「イブラン家」の版間の差分
m →セネシャル家 |
|||
5行目: | 5行目: | ||
初代のバリサン(不明 - 1150年)の出自は明らかでは無いが、その名前からイタリア系の下級貴族で[[第1回十字軍]]か、その後に聖地に行ったと考えられ、1110年代にヤッファ伯の臣下としてヤッファの警備隊長になっている。1122年にラムラの女相続人と結婚し、同地の領主となった。ヤッファ伯ユーグの反乱の際にはこれに従わず、1141年にエルサレム王[[フールク・ダンジュー|フールク]]から褒美としてイブラン城を与えられており、これが後に家名となった。 |
初代のバリサン(不明 - 1150年)の出自は明らかでは無いが、その名前からイタリア系の下級貴族で[[第1回十字軍]]か、その後に聖地に行ったと考えられ、1110年代にヤッファ伯の臣下としてヤッファの警備隊長になっている。1122年にラムラの女相続人と結婚し、同地の領主となった。ヤッファ伯ユーグの反乱の際にはこれに従わず、1141年にエルサレム王[[フールク・ダンジュー|フールク]]から褒美としてイブラン城を与えられており、これが後に家名となった。 |
||
バリサンの息子がユーグ(1130年頃 -1169年)、ボードゥアン(1130年中頃 - 1187年頃)、[[バリアン・ディブラン|バリアン]](1140年頃 - 1193年)で、ユーグはエルサレム王[[ボードゥアン4世]]の母アニエス([[アモーリー1世 (エルサレム王)|アモーリー1世]]の最初の妻)と結婚し、バリアンはマリア・コムネナ(アモーリー1世の2番目の妻)と結婚するなど勢力を拡大している。また、ボードゥアンは王女[[シビーユ (エルサレム女王)|シビーユ]](アニエスの娘)との婚姻話があったが、宮廷の派閥争いの影響で取り消され、シビーユは[[ギー・ド・リュジニャン]]と結婚することになる。 |
バリサンの息子がユーグ(1130年頃 -1169年)、ボードゥアン(1130年中頃 - 1187年頃)、[[バリアン・ディブラン|バリアン]](1140年頃 - 1193年)で、ユーグはエルサレム王[[ボードゥアン4世 (エルサレム王)|ボードゥアン4世]]の母アニエス([[アモーリー1世 (エルサレム王)|アモーリー1世]]の最初の妻)と結婚し、バリアンはマリア・コムネナ(アモーリー1世の2番目の妻)と結婚するなど勢力を拡大している。また、ボードゥアンは王女[[シビーユ (エルサレム女王)|シビーユ]](アニエスの娘)との婚姻話があったが、宮廷の派閥争いの影響で取り消され、シビーユは[[ギー・ド・リュジニャン]]と結婚することになる。 |
||
1187年のエルサレム落城の際には、バリアンが指導者として籠城、開城の指揮を取った。エルサレム王国が[[アッコン]]に移動後も、バリアンは継子の[[イザベル1世 (エルサレム女王)|イザベル1世]]を女王に立てて、実力者として君臨し、その子孫はアッコン、キプロスで繁栄した。 |
1187年のエルサレム落城の際には、バリアンが指導者として籠城、開城の指揮を取った。エルサレム王国が[[アッコン]]に移動後も、バリアンは継子の[[イザベル1世 (エルサレム女王)|イザベル1世]]を女王に立てて、実力者として君臨し、その子孫はアッコン、キプロスで繁栄した。 |
2020年12月5日 (土) 02:26時点における版
イブラン家(Ibelin)は、中世エルサレム王国領内のイブラン城から名前を取った貴族で、十字軍時代のエルサレム王国、キプロス王国において重臣として活躍した。
初代のバリサン(不明 - 1150年)の出自は明らかでは無いが、その名前からイタリア系の下級貴族で第1回十字軍か、その後に聖地に行ったと考えられ、1110年代にヤッファ伯の臣下としてヤッファの警備隊長になっている。1122年にラムラの女相続人と結婚し、同地の領主となった。ヤッファ伯ユーグの反乱の際にはこれに従わず、1141年にエルサレム王フールクから褒美としてイブラン城を与えられており、これが後に家名となった。
バリサンの息子がユーグ(1130年頃 -1169年)、ボードゥアン(1130年中頃 - 1187年頃)、バリアン(1140年頃 - 1193年)で、ユーグはエルサレム王ボードゥアン4世の母アニエス(アモーリー1世の最初の妻)と結婚し、バリアンはマリア・コムネナ(アモーリー1世の2番目の妻)と結婚するなど勢力を拡大している。また、ボードゥアンは王女シビーユ(アニエスの娘)との婚姻話があったが、宮廷の派閥争いの影響で取り消され、シビーユはギー・ド・リュジニャンと結婚することになる。
1187年のエルサレム落城の際には、バリアンが指導者として籠城、開城の指揮を取った。エルサレム王国がアッコンに移動後も、バリアンは継子のイザベル1世を女王に立てて、実力者として君臨し、その子孫はアッコン、キプロスで繁栄した。
キプロス王国においては、代々王族と婚姻を結ぶなど主要な貴族として支配層を形成したが、1464年にキプロス王国がヴェネツィア共和国に奪われると没落し、その後は歴史から姿を消した。
- 映画「キングダム・オブ・ヘブン」(Kingdom of Heaven、2005年)の主人公はバリアン・オブ・イベリン(ディブラン)で上記のバリアンの名前を借りているが、エルサレム籠城の件以外はほとんどがフィクションである。
系図
ベイルート領主家
バリサン ラムラ領主 (?-1150) | エルヴィーズ (ラムラ領主ボードゥアン1世娘) | マナセ・ド・イエルジュ | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
アニェス・ド・クルトネー 1=エルサレム王アモーリー1世 3=シドン領主ルノー | ユーグ (1132-1169/71) | リシルド・ド・ベイサン | ボードゥアン (1133-1188) | イザベル・ゴトマン (カエサレア領主ユーグ寡婦) | バリアン (1143-1193) | マリア・コムネナ (エルサレム王アモーリー1世寡婦) | エルメンガルド (1140-1167) =ガリラヤ公エリナール・ド・ビュール | ステファニー (1144-1167) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
エメリー・ド・リュジニャン キプロス王 | エシーヴ | トーマ | ステファニー (1174-1187) =ナーブルス子爵エメリー | ジャン1世 (c.1180-1236) ベイルート領主 エルサレム大元帥 キプロス大元帥 | マルグリット 1=ユーグ・ド・ティベリアス 2=カエサレア領主ゴーティエ3世 | エルヴィーズ 1=シドン領主ルノー 2=ギー・ド・モンフォール | フィリップ (c.1180-1227) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ユーグ1世 キプロス王 | バリアン (1210/1-1247) ベイルート領主 | ユーグ (1212/3-1239以前) | イザベル | ボードゥアン (1210/2-1267) キプロスのセネシャル | ジャン (1211/2-1258) アルスフ領主 エルサレム大元帥 キプロス大元帥 | ギー (1215/8-?) キプロス大元帥 | ヤッファ領主家 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
アンリ1世 キプロス王 | バリアン | ジャン2世 (1230/1-1264) ベイルート領主 | ユーグ (1231/2-1254/5) | イザベル (1230/5-?) =ジブレ領主エンリコ1世・エンブリアコ (1201-1271) | セネシャル家 | アルスフ領主家 | キプロス大元帥家 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ユーグ2世 キプロス王 | イザベル (c.1252-1283) | オンフロワ・ド・モンフォール ティルス領主 | エシーヴ (1253-1312) | ギー・ド・リュジニャン (キプロス王ユーグ3世子 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ユーグ4世 キプロス王 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
セネシャル家
ボードゥアン (1210/2-1267) キプロスのセネシャル | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ジャン (c.1232-1250以降) | フィリップ (1235/40-1304/5) キプロス大元帥 | メリザンド | ギー (1235/40-?) | マリア (アルメニア女王ザベル娘) | バリアン (c.1240-1284/98) | ユーグ (1255/60-1315) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ボードゥアン (c.1250-1313) | アリス (キプロス王ユーグ3世娘) | バリアン (c.1270-1315/6) ガリラヤ公 | アリス (c.1270-?) =ゴーティエ・ド・ベイサン | エシーヴ (1270/5-?) 1=ゴーティエ・ド・ダンピエール 2=ユーグ・ディブラン | マリー (1270/5-?) =ヤッファ伯ギー・ディブラン | イザベル (c.1270-?) =コリコス領主ヘトゥム | トロス | フィリップ (1275/80-1315) | ボードゥアン | マリー (1304/7-?} =ボードゥアン・ド・ベイサン | マルグリット (1304/7-?) =アルスフ領主バリアン・ディブラン (1301/7-1333) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
イザベル (1285/90-1315) =ギー・ディブラン | ジャック (c.1300-1319以降) | レオン | リタ | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
アルスフ領主家
ジャン2世 (1211/2-1258) アルスフ領主 エルサレム大元帥 キプロス大元帥 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
バリアン (c.1239-1277) アルスフ領主 エルサレム大元帥 キプロス大元帥 | プレザンス (キプロス王アンリ1世寡婦) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ジャン3世 (1260/70-1309) アルスフ領主 エルサレム大元帥 | ジャンヌ =ボードゥアン・ド・モルフ | ニコル =ティボー・ド・ベイサン | エルメリン | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ギー | マルグリット =バリアン・ディブラン | バリアン (1301/7-1333) アルスフ領主 | ルシー 1=ボードゥアン・ド・ミルマル 2=レーモン・デュ・フール | アリス | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||
トーマ | ギー (?-1367) | フィリップ (1320/5-1374/6) | マリー (c.1325-?) 1=ユーグ・ド・ダンピエール 2=ジャン・ディブラン | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
キプロス大元帥家
ギー キプロス大元帥 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ユーグ3世 キプロス王 | イザベル (?-1324) | バリアン (1240/5-1302) キプロスのセネシャル | アリス =ウード・ド・ダンピエール | ボードゥアン キプロス大元帥 | フィリップ (1250/5-1318) エルサレムのバイイ キプロスのセネシャル | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ギー | マリー =ルペン・ド・モンフォール | イザベル =アルスフ領主ジャン3世・ディブラン | ギー (1285/8-1308) ニコシア領主 | イザベル (1285/90-1315) (ボードゥアン・ディブラン娘) | マルグリット =コリコス領主オシン (?-1329) | イザベル 1=マヨルカ王子フェラン (ジャウメ2世子) 2=ヤッファ伯ユーグ・ディブラン | ギー キプロスのセネシャル | バリアン | エルヴィーズ =ブラウンシュヴァイク=グルーベンハーゲン公ハインリヒ2世 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ユーグ4世 キプロス王 | アリス (1304/6-1386以降) | フィリップ (1332-1369) (ブラウンシュヴァイク=グルーベンハーゲン公ハインリヒ2世子) | マルグリット | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ピエール1世 キプロス王 | ジャン・ド・リュジニャン アンティオキア公 | アリス | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ピエール2世 キプロス王 | マルグリット | ジャック トリポリ伯 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ヤッファ領主家
フィリップ (c.1180-1227) キプロスのバイイ | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
マリー 修道女 | ジャン (1210/5-1266) ヤッファ領主 1247-1266 | マリア (1220-1263) (アルメニア王ヘトゥム1世妹) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
マルグリット ティルスのノートルダム修道院長 | イザベル =Servantikar城主スンバト | マリー 1=ヴァーラム・ド・アムース 2=グレゴリウス・タルディフ | ジャック (c.1240-1276) ヤッファ領主 | ギー (1250/5-1304) ヤッファ伯 | マリー (フィリップ・ディブラン娘) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
フィリップ (1292/3-1316) ヤッファ伯 | マリー (c.1294-?) | ユーグ4世 キプロス王 | イザベル =アルメニア王スンバト | ユーグ (1295/1300-1349) ヤッファ伯 エルサレムのセネシャル | イザベル (フィリップ・ディブラン娘) | バリアン (1298/1300-?) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
バリアン ヤッファ伯 | ギー ヤッファ伯 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
バリアン | マルグリット (アルスフ領主ジャン3世・ディブラン娘) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||