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「トマス・クック (初代レスター伯爵、1697-1759)」の版間の差分

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== 生涯 ==
== 生涯 ==
エドワード・クック({{lang|en|Edward Coke}}、1707年4月13日没、ロバート・クックの息子)とケアリー・ニュートン({{lang|en|Cary Newton}}、1707年8月4日没、[[ジョン・ニュートン (第3代準男爵)|第3代準男爵サー・ジョン・ニュートン]]の娘)の息子として、1697年6月17日に生まれた<ref name="Cracroft">{{Cite web2|language=en|website=Cracroft's Peerage|title=Leicester, Earl of (GB, 1744 - 1759)|url=http://www.cracroftspeerage.co.uk/online/content/leicester1744.htm|accessdate=23 November 2019}}</ref>。1712年から1716年まで[[グランドツアー]]を行って、フランス、イタリア、スイス、ドイツを歴訪した<ref name="HOP" />。父から年収1万ポンドの地所を継承しており、[[南海泡沫事件]]で莫大な損害を出したものの1741年までに年収15,000ポンドに上がったという<ref name="HOP" />。
エドワード・クック({{lang|en|Edward Coke}}、1707年4月13日没、ロバート・クックの息子)とケアリー・ニュートン({{lang|en|Cary Newton}}、1707年8月4日没、[[ジョン・ニュートン (第3代準男爵)|第3代準男爵サー・ジョン・ニュートン]]の娘)の息子として、1697年6月17日に生まれた<ref name="Cracroft">{{Cite web2|language=en|website=Cracroft's Peerage|title=Leicester, Earl of (GB, 1744 - 1759)|url=http://www.cracroftspeerage.co.uk/leicester1744.htm|accessdate=23 November 2019}}</ref>。1712年から1716年まで[[グランドツアー]]を行って、フランス、イタリア、スイス、ドイツを歴訪した<ref name="HOP" />。父から年収1万ポンドの地所を継承しており、[[南海泡沫事件]]で莫大な損害を出したものの1741年までに年収15,000ポンドに上がったという<ref name="HOP" />。


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[[1722年イギリス総選挙]]で{{仮リンク|ノーフォーク選挙区|en|Norfolk (UK Parliament constituency)}}から出馬して、[[ロバート・ウォルポール]]の協力者として自らの影響力を発揮し、無投票で当選した<ref name="HOP">{{HistoryofParliament|1715|url=https://www.historyofparliamentonline.org/volume/1715-1754/member/coke-thomas-1697-1759|title=COKE, Thomas (1697-1759), of Holkham, Norf.|last=Sedgwick|first=Romney R.|authorlink=ロムニー・セジウィック|accessdate=23 November 2019}}</ref>。1725年5月27日に[[バス勲章]]を授与され、1728年5月28日に[[グレートブリテン貴族]]である[[オックスフォードシャー]]における'''ミンスター・ラヴェルのラヴェル男爵'''に叙された<ref name="Cokayne">{{Cite book2|volume=7|date=1929|editor-last=Cokayne|editor-first=George Edward|editor-link=ジョージ・エドワード・コケイン|editor-last2=Doubleday|editor-first2=Herbert Arthur|editor-last3=Howard de Walden|editor-first3=Thomas|editor-link3=トマス・スコット=エリス (第8代ハワード・デ・ウォルデン男爵)|title=The Complete Peerage, or a history of the House of lords and all its members from the earliest times, volume VII: Husee to Lincolnshire|edition=2nd|publisher=The St. Catherine Press|place=London|url=https://archive.org/details/in.ernet.dli.2015.210885/page/n571|pages=559–561}}</ref>。その後、1730年には「私には伯爵、あるいは少なくとも子爵たりうる地所を有しており、叙爵を期待している」と述べ<ref name="HOP" />、1744年5月9日に念願の伯爵位である'''レスター伯爵'''と[[ノーフォーク]]州における'''ホルカムのクック子爵'''に叙され、11日に[[貴族院 (イギリス)|貴族院]]議員に就任した<ref name="Cokayne" />。また、1733年に{{仮リンク|郵政長官 (イギリス)|en|Postmaster General of the United Kingdom|label=郵政長官}}の1人に任命され、1759年に死去するまで務め、うち1745年3月から5月と1758年から1759年までは単独で郵政長官を務めた<ref name="Cokayne" />。

2020年12月4日 (金) 06:11時点における版

フランチェスコ・トレヴィザーニによる肖像画、1717年。

初代レスター伯爵トマス・クック英語: Thomas Coke, 1st Earl of Leicester KB FRS1697年6月17日 - 1759年4月20日)は、イギリスの政治家、貴族、フリーメイソンホイッグ党所属[1]

生涯

エドワード・クック(Edward Coke、1707年4月13日没、ロバート・クックの息子)とケアリー・ニュートン(Cary Newton、1707年8月4日没、第3代準男爵サー・ジョン・ニュートンの娘)の息子として、1697年6月17日に生まれた[2]。1712年から1716年までグランドツアーを行って、フランス、イタリア、スイス、ドイツを歴訪した[3]。父から年収1万ポンドの地所を継承しており、南海泡沫事件で莫大な損害を出したものの1741年までに年収15,000ポンドに上がったという[3]

1722年イギリス総選挙ノーフォーク選挙区英語版から出馬して、ロバート・ウォルポールの協力者として自らの影響力を発揮し、無投票で当選した[3]。1725年5月27日にバス勲章を授与され、1728年5月28日にグレートブリテン貴族であるオックスフォードシャーにおけるミンスター・ラヴェルのラヴェル男爵に叙された[1]。その後、1730年には「私には伯爵、あるいは少なくとも子爵たりうる地所を有しており、叙爵を期待している」と述べ[3]、1744年5月9日に念願の伯爵位であるレスター伯爵ノーフォーク州におけるホルカムのクック子爵に叙され、11日に貴族院議員に就任した[1]。また、1733年に郵政長官英語版の1人に任命され、1759年に死去するまで務め、うち1745年3月から5月と1758年から1759年までは単独で郵政長官を務めた[1]

1731年から1732年までフリーメイソンの一員としてイングランド首位グランドロッジ英語版のグランドマスターを務めた[1]。1735年3月27日、王立協会フェローに選出された[4]

1759年4月20日にホルカムで死去、ティットルシャル英語版で埋葬された[1]。息子に先立たれたため爵位は全て断絶、遺産は妻マーガレットが継承した[1]。1775年にマーガレットが死去すると、初代レスター伯爵の姉妹アンの息子ウェンマン・ロバーツ英語版が遺産を継承、ウェンマンは姓をクックに改めた[1]。ウェンマンの息子トマスは1837年にレスター伯爵に叙された[1]

家族

1718年7月3日、マーガレット・タフトン(1700年 - 1775年、1734年にド・クリフォード女男爵を継承)と結婚、1男をもうけた[2]

出典

  1. ^ a b c d e f g h i Cokayne, George Edward; Doubleday, Herbert Arthur; Howard de Walden, Thomas, eds. (1929). The Complete Peerage, or a history of the House of lords and all its members from the earliest times, volume VII: Husee to Lincolnshire. Vol. 7 (2nd ed.). London: The St. Catherine Press. pp. 559–561.
  2. ^ a b "Leicester, Earl of (GB, 1744 - 1759)". Cracroft's Peerage (英語). 2019年11月23日閲覧
  3. ^ a b c d Sedgwick, Romney R. (1970). "COKE, Thomas (1697-1759), of Holkham, Norf.". In Sedgwick, Romney (ed.). The House of Commons 1715-1754 (英語). The History of Parliament Trust. 2019年11月23日閲覧
  4. ^ "Coke; Thomas (c 1695 - 1759); 1st Earl of Leicester and Viscount Coke". Record (英語). The Royal Society. 2019年11月23日閲覧
グレートブリテン議会英語版
先代
トマス・ド・グレイ英語版
サー・ジェイコブ・アストリー準男爵英語版
庶民院議員(ノーフォーク選挙区英語版選出)
1722年 - 1728年
同職:トマス・ド・グレイ英語版 1722年 - 1727年
ジョン・ホバート 1727年 - 1728年
次代
ハーボード・ハーボード英語版
サー・エドマンド・ベーコン準男爵英語版
公職
先代
エドワード・ハリソン英語版
エドワード・カートレット英語版
郵政長官英語版
1733年 - 1759年
同職:エドワード・カートレット英語版 1733年 - 1739年
サー・ジョン・アイルズ準男爵英語版 1739年 - 1745年
エヴェラード・フォークナー英語版 1745年 - 1758年
次代
トレヴァー男爵
ベスバラ伯爵英語版
フリーメイソン
先代
ノーフォーク公爵
イングランド首位グランドロッジ
グランドマスター
英語版

1731年 - 1732年
次代
モンタギュー子爵
グレートブリテンの爵位
爵位創設 レスター伯爵
1744年 - 1759年
断絶
ラヴェル男爵
1728年 - 1759年