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「ジョン・グッドイヴ=アースキン (第27代マー伯爵)」の版間の差分

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== 生涯 ==
== 生涯 ==
ウィリアム・ジェームズ・グッドイヴ({{lang|en|William James Goodeve}}、1861年12月22日没)とフランシス・ジェマイマ・アースキン({{lang|en|Frances Jemima Erskine}}、1842年6月20日没、[[ジョン・アースキン (第26代マー伯爵)|第26代マー伯爵ジョン・フランシス・ミラー・アースキン]]の娘)の息子'''ジョン・フランシス・アースキン・グッドイヴ'''({{lang|en|John Francies Erskine Goodeve}})として、1836年3月29日に生まれた<ref name="Cokayne">{{Cite book2|editor-last=Cokayne|editor-first=George Edward|editor-link=ジョージ・エドワード・コケイン|year=1893|title=Complete peerage of England, Scotland, Ireland, Great Britain and the United Kingdom, extant, extinct or dormant (L to M)|volume=5|edition=1st|location=London|publisher=George Bell & Sons|language=en|pages=238–239|url=https://archive.org/details/completepeerage01cokagoog/page/n248}}</ref><ref name="Cracroft">{{Cite web2|language=en|website=Cracroft's Peerage|title=Mar, Earl of (S, 1114)|url=http://www.cracroftspeerage.co.uk/online/content/mar1114.htm|date=18 March 2013|accessdate=2 November 2019}}</ref>。{{仮リンク|ブリストル・グラマースクール|en|Bristol Grammar School}}で教育を受けた後、1856年5月16日に[[ケンブリッジ大学]]{{仮リンク|クイーンズ・カレッジ (ケンブリッジ大学)|en|Queens' College, Cambridge|label=クイーンズ・カレッジ}}に入学、1860年に{{仮リンク|マスター・オブ・アーツ (オックスフォード、ケンブリッジ、ダブリン大学)|en|Master of Arts (Oxford, Cambridge, and Dublin)|label=M.A.}}の学位を修得した<ref name="ACAD">{{Acad|id=GDV856JF|name=Goodeve (post Goodeve-Erskine), John Francis Erskine.}}</ref>。
ウィリアム・ジェームズ・グッドイヴ({{lang|en|William James Goodeve}}、1861年12月22日没)とフランシス・ジェマイマ・アースキン({{lang|en|Frances Jemima Erskine}}、1842年6月20日没、[[ジョン・アースキン (第26代マー伯爵)|第26代マー伯爵ジョン・フランシス・ミラー・アースキン]]の娘)の息子'''ジョン・フランシス・アースキン・グッドイヴ'''({{lang|en|John Francies Erskine Goodeve}})として、1836年3月29日に生まれた<ref name="Cokayne">{{Cite book2|editor-last=Cokayne|editor-first=George Edward|editor-link=ジョージ・エドワード・コケイン|year=1893|title=Complete peerage of England, Scotland, Ireland, Great Britain and the United Kingdom, extant, extinct or dormant (L to M)|volume=5|edition=1st|location=London|publisher=George Bell & Sons|language=en|pages=238–239|url=https://archive.org/details/completepeerage01cokagoog/page/n248}}</ref><ref name="Cracroft">{{Cite web2|language=en|website=Cracroft's Peerage|title=Mar, Earl of (S, 1114)|url=http://www.cracroftspeerage.co.uk/mar1114.htm|date=18 March 2013|accessdate=2 November 2019}}</ref>。{{仮リンク|ブリストル・グラマースクール|en|Bristol Grammar School}}で教育を受けた後、1856年5月16日に[[ケンブリッジ大学]]{{仮リンク|クイーンズ・カレッジ (ケンブリッジ大学)|en|Queens' College, Cambridge|label=クイーンズ・カレッジ}}に入学、1860年に{{仮リンク|マスター・オブ・アーツ (オックスフォード、ケンブリッジ、ダブリン大学)|en|Master of Arts (Oxford, Cambridge, and Dublin)|label=M.A.}}の学位を修得した<ref name="ACAD">{{Acad|id=GDV856JF|name=Goodeve (post Goodeve-Erskine), John Francis Erskine.}}</ref>。


1866年6月19日に母方の祖父にあたる第26代マー伯爵が死去すると<ref name="Cokayne" />、[[マー伯爵]]の継承を主張して、姓に「アースキン」を加えた<ref name="EB1911">{{Cite EB1911|wstitle=Mar, Earldom of|volume=17|pages=665–666|last=Round|first=John Horace|authorlink=ジョン・ホレス・ラウンド}}</ref>。一方、第26代マー伯爵の叔父ヘンリー・デイヴィッド(1776年 – 1846年<ref name="Cracroft" />)の息子[[ウォルター・アースキン (第12代ケリー伯爵)|ウォルター・コニングスビー・アースキン]]が遺産と[[ケリー伯爵 (スコットランド)|ケリー伯爵]]の爵位を継承した上でマー伯爵の継承権も主張した<ref name="EB1911" />。1875年2月25日、[[貴族院 (イギリス)|貴族院]]はその時点で争われているマー伯爵の爵位が1565年に[[メアリー1世 (イングランド女王)|メアリー1世]]によって創設されたものとし、男系男子しか継承できないため継承権はウォルター・コニングスビー・アースキンにあるとの裁定を下した<ref name="EB1911" />。元[[大法官]]の[[ラウンデル・パーマー (初代セルボーン伯爵)|初代セルボーン男爵ラウンデル・パーマー]]が1877年にこの裁定を「正しかろうと間違っていようと最終判断であり、疑問の余地はない」({{lang|en|final, right or wrong, and not to be questioned}})と形容したこともあり、一時はケリー伯爵がマー伯爵を継承したものとされたが、グッドイヴはマー伯爵の称号を引き続き使用した<ref name="EB1911" />。そして、1885年に「マー伯爵位返還法」({{lang|en|Earldom of Mar Restitution Art}})が可決され、「事実関係に曖昧さがあり」、中世のマー伯爵位が1565年以前に放棄または王領に統合されたという事実に疑いがあるとした<ref name="EB1911" />。また、同法はさらに貴族院による裁定ではメアリー1世による1565年の勅許状が土地にのみ適用され、「爵位自体には適用されなかった」とし、中世に創設されたマー伯爵の爵位はグッドイヴが保有するものとした<ref name="EB1911" />。これによりグッドイヴは爵位を回復、スコットランド[[貴族代表議員]]選挙では[[サザーランド伯爵]]の次に投票するものとされた<ref name="Cokayne" />。
1866年6月19日に母方の祖父にあたる第26代マー伯爵が死去すると<ref name="Cokayne" />、[[マー伯爵]]の継承を主張して、姓に「アースキン」を加えた<ref name="EB1911">{{Cite EB1911|wstitle=Mar, Earldom of|volume=17|pages=665–666|last=Round|first=John Horace|authorlink=ジョン・ホレス・ラウンド}}</ref>。一方、第26代マー伯爵の叔父ヘンリー・デイヴィッド(1776年 – 1846年<ref name="Cracroft" />)の息子[[ウォルター・アースキン (第12代ケリー伯爵)|ウォルター・コニングスビー・アースキン]]が遺産と[[ケリー伯爵 (スコットランド)|ケリー伯爵]]の爵位を継承した上でマー伯爵の継承権も主張した<ref name="EB1911" />。1875年2月25日、[[貴族院 (イギリス)|貴族院]]はその時点で争われているマー伯爵の爵位が1565年に[[メアリー1世 (イングランド女王)|メアリー1世]]によって創設されたものとし、男系男子しか継承できないため継承権はウォルター・コニングスビー・アースキンにあるとの裁定を下した<ref name="EB1911" />。元[[大法官]]の[[ラウンデル・パーマー (初代セルボーン伯爵)|初代セルボーン男爵ラウンデル・パーマー]]が1877年にこの裁定を「正しかろうと間違っていようと最終判断であり、疑問の余地はない」({{lang|en|final, right or wrong, and not to be questioned}})と形容したこともあり、一時はケリー伯爵がマー伯爵を継承したものとされたが、グッドイヴはマー伯爵の称号を引き続き使用した<ref name="EB1911" />。そして、1885年に「マー伯爵位返還法」({{lang|en|Earldom of Mar Restitution Art}})が可決され、「事実関係に曖昧さがあり」、中世のマー伯爵位が1565年以前に放棄または王領に統合されたという事実に疑いがあるとした<ref name="EB1911" />。また、同法はさらに貴族院による裁定ではメアリー1世による1565年の勅許状が土地にのみ適用され、「爵位自体には適用されなかった」とし、中世に創設されたマー伯爵の爵位はグッドイヴが保有するものとした<ref name="EB1911" />。これによりグッドイヴは爵位を回復、スコットランド[[貴族代表議員]]選挙では[[サザーランド伯爵]]の次に投票するものとされた<ref name="Cokayne" />。

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第27代マー伯爵[注釈 1]ジョン・フランシス・アースキン・グッドイヴ=アースキン英語: John Francies Erskine Goodeve-Erskine, 27th Earl of Mar1836年3月29日1930年6月17日)は、スコットランド貴族

生涯

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ウィリアム・ジェームズ・グッドイヴ(William James Goodeve、1861年12月22日没)とフランシス・ジェマイマ・アースキン(Frances Jemima Erskine、1842年6月20日没、第26代マー伯爵ジョン・フランシス・ミラー・アースキンの娘)の息子ジョン・フランシス・アースキン・グッドイヴJohn Francies Erskine Goodeve)として、1836年3月29日に生まれた[3][2]ブリストル・グラマースクール英語版で教育を受けた後、1856年5月16日にケンブリッジ大学クイーンズ・カレッジ英語版に入学、1860年にM.A.の学位を修得した[4]

1866年6月19日に母方の祖父にあたる第26代マー伯爵が死去すると[3]マー伯爵の継承を主張して、姓に「アースキン」を加えた[1]。一方、第26代マー伯爵の叔父ヘンリー・デイヴィッド(1776年 – 1846年[2])の息子ウォルター・コニングスビー・アースキンが遺産とケリー伯爵の爵位を継承した上でマー伯爵の継承権も主張した[1]。1875年2月25日、貴族院はその時点で争われているマー伯爵の爵位が1565年にメアリー1世によって創設されたものとし、男系男子しか継承できないため継承権はウォルター・コニングスビー・アースキンにあるとの裁定を下した[1]。元大法官初代セルボーン男爵ラウンデル・パーマーが1877年にこの裁定を「正しかろうと間違っていようと最終判断であり、疑問の余地はない」(final, right or wrong, and not to be questioned)と形容したこともあり、一時はケリー伯爵がマー伯爵を継承したものとされたが、グッドイヴはマー伯爵の称号を引き続き使用した[1]。そして、1885年に「マー伯爵位返還法」(Earldom of Mar Restitution Art)が可決され、「事実関係に曖昧さがあり」、中世のマー伯爵位が1565年以前に放棄または王領に統合されたという事実に疑いがあるとした[1]。また、同法はさらに貴族院による裁定ではメアリー1世による1565年の勅許状が土地にのみ適用され、「爵位自体には適用されなかった」とし、中世に創設されたマー伯爵の爵位はグッドイヴが保有するものとした[1]。これによりグッドイヴは爵位を回復、スコットランド貴族代表議員選挙ではサザーランド伯爵の次に投票するものとされた[3]

1886年から1922年までスコットランド貴族代表議員を務めた[4]

1930年6月17日に死去、息子ジョンが爵位を継承した[3]

家族

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1866年9月12日、アリス・メアリー・シンクレア・ハミルトン(Alice Mary Sinclair Hamilton、1924年6月6日没、ジョン・ハミルトンの娘[2])と結婚[3]、1男をもうけた[2]

注釈

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  1. ^ 1572年没のジョン・アースキンは1565年にマー伯爵の爵位を回復したが、1875年の貴族院裁決と1885年の議会立法の結果、爵位復活と爵位創設の両方が行われたものとみなされ[1]、本記事の人物は中世創設の爵位のみ継承しているため「第27代マー伯爵」となる。また、『クラクロフト貴族名鑑』など1435年没の第12代マー伯爵アレクサンダー・ステュアート英語版を正式な伯爵として数えない文献もあり[2]、その場合は本記事の人物が中世創設の爵位における「第26代マー伯爵」となる。

出典

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  1. ^ a b c d e f g Round, John Horace (1911). "Mar, Earldom of" . In Chisholm, Hugh (ed.). Encyclopædia Britannica (英語). Vol. 17 (11th ed.). Cambridge University Press. pp. 665–666.
  2. ^ a b c d e "Mar, Earl of (S, 1114)". Cracroft's Peerage (英語). 18 March 2013. 2019年11月2日閲覧
  3. ^ a b c d e Cokayne, George Edward, ed. (1893). Complete peerage of England, Scotland, Ireland, Great Britain and the United Kingdom, extant, extinct or dormant (L to M) (英語). Vol. 5 (1st ed.). London: George Bell & Sons. pp. 238–239.
  4. ^ a b "Goodeve (post Goodeve-Erskine), John Francis Erskine. (GDV856JF)". A Cambridge Alumni Database (英語). University of Cambridge.
スコットランドの爵位
先代
ジョン・フランシス・ミラー・アースキン
マー伯爵
1866年 – 1930年
次代
ジョン・グッドイヴ=アースキン