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* 2001年3月25日の[[PRIDE.13]]で実兄[[イーゲン井上]]に勝利した[[ガイ・メッツァー]]からマイクアピールで挑戦表明を受けたが、真相はメッツァーが契約を盾にPRIDEからマイクアピールを強要されたためで、試合後メッツァーから謝罪を受けたと明かした。この問題はエンセンがバックステージでブッカーの[[川崎浩市]]を暴行し、PRIDE代表の[[榊原信行]]に賠償金を支払わせることで解決した<ref name="NERD SCIETY">[http://www.nerdsociety.com/interview-with-mma-pioneer-enson-inoue-part-1/#sthash.D0eA1Kx7.dpuf 142009 7 Comments Interview with MMA Pioneer: Enson Inoue Part 1 - See more at] NERD SCIETY 2009年1月14日</ref>。
* 2001年3月25日の[[PRIDE.13]]で実兄[[イーゲン井上]]に勝利した[[ガイ・メッツァー]]からマイクアピールで挑戦表明を受けたが、真相はメッツァーが契約を盾にPRIDEからマイクアピールを強要されたためで、試合後メッツァーから謝罪を受けたと明かした。この問題はエンセンがバックステージでブッカーの[[川崎浩市]]を暴行し、PRIDE代表の[[榊原信行]]に賠償金を支払わせることで解決した<ref name="NERD SCIETY">[http://www.nerdsociety.com/interview-with-mma-pioneer-enson-inoue-part-1/#sthash.D0eA1Kx7.dpuf 142009 7 Comments Interview with MMA Pioneer: Enson Inoue Part 1 - See more at] NERD SCIETY 2009年1月14日</ref>。
* またメッツァーは2000年1月30日の[[PRIDE GRANDPRIX 2000 開幕戦]]の[[桜庭和志]]戦で延長ラウンドを拒否して棄権したが、これについては「桜庭が勝ち進めばチケットが売れるから延長戦に入ったんだろう」と自論を述べた<ref name="NERD SCIETY"/>。
* またメッツァーは2000年1月30日の[[PRIDE GRANDPRIX 2000 開幕戦]]の[[桜庭和志]]戦で延長ラウンドを拒否して棄権したが、これについては「桜庭が勝ち進めばチケットが売れるから延長戦に入ったんだろう」と自論を述べた<ref name="NERD SCIETY"/>。
* リング外における[[高田延彦]]を「弱虫」と切り捨てており「クラブで友人が20人程度から集団暴行を受けていたのにも拘らずその場で黙って様子を見ているだけだった。結局その場に居合わせていたところ助けを求められたので私が解決したが、数日後私と会った際に礼も言わず何事も無かったかのように振る舞っていた。高田は桜庭やヒョードルと戦った後に彼らがどれだけ勇敢さや闘争心を認めているかを語るから、ひどいものだ。」と話していた<ref name="NERD SCIETY"/>。
* リング外における[[髙田延彦|高田延彦]]を「弱虫」と切り捨てており「クラブで友人が20人程度から集団暴行を受けていたのにも拘らずその場で黙って様子を見ているだけだった。結局その場に居合わせていたところ助けを求められたので私が解決したが、数日後私と会った際に礼も言わず何事も無かったかのように振る舞っていた。高田は桜庭やヒョードルと戦った後に彼らがどれだけ勇敢さや闘争心を認めているかを語るから、ひどいものだ。」と話していた<ref name="NERD SCIETY"/>。


== 戦績 ==
== 戦績 ==

2020年12月23日 (水) 04:36時点における版

エンセン井上
基本情報
本名 エンセン・正二・井上
(Enson Shouji Inoue)
通称 大和魂
ナチュラル・ボーン・ファイター
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
生年月日 (1967-04-15) 1967年4月15日(57歳)
出身地 ハワイ州ホノルル
所属 PUREBRED大宮
→PUREBRED
身長 180cm
体重 106kg
階級 ヘビー級
バックボーン ブラジリアン柔術
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エンセン井上(エンセン いのうえ、1967年4月15日 - )は、アメリカ合衆国男性総合格闘家プロレスラーハワイ州ホノルル出身。日系アメリカ人4世。PUREBRED所属。ブラジリアン柔術黒帯。初代修斗ヘビー級王者。修斗四天王の一人。

キャッチフレーズは「大和魂」であり、自身の胸と背中にも「大和魂」と刺青を彫っている。

総合格闘家のイーゲン井上は実兄。

来歴

広島ルーツを持つ日系アメリカ人4世[1]ハワイ大学在学中にラケットボールの選手として来日。22歳から始めた柔術をバックボーンに1995年1月に修斗デビュー。

1997年5月30日、UFC初参戦となったUFC 13のヘビー級トーナメント1回戦でロイス・アルジャーと対戦し、アームロックで一本勝ち。負傷のため決勝は棄権した。

1997年10月12日、初代修斗ヘビー級王座認定戦でジョー・エステスと対戦し、TKO勝ちを収め王座獲得に成功した。

1998年10月25日、VALE TUDO JAPAN '98でUFC世界ヘビー級王者のランディ・クートゥアと対戦し、腕ひしぎ十字固めで一本勝ち。試合後に「皆さん!オレが負ける言った人、くたばれ!」とマイクアピールした[2]

1998年12月11日、「U-DREAMS 1st IMPACT」でジョン・カルボと変形修斗ルールで対戦し、2分13秒腕ひしぎ十字固めで一本勝ち[3]

1999年4月29日、PRIDE初参戦となったPRIDE.5で西田操一と対戦し、スリーパーホールドで一本勝ち。

1999年9月5日、同年3月に起こした傷害事件を原因として修斗ヘビー級王座を返上およびプロ修斗ライセンスの無期停止処分が発表された[4](2000年2月9日付けでライセンス無期停止処分が解除された)。

PRIDEでは負けん気の強さと特攻ファイトで、大和魂Tシャツが人気を得るようになる。選手活動と並行して、1995年から埼玉県総合格闘技ジム「PUREBRED大宮」で柔術の指導を務めた。

相手の土俵で試合をしようとするため、なかなか勝ち星に恵まれなくなり、2000年イゴール・ボブチャンチン戦ではスタンドでのパンチ合戦に挑み、鼓膜など耳内を損傷する大怪我を負う。その後遺症もあって引退を決意。「心が折れたため」「イラク戦争で米兵に志願するため」という理由もあった。

2000年12月23日、PRIDE.12ヒース・ヒーリングと対戦し、グラウンドの膝蹴りでTKO負け。試合後、リング上で「今日は100%出しました。今日が私の大和魂の最後の試合でした」と突然の引退宣言を行った[5]

2002年2月24日、PRIDE.19アントニオ・ホドリゴ・ノゲイラと引退マッチを行って、三角絞めで失神し一本負け。

2003年3月9日、新日本プロレスにクレイジードッグスのボスとして初参戦。魔界倶楽部と抗争した。新日本離脱後は、リキプロビッグマウス・ラウドへ参戦している。

2006年8月15日には、自身がプロデューサーを務めた総合格闘技興行「『心』 Kill or be Killed」を後楽園ホールで開催。金原弘光ジャダンバ・ナラントンガラグなどが参戦した。

2008年10月18日、東京都豊島区大麻16.9グラムを所持していたところを職務質問を受け、大麻取締法違反で現行犯逮捕された[6]

2008年12月26日、大麻所持事件の判決公判が開かれ、懲役10か月、執行猶予3年(求刑懲役10か月)の判決が言い渡された[7]

2010年4月25日、吉田秀彦引退興行 〜ASTRA〜にて、およそ6年ぶりに総合格闘技に復帰。アンズ・"ノトリアス"・ナンセンと不良同士の対決と注目を集め、1ラウンド2分10秒に腕ひしぎ十字固めで一本勝ち。

人物・エピソード

  • 女子レスリング選手の山本美憂は元妻。2000年に結婚、2004年に離婚している。
  • 山本美憂の弟、山本"KID"徳郁とも親しく、KIDに総合格闘技の指導をしたのはエンセンである。
  • 「リングの上では相手を殺すつもりでやる。だからワタシは絶対にタップしない」を信条としており、自らタップアウトして負けたことは一度もない。
  • 1999年3月に記者に対し傷害事件を起こし、2002年に有罪判決を受けた(懲役6か月、執行猶予2年)。2002年には元所属会社社長を恐喝・暴行し、2004年に賠償命令を受けた。その後はメジャーな格闘技興行からは遠ざかり、プロレスの試合を中心に行っている。
  • 刺青を多数彫っている。それ故にイラク戦争時にはアメリカ兵に志願したにもかかわらず入隊を拒否されている。特に上半身に非常に多い。
  • 独特な日本語の話し方をする。
  • 大の動物好きで、ブログ等で自分の愛犬「修斗くん(2010年3月9日死去[8]アメリカン・ピット・ブル・テリア)」、愛猿「ホシャンくん(マーモセット)」や他の動物と撮った写真を記載することが多い。
  • その迫力に満ちた風貌とは裏腹に根は優しく、会場ではファンに対して気軽にサインや写真に応じている。
  • リングの魂 - 格闘界アームレスリング王」では自分より巨漢な格闘家達をことごとく倒し優勝している。
  • 2001年3月25日のPRIDE.13で実兄イーゲン井上に勝利したガイ・メッツァーからマイクアピールで挑戦表明を受けたが、真相はメッツァーが契約を盾にPRIDEからマイクアピールを強要されたためで、試合後メッツァーから謝罪を受けたと明かした。この問題はエンセンがバックステージでブッカーの川崎浩市を暴行し、PRIDE代表の榊原信行に賠償金を支払わせることで解決した[9]
  • またメッツァーは2000年1月30日のPRIDE GRANDPRIX 2000 開幕戦桜庭和志戦で延長ラウンドを拒否して棄権したが、これについては「桜庭が勝ち進めばチケットが売れるから延長戦に入ったんだろう」と自論を述べた[9]
  • リング外における高田延彦を「弱虫」と切り捨てており「クラブで友人が20人程度から集団暴行を受けていたのにも拘らずその場で黙って様子を見ているだけだった。結局その場に居合わせていたところ助けを求められたので私が解決したが、数日後私と会った際に礼も言わず何事も無かったかのように振る舞っていた。高田は桜庭やヒョードルと戦った後に彼らがどれだけ勇敢さや闘争心を認めているかを語るから、ひどいものだ。」と話していた[9]

戦績

総合格闘技

総合格闘技 戦績
20 試合 (T)KO 一本 判定 その他 引き分け 無効試合
12 3 9 0 0 0 0
8 5 0 2 1
勝敗 対戦相手 試合結果 大会名 開催年月日
アンズ・"ノトリアス"・ナンセン 1R 2:10 腕ひしぎ十字固め 吉田秀彦引退興行 〜ASTRA〜 2010年4月25日
× トム・サワー 1R 4:14 TKO(マウントパンチ) SuperBrawl 35 2004年4月16日
西田操一 1R 0:55 ギロチンチョーク Fury Full Contact Fighting 1 2004年1月10日
× アントニオ・ホドリゴ・ノゲイラ 1R 6:17 三角絞め PRIDE.19 2002年2月24日
× ヒース・ヒーリング 1R 4:31 TKO(グラウンドの膝蹴り) PRIDE.12 2000年12月23日
× イゴール・ボブチャンチン 1R終了時 TKO(ドクターストップ) PRIDE.10 2000年8月27日
× マーク・ケアー 15分1R終了 判定0-3 PRIDE GRANDPRIX 2000 開幕戦
【1回戦】
2000年1月30日
西田操一 1R 0:24 スリーパーホールド PRIDE.5 1999年4月29日
ジョン・カルボ 1R 2:13 腕ひしぎ十字固め U-DREAMS 1998年12月11日
ランディ・クートゥア 1R 1:39 腕ひしぎ十字固め VALE TUDO JAPAN '98 1998年10月25日
× フランク・シャムロック 2R 7:17 反則失格(セコンドのリングイン) VALE TUDO JAPAN '97 1997年11月29日
ジョー・エステス 1R 1:06 TKO(パンチ連打) 修斗 IV Reconquista
【修斗ヘビー級王座認定戦】
1997年10月12日
ロイス・アルジャー 1R 1:37 アームロック UFC 13: The Ultimate Force
【ライト級トーナメント 1回戦】
1997年5月30日
レイ・ズール 1R 0:45 TKO(肘打ち) 修斗 II Reconquista 1997年4月6日
ムスタク・アブドーラ 1R 0:38 TKO(パウンド) 修斗 LET'S GET LOST 〜失地回復〜 1996年10月4日
× イゴール・ジノビエフ 1R 0:44 TKO(パウンド) VALE TUDO JAPAN '96 1996年7月7日
× ジョー・エステス 8分3R終了 判定0-2 修斗 1996年5月7日
アンドレ・マナート 1R 3:19 TKO(パンチ) 修斗 1996年1月20日
エド・デ・クライフ 1R 1:40 腕ひしぎ十字固め 修斗 1995年7月29日
レネ・ローゼ 1R 6:41 スリーパーホールド VALE TUDO JAPAN OPEN 1995 1995年4月20日
茂田信吾 1R 1:10 TKO(パンチ連打) 修斗 VALE-TUDO ACCESS III 1995年1月21日

グラップリング

勝敗 対戦相手 試合結果 大会名 開催年月日
トゥリー・クリハーパイ 1R 1:15 腕ひしぎ十字固め PRIDE.7
【PRIDEコンテンダーズルール】
1999年9月12日
× マリオ・スペーヒー 判定 ADCC 1999 1999年2月

獲得タイトル

出典

関連項目

外部リンク

前王者
王座新設
初代修斗ヘビー級王者

1997年10月12日 - 1999年9月5日

次王者
N/A