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ヘンリー・デイヴィッド・アースキン({{lang|en|Henry David Erskine}}、1776年5月10日 – 1846年12月31日、[[ジョン・アースキン (第24代マー伯爵)|第24代マー伯爵ジョン・フランシス・アースキン]]の息子)とメアリー・アン・クックジー({{lang|en|Mary Anne Cooksey}}、ジョン・クックジーの娘)の三男として<ref name="Cracroft">{{Cite web2|language=en|website=Cracroft's Peerage|title=Mar, Earl of (S, 1114)|url=http://www.cracroftspeerage.co.uk |
ヘンリー・デイヴィッド・アースキン({{lang|en|Henry David Erskine}}、1776年5月10日 – 1846年12月31日、[[ジョン・アースキン (第24代マー伯爵)|第24代マー伯爵ジョン・フランシス・アースキン]]の息子)とメアリー・アン・クックジー({{lang|en|Mary Anne Cooksey}}、ジョン・クックジーの娘)の三男として<ref name="Cracroft">{{Cite web2|language=en|website=Cracroft's Peerage|title=Mar, Earl of (S, 1114)|url=http://www.cracroftspeerage.co.uk/mar1114.htm|date=18 March 2013|accessdate=2 November 2019}}</ref>、1810年7月12日に{{仮リンク|ワークワース (ノーサンバーランド)|en|Warkworth, Northumberland|label=ワークワース}}で生まれた<ref name="Cokayne">{{Cite book2 |volume= 7 |date=1929 |editor-last=Cokayne |editor-first=George Edward |editor-link=ジョージ・エドワード・コケイン |editor-last2=Doubleday |editor-first2=Herbert Arthur |editor-last3=Howard de Walden |editor-first3=Thomas |editor-link3=トマス・スコット=エリス (第8代ハワード・デ・ウォルデン男爵) |title=The Complete Peerage, or a history of the House of lords and all its members from the earliest times, volume VII: Husee to Lincolnshire |edition=2nd |url=https://archive.org/details/in.ernet.dli.2015.210885/page/n114 |publisher=The St. Catherine Press |place=London |pages=104–105 }}</ref>。 |
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1826年に{{仮リンク|ベンガル軍|en|Bengal Army}}に入隊した(最終軍階は中佐)<ref name="Cokayne" />。[[インド大反乱]]のときは[[ジャバルプル]]の弁務官({{lang|en|Commissioner of Jubbulpore}})を務め、本国の議会で感謝決議が採択された<ref name="Cokayne" />。その後、1860年5月18日に[[バス勲章]]コンパニオンを授与された<ref name="Cokayne" />。 |
1826年に{{仮リンク|ベンガル軍|en|Bengal Army}}に入隊した(最終軍階は中佐)<ref name="Cokayne" />。[[インド大反乱]]のときは[[ジャバルプル]]の弁務官({{lang|en|Commissioner of Jubbulpore}})を務め、本国の議会で感謝決議が採択された<ref name="Cokayne" />。その後、1860年5月18日に[[バス勲章]]コンパニオンを授与された<ref name="Cokayne" />。 |
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== 家族 == |
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1834年9月11日、エリーズ・ヤングソン({{lang|en|Elise Youngson}}、1814年頃 – 1895年7月14日、ウィリアム・ヤングソンの娘)と結婚、3男をもうけた<ref name="Cracroft2">{{Cite web2|language=en|website=Cracroft's Peerage|title=Mar, Earl of (S, 1565)|url=http://www.cracroftspeerage.co.uk |
1834年9月11日、エリーズ・ヤングソン({{lang|en|Elise Youngson}}、1814年頃 – 1895年7月14日、ウィリアム・ヤングソンの娘)と結婚、3男をもうけた<ref name="Cracroft2">{{Cite web2|language=en|website=Cracroft's Peerage|title=Mar, Earl of (S, 1565)|url=http://www.cracroftspeerage.co.uk/mar1565.htm|date=9 September 2004|accessdate=2 November 2019}}</ref>。 |
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*[[ウォルター・アースキン (第11代マー伯爵)|ウォルター・ヘンリー]](1839年 – 1888年) - 第13代ケリー伯爵、第11代マー伯爵 |
*[[ウォルター・アースキン (第11代マー伯爵)|ウォルター・ヘンリー]](1839年 – 1888年) - 第13代ケリー伯爵、第11代マー伯爵 |
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*オーガスタス・ウィリアム(1841年6月18日 – 1914年7月17日) - 1871年4月18日、ハリエット・スザンナ・フォーブズ({{lang|en|Harriet Susannah Forbes}}、1884年2月24日没、ウィリアム・フォーブズの娘)と結婚、子供あり |
*オーガスタス・ウィリアム(1841年6月18日 – 1914年7月17日) - 1871年4月18日、ハリエット・スザンナ・フォーブズ({{lang|en|Harriet Susannah Forbes}}、1884年2月24日没、ウィリアム・フォーブズの娘)と結婚、子供あり |
2020年12月4日 (金) 06:08時点における版
第12代ケリー伯爵および法律上の第10代マー伯爵ウォルター・コニングスビー・アースキン(英語: Walter Coningsby Erskine, 12th Earl of Kellie and de jure 10th Earl of Mar CB、1810年7月12日 – 1872年1月17日)は、スコットランド貴族。
生涯
ヘンリー・デイヴィッド・アースキン(Henry David Erskine、1776年5月10日 – 1846年12月31日、第24代マー伯爵ジョン・フランシス・アースキンの息子)とメアリー・アン・クックジー(Mary Anne Cooksey、ジョン・クックジーの娘)の三男として[1]、1810年7月12日にワークワースで生まれた[2]。
1826年にベンガル軍に入隊した(最終軍階は中佐)[2]。インド大反乱のときはジャバルプルの弁務官(Commissioner of Jubbulpore)を務め、本国の議会で感謝決議が採択された[2]。その後、1860年5月18日にバス勲章コンパニオンを授与された[2]。
1866年6月19日に伯父ジョン・トマスの息子にあたる第11代ケリー伯爵および第26代マー伯爵ジョン・フランシス・ミラー・アースキンが死去すると[1]、ケリー伯爵の爵位を継承、さらにマー伯爵の継承権も主張した[2]。マー伯爵の継承権をめぐりジョン・フランシス・アースキン・グッドイヴと争うことになったが[3]、結局死去まで決着しなかった[2]。
1869年から1872年まで保守党の一員としてスコットランド貴族代表議員を務めた[2]。
1872年1月15日にフランスのカンヌで死去、息子ウォルター・ヘンリーが爵位を継承した[2]。
家族
1834年9月11日、エリーズ・ヤングソン(Elise Youngson、1814年頃 – 1895年7月14日、ウィリアム・ヤングソンの娘)と結婚、3男をもうけた[4]。
- ウォルター・ヘンリー(1839年 – 1888年) - 第13代ケリー伯爵、第11代マー伯爵
- オーガスタス・ウィリアム(1841年6月18日 – 1914年7月17日) - 1871年4月18日、ハリエット・スザンナ・フォーブズ(Harriet Susannah Forbes、1884年2月24日没、ウィリアム・フォーブズの娘)と結婚、子供あり
- チャールズ・ハーバート・ステュアート(Charles Herbert Stewart、1853年9月11日 – 1896年4月6日)
出典
- ^ a b "Mar, Earl of (S, 1114)". Cracroft's Peerage (英語). 18 March 2013. 2019年11月2日閲覧。
- ^ a b c d e f g h Cokayne, George Edward; Doubleday, Herbert Arthur; Howard de Walden, Thomas, eds. (1929). The Complete Peerage, or a history of the House of lords and all its members from the earliest times, volume VII: Husee to Lincolnshire. Vol. 7 (2nd ed.). London: The St. Catherine Press. pp. 104–105.
- ^ Round, John Horace (1911). . In Chisholm, Hugh (ed.). Encyclopædia Britannica (英語). Vol. 17 (11th ed.). Cambridge University Press. pp. 665–666.
- ^ "Mar, Earl of (S, 1565)". Cracroft's Peerage (英語). 9 September 2004. 2019年11月2日閲覧。
スコットランドの爵位 | ||
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先代 ジョン・フランシス・ミラー・アースキン |
ケリー伯爵 1866年 – 1872年 |
次代 ウォルター・ヘンリー・アースキン |
マー伯爵(法律上) 1866年 – 1872年 |