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中部国際空港(セントレア)開港前は、武豊線は[[名鉄常滑線]]・[[名古屋臨海高速鉄道あおなみ線|西名古屋港線]]などとともに、セントレアに接続する[[空港連絡鉄道|連絡鉄道線]]の候補に挙がっていた<ref name="中日新聞1993-03-27"/><ref name="読売新聞1993-03-27"/>。検討されていたルートは、[[乙川駅]]まで武豊線を複線化するなど、全面的に改良した上で、同駅で武豊線から分岐し<ref name="中日新聞1993-03-27">『[[中日新聞]]』1993年3月27日朝刊3面「中部新空港 鉄道アクセスで4案 中経連委整備構想 道路網も広域化図る」</ref><ref name="中日新聞1995-02-16">『中日新聞』1995年2月16日朝刊1面1頁「中部新空港の鉄道アクセス 開港時は名鉄常滑線活用 愛知県が8路線調査 段階整備の方針」</ref><ref name="読売新聞1993-03-27"/>、常滑市内を経由し<ref name="読売新聞1993-03-27">『[[読売新聞]]』1993年3月27中部朝刊1面「中部新空港アクセス 13キロ延長、名古屋駅と結ぶ JR武豊線ルート構想」</ref>、直線で西進して知多半島を東西に横断し<ref name="朝日新聞1997-04-18">『[[朝日新聞]]』1997年4月18日朝刊第3社会面29面「乙川駅から西へ 新空港鉄道で半田市が周辺整備計画【名古屋】」</ref>、現在の[[中部国際空港駅]]に至る<ref name="中日新聞1993-03-27"/><ref name="中日新聞1995-02-16"/><ref name="読売新聞1993-03-27"/><ref name="朝日新聞1997-04-18"/><ref>{{PDFlink |[http://library.jsce.or.jp/jsce/open/00542/2002/07-0231.pdf#page=7| 地下空間シンポジウム論文・報告集 第7巻「空港アクセスの地下利用に関する基礎研究」]}}{{Cite journal |和書|author=[[八代浩二]]、[[田中正]]、[[粕谷太郎]] 他 |authorlink= |title=空港アクセスの地下利用に関する基礎研究 |date=2002-01 |publisher=[[土木学会]]地下空間研究委員会 |journal=地下空間シンポジウム論文・報告集 |volume=7 |issue= |naid=40005112605 |pages=236 |ref= }}</ref><ref>{{Cite web |date=1997-03-06 |url=http://www.kaigiroku.net/kensaku/cgi-bin/WWWframeNittei.exe?USR=aictoks&PWD=&A=frameNittei&XM=000100000000000&L=1&S=7&Y=%95%bd%90%ac+9%94%4e&B=255&T=0&T0=70&O=1&P1=&P2=&P3=&P=1&K=61&N=337&W1=%89%b3%90%ec&W2=%8b%f3%8d%60&W3=%95%90%96%4c%90%fc&W4=&DU=0&WDT=1 |title=平成9年第1回常滑市議会定例会会議録(第2号) |publisher=[[常滑市]][[市議会|議会]] 会議録の検索と閲覧(外部リンク) |accessdate=2017-05-06 }}</ref>、[[中部国際空港連絡鉄道橋|空港島連絡橋]]を含めて総延長約13kmのルートだった<ref name="読売新聞1993-03-27"/>。[[中部経済連合会]](中経連)の交通委員会(委員長・当時JR東海社長の[[須田 |
中部国際空港(セントレア)開港前は、武豊線は[[名鉄常滑線]]・[[名古屋臨海高速鉄道あおなみ線|西名古屋港線]]などとともに、セントレアに接続する[[空港連絡鉄道|連絡鉄道線]]の候補に挙がっていた<ref name="中日新聞1993-03-27"/><ref name="読売新聞1993-03-27"/>。検討されていたルートは、[[乙川駅]]まで武豊線を複線化するなど、全面的に改良した上で、同駅で武豊線から分岐し<ref name="中日新聞1993-03-27">『[[中日新聞]]』1993年3月27日朝刊3面「中部新空港 鉄道アクセスで4案 中経連委整備構想 道路網も広域化図る」</ref><ref name="中日新聞1995-02-16">『中日新聞』1995年2月16日朝刊1面1頁「中部新空港の鉄道アクセス 開港時は名鉄常滑線活用 愛知県が8路線調査 段階整備の方針」</ref><ref name="読売新聞1993-03-27"/>、常滑市内を経由し<ref name="読売新聞1993-03-27">『[[読売新聞]]』1993年3月27中部朝刊1面「中部新空港アクセス 13キロ延長、名古屋駅と結ぶ JR武豊線ルート構想」</ref>、直線で西進して知多半島を東西に横断し<ref name="朝日新聞1997-04-18">『[[朝日新聞]]』1997年4月18日朝刊第3社会面29面「乙川駅から西へ 新空港鉄道で半田市が周辺整備計画【名古屋】」</ref>、現在の[[中部国際空港駅]]に至る<ref name="中日新聞1993-03-27"/><ref name="中日新聞1995-02-16"/><ref name="読売新聞1993-03-27"/><ref name="朝日新聞1997-04-18"/><ref>{{PDFlink |[http://library.jsce.or.jp/jsce/open/00542/2002/07-0231.pdf#page=7| 地下空間シンポジウム論文・報告集 第7巻「空港アクセスの地下利用に関する基礎研究」]}}{{Cite journal |和書|author=[[八代浩二]]、[[田中正]]、[[粕谷太郎]] 他 |authorlink= |title=空港アクセスの地下利用に関する基礎研究 |date=2002-01 |publisher=[[土木学会]]地下空間研究委員会 |journal=地下空間シンポジウム論文・報告集 |volume=7 |issue= |naid=40005112605 |pages=236 |ref= }}</ref><ref>{{Cite web |date=1997-03-06 |url=http://www.kaigiroku.net/kensaku/cgi-bin/WWWframeNittei.exe?USR=aictoks&PWD=&A=frameNittei&XM=000100000000000&L=1&S=7&Y=%95%bd%90%ac+9%94%4e&B=255&T=0&T0=70&O=1&P1=&P2=&P3=&P=1&K=61&N=337&W1=%89%b3%90%ec&W2=%8b%f3%8d%60&W3=%95%90%96%4c%90%fc&W4=&DU=0&WDT=1 |title=平成9年第1回常滑市議会定例会会議録(第2号) |publisher=[[常滑市]][[市議会|議会]] 会議録の検索と閲覧(外部リンク) |accessdate=2017-05-06 }}</ref>、[[中部国際空港連絡鉄道橋|空港島連絡橋]]を含めて総延長約13kmのルートだった<ref name="読売新聞1993-03-27"/>。[[中部経済連合会]](中経連)の交通委員会(委員長・当時JR東海社長の[[須田寬]])が1993年3月26日、[[21世紀]]の交通網のあるべき姿として発表した提言「中部地方の交通機関相互の連携について」の中で明らかにした、新空港への鉄道・道路の交通アクセス整備構想によれば、この武豊線ルートは、常滑線ルートに次いで2番目に実現が容易とされた<ref name="中日新聞1993-03-27"/>。その上で、中経連は「名古屋と新空港間の輸送手段は高速、定時性、大量輸送力が重要であり、海外の主要空港と比較して引けを取らないような高速鉄道を少なくとも2ルート整備することが望まれる」と指摘した上で<ref name="中日新聞1993-03-27"/>、武豊線と名鉄常滑線をそれぞれ延伸して空港に乗り入れることが望ましいとされた<ref name="朝日新聞1993-03-27"/>。 |
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東海道線名古屋駅に直通運転している武豊線は、[[中央線 (名古屋地区)|中央線]]、[[関西線 (名古屋地区)|関西線]]ともスムーズに接続でき、名古屋駅に発着する在来線[[特別急行列車|特急]]「[[ひだ (列車)|ひだ]]」「[[しなの (列車)|しなの]]」「[[しらさぎ (列車)|しらさぎ]]」「[[南紀 (列車)|南紀]]」の空港までの直通運転もできることが利点とされた<ref name="朝日新聞1993-03-27">『朝日新聞』1993年3月27日朝刊第2経済面11面「JR武豊線延長など提言 中部新空港への鉄道網 中経連【名古屋】」</ref>。また、第一段階の名古屋方面 - 空港の連絡のみならず、リニア[[中央新幹線]]の開業により、[[東海道新幹線]]の線路容量に余裕で生まれた暁には<ref name="中日新聞1993-03-27"/>、第二段階として<ref name="読売新聞1993-03-27"/>、新空港 - 乙川間の新線・乙川以北の武豊線を[[三線軌条]]化し<ref name="中日新聞1993-03-27"/><ref name="読売新聞1993-03-27"/>、[[ミニ新幹線]]を導入することで、東海道新幹線名古屋駅から新空港まで、約20分の直通列車を運転することが可能と試算された<ref name="中日新聞1993-03-27"/><ref name="読売新聞1993-03-27"/><ref name="朝日新聞1993-03-27"/>。 |
東海道線名古屋駅に直通運転している武豊線は、[[中央線 (名古屋地区)|中央線]]、[[関西線 (名古屋地区)|関西線]]ともスムーズに接続でき、名古屋駅に発着する在来線[[特別急行列車|特急]]「[[ひだ (列車)|ひだ]]」「[[しなの (列車)|しなの]]」「[[しらさぎ (列車)|しらさぎ]]」「[[南紀 (列車)|南紀]]」の空港までの直通運転もできることが利点とされた<ref name="朝日新聞1993-03-27">『朝日新聞』1993年3月27日朝刊第2経済面11面「JR武豊線延長など提言 中部新空港への鉄道網 中経連【名古屋】」</ref>。また、第一段階の名古屋方面 - 空港の連絡のみならず、リニア[[中央新幹線]]の開業により、[[東海道新幹線]]の線路容量に余裕で生まれた暁には<ref name="中日新聞1993-03-27"/>、第二段階として<ref name="読売新聞1993-03-27"/>、新空港 - 乙川間の新線・乙川以北の武豊線を[[三線軌条]]化し<ref name="中日新聞1993-03-27"/><ref name="読売新聞1993-03-27"/>、[[ミニ新幹線]]を導入することで、東海道新幹線名古屋駅から新空港まで、約20分の直通列車を運転することが可能と試算された<ref name="中日新聞1993-03-27"/><ref name="読売新聞1993-03-27"/><ref name="朝日新聞1993-03-27"/>。 |
2020年12月21日 (月) 03:24時点における版
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武豊線 | |||
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基本情報 | |||
国 | 日本 | ||
所在地 | 愛知県 | ||
種類 | 普通鉄道(在来線・地方交通線) | ||
起点 | 大府駅 | ||
終点 | 武豊駅 | ||
駅数 | 10駅 | ||
電報略号 | タケセ | ||
路線記号 | |||
開業 | 1886年3月1日 | ||
所有者 |
鉄道局→鉄道庁→逓信省→鉄道作業局→帝国鉄道庁→鉄道院→鉄道省→運輸通信省→運輸省→日本国有鉄道→ 東海旅客鉄道 | ||
運営者 |
東海旅客鉄道(全線 第1種鉄道事業者) 日本貨物鉄道(大府-東成岩間 第2種鉄道事業者) | ||
使用車両 | 使用車両の節を参照 | ||
路線諸元 | |||
路線距離 | 19.3 km | ||
軌間 | 1,067 mm | ||
線路数 | 単線 | ||
電化方式 |
直流1,500 V 架空電車線方式 | ||
最高速度 | 85 km/h | ||
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停車場・施設・接続路線 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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武豊線(たけとよせん)は、愛知県大府市の大府駅から同県知多郡武豊町の武豊駅に至る、東海旅客鉄道(JR東海)の鉄道路線(地方交通線)である[1][2]。
概要
知多半島のおよそ北半分の東側を通る。
名古屋への通勤・通学路線となっているが、元来は1886年(明治19年)3月1日に中山道鉄道[3](後に東海道経由に変更され東海道本線)の建設資材を武豊港[4](衣浦港)から陸揚げし運搬するために敷設された路線である[2][5]。
JR東海の発足後はキハ75形といった新型車両の導入や運転本数の増加、2015年(平成27年)3月1日には全線が電化される[2][4](後述の「電化」の節を参照)などの輸送改善が図られた。
2008年(平成20年)度の輸送密度は約9,156人。これは地方交通線では可部線(JR西日本、約18,635人)に次いで2番目に高い数値である[6]。
大府駅の東海道本線からの分岐部は立体交差になっており、大府 - 尾張森岡間は旅客列車と貨物列車がそれぞれ別の線路を通る。前者の線路は南方貨物線計画により貨客分離を目的として建設された高架線、後者の線路は明治時代から存在する地上線[7] で、途中に1か所、愛知県道50号名古屋碧南線との踏切がある。旅客線が電化された後も貨物線は非電化のままである。
全線がIC乗車カード「TOICA」および「manaca」などのTOICAと相互利用可能なカードの利用エリアに含まれている。ただし、通常の自動改札機が設置されているのは大府駅のみで、他の駅は簡易改札機による対応であるが、後述のように2013年(平成25年)より自動改札機を設置している駅が拡大している。
半田駅以南では西方約0.5kmのところを名鉄河和線が並行しているが、乗換駅は存在しない。ただし、名鉄線で運転見合わせが生じた際に武豊線及び東海道線名古屋 - 大府間での振替輸送を[8]、武豊線または東海道線名古屋 - 大府間で運転見合わせが生じた際に名鉄線での振替輸送を行う場合がある。
ホーム有効長はそれほど長くないが、貨物列車が経由するため交換駅の有効長は長くとられている。
路線データ
- 管轄・路線距離(営業キロ):19.3km
- 軌間:1067mm[1][10]
- 駅数:10(起終点駅含む)
- 武豊線所属駅に限定した場合、起点の大府駅(東海道本線所属[11])が除外され、9駅となる。
- 複線区間:なし(全線単線[5]。大府駅付近は旅客線と貨物線が別線)
- 電化区間:全線(直流1500V、ただし大府駅付近の貨物線は非電化)
- 閉塞方式:単線自動閉塞式
- 保安装置:ATS-PT
- 最高速度:85 km/h
- 運転指令所:東海総合指令所
全線がJR東海 東海鉄道事業本部の直轄である。
歴史
東京 - 大阪間に建設される鉄道が国防上の理由から中山道経由と決定(中山道幹線)、武豊港に基地を設けてレールや機材などの建築資材を海上輸送することになり、資材運搬線として武豊駅 - 熱田駅間が1886年3月1日に開業した[5]。なお、武豊線は愛知県で初めて建設された鉄道路線である。
しかし、中山道経由では難工事が予想されることから同年7月19日に東京 - 大阪間の幹線鉄道を東海道経由に変更。大府駅以北が東海道線に組み込まれることになり、浜松駅 - 大府駅間が1888年に開業すると大府駅 - 武豊駅間が支線となった。1909年の線路名称制定で正式に武豊線と命名された[12]。
武豊線の近代化
武豊線は名古屋方面への通勤・通学に欠かせない路線とされ、利用者も多い上にJR路線網の中では最も中部国際空港(セントレア)に近接していることから、沿線住民や自治体から電化、複線化、中部国際空港への直接乗り入れ等近代化の要望[13] が根強く挙がっており、「武豊線近代化促進期成同盟」が半田市を中心に結成されている。
電化
このうち、電化に関しては、2010年3月18日のJR東海定例社長会見において、武豊線全線の電化工事が発表された[14]。2010年3月から工事が開始され[14]、2015年3月1日に電化開業した[2][4]。
東海道線などとの車両の共通化を行い、効率的な車両運用を行うことを目的として、電化開業と同時に313系電車が28両[注釈 1] 投入され、電化前に使用していたキハ25形とキハ75形は高山本線や太多線に転属した[14][15][16]。
なお、これにより愛知県内すべてのJRの旅客線が電化されたことになり、県内の旅客鉄道線で電化されていないのは子会社の東海交通事業が運営している城北線のみとなった。
集中旅客サービスシステムの導入
また、多くの駅が無人駅もしくは駅員が終日いる訳ではなく、このことに対しても改善を求める声がある。そんな中でJR東海は2013年10月1日から緒川駅・東浦駅・亀崎駅・乙川駅・東成岩駅・武豊駅に自動改札機と自動券売機を整備し、同時に「集中旅客サービスシステム」を導入した。これらの駅については遠隔案内による一括管理を行い、併せて駅業務体制を見直すとしている[17][18]。このシステム導入により、有人駅であった緒川駅・東浦駅・亀崎駅・武豊駅に関しては無人化された(乙川駅・東成岩駅はすでに終日無人駅)。無人化されたことで、自動券売機にて近距離乗車券の購入やICカードのチャージは終日できるようになったものの、JR全線きっぷうりばが閉鎖されたため、定期券・長距離乗車券・特急券・企画乗車券等の購入は大府駅と半田駅を除いてできなくなった[19]。
ワンマン列車では未導入の尾張森岡駅と石浜駅を除く無人駅でもホーム側の全てのドアが開く。
中部国際空港アクセス計画
中部国際空港(セントレア)開港前は、武豊線は名鉄常滑線・西名古屋港線などとともに、セントレアに接続する連絡鉄道線の候補に挙がっていた[20][21]。検討されていたルートは、乙川駅まで武豊線を複線化するなど、全面的に改良した上で、同駅で武豊線から分岐し[20][22][21]、常滑市内を経由し[21]、直線で西進して知多半島を東西に横断し[23]、現在の中部国際空港駅に至る[20][22][21][23][24][25]、空港島連絡橋を含めて総延長約13kmのルートだった[21]。中部経済連合会(中経連)の交通委員会(委員長・当時JR東海社長の須田寬)が1993年3月26日、21世紀の交通網のあるべき姿として発表した提言「中部地方の交通機関相互の連携について」の中で明らかにした、新空港への鉄道・道路の交通アクセス整備構想によれば、この武豊線ルートは、常滑線ルートに次いで2番目に実現が容易とされた[20]。その上で、中経連は「名古屋と新空港間の輸送手段は高速、定時性、大量輸送力が重要であり、海外の主要空港と比較して引けを取らないような高速鉄道を少なくとも2ルート整備することが望まれる」と指摘した上で[20]、武豊線と名鉄常滑線をそれぞれ延伸して空港に乗り入れることが望ましいとされた[26]。
東海道線名古屋駅に直通運転している武豊線は、中央線、関西線ともスムーズに接続でき、名古屋駅に発着する在来線特急「ひだ」「しなの」「しらさぎ」「南紀」の空港までの直通運転もできることが利点とされた[26]。また、第一段階の名古屋方面 - 空港の連絡のみならず、リニア中央新幹線の開業により、東海道新幹線の線路容量に余裕で生まれた暁には[20]、第二段階として[21]、新空港 - 乙川間の新線・乙川以北の武豊線を三線軌条化し[20][21]、ミニ新幹線を導入することで、東海道新幹線名古屋駅から新空港まで、約20分の直通列車を運転することが可能と試算された[20][21][26]。
さらに、2005年日本国際博覧会(愛知万博)が実現した場合、新空港から会場へのアクセスルートとして[21]、三重新幹線構想とともにミニ新幹線で武豊線乙川駅 - 東海道新幹線三河安城駅 - 愛知環状鉄道線を接続する鉄道新線を建設する構想も浮上していた[21]。東京方面へミニ新幹線を直通運転した場合、東京駅まで約1時間45分 - 2時間、新大阪駅まで約1時間15分で結べると試算された[20]。これらのミニ新幹線を利用して新空港にアクセスした場合、京都駅や静岡駅からの乗客は、それぞれ関西国際空港(翌1994年開港)や成田国際空港(当時・新東京国際空港)に行くより速く、ともに約1時間(京都から関空までより約25分、静岡から成田より約55分短い)で新空港にアクセスできるとされた[26][21]。
しかし、愛知県が1995年2月15日に鉄道アクセスで検討された8ルートの距離・所要時間・建設費を算定して空港関連地域整備と交通アクセスの調査結果をまとめた際には「2005年の開港時点では名鉄常滑線を活用し、長期的にはJR名古屋駅や豊田市、岡崎市からの鉄道アクセス新設を目指す」構想を示した[22]。その際調査された8ルートは上から順に実現が容易とされ、いずれも地方自治体や経済団体から提案された構想による[22]。
- 名鉄常滑線を改良し新空港に延伸する[22]
- JR武豊線を乙川駅から分岐させ空港方面に延伸する[22]
- 西名古屋港線を金城ふ頭経由で海底トンネルもしくは海上橋で延伸する[22]
- 名古屋臨海鉄道東港線・南港線を延伸する[22]
- HSSTなどの新線[22]
- 愛知環状鉄道線の新豊田駅を起点に三河上郷駅付近で分岐し、JR三河安城駅を経由して武豊線に接続し、2.のルートと接続する[22]
- 愛知環状鉄道線を岡崎駅より延伸し、西三河南部を経由して武豊線に接続し、2.のルートと接続する[22]
- 愛知環状鉄道線新豊田駅を起点に、新上挙母駅付近で名鉄三河線に入り、知立駅・刈谷駅経由で武豊線に接続し、2.のルートと接続する[22]
この際の調査結果では、高架化などの改良で済む1.の常滑線ルートは、新空港への連絡橋部分を除き約200億円の建設費で済むのに対し、武豊線など他の7ルートは鉄道建設用地の買収や複線化・電化などが必要なため、いずれも1,000億円以上で、最高で3,500億円もかかるものもあることがわかった[22]。このため「開港までに整備するもの」と「開港後、空港利用差の増加などに合わせて整備するもの」など段階的な整備が必要とされ[22]、結局2005年2月17日の開港までには常滑線の延伸のみが名鉄空港線として実現した。
一方で、武豊線の空港延伸は実現せず、開港から10年以上が過ぎた2019年現在も具体的な動きはない。 武豊線ルートは、新たに敷設する区間が約11kmと[27]、名鉄常滑線ルートに比べて長いほか、構想が浮上した1990年代当時は全線が単線非電化だった(前述のように全線が電化されたのは2015年)上、最高速度も85km/hと遅く、最大で20m車両6両編成までしか入線できないなど輸送力が小さかった。そのため、乙川駅以北の既存区間の複線化・電化・高速化・ホーム延長などの輸送力増強による全面改良が必要となり[27]、それを含めた総事業費が約1,000億円 - 1300億円と多額に上るとされた[22][27]。
常滑線・武豊線ルートに次ぐ有力な3案の一つだった西名古屋港線ルートも約900億円の投資による金城ふ頭駅までの延伸・旅客化は決まっていたが、金城ふ頭からさらに約22kmの延伸が必要となり、空港まで海底トンネルや海上橋で新線を建設すると[26]、その事業費はさらに2000億円以上がかかることから、中経連も1993年の提言では「名古屋から新空港へは最短距離だがトンネルなどの建設が課題」と消極的であり[26]、空港乗り入れは白紙となっていた[27]。
武豊線ルート・西名古屋港線ルートの2案はいずれもJR東海が運営主体となることが想定されていたが、JR東海は採算性という現実を前に「単独事業での乗り入れは難しい」と慎重な姿勢を崩しておらず、社長の葛西敬之は「協力する用意はあるが、採算を度外視したレベルにまで踏み込むことはできない」と難色を示していた[27]。JR東海は武豊線の延伸案については「地元自治体の愛知県・半田市・常滑市などが線路を建設してくれれば、運用は担当する」という姿勢だったが、一方で開港時点での乗り入れが確実視され、既に「新名古屋駅(現・名鉄名古屋駅)から30分以内で空港へ」を目標に常滑線の曲線改良工事などに自前で着手していた名鉄は「うちは自前で線路を引いたのに、(JR東海が)他人に任せて利益だけ上げるのは筋が通らない」と反発した[27]。
年表
- 1886年(明治19年)3月1日:武豊駅 - 熱田駅間が開業[3][5][10][28]。開業当初の通称は半田線。現在の武豊線にあたる区間に緒川駅(初代)・亀崎駅・半田駅・武豊駅が開業[10]。
- 1887年(明治20年)9月10日:緒川駅(初代)廃止[10][29]。大府駅開業[10][29]。
- 1888年(明治21年)9月1日:東海道線浜松駅 - 大府駅間が開業し[28]、大府駅 - 武豊駅間(12M53C18L≒20.38 km)は東海道線の支線となる。
- 1889年(明治22年)7月6日:営業距離の単位をマイル・チェーンのみに簡略化(12M53C18L→12M54C)。
- 1891年(明治23年)
- 1892年(明治25年)6月1日:武豊駅が現在地に移転[10]、53C(≒1.07 km)短縮。
- 1895年(明治28年)4月1日:線路名称制定により東海道線の一部となる。
- 1896年(明治29年)4月:東海道線の旅客急増のため大府-武豊間全列車を客車代用貨車で運行(終了時期不明)[31][32]
- 1900年(明治33年)3月1日:緒川駅(2代目)開業[10]。
- 1902年(明治35年)11月12日:営業距離の単位をマイルのみに簡略化(12M1C→12.0M)。
- 1909年(明治42年)10月12日:国有鉄道線路名称制定。大府駅 - 武豊駅間を武豊線とする[12]。
- 1915年(大正4年)2月15日:武豊駅構内扱いで武豊港まで路線を延伸[5]。
- 1916年(大正5年)4月1日:武豊駅 - 武豊港間廃止[5]。
- 1930年(昭和5年)4月1日:営業距離の単位をマイルからメートルに変更[33](大府駅 - 武豊駅間 12M→19.3 km)。貨物支線 武豊駅 - 武豊港駅間 (1.0 km) が正式に開業[5][10][34]。旧武豊駅の場所付近に武豊港駅開業[10]。
- 1933年(昭和8年)
- 1934年(昭和9年)8月22日:藤江駅開業[10][38]。
- 1942年(昭和17年)3月31日:東成岩駅休止。
- 1944年(昭和19年):気動車運転廃止。
- 1955年(昭和30年)10月14日:一部の旅客列車で気動車運転開始[41]。
- 1957年(昭和32年)4月15日:尾張森岡駅再開[10]。石浜駅開業[10]。
- 1958年(昭和33年)9月20日:全旅客列車を気動車化[42]。
- 1965年(昭和40年)8月20日:貨物支線 武豊駅 - 武豊港駅間 (1.0 km) が廃止[5][10]。武豊港駅廃止[5][10]。
- 1970年(昭和45年)6月30日:この日限りで蒸気機関車 (SL) の運転を終える[5]。最終列車を牽引したC11 265は、乙川駅に隣接する半田市民ホールに静態保存された(2006年に半田市鉄道資料館に移転)。
- 1984年(昭和59年)
- 1987年(昭和62年)4月1日:国鉄分割民営化により東海旅客鉄道が承継。日本貨物鉄道が大府駅 - 東成岩駅間の第二種鉄道事業者となる。
- 1990年(平成2年)3月10日:東海道本線名古屋駅との直通列車を普通列車から快速列車(武豊線内各駅停車、東海道本線内金山駅のみに停車)に変更[44]。
- 1992年(平成4年)10月12日:ワンマン運転開始[45][46]。
- 1999年(平成11年)
- 2001年(平成13年)2月11日:列車集中制御装置 (CTC) 導入[49]。
- 2006年(平成18年)11月25日:全駅にTOICA導入。
- 2011年(平成23年)3月1日:キハ25形運用開始[50]。
- 2013年(平成25年)10月1日:線内6駅に「集中旅客サービスシステム」導入、同時に無人化。大府駅および半田駅以外の駅はすべて無人駅となる[17][19]。
- 2015年(平成27年)
- 2018年(平成30年)
- 2026年(令和8年)度 - 半田駅付近が高架化される予定[55]。
- 2027年(令和9年)度 - 半田駅付近連続立体交差事業完了予定[55]。
運行形態
旅客列車
武豊線は大府駅が起点であるが、歴史的経緯により終点の武豊発が下り、武豊行きが上りとして扱われている。ただし、JR東海の公式サイトの各駅時刻表のリンクでは、武豊発の方が「上り」と記載されている。
2018年3月改正時点のダイヤでは日中時間帯は大府駅 - 武豊駅間のみの線内折り返し運行で、1時間に2本(約30分間隔だが、土休日午前中に40 - 50分間隔となる時間帯もある)運行されている[56]。朝と夕方以降には東海道線 名古屋駅直通列車が設定されており、15 - 30分間隔で運行されている。名古屋駅直通列車の大半が区間快速(武豊線内は各駅停車。列車によっては武豊線内はワンマン運転となり、列車番号の末尾も「F」から「G」となる)で運行されているが、東海道線内も各駅に停車する普通列車も毎日夜間の名古屋・岐阜方面行きと平日朝の武豊行きが2本ずつ設定されている[56]。
日中や始発・最終列車など列車番号の末尾が「G」の列車は線内折り返しでワンマン運転を実施している。国鉄時代から分割民営化当初は水曜日と木曜日に運休する列車があったが、現在は解消されている。
武豊線を走る313系電車は、ワンマン運転の場合2両編成、区間快速でも4両編成である。また、311系電車による運用もあるが、ワンマンではない4両編成で運用する。
区間快速は、1990年3月10日のダイヤ改正時に名古屋駅 - 大府駅間は金山駅のみに停車する快速として設定された[44]。これは元々気動車列車ゆえに加減速性能が電車に比べて悪かったため、東海道線内の電車の運行の妨げにならないように停車駅を減らして加減速回数を少なくするための措置であったが、使用車両に比較的高性能なタイプ(キハ75形)が投入された1999年12月4日の改正で東海道線に大府駅通過の特別快速が設定された代替として、金山駅・大府駅に加えて共和駅にも停車する区間快速となった[48]。
電化後の2015年3月14日ダイヤ改正で、朝・深夜には名古屋駅を越えて岐阜方面への直通列車が設定された(平日は大垣発1本、岐阜行き3本。土休日は岐阜行き2本[57])。土曜日・休日には朝に1本のみ、武豊線内を通過運転をする名古屋行きの快速があったが(武豊線内・武豊駅 - 大府駅間の途中停車駅は、東成岩駅・半田駅・亀崎駅・東浦駅)[57]、2018年3月17日のダイヤ改正で区間快速に変更され、武豊線内で通過運転を行う列車はなくなった[54][56]。
貨物列車
衣浦臨海鉄道半田線が接続する東成岩駅と大府駅を結ぶ高速貨物列車2往復、大府駅から碧南線が接続する東浦駅へ向かう専用貨物列車1本、東浦駅から大府駅へ向かう専用貨物列車2本、合計5本の貨物列車が運行されている。武豊線内に貨物を取り扱う駅は存在しない。
列車は日本貨物鉄道(JR貨物)の第二種鉄道事業区間を走行するが、同社保有の機関車ではなく衣浦臨海鉄道のKE65形ディーゼル機関車が列車を牽引する。直通先の衣浦臨海鉄道が非電化のため、電気機関車は乗り入れない。東成岩駅構内にある機回し線もディーゼル機関車しか使わないため非電化のままである。
牽引される貨車は、高速貨物列車がコキ104形および106形など、専用貨物列車がホキ1000形である。このほかにも、半田線の半田埠頭駅へ送られる廃車予定の貨車が連結されることがある。
半田線・碧南線共にタブレット閉塞を導入しており、境界駅の東成岩駅と東浦駅では衣浦臨海鉄道の係員がホームに立ち、通過中の貨物列車と通票の受け渡しを行っている。東成岩駅ではスイッチバック(折り返し)を行う関係で、上り下り共に駅南側にある機回し線に進入する列車に対して受け渡しを行う。
使用車両
現在は電化路線であるため、旅客列車については電車を使用している。
- 311系 - 4両編成。大垣車両区所属。
- 313系 - 2両または4両編成。大垣車両区に所属する0番台・300番台・1100番台・3000番台のほか、ワンマン運転対応である神領車両区所属の1300番台も使用される。
- 211系 - 基本的には当線の運用に就かないが、2017年10月7日・8日に半田市のはんだ山車まつりの多客対応ための臨時列車に神領車両区の5000番台4両が2編成運用された[58]。
過去の車両
1958年の全旅客列車気動車化以降のもの。以下はすべて気動車である。気動車は名古屋車両区所属の車両を使用していた。
- キハ17形[5]
- キハ55・26形
- キハ35・30形[5] - 国鉄時代後半に使用。主に3両編成で一部は4両編成。1986年にキハ58系に交代。
- キハ58・28形[59]、キハ65形[59] - 国鉄末期からJR初期にかけて、キハ35系の老朽化と冷房化促進のため同系を置き換えて使用された。2両または4両編成が基本だったが、6両編成や急行「のりくら」の間合い運用でグリーン車連結の9両編成もあった。1991年より順次キハ40系に交代した。
- キハ40・47・48形[59] - 1991年よりキハ58系を置き換え、1999年まで使用された。2両または4両編成。一部列車はワンマン運転。
- キハ75形[47] - キハ40・47・48形を置き換え、2015年まで使用された。2両または4両編成。一部列車はワンマン運転。
- キハ25形[50] - 2011年よりキハ75形の一部を置き換え、2015年まで使用された。2両または4両編成。一部列車はワンマン運転。
駅一覧
駅番号 | 駅名 | 駅間営業キロ | 累計営業キロ | 接続路線 | 線路 | 所在地 | |
---|---|---|---|---|---|---|---|
CE00 | 大府駅* | - | 0.0 | 東海旅客鉄道: 東海道本線〈名古屋駅まで直通あり[* 1]〉(CA60) | ∨ | 大府市 | |
CE01 | 尾張森岡駅 | 1.7 | 1.7 | | | 知多郡東浦町 | ||
CE02 | 緒川駅 | 1.4 | 3.1 | ◇ | |||
CE03 | 石浜駅 | 1.5 | 4.6 | ◇ | |||
CE04 | 東浦駅 | 2.2 | 6.8 | 衣浦臨海鉄道:碧南線(貨物線) | ◇ | ||
CE05 | 亀崎駅 | 3.4 | 10.2 | ◇ | 半田市 | ||
CE06 | 乙川駅 | 2.6 | 12.8 | ◇ | |||
CE07 | 半田駅* | 1.8 | 14.6 | ◇ | |||
CE08 | 東成岩駅 | 1.7 | 16.3 | 衣浦臨海鉄道:半田線(貨物線) | ◇ | ||
CE09 | 武豊駅 | 3.0 | 19.3 | | | 知多郡武豊町 |
線内の直営駅は大府駅のみで、武豊線のすべての駅を管理している。半田駅は東海交通事業による業務委託駅である。
廃止区間
1965年廃止。( ) 内は武豊駅からの営業キロ。
武豊駅 (0.0 km) - 武豊港駅 (1.0 km)
廃駅
廃止区間の駅は前節参照。( ) 内は大府駅からの営業キロ。
- 尾張生路駅:石浜駅 - 東浦駅間 (6.0 km)
- 藤江駅:東浦駅 - 亀崎駅間 (7.2 km)
脚注
注釈
出典
- ^ a b c 国土交通省鉄道局監修『鉄道要覧』平成18年度版、電気車研究会・鉄道図書刊行会、p.37
- ^ a b c d e 黒尾透 (2015年3月2日). “JR武豊線:開業129年、電化 大府駅で出発式”. 毎日新聞 (毎日新聞社) 2016年2月1日閲覧。[リンク切れ]
- ^ a b 『日本鉄道史. 上篇』、鉄道省、1921年、p.481
- ^ a b c “大府駅で出発式、最初の電車見送る JR武豊線電化”. 中日新聞 (中日新聞社). (2015年3月2日). オリジナルの2015年3月26日時点におけるアーカイブ。 2016年2月1日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i j k l 徳田耕一『まるごと 名古屋の電車 昭和ロマン』河出書房新社、2008年、pp.42-43
- ^ 沿線人口が鉄道の輸送量に及ぼす影響と各路線の集客能力の指標 (PDF) p.4 - 高知工科大学工学部社会システム工学科 三好佑治
- ^ 祖田圭介「国鉄 - JR東海 名古屋圏の線路配線の興味」『鉄道ピクトリアル』第689号、電気車研究会、2000年8月、45頁。
- ^ JR東海 [@JRC_Taketoyo] (2019年12月12日). "お知らせ". X(旧Twitter)より2020年1月23日閲覧。
- ^ 国土交通省鉄道局監修『鉄道要覧』平成18年度版、電気車研究会・鉄道図書刊行会、p.61
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- ^ 『停車場変遷大事典 国鉄・JR編』JTB 1998年
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- ^ a b c 武豊線の電化について - 東海旅客鉄道ニュースリリース 2010年3月18日
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- ^ a b 『JTB時刻表』2015年7月号、JTBパブリッシング、pp.258-261
- ^ 211系が武豊線に入線 鉄道ファン・railf.jp 鉄道ニュース、2017年10月9日
- ^ a b c 『JR気動車客車編成表』'96年版、ジェー・アール・アール、1996年、p.67
関連項目
- 日本の鉄道路線一覧
- 半田市鉄道資料館 - 武豊線に関する鉄道資料を展示。
- 田中要次(俳優) - JR東海社員時代に武豊線の保線を担当。
- 江差線 - 武豊線と同じく列車番号の付け方(奇数・偶数)が一般的な基準と異なる路線(この特徴は道南いさりび鉄道管轄となった現在も引き継がれている)。