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'''グレイ家(第2期)'''
'''グレイ家(第2期)'''
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{{仮リンク|大蔵卿(イングランド)|en|Lord_High_Treasurer}}や[[王璽尚書]]を歴任したフォード・グレイ<small>(1655-1701)</small>は、[[1675年]]に父より'''ワークのグレイ男爵'''<small>(Baron Grey of Werke)</small>を承継したのち、[[1695年]]にイングランド貴族として'''タンカーヴィル伯爵'''<small>(Earl of Tankerville)</small>及び'''グレンデイル子爵'''<small>(Viscount Glendale)</small>に叙せられた。<ref name=":0">{{Cite web|url=http://www.cracroftspeerage.co.uk/online/content/tankerville1695.htm|title=Tankerville, Earl of (E, 1695 - 1701)|accessdate=2019年12月14日|publisher=Cracroft's Peerage}}</ref>
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しかし初代伯には娘メアリーしかいなかったため、伯爵位及び子爵位はわずか一代で廃絶した。なお、男爵位も彼の弟が継いだのちに廃絶した。<ref name=":0" />
しかし初代伯には娘メアリーしかいなかったため、伯爵位及び子爵位はわずか一代で廃絶した。なお、男爵位も彼の弟が継いだのちに廃絶した。<ref name=":0" />
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'''ベネット家(第3期)'''
'''ベネット家(第3期)'''
[[File:Chillingham_Castle.jpg|right|thumb|タンカーヴィル伯爵の旧邸宅である[[チリンガム城]]]]
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旧家ベネット家の出身である{{仮リンク|ジョン・ベネット (初代オソルストン男爵)|en|John_Bennet,_1st_Baron_Ossulston|label=ジョン・ベネット}}<small>(1618-1695)</small>は、[[1682年]]に[[イングランド貴族]]として'''ミドルセックス州オソルストンにおけるオソルストン男爵'''<small>(11th Baron Ossulston, of Ossulston in the County of Middlesex)</small>に叙せられた。{{#tag:ref|初代男爵の弟ヘンリー・ベネット(1620?-1685)も[[イングランド貴族]]として[[アーリントン男爵]]に叙せられている。|group="註釈"}}<ref>{{Cite web|title=Ossulston, Baron (E, 1682)|url=http://www.cracroftspeerage.co.uk/online/content/ossulston1682.htm|website=www.cracroftspeerage.co.uk|accessdate=2019-12-13}}</ref>
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現存するタンカーヴィル伯爵家は、[[1701年]]に死去したタンカーヴィル伯の唯一の娘メアリーが初代男爵の息子チャールズと結婚したことに始まる。<ref>Mosley, Charles, editor. Burke's Peerage, Baronetage & Knightage, 107th edition, 3 volumes. Wilmington, Delaware, U.S.A.: Burke's Peerage (Genealogical Books) Ltd, 2003.</ref>
現存するタンカーヴィル伯爵家は、[[1701年]]に死去したタンカーヴィル伯の唯一の娘メアリーが初代男爵の息子チャールズと結婚したことに始まる。<ref>Mosley, Charles, editor. Burke's Peerage, Baronetage & Knightage, 107th edition, 3 volumes. Wilmington, Delaware, U.S.A.: Burke's Peerage (Genealogical Books) Ltd, 2003.</ref>
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== 現当主の保有爵位 ==
== 現当主の保有爵位 ==
現当主である[[第10代タンカーヴィル伯爵ピーター・グレイ・ベネット]]は以下の爵位を有する。<ref>{{Cite web|title=Tankerville, Earl of (GB, 1714)|url=http://www.cracroftspeerage.co.uk/online/content/tankerville1714.htm|website=www.cracroftspeerage.co.uk|accessdate=2019-12-13}}</ref><br>
現当主である[[第10代タンカーヴィル伯爵ピーター・グレイ・ベネット]]は以下の爵位を有する。<ref>{{Cite web|title=Tankerville, Earl of (GB, 1714)|url=http://www.cracroftspeerage.co.uk/tankerville1714.htm|website=www.cracroftspeerage.co.uk|accessdate=2019-12-13}}</ref><br>
*'''第10代タンカーヴィル伯爵'''<small>(10th Earl of Tankerville)</small><br>([[1714年]][[10月19日]]の勅許状による[[グレートブリテン貴族]]爵位)
*'''第10代タンカーヴィル伯爵'''<small>(10th Earl of Tankerville)</small><br>([[1714年]][[10月19日]]の勅許状による[[グレートブリテン貴族]]爵位)
*'''第11代ミドルセックス州オソルストンにおけるオソルストン男爵'''<small>(11th Baron Ossulston, of Ossulston in the County of Middlesex)</small><br>([[1682年]][[11月24日]]の勅許状による[[イングランド貴族]]爵位)
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=== オソルストン男爵(1682) ===
=== オソルストン男爵(1682) ===
* [[初代オソルストン男爵ジョン・ベネット]](1618–1695)
* [[初代オソルストン男爵ジョン・ベネット]](1618–1695)
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=== タンカーヴィル伯爵(第3期;1714) ===
=== タンカーヴィル伯爵(第3期;1714) ===
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* [[第10代タンカーヴィル伯爵ピーター・グレイ・ベネット]] (1956-)
* [[第10代タンカーヴィル伯爵ピーター・グレイ・ベネット]] (1956-)


[[法定推定相続人]]は現当主のいとこにあたるエイドリアン・ジョージ・ベネット(1958-)。<ref name="cracroftspeerage">{{Cite web|url=http://www.cracroftspeerage.co.uk/online/content/tankerville1714.htm|title=Tankerville, Earl of (GB, 1714)|website=Cracroft's Peerage|accessdate=9 October 2017}}</ref>
[[法定推定相続人]]は現当主のいとこにあたるエイドリアン・ジョージ・ベネット(1958-)。<ref name="cracroftspeerage">{{Cite web|url=http://www.cracroftspeerage.co.uk/tankerville1714.htm|title=Tankerville, Earl of (GB, 1714)|website=Cracroft's Peerage|accessdate=9 October 2017}}</ref>


== 脚注 ==
== 脚注 ==

2020年12月4日 (金) 05:58時点における版

タンカーヴィル伯爵

創設時期1418年(第1期)
1695年(第2期)
1714年(第3期)
創設者ヘンリー5世(第1期)
ウィリアム3世(第2期)
ジョージ3世(第3期)
貴族グレートブリテン貴族
初代初代タンカーヴィル伯爵ジョン・グレイ(第1期)
現所有者第10代タンカーヴィル伯爵ピーター・グレイ・ベネット(第3期)
付随称号オソルストン男爵
断絶時期1459年(第1期)
1701年(第2期)
旧邸宅チリンガム城
モットーDe bon vouloir servir le roy
("To serve the king with good will")

タンカーヴィル伯爵(英:Earl of Tankerville)は、イギリスの伯爵貴族。有史以来3度にわたり創設されており、1期及び2期はイングランド貴族として、現存する3期はグレートブリテン貴族としてベネット家が保持する。

歴史

グレイ家(第1期)

百年戦争を戦った軍人であるサー・ジョン・グレイ(1384–1421)1418年頃イングランド貴族として叙爵を受けたことが最初の創設である。

やがて彼の息子ヘンリー(1419-1450)が2代伯を継いで、父同様フランス王国との戦争に参加した。

しかし3代伯リチャード(1436-1466)は、イングランド1453年カスティヨンの戦いで大敗したことにより、父祖伝来のノルマンディー地方タンカルヴィルの領地の一切を喪失したうえに、薔薇戦争におけるラドフォード橋の戦いにおいてはヨーク派に与したため、1460年に爵位のすべてを剥奪された。[1]


グレイ家(第2期)

初代タンカーヴィル伯ジョン・グレイ(第2期)の紋章

大蔵卿(イングランド)英語版王璽尚書を歴任したフォード・グレイ(1655-1701)は、1675年に父よりワークのグレイ男爵(Baron Grey of Werke)を承継したのち、1695年にイングランド貴族としてタンカーヴィル伯爵(Earl of Tankerville)及びグレンデイル子爵(Viscount Glendale)に叙せられた。[2]

しかし初代伯には娘メアリーしかいなかったため、伯爵位及び子爵位はわずか一代で廃絶した。なお、男爵位も彼の弟が継いだのちに廃絶した。[2]

ベネット家(第3期)

タンカーヴィル伯爵の旧邸宅であるチリンガム城

旧家ベネット家の出身であるジョン・ベネット英語版(1618-1695)は、1682年イングランド貴族としてミドルセックス州オソルストンにおけるオソルストン男爵(11th Baron Ossulston, of Ossulston in the County of Middlesex)に叙せられた。[註釈 1][3]

現存するタンカーヴィル伯爵家は、1701年に死去したタンカーヴィル伯の唯一の娘メアリーが初代男爵の息子チャールズと結婚したことに始まる。[4]

その2代男爵チャールズ(1674–1722)1695年グレートブリテン貴族としてタンカーヴィル伯爵(Earl of Tankerville)に叙されたことで、女系子孫を通してベネット家による伯爵位の復権がなされた。[5]

その後は、初代伯の直系男子の系統で順当に爵位の継承がなされた。

初代伯のひ孫にあたる4代伯チャールズ(1743–1822)は、強力なクリケットのサポーターとして活躍した一方で[6]地図の蒐集マニアとしても知られており、その名声とコレクションは有名であった。また彼の妻エマも植物の収集家として知られており、彼女のコレクションを描いた600枚以上のイラストはキュウ王立植物園が購入したため、現在も目にすることができる。[7]

その後を襲った長男の5代伯チャールズ (1776–1859)は父のコレクションを売却して約3000~4000ポンドの収益を得たという。[8]

その孫にあたる7代伯ジョージ(1852–1931)は、「歌う伯爵」(’’The Singing Earl’’)の名で知られる有名な讃美歌歌手で、イタリアのテノール歌手ジョバンニ・スブリーリャ英語版に師事してその歌声は「豊かなバリトンと優れたテノールを併せ持つ」と評された。[9]

そのひ孫にあたる10代伯ピーター(1956-)が現当主を務めており、彼もまた初代伯の直系子孫である。


一族の邸宅はノーサンバーランド州チリンガム近郊にあるチリンガム城だったが、1982年に売却されて現在は建築家ハンフリー・ウェイクフィールド英語版(1936-)が所有しているという。[10]

現当主の保有爵位

現当主である第10代タンカーヴィル伯爵ピーター・グレイ・ベネットは以下の爵位を有する。[11]

一覧

タンカーヴィル伯爵家(第3期)の紋章[12]

タンカーヴィル伯爵(第1期;1418)

タンカーヴィル伯爵 (第2期;1695)

ワークのグレイ男爵を参照。

オソルストン男爵(1682)

タンカーヴィル伯爵(第3期;1714)

法定推定相続人は現当主のいとこにあたるエイドリアン・ジョージ・ベネット(1958-)。[13]

脚注

註釈

  1. ^ 初代男爵の弟ヘンリー・ベネット(1620?-1685)もイングランド貴族としてアーリントン男爵に叙せられている。

出典

  1. ^ Bernard Burke, A genealogical history of the dormant, abeyant, forfeited, and extinct peerages of the British Empire, London, 1866, pg 251
  2. ^ a b Tankerville, Earl of (E, 1695 - 1701)”. Cracroft's Peerage. 2019年12月14日閲覧。
  3. ^ Ossulston, Baron (E, 1682)”. www.cracroftspeerage.co.uk. 2019年12月13日閲覧。
  4. ^ Mosley, Charles, editor. Burke's Peerage, Baronetage & Knightage, 107th edition, 3 volumes. Wilmington, Delaware, U.S.A.: Burke's Peerage (Genealogical Books) Ltd, 2003.
  5. ^ "No. 5268". The London Gazette. 12 October 1714. p. 3.
  6. ^ Pall Mall, South Side, Past Buildings: Nos 94–95 Pall Mall: The Star and Garter', Survey of London: volumes 29 and 30: St James Westminster, Part 1 (1960), pp. 351–352. URL. Date accessed: 8 June 2008.
  7. ^ Portraying plants:illustrations collections at the Royal Botanic Gardens, Kew Archived 17 May 2008 at the Wayback Machine, Marilyn Ward and John Flanagan, Art Libraries journal, Feb 2003
  8. ^ A catalogue of the shells contained in the collection of the late Earl of Tankerville Archived 14 November 2004 at the Wayback Machine, arranged according to the Lamarckian conchological system; together with an appendix, containing descriptions of many new species... London, E.J. Stirling for G.B. Sowerby, 1825
  9. ^ Lord Tankerville, 'Singing Earl,' Dies, New York City: The New York Times, 10 July 1931, retrieved 21 March 2014
  10. ^ Duncan, Fiona (7 December 2005). "Britain: As if to the manor born (part 2)". The Daily Telegraph.
  11. ^ Tankerville, Earl of (GB, 1714)”. www.cracroftspeerage.co.uk. 2019年12月13日閲覧。
  12. ^ Burke, Bernard (9 October 1884). “The general armory of England, Scotland, Ireland, and Wales; comprising a registry of armorial bearings from the earliest to the present time”. London: Harrison & Sons. p. 70. 9 October 2017閲覧。
  13. ^ a b Tankerville, Earl of (GB, 1714)”. Cracroft's Peerage. 9 October 2017閲覧。

関連項目

外部リンク