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;打撃記録
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* 初安打:2015年8月8日、対東京ヤクルトスワローズ18回戦(ナゴヤドーム)、2回裏に[[新垣渚]]から投手内野安打
* 初安打:2015年8月8日、対東京ヤクルトスワローズ18回戦(ナゴヤドーム)、2回裏に[[新垣渚]]から投手内野安打
* 初打点:2015年10月7日、対[[広島東洋カープ]]25回戦([[MAZDA Zoom-Zoom スタジアム広島]])、8回表に[[中翔太]]から右前適時打
* 初打点:2015年10月7日、対[[広島東洋カープ]]25回戦([[MAZDA Zoom-Zoom スタジアム広島]])、8回表に[[中翔太]]から右前適時打


=== 独立リーグでの投手成績 ===
=== 独立リーグでの投手成績 ===

2020年12月9日 (水) 02:20時点における版

若松 駿太
中日時代
(2014年9月30日 ナゴヤ球場にて)
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 福岡県久留米市
生年月日 (1995-02-28) 1995年2月28日(29歳)
身長
体重
180 cm
75 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 投手
プロ入り 2012年 ドラフト7位
初出場 NPB / 2014年4月3日
BCL / 2019年4月7日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

若松 駿太(わかまつ しゅんた、1995年2月28日 - )は、福岡県久留米市出身のプロ野球選手投手)。右投右打。

経歴

プロ入り前

ソフトボールでのプレー経験がある実父の影響[1]で、小学校4年時から野球を始める。筑邦西中学校時代は久留米ペトリオッズに所属。3年時にジャイアンツカップへ出場した[2]

祐誠高等学校への進学後には、2年時の秋からエースの座を確保したが、春夏とも阪神甲子園球場での全国大会へ出場できなかった。3年時にも、夏の選手権福岡大会2回戦で敗れた。しかし、NPBの球団で唯一、中日ドラゴンズプロ野球ドラフト会議の指名に必要な調査書を送付[3]2012年のドラフト会議7巡目で、中日から実際に指名された[4]。この年の会議で支配下登録選手としてNPB全12球団から指名された選手では最後の指名であったが、若松本人は「(続いて開かれた育成ドラフト会議で)育成選手として指名されるだけでも良い」と思っていたとのことで、中日から支配下登録選手として指名された瞬間に涙を流したという[5]。結局、契約金1,800万円、年俸540万円(金額は推定)という条件で中日に入団した。担当スカウトは渡辺麿史で、背番号は61

中日時代

2013年には、ウエスタン・リーグ公式戦20試合に登板。通算投球イニングは43回で、3勝2敗、防御率3.98という成績を残したが、一軍公式戦への登板機会はなかった。しかし、シーズン終了後の秋季キャンプ中に紅白戦で好投したことから、当時の一軍監督・谷繁元信から監督賞を贈られた[5]

2014年には、公式戦開幕直後の4月3日に、京セラドーム大阪の対阪神タイガース戦で救援投手として一軍公式戦にデビュー。同月10日の対東京ヤクルトスワローズ戦(ナゴヤドーム)で初めて先発するなど、一軍公式戦全体では、2度の先発を含む7試合に登板した。シーズン終了後に参加したフェニックスリーグでは、10月25日にひむかスタジアムの対読売ジャイアンツ(巨人)戦に先発すると、被安打5、奪三振10という内容で完封勝利をマーク。リーグ戦全体でも、通算5試合の登板で、投球イニング25回をすべて自責点0で凌いだ。さらに、リーグ終了後の秋季キャンプでは、強化指定選手に選ばれた。

2015年には、4月18日の対広島東洋カープ戦(マツダスタジアム)に、先発投手として登板。一軍公式戦でのシーズン初登板で、白星は付かなかったが、6回を自責点1で凌いだ[6]。後に救援での登板や二軍調整を経験したが、6月2日の対埼玉西武ライオンズ戦(ナゴヤドーム)でシーズン5試合目の先発登板を果たすと、6回無失点という内容で一軍公式戦での初勝利を挙げた(詳細後述)。8月には、自身初の完封勝利を含む4勝を挙げたことから、セ・リーグ月間MVP(投手)に選出。シーズン通算では、同リーグの最終規定投球回(143イニング)にわずか3イニング足りなかったものの、一軍公式戦でチームメートの大野雄大に続く10勝[7]を挙げた。ほぼ1年間一軍の先発ローテーションを守りながら防御率2.12という好成績を残したことも背景に、シーズン終了後の契約交渉では、推定年俸3,600万円で契約を更改[8]。前年の年俸が推定550万円だったことから、昇給率はおよそ555%で、中日の投手としては歴代最大とされた[9]

2016年には、一軍公式戦の開幕から先発ローテーションに入ったが、8月上旬から9月中旬まで二軍で調整。9月末に中継ぎ要員として一軍に復帰すると、チームトップに並ぶ7勝を記録した。もっとも、防御率は4.06で、8敗を喫している。

2017年にも、一軍公式戦の開幕から、先発陣の一角を任された。しかし、シーズン初登板から4試合で3敗を喫したため、4月下旬に出場選手登録を抹消。抹消中には一時、実戦を離れて、春季キャンプばりの走り込みに専念していた[10]。8月上旬に一軍へ復帰すると、3試合の先発登板で2連勝を記録したが、シーズン通算では7試合の登板で1勝4敗という成績にとどまった。

2018年には、右肩を痛めた影響で一軍公式戦での登板がなく、ウエスタン・リーグ公式戦でも5試合の登板で1勝1敗、防御率6.04と振るわなかった。シーズン最終盤の10月1日に球団から戦力外通告を受けた[11]が、NPB他球団での現役続行を希望していたことから、11月13日には12球団合同トライアウトへ参加。シートバッティング形式で対戦した3人の打者をすべて凡退させた[12]。12月2日付で、NPBから自由契約選手として公示[13]

BCリーグ・栃木時代

2018年12月6日に、ベースボール・チャレンジ・リーグ(BCリーグ)栃木ゴールデンブレーブスへ入団することが発表された[14]2019年は先発で13勝をあげ、チームの初優勝に大きく貢献。リーグの後期ならびにシーズンMVPに選出された[15][16]

シーズン終了後の11月12日に2年連続で12球団合同トライアウトへ参加。シートバッティング形式で打者3人と対戦し、1四球無安打の投球で、直球は最速134km/hを記録した[17]

野球外では、2019年6月16日に1歳年下の一般女性と入籍したことを発表した。2019年12月25日、栃木ゴールデンブレーブスは若松と2020年の契約に合意したと発表した[18]

2020年10月28日に栃木を退団した[19]

選手としての特徴

オーバースローから、最速143km/hのストレートを軸に、中日へ入団してから取得したチェンジアップ、緩いカーブスライダーフォークを操る[2][20]

若松と同じ年齢の高卒投手に、大谷翔平藤浪晋太郎がいる。2013年に高校から直接NPBの球団へ入った投手のうち、若松が中日を退団する2018年までにNPBの一軍公式戦でシーズン2桁勝利を記録したのは、若松、大谷、藤浪の3人だけである[1]

人物

本人曰く、実家は「田んぼに囲まれていました」とのことで、最寄りのコンビニエンスストアまでは約2kmあるという[3]。自宅から高校まで10kmの距離を毎日、自転車で通学したため自然と下半身が鍛えられたと語っている[2]

高校時代には、土木科に所属。小型車両系建設機械の資格を所得しているため、3tまでの重機を操ることが出来る[2][3]

左頬にアザがあるが、本人曰く「バレンティンさんと同じ」と気に入っている[3]

中日へ入団した時の担当スカウトだった渡辺を、「高校球界で無名だった頃から自分を見てくれていた恩人」と慕っている。若松と同じ九州(大分県)の出身で、現役時代に若松と同じ右投手だった渡辺は、高校時代から若松に興味を示していた数少ないNPB関係者の1人だった。しかし、入団2年目で迎えた春季キャンプの初日(2014年2月1日)に、急性白血病のため、渡辺は57歳で永眠した。若松が翌2015年に一軍公式戦で初勝利を挙げた際には、試合後のヒーローインタビューで、目を潤ませながら渡辺への感謝の気持ちを述べた。ちなみに、この試合のウイニングボールは、渡辺の遺影の前に飾られたという[5]

中日から2018年に戦力外通告を受けた直後には、中日時代の思い出として、2015年に一軍公式戦で2桁勝利を挙げたことよりも「(この年のシーズン終盤に相次いで開かれた公式戦における)谷繁、朝倉健太山本昌[21]の引退試合に登板して良い投球ができたこと」を挙げていた[22]。その一方で、戦力外通告の直後から栃木への入団が決まるまでは、『バース・デイ』(TBSテレビ)のスタッフが若松と実父に密着取材。同局では2019年1月19日に、その模様が放送された[1]

詳細情報

年度別投手成績





















































W
H
I
P
2014 中日 7 2 0 0 0 0 1 0 0 .000 72 16.1 19 0 6 0 0 5 1 0 13 9 4.96 1.53
2015 23 20 2 1 0 10 4 0 0 .714 575 140.0 111 10 50 0 2 113 3 0 35 33 2.12 1.15
2016 19 18 3 0 1 7 8 0 1 .467 497 115.1 127 10 37 0 0 85 3 0 55 52 4.06 1.42
2017 7 7 0 0 0 1 4 0 0 .200 162 35.2 49 4 11 0 1 16 1 0 25 22 5.55 1.68
NPB:4年 56 47 5 1 1 18 17 0 1 .514 1306 307.1 306 24 104 0 3 219 8 0 128 116 3.40 1.33
  • 2019年度シーズン終了時

年度別守備成績



投手












2014 中日 7 1 2 0 0 1.000
2015 23 7 28 2 6 .946
2016 19 12 12 0 2 1.000
2017 7 2 9 0 2 1.000
通算 56 22 51 2 10 .973
  • 2019年度シーズン終了時

表彰

  • 月間MVP:1回(投手部門:2015年8月)

記録

投手記録
打撃記録

独立リーグでの投手成績










































W
H
I
P
2019 栃木 21 3 13 5 0 .722 526 128.0 104 6 50 3 93 4 0 43 36 2.53 1.20
2020 10 0 3 1 0 .750 186 47.0 41 2 11 0 45 1 0 14 10 1.91 1.11
通算:2年 31 3 16 6 0 .727 712 175.0 145 8 61 3 138 5 0 57 46 2.22 1.16
  • 2020年度シーズン終了時

背番号

  • 61 (2013年 - )

テーマ曲

  • 「Run this way feat. MEGAHORN」BANTY FOOT(2015年 - )

脚注

  1. ^ a b c 20歳での2桁勝利からわずか3年で戦力外…自慢の息子が泣いた「ごめん親父」”. スポーツニッポン (2019年1月19日). 2013年3月14日閲覧。
  2. ^ a b c d 中日7位・若松駿太投手 大自然が育んだ素直さと下半身”. スポニチ Sponichi Annex (2013年1月13日). 2013年3月14日閲覧。
  3. ^ a b c d 中日1年目右腕若松が「監督賞第1号」”. 日刊スポーツ (2013年11月13日). 2013年11月14日閲覧。
  4. ^ ドラフト会議速報 Vol.7”. 中日ドラゴンズ (2012年10月25日). 2013年3月14日閲覧。
  5. ^ a b c 低迷する竜に現れた新エース! 中日・若松の球歴とは?”. BASEBALL KING (2015年9月8日). 2019年1月21日閲覧。
  6. ^ その日の広島の黒田博樹と打者として対戦したことで彼の投球から多くを学んだという。東スポ「あの試合で打席にも立って黒田さんの球を感じたことはいろいろ財産になった。真っすぐでも動いていたし、全球種が低めに集まっていた。これが僕に求められている投球だと思った。」
  7. ^ 中日若松10勝「引退試合に投げさせてもらった」 - 日刊スポーツ(2015年10月8日11時51分 紙面から)
  8. ^ 中日・若松 ビックリ555%アップ!3600万円で更改、今季初の10勝”. スポーツニッポン (2015年11月21日). 2019年1月21日閲覧。
  9. ^ 中日・若松555%増「本当にいいの」”. デイリースポーツ (2015年11月22日). 2019年1月21日閲覧。
  10. ^ 【中日好き】若松駿太、ようやく始まる”. J SPORTS (2017年8月15日). 2019年1月21日閲覧。
  11. ^ 中日ドラゴンズ 公式サイト - ドラゴンズニュース 来季の契約について”. 中日ドラゴンズ. 2018年10月1日閲覧。
  12. ^ “48人が参加 プロ野球合同トライアウト/詳細”. 日刊スポーツ. (2018年11月13日). https://www.nikkansports.com/baseball/news/201811120000147.html 2019年1月21日閲覧。 
  13. ^ “2018年度自由契約選手”. NPB日本野球機構. (2019年1月8日). http://npb.jp/announcement/2018/pn_released.html 2019年1月19日閲覧。 
  14. ^ 新入団選手のお知らせ - 栃木ゴールデンブレーブスオフィシャルサイト(2018年12月6日)
  15. ^ あしたのチーム presents 後期MVP決定のお知らせ - ベースボール・チャレンジ・リーグ(2019年10月25日)
  16. ^ あしたのチーム presents シーズンMVP・ベストナイン・最優秀審判員決定のお知らせ - ベースボール・チャレンジ・リーグ(2019年10月31日)
  17. ^ “【トライアウト】元中日若松が打者3人に1四球無安打投球 「去年とは違う真っ直ぐをみせられた」”. Full-Count. (2019年11月12日). https://full-count.jp/2019/11/12/post602690/ 2019-11-112閲覧。 
  18. ^ 斎藤、若松と来季契約で合意 栃木GB|スポーツ,県内主要|下野新聞「SOON」ニュース|”. 下野新聞 SOON. 下野新聞 (2019年12月25日). 2019年12月30日閲覧。
  19. ^ BC栃木、元中日の若松駿太ら9選手が退団 今季は川崎宗則の加入で話題に”. Full-Count(フルカウント) ― 野球ニュース・速報・コラム ―. 2020年10月28日閲覧。
  20. ^ 中日7位・若松、3年後ローテ期待”. 中日スポーツ (2012年11月3日). 2013年3月14日閲覧。
  21. ^ 山本の引退試合は、引退翌年(2016年3月5日)にナゴヤドームで催された東京ヤクルトスワローズとのオープン戦で催されたが、一軍公式戦における引退試合(最終登板試合)は2015年10月8日の対広島戦(マツダ)である。2015年の引退試合では、広島打線を相手に、山本→大野→若松の継投によって1安打で完封勝利。7回裏から登板した若松は、試合終了までの3イニングを無安打に抑えたことによって、自身初のシーズン2桁勝利を挙げた(参照)。
  22. ^ “中日・若松が戦力外 15年10勝も今季一軍登板なし…トライアウト受験へ「これで終わりではない」”. スポーツニッポン. (2018年10月1日). https://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2018/10/01/kiji/20181001s00001173212000c.html 2019年1月21日閲覧。 

関連項目

外部リンク