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[[1989年]]、[[プロレスラー]]の[[アントニオ猪木]]を中心に結成。[[第15回参議院議員通常選挙|1989年参院選]]において、猪木が[[比例代表制|比例区]]で[[参議院議員]]に当選<ref>1989年(平成元年)7月29日[[中央選挙管理会]][[告示]]第14号「平成元年七月二十三日執行の参議院比例代表選出議員選挙における名簿届出政党等に係る得票数、当選人の数並びに当選人の住所及び氏名に関する件」</ref>。ちなみに、当時の比例区は[[厳正拘束名簿式]]で、政党名票しか認められておらず、猪木の個人名を書いた無効票が大量に出た。参議院では[[民社党]]と[[院内会派|統一会派]]を組む(「民社党・スポーツ・国民連合」)。
[[1989年]]、[[プロレスラー]]の[[アントニオ猪木]]を中心に結成。[[第15回参議院議員通常選挙|1989年参院選]]において、猪木が[[比例代表制|比例区]]で[[参議院議員]]に当選<ref>1989年(平成元年)7月29日[[中央選挙管理会]][[告示]]第14号「平成元年七月二十三日執行の参議院比例代表選出議員選挙における名簿届出政党等に係る得票数、当選人の数並びに当選人の住所及び氏名に関する件」</ref>。ちなみに、当時の比例区は[[厳正拘束名簿式]]で、政党名票しか認められておらず、猪木の個人名を書いた無効票が大量に出た。参議院では[[民社党]]と[[院内会派|統一会派]]を組む(「民社党・スポーツ・国民連合」)。


[[第16回参議院議員通常選挙|1992年参院選]]では、[[1970年代]]に[[福岡ソフトバンクホークス|南海ホークス]]や[[阪神タイガース]]の先発投手として活躍した[[江本孟紀]]が比例区名簿第1位で出馬し<ref>1992年(平成4年)7月14日中央選挙管理会告示第1号「平成四年七月二十六日執行の参議院比例代表選出議員の選挙において、政党その他の政治団体から名簿の届出があった件」</ref>参議院議員に当選<ref>1992年(平成4年)8月3日中央選挙管理会告示第11号「平成四年七月二十六日執行の参議院比例代表選出議員の選挙における名簿届出政党等に係る得票数、当選人の数並びに当選人の住所及び氏名に関する件」</ref>。[[1995年]]、'''[[護憲新党あかつき]]'''代表で元[[日本社会党]]の'''[[上田哲]]'''を'''共同代表'''に迎え、「あかつき」を吸収合併し、[[第17回参議院議員通常選挙|1995年参院選]]に候補者を擁立([[新日本プロレス]]のリングドクターの[[林督元]]も名簿順3位で立候補)するも<ref name="19950712kokuji">1995年(平成7年)7月12日参議院比例代表選出議員選挙選挙長告示第1号「平成七年七月二十三日執行の参議院比例代表選出議員の選挙において、政党その他の政治団体から参議院名簿の届出があった件」</ref>、全員落選、猪木のかつての付き人の[[高田延彦]]が副党首たる[[さわやか新党]]参戦<ref name="19950712kokuji"/>で票割れした事も大きかった。猪木の落選を受け、江本が[[自由連合 (政党)|自由連合]]に移籍<ref>「猪木との金銭問題でもめて離党した」という説が長らく信じられていたが、[[SPA!]][[2012年]][[12月4日]]号 115ページで江本孟紀が明確に否定している。現在でも猪木とは「一定の交流がある」とのこと。「江本以外の全員が落選したため、猪木から無所属での議員活動をすすめられた」とのこと。無所属ののち自由連合に移籍</ref>。
[[第16回参議院議員通常選挙|1992年参院選]]では、[[1970年代]]に[[福岡ソフトバンクホークス|南海ホークス]]や[[阪神タイガース]]の先発投手として活躍した[[江本孟紀]]が比例区名簿第1位で出馬し<ref>1992年(平成4年)7月14日中央選挙管理会告示第1号「平成四年七月二十六日執行の参議院比例代表選出議員の選挙において、政党その他の政治団体から名簿の届出があった件」</ref>参議院議員に当選<ref>1992年(平成4年)8月3日中央選挙管理会告示第11号「平成四年七月二十六日執行の参議院比例代表選出議員の選挙における名簿届出政党等に係る得票数、当選人の数並びに当選人の住所及び氏名に関する件」</ref>。[[1995年]]、'''[[護憲新党あかつき]]'''代表で元[[日本社会党]]の'''[[上田哲]]'''を'''共同代表'''に迎え、「あかつき」を吸収合併し、[[第17回参議院議員通常選挙|1995年参院選]]に候補者を擁立([[新日本プロレス]]のリングドクターの[[林督元]]も名簿順3位で立候補)するも<ref name="19950712kokuji">1995年(平成7年)7月12日参議院比例代表選出議員選挙選挙長告示第1号「平成七年七月二十三日執行の参議院比例代表選出議員の選挙において、政党その他の政治団体から参議院名簿の届出があった件」</ref>、全員落選、猪木のかつての付き人の[[髙田延彦|高田延彦]]が副党首たる[[さわやか新党]]参戦<ref name="19950712kokuji"/>で票割れした事も大きかった。猪木の落選を受け、江本が[[自由連合 (政党)|自由連合]]に移籍<ref>「猪木との金銭問題でもめて離党した」という説が長らく信じられていたが、[[SPA!]][[2012年]][[12月4日]]号 115ページで江本孟紀が明確に否定している。現在でも猪木とは「一定の交流がある」とのこと。「江本以外の全員が落選したため、猪木から無所属での議員活動をすすめられた」とのこと。無所属ののち自由連合に移籍</ref>。


[[第18回参議院議員通常選挙|1998年参院選]]では女子プロレスラーの[[堀田祐美子]]<ref name="19980701kokuji"/>、[[大韓民国|韓国]]・[[中国]]からの[[帰化人]]などを擁立するが全員落選。また、この選挙では独自擁立だけでなく[[推薦]]も積極的に実施していたが、定数3の選挙区で4名の候補に推薦を出す失態も起こす(他党では[[自由民主党_(日本)|自民]]も[[宮城県選挙区|宮城]]で候補者調整に失敗し定数2に公認1、推薦2を立てた)。[[沖縄県]]選挙区では現職で[[沖縄社会大衆党]][[委員長]]の[[島袋宗康]]を[[推薦]]し当選。同年の[[都道府県知事|沖縄県知事]]選では、[[保守]]系の[[稲嶺恵一]]を推薦し、当選した。
[[第18回参議院議員通常選挙|1998年参院選]]では女子プロレスラーの[[堀田祐美子]]<ref name="19980701kokuji"/>、[[大韓民国|韓国]]・[[中国]]からの[[帰化人]]などを擁立するが全員落選。また、この選挙では独自擁立だけでなく[[推薦]]も積極的に実施していたが、定数3の選挙区で4名の候補に推薦を出す失態も起こす(他党では[[自由民主党_(日本)|自民]]も[[宮城県選挙区|宮城]]で候補者調整に失敗し定数2に公認1、推薦2を立てた)。[[沖縄県]]選挙区では現職で[[沖縄社会大衆党]][[委員長]]の[[島袋宗康]]を[[推薦]]し当選。同年の[[都道府県知事|沖縄県知事]]選では、[[保守]]系の[[稲嶺恵一]]を推薦し、当選した。

2020年12月23日 (水) 04:27時点における版

日本の旗 日本政党
スポーツ平和党
成立年月日 1989年6月23日届出[1]
解散年月日 2006年6月18日[2]
後継政党 無し
本部所在地
〒107-0061
東京都港区北青山三丁目5-7[3](解散時)
政治的思想・立場 スポーツの精神を政治に取り込み、全国民健康体を維持することで平和を実現する。
政治資金規正法上の政党要件は1998年7月17日に満たさなくなった[4]2004年4月1日以降は、政治資金規正法第17条第2項により、政治活動(選挙運動を含む)のために寄附を受け、または支出をすることができない団体となった[5]
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スポーツ平和党(スポーツへいわとう)は、かつて存在した日本政党。略称、スポ平(スポへい)[6]スポーツ[7]。スポーツの精神を政治に取り込み、全国民健康体を維持することで平和を実現しようとしていた政党である。

歴史

政党として

1989年プロレスラーアントニオ猪木を中心に結成。1989年参院選において、猪木が比例区参議院議員に当選[8]。ちなみに、当時の比例区は厳正拘束名簿式で、政党名票しか認められておらず、猪木の個人名を書いた無効票が大量に出た。参議院では民社党統一会派を組む(「民社党・スポーツ・国民連合」)。

1992年参院選では、1970年代南海ホークス阪神タイガースの先発投手として活躍した江本孟紀が比例区名簿第1位で出馬し[9]参議院議員に当選[10]1995年護憲新党あかつき代表で元日本社会党上田哲共同代表に迎え、「あかつき」を吸収合併し、1995年参院選に候補者を擁立(新日本プロレスのリングドクターの林督元も名簿順3位で立候補)するも[11]、全員落選、猪木のかつての付き人の高田延彦が副党首たるさわやか新党参戦[11]で票割れした事も大きかった。猪木の落選を受け、江本が自由連合に移籍[12]

1998年参院選では女子プロレスラーの堀田祐美子[6]韓国中国からの帰化人などを擁立するが全員落選。また、この選挙では独自擁立だけでなく推薦も積極的に実施していたが、定数3の選挙区で4名の候補に推薦を出す失態も起こす(他党では自民宮城で候補者調整に失敗し定数2に公認1、推薦2を立てた)。沖縄県選挙区では現職で沖縄社会大衆党委員長島袋宗康推薦し当選。同年の沖縄県知事選では、保守系の稲嶺恵一を推薦し、当選した。

非政党政治団体として

1998年7月17日政党でなくなり[4]2001年参院選では候補を立てず、沖縄選挙区で無所属(国会では社民党院内会派)の照屋寛徳を推薦したが、落選。2004年4月1日以降は、政治資金規正法第17条第2項により、政治活動(選挙運動を含む)のために寄附を受け、または支出をすることができない団体となった[5]2006年6月18日に政治団体を解散した[2]ウェブサイトを公開したが、ウェブスペース使用料が未払いであるとして、サイトに業者のアルファウイングの抗議文が掲載される事態となった。しかし、支払いのないまま強制閉鎖された模様。2001年新たな公式サイトを公開したが、こちらも2007年3月中旬に閉鎖された。

なお、猪木自身はのち2013年7月、第23回参議院議員通常選挙に比例代表区で日本維新の会から出馬し当選している。

代表者

  1. 1989年6月23日届出 - 猪木快守[1]
  2. 1989年9月28日届出 - アントニオ猪木(届出名は猪木寛至)[13]
  3. 1998年6月2日届出 - 西銘一(届出名は西銘和男)[14]
  4. 2000年12月25日届出 - 猪木快守[15]
  5. 2006年7月20日届出 - 猪木啓介[3]

党勢の推移

党勢の推移は以下のとおり[16] 。当選者に追加公認は含まず。追加公認には会派に加わった無所属を含む。

衆議院

選挙 当選/候補者定数備考
(結党時)0/-512 
第39回総選挙0/1512 

参議院

選挙 当選/候補者非改選定数備考
(結党時)0/--252 
第15回通常選挙1/100252 
第16回通常選挙1/101252 
第17回通常選挙0/31252 
第18回通常選挙0/100252 

脚注

  1. ^ a b 1989年(平成元年)9月5日自治省告示第133号「政治資金規正法の規定による政治団体の届出があったので公表する件」
  2. ^ a b 2014年(平成26年)2月26日総務省告示第47号「政治資金規正法の規定による政治団体の解散の届出があったので公表する件」
  3. ^ a b 2014年(平成26年)2月26日総務省告示第46号「政治資金規正法の規定による政治団体の届出事項の異動の届出があったので公表する件」
  4. ^ a b 1998年(平成10年)8月21日自治省告示第211号「政治資金規正法の規定により政党でなくなった旨を公表する件」
  5. ^ a b 2004年(平成16年)8月3日総務省告示第643号「政治資金規正法の規定により、政治活動のために寄附を受け、又は支出をすることができない団体となった旨を公表する件」
  6. ^ a b 1998年(平成10年)7月1日参議院比例代表選出議員選挙選挙長告示第1号「平成十年七月十二日執行の参議院比例代表選出議員選挙において、政党その他の政治団体から参議院名簿の届出があった件」
  7. ^ 1995年(平成7年)1月27日中央選挙管理会告示第1号「衆議院比例代表選出議員の選挙における政党その他の政治団体の名称、略称等について届出があった件」
  8. ^ 1989年(平成元年)7月29日中央選挙管理会告示第14号「平成元年七月二十三日執行の参議院比例代表選出議員選挙における名簿届出政党等に係る得票数、当選人の数並びに当選人の住所及び氏名に関する件」
  9. ^ 1992年(平成4年)7月14日中央選挙管理会告示第1号「平成四年七月二十六日執行の参議院比例代表選出議員の選挙において、政党その他の政治団体から名簿の届出があった件」
  10. ^ 1992年(平成4年)8月3日中央選挙管理会告示第11号「平成四年七月二十六日執行の参議院比例代表選出議員の選挙における名簿届出政党等に係る得票数、当選人の数並びに当選人の住所及び氏名に関する件」
  11. ^ a b 1995年(平成7年)7月12日参議院比例代表選出議員選挙選挙長告示第1号「平成七年七月二十三日執行の参議院比例代表選出議員の選挙において、政党その他の政治団体から参議院名簿の届出があった件」
  12. ^ 「猪木との金銭問題でもめて離党した」という説が長らく信じられていたが、SPA!2012年12月4日号 115ページで江本孟紀が明確に否定している。現在でも猪木とは「一定の交流がある」とのこと。「江本以外の全員が落選したため、猪木から無所属での議員活動をすすめられた」とのこと。無所属ののち自由連合に移籍
  13. ^ 1989年(平成元年)12月19日自治省告示第175号「政治資金規正法の規定による政治団体の届出があったので公表する件」
  14. ^ 1998年(平成10年)6月19日自治省告示第167号「政治資金規正法の規定による政治団体の届出事項の異動の届出があったので公表する件」
  15. ^ 2001年(平成13年)3月30日総務省告示第194号「政治資金規正法の規定による政治団体の届出事項の異動の届出があったので公表する件」
  16. ^ 石川真澄(一部山口二郎による加筆)『戦後政治史』2004年8月、岩波書店岩波新書ISBN 4-00-430904-2