「ビルマのマウントバッテン伯爵」の版間の差分
4行目: | 4行目: | ||
== 歴史 == |
== 歴史 == |
||
[[File:Lord Mountbatten 8 Allan Warren.jpg|thumb|150px|ビルマの初代マウントバッテン伯爵[[ルイス・マウントバッテン|ルイス・フランシス・アルバート・ヴィクター・ニコラス・マウントバッテン]]]] |
[[File:Lord Mountbatten 8 Allan Warren.jpg|thumb|150px|ビルマの初代マウントバッテン伯爵[[ルイス・マウントバッテン|ルイス・フランシス・アルバート・ヴィクター・ニコラス・マウントバッテン]]]] |
||
[[イギリス海軍|王立海軍]]元帥の初代[[ミルフォード・ヘイヴン侯爵]][[ルイス・アレグザンダー・マウントバッテン]](第2代[[ヘッセン大公]][[ルートヴィヒ2世 (ヘッセン大公)|ルートヴィヒ2世]]の孫)とその夫人である[[ヴィクトリア (ミルフォード=ヘイヴン侯爵夫人)|ヴィクトリア]](第4代ヘッセン大公[[ルートヴィヒ4世 (ヘッセン大公)|ルートヴィヒ4世]]の娘で[[ヴィクトリア (イギリス女王)|ヴィクトリア女王]]の孫にあたる)の間の次男である[[ルイス・マウントバッテン|ルイス・フランシス・アルバート・ヴィクター・ニコラス・マウントバッテン]]{{small|(1900–1979)}}は、海軍軍人となり、[[第二次世界大戦]]中に東南アジア連合軍最高司令官を務め、[[日本軍]]から[[ビルマ]]を奪還し{{sfn|松村赳|富田虎男|2000|p=493}}、戦後の[[1946年]][[8月23日]]には[[連合王国貴族]]爵位'''[[サウサンプトン]]州における[[ロムジー]]の[[ビルマ]]のマウントバッテン子爵'''{{small|(Viscount Mountbatten of Burma, of Romsey in the County of Southampton)}}に叙せられた。この爵位は初代伯の嫡出の男系男子に次いで、初代伯の娘(年齢順)とその直系の男系男子を特別継承者{{small|(special remainder)}}とする規定がつけられていた<ref name="thepeerage1">{{Cite web |url=http://thepeerage.com/p10075.htm#i100750|title=Louis Francis Albert Victor Nicholas Mountbatten, 1st Earl Mountbatten of Burma|accessdate= 2019-7-11|last= Lundy |first= Darryl |work= [http://thepeerage.com/ thepeerage.com] |language= 英語 }}</ref><ref name="CP EM">{{Cite web |url=http://www.cracroftspeerage.co.uk |
[[イギリス海軍|王立海軍]]元帥の初代[[ミルフォード・ヘイヴン侯爵]][[ルイス・アレグザンダー・マウントバッテン]](第2代[[ヘッセン大公]][[ルートヴィヒ2世 (ヘッセン大公)|ルートヴィヒ2世]]の孫)とその夫人である[[ヴィクトリア (ミルフォード=ヘイヴン侯爵夫人)|ヴィクトリア]](第4代ヘッセン大公[[ルートヴィヒ4世 (ヘッセン大公)|ルートヴィヒ4世]]の娘で[[ヴィクトリア (イギリス女王)|ヴィクトリア女王]]の孫にあたる)の間の次男である[[ルイス・マウントバッテン|ルイス・フランシス・アルバート・ヴィクター・ニコラス・マウントバッテン]]{{small|(1900–1979)}}は、海軍軍人となり、[[第二次世界大戦]]中に東南アジア連合軍最高司令官を務め、[[日本軍]]から[[ビルマ]]を奪還し{{sfn|松村赳|富田虎男|2000|p=493}}、戦後の[[1946年]][[8月23日]]には[[連合王国貴族]]爵位'''[[サウサンプトン]]州における[[ロムジー]]の[[ビルマ]]のマウントバッテン子爵'''{{small|(Viscount Mountbatten of Burma, of Romsey in the County of Southampton)}}に叙せられた。この爵位は初代伯の嫡出の男系男子に次いで、初代伯の娘(年齢順)とその直系の男系男子を特別継承者{{small|(special remainder)}}とする規定がつけられていた<ref name="thepeerage1">{{Cite web |url=http://thepeerage.com/p10075.htm#i100750|title=Louis Francis Albert Victor Nicholas Mountbatten, 1st Earl Mountbatten of Burma|accessdate= 2019-7-11|last= Lundy |first= Darryl |work= [http://thepeerage.com/ thepeerage.com] |language= 英語 }}</ref><ref name="CP EM">{{Cite web |url=http://www.cracroftspeerage.co.uk/mountbatten1947.htm|title=Mountbatten of Burma, Earl (UK, 1947)|accessdate= 2019-7-11 |last= Heraldic Media Limited |work= [http://www.cracroftspeerage.co.uk/introduction.htm Cracroft's Peerage The Complete Guide to the British Peerage & Baronetage] |language= 英語 }}</ref>。ついで[[1947年]]2月に最後の[[インド総督]]に任じられ、[[インド・パキスタン分離独立]]の処理にあたった。同年[[10月28日]]には連合王国貴族'''サウサンプトン州におけるロムジーのロムジー男爵'''{{small|(Baron Romsey, of Romsey in the County of Southampton)}}と'''ビルマのマウントバッテン伯爵'''{{small|(Earl Mountbatten of Burma)}}に叙せられた。いずれもマウントバッテン子爵位と同じ特別継承者の規定がつけられていた<ref name="thepeerage1"/><ref name="CP EM"/>。その後も海軍軍人として地中海艦隊司令長官や軍令部総長、国防総参謀長などを歴任したが、1965年に引退。そして1979年8月27日に[[アイルランド共和軍]]により爆殺されるという末路を辿った{{sfn|松村赳|富田虎男|2000|p=493}}。 |
||
なお初代伯はヴィクトリア女王の曽孫にあたるとともに[[エリザベス2世]]女王の夫である[[エディンバラ公]][[フィリップ (エディンバラ公)|フィリップ]]の叔父にあたる。 |
なお初代伯はヴィクトリア女王の曽孫にあたるとともに[[エリザベス2世]]女王の夫である[[エディンバラ公]][[フィリップ (エディンバラ公)|フィリップ]]の叔父にあたる。 |
2020年12月4日 (金) 05:53時点における版
ビルマのマウントバッテン伯爵(英: Earl Mountbatten of Burma)は、連合王国貴族の伯爵位。1947年にルイス・マウントバッテンが叙されたのに始まる。
歴史
王立海軍元帥の初代ミルフォード・ヘイヴン侯爵ルイス・アレグザンダー・マウントバッテン(第2代ヘッセン大公ルートヴィヒ2世の孫)とその夫人であるヴィクトリア(第4代ヘッセン大公ルートヴィヒ4世の娘でヴィクトリア女王の孫にあたる)の間の次男であるルイス・フランシス・アルバート・ヴィクター・ニコラス・マウントバッテン(1900–1979)は、海軍軍人となり、第二次世界大戦中に東南アジア連合軍最高司令官を務め、日本軍からビルマを奪還し[1]、戦後の1946年8月23日には連合王国貴族爵位サウサンプトン州におけるロムジーのビルマのマウントバッテン子爵(Viscount Mountbatten of Burma, of Romsey in the County of Southampton)に叙せられた。この爵位は初代伯の嫡出の男系男子に次いで、初代伯の娘(年齢順)とその直系の男系男子を特別継承者(special remainder)とする規定がつけられていた[2][3]。ついで1947年2月に最後のインド総督に任じられ、インド・パキスタン分離独立の処理にあたった。同年10月28日には連合王国貴族サウサンプトン州におけるロムジーのロムジー男爵(Baron Romsey, of Romsey in the County of Southampton)とビルマのマウントバッテン伯爵(Earl Mountbatten of Burma)に叙せられた。いずれもマウントバッテン子爵位と同じ特別継承者の規定がつけられていた[2][3]。その後も海軍軍人として地中海艦隊司令長官や軍令部総長、国防総参謀長などを歴任したが、1965年に引退。そして1979年8月27日にアイルランド共和軍により爆殺されるという末路を辿った[1]。
なお初代伯はヴィクトリア女王の曽孫にあたるとともにエリザベス2世女王の夫であるエディンバラ公フィリップの叔父にあたる。
初代伯には男子がなかったが、特別継承者の規定があったため初代伯の暗殺後、長女のパトリシア・エドウィナ・ヴィクトリア・ナッチブル(1924-2017)が2代伯位を継承した[3][4]。彼女は襲爵前の1946年に第7代ブラボーン男爵ジョン・ナッチブル(1924-2005)と結婚しており、その間の長男であるノートン・ルイス・フィリップ・ナッチブル(1947-)は、2005年の父の死でケント州におけるブラボーンのブラボーン男爵(Baron Brabourne, of Brabourne in the County of Kent)とその従属称号(マーシャム・ハッチの)準男爵(Baronet "of Mersham Hatch")を継承し、ついで2017年の母の死でビルマの第3代マウントバッテン伯爵位以下の3つの爵位も継承した[3][5]。2019年現在の当主も彼である。
現当主の保有爵位・準男爵位
現当主ノートン・ナッチブルは以下の爵位・準男爵位を保有している[3][5]。
- ビルマの第3代マウントバッテン伯爵 (3rd Earl Mountbatten of Burma)
- サウサンプトン州におけるロムジーのビルマの第3代マウントバッテン子爵 (3rd Viscount Mountbatten of Burma, of Romsey in the County of Southampton)
- ケント州におけるブラボーンの第8代ブラボーン男爵 (8th Baron Brabourne, of Brabourne in the County of Kent)
- サウサンプトン州におけるラムジーの第3代ロムジー男爵 (3rd Baron Romsey, of Romsey in the County of Southampton)
- (1947年10月28日の勅許状による連合王国貴族爵位)
- (マーシャム・ハッチの)第17代準男爵 (17th Baronet "of Mersham Hatch")
ビルマのマウントバッテン伯爵 (1947年)
- ビルマの初代マウントバッテン伯爵ルイス・フランシス・アルバート・ヴィクター・ニコラス・マウントバッテン (Louis Francis Albert Victor Nicholas Mountbatten, 1900–1979)
- ビルマの2代マウントバッテン女伯爵パトリシア・エドウィナ・ヴィクトリア・ナッチブル (Patricia Edwina Victoria Knatchbull, 1924–2017)
- ビルマの3代マウントバッテン伯爵ノートン・ルイス・フィリップ・ナッチブル (Norton Louis Philip Knatchbull, 1947-)
- 法定推定相続人は現当主の唯一の息子ブラボーン卿(儀礼称号)ニコラス・ルイス・チャールズ・ノートン・ナッチブル(Nicholas Louis Charles Norton Knatchbull, 1981-)
系図
2代ヘッセン大公 ルートヴィヒ2世 (1777-1848) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||
イギリス女王 ヴィクトリア (1819-1901) | 3代ヘッセン大公 ルートヴィヒ3世 (1806-1877) | カール・フォン・ヘッセン (1809-1877) | アレクサンダー・フォン・ヘッセン (1823-1888) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||
イギリス国王 エドワード7世 (1841-1910) | ヘッセン大公妃 アリス (1843-1878) | 4代ヘッセン大公 ルートヴィヒ4世 (1837-1892) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||
1917年ミルフォード・ヘイヴン侯 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||
イギリス国王 ジョージ5世 (1865-1936) | ヴィクトリア (1863-1950) | 初代ミルフォード・ヘイヴン侯 ルイス・マウントバッテン (1854-1921) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||
姓は初めバッテンベルク(バッテンバーグ) 1917年マウントバッテンに改姓 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||
1947年マウントバッテン伯 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||
イギリス国王 ジョージ6世 (1895-1952) | アリス (1885-1969) | 2代ミルフォード・ヘイヴン侯 ジョージ・マウントバッテン (1892-1938) | 初代マウントバッテン伯 ルイス・マウントバッテン (1900-1979) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||
ブラボーン男爵 ナッチブル家より | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||
1947年エディンバラ公爵 | ミルフォード・ヘイヴン侯爵 マウントバッテン家へ | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||
イギリス女王 エリザベス2世 (1926-) | 初代エディンバラ公爵 フィリップ (1921-) | 2代マウントバッテン女伯 パトリシア・ナッチブル (1924-2017) | 7代ブラボーン男爵 ジョン・ナッチブル (1924-2005) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||
ウェールズ大公 チャールズ (1948-) | 3代マウントバッテン伯 8代ブラボーン男爵 ノートン・ナッチブル (1947-) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ブラボーン卿(儀礼称号) ニコラス・ナッチブル (1981-) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||
脚注
注釈
出典
- ^ a b 松村赳 & 富田虎男 2000, p. 493.
- ^ a b Lundy, Darryl. “Louis Francis Albert Victor Nicholas Mountbatten, 1st Earl Mountbatten of Burma” (英語). thepeerage.com. 2019年7月11日閲覧。
- ^ a b c d e Heraldic Media Limited. “Mountbatten of Burma, Earl (UK, 1947)” (英語). Cracroft's Peerage The Complete Guide to the British Peerage & Baronetage. 2019年7月11日閲覧。
- ^ Lundy, Darryl. “Patricia Edwina Victoria Mountbatten, Countess Mountbatten of Burma” (英語). thepeerage.com. 2019年7月11日閲覧。
- ^ a b Lundy, Darryl. “Norton Louis Philip Knatchbull, 3rd Earl Mountbatten of Burma” (英語). thepeerage.com. 2019年7月11日閲覧。
参考文献
- 松村赳、富田虎男『英米史辞典』研究社、2000年。ISBN 978-4767430478。