運営するFEGと旧DSE勢が合同して新たな総合格闘技イベントDREAMを立ち上げ、笹原はイベントプロデューサーに就任した[6]。DREAMの制作を行う会社として同年2月に設立された株式会社リアルエンターテインメントの代表も務める[7][8]

出演

参考文献

  • 「第1回大会からの最古参スタッフが語る『PRIDE』とは? DSE広報局長 笹原圭一」『PRIDE Official YEAR BOOK 2004』エンターブレイン、2004年、p.94-95
  • 橋本宗洋・構成「佐伯繁×笹原圭一」『別冊宝島1148 格闘技ディープ・インサイド』宝島社、2005年

脚注

外部リンク