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2020年12月13日 (日) 17:47時点における版
穂波 半太郎(ほなみ はんたろう、1847年? - 1876年(明治9年)10月27日)は、幕末の福岡藩士。明治時代初期の巡査。秋月の乱で暴徒鎮圧に赴いて殺害された、殉職警察官の第一号である。
略伝
幕末には筑前勤王党に属していて、明治4年撮影の写真が残っている。
秋月の乱に際し現場に派遣され、出陣の様子を偵察していた所を、反乱軍に発見され捕らえられた。明元寺(朝倉市千手)の隊列の前に引き出され、後ろ手に捕縛されひざまづかされる。首領の今村百太郎に佐賀の乱で福岡藩士が江藤新平討伐に向かった事などを詰問され、同志なるが故協議のために来たと弁明するが、今村は刀を抜き、穂波が「しばらく、しばらく」と逃げようとしたところを斬殺された。29歳。
「首の皮一枚で垂れ下がった頭をゆらせながら穂波の遺体が2,3メートル歩いて倒れた」との目撃証言が明元寺に伝わる。
穂波を斬ったのは今村の弟・宮崎哲之助ともされる。今村はのちの供述では、「一刀斬りつけ候処、逃げ出さんとするを壮年兵士ら数人にて惨殺した」と述べている。
穂波は秋月藩内の対立で暗殺された臼井亘理の妻・清子の甥にあたり、今村百太郎は亘理暗殺者側であった。