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「ハーバート男爵」の版間の差分

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== 歴史 ==
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2020年12月4日 (金) 05:41時点における版

ハーバート男爵

紋章記述

Arms:Per pale Azure and Gules three Lions rampant two and one Argent Crest:A Moorish Woman's Head and Shoulders Sable about the head a Wreath Argent and Gules in her sinister ear a Ring Or Supporters:Dexter: A Lion Argent; Sinister: A Panther guardant Argent semée of Roundels Vert Azure and Gules incensed proper, both gorged with a Collar attached thereto a Chain reflexed over the back and terminating in a Ring Or
創設時期1461年7月26日
創設者エドワード4世
貴族イングランド貴族
初代初代男爵ウィリアム・ハーバート英語版
現所有者19代男爵デイヴィッド・サイフリード=ハーバート英語版
相続人オスカー・ハーバート閣下
付随称号なし
現況現存
モットーHonour thy word

ハーバート男爵: Baron Herbert)は、イギリスの貴族男爵イングランド貴族爵位。廷臣ウィリアム・ハーバート英語版が1461年に議会招集を受けたことに始まり、ボーフォート公爵家を経て、現在はサイフリード=ハーバート家が保持する。

歴史

18代男爵(10代公)ヘンリー・サマセット。彼の死後、2002年まで爵位停止となった。

その始祖ウィリアム・ハーバート英語版(1423-1469)は父ウィリアム・アプ・トマス英語版とともにリチャード・プランタジネットを支持して、薔薇戦争においてはヨーク派に属した廷臣である[1]。彼は1461年7月26日にイングランド貴族ハーバート男爵(Baron Herbert)として貴族院より議会招集を受けた[1][2]。ウィリアムは1468年にペンブルック伯爵(Earl of Pembroke)へと位階を進めている[2][3]

その子である2代伯ウィリアム(1451-1491)は国王エドワード4世によってウェールズのペンブルック伯領放棄と引き換えにハンティンドン伯爵英語版(Earl of Huningdon)を授けられたが、男子がおらずこの伯爵位は廃絶した[2][3]。他方、女系継承を許す男爵位は彼の娘エリザベスに継承された[2]

3代女男爵エリザベス(1476-1513)はのちにウスター伯爵家を興すチャールズ・サマセット[註釈 1]と結婚したため、爵位はサマセット家へと流出することとなった[2]。同家はやがてボーフォート公爵に叙されるとともに、男爵位も15代にわたって継承され続けた[2]

しかし、18代男爵にあたる第10代ボーフォート公爵が子のないまま死去すると、男爵位は彼の長妹ブランシェの子孫間で優劣がつかず、爵位は停止した[2]

その後、親族のデイヴィッド・サイフリード英語版(1952-)2002年1月10日にハーバート男爵を継承することが認められて、停止解除となった[註釈 2][2][5]。彼は同年にハーバートの姓名と紋章の使用を認める勅許を得て、家名を「サイフリード=ハーバート(Seyfried-Herbert)」としている[6]。2020年現在、その彼が当代の男爵である。

ハーバート男爵(1461年)

爵位の法定推定相続人は、現当主の息子であるオスカー・ジェイムズ・サイフリード・ハーバート閣下(2004- )。

脚注

註釈

  1. ^ チャールズは妻の権利英語版によってラグラン、チェプストー及びゴアのハーバート男爵(: Baron Herbert of Raglan, Chepstow and Gower)を得て、その後は男爵位叙爵に基づいて議会招集も受けたとされる[2][4]。しかしながら、その叙爵にかかる勅許状は見つかっていない[2]
  2. ^ デイヴィッド・サイフリードは10代公の長妹ブランシェの次女の長男にあたる[2]

出典

  1. ^ a b R. A. Griffiths. "Herbert, William, first earl of Pembroke". Oxford Dictionary of National Biography (英語) (online ed.). Oxford University Press. doi:10.1093/ref:odnb/13053 (要購読、またはイギリス公立図書館への会員加入。)
  2. ^ a b c d e f g h i j k Heraldic Media Limited. “Herbert, Baron (E, 1461)” (英語). www.cracroftspeerage.co.uk. Cracroft's Peerage The Complete Guide to the British Peerage & Baronetage. 2020年9月7日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年9月7日閲覧。
  3. ^ a b Chisholm, Hugh, ed. (1911). "Herbert" . Encyclopædia Britannica (英語). Vol. 13 (11th ed.). Cambridge University Press. p. 339.
  4. ^  この記述にはアメリカ合衆国内で著作権が消滅した次の百科事典本文を含む: Chisholm, Hugh, ed. (1911). "Worcester, Earls and Marquesses of". Encyclopædia Britannica (英語). Vol. 28 (11th ed.). Cambridge University Press. p. 820.
  5. ^ "Crown Office". The London Gazette (英語). No. 56481. 14 February 2002. 2020年9月26日閲覧
  6. ^ (Lord Chancellor’s Department)"Change of Name and/or Arms". The London Gazette (英語). No. 56772. 4 December 2002. 2020年9月26日閲覧

関連項目