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[[ファイル:10th_Duke_of_Beaufort_4_Allan_Warren.jpg|サムネイル|200x200ピクセル|18代男爵(10代公)[[ヘンリー・サマセット (第10代ボーフォート公)|ヘンリー・サマセット]]。彼の死後、2002年まで爵位停止となった。]] |
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その始祖{{仮リンク|ウィリアム・ハーバート_(初代ペンブルック伯爵、1469年没)|en|William_Herbert,_1st_Earl_of_Pembroke_(died_1469)|label=ウィリアム・ハーバート}}{{Fontsize|small|(1423-1469)}}は父{{仮リンク|ウィリアム・アプ・トマス|en|William_ap_Thomas}}とともに[[リチャード・プランタジネット (第3代ヨーク公)|リチャード・プランタジネット]]を支持して、[[薔薇戦争]]においては[[ヨーク朝|ヨーク派]]に属した廷臣である<ref name=":0">{{Cite ODNB|id=13053|title=Herbert, William, first earl of Pembroke|author=R. A. Griffiths}}</ref>。彼は1461年7月26日に[[イングランド貴族]]の'''ハーバート男爵'''{{Fontsize|small|(Baron Herbert)}}として[[貴族院 (イギリス)|貴族院]]より議会招集を受けた<ref name=":0" /><ref name=":02">{{Cite web|title=Herbert, Baron (E, 1461)|url=http://www.cracroftspeerage.co.uk |
その始祖{{仮リンク|ウィリアム・ハーバート_(初代ペンブルック伯爵、1469年没)|en|William_Herbert,_1st_Earl_of_Pembroke_(died_1469)|label=ウィリアム・ハーバート}}{{Fontsize|small|(1423-1469)}}は父{{仮リンク|ウィリアム・アプ・トマス|en|William_ap_Thomas}}とともに[[リチャード・プランタジネット (第3代ヨーク公)|リチャード・プランタジネット]]を支持して、[[薔薇戦争]]においては[[ヨーク朝|ヨーク派]]に属した廷臣である<ref name=":0">{{Cite ODNB|id=13053|title=Herbert, William, first earl of Pembroke|author=R. A. Griffiths}}</ref>。彼は1461年7月26日に[[イングランド貴族]]の'''ハーバート男爵'''{{Fontsize|small|(Baron Herbert)}}として[[貴族院 (イギリス)|貴族院]]より議会招集を受けた<ref name=":0" /><ref name=":02">{{Cite web|title=Herbert, Baron (E, 1461)|url=http://www.cracroftspeerage.co.uk/herbert1461.htm|website=www.cracroftspeerage.co.uk|accessdate=2020-09-07|publisher=|last=Heraldic Media Limited|archivedate=2020年9月7日|archiveurl=https://web.archive.org/web/20110823031400/http://www.cracroftspeerage.co.uk/herbert1461.htm|work=[http://www.cracroftspeerage.co.uk/introduction.htm Cracroft's Peerage The Complete Guide to the British Peerage & Baronetage]|language=英語}}</ref>。ウィリアムは1468年に'''[[ペンブルック伯爵]]'''{{Fontsize|small|(Earl of Pembroke)}}へと位階を進めている<ref name=":02" /><ref name="EB19112">{{Cite EB1911|wstitle=Herbert|volume=13|pages=339}}</ref>。 |
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その子である2代伯ウィリアム{{Fontsize|small|(1451-1491)}}は国王[[エドワード4世 (イングランド王)|エドワード4世]]によって[[ウェールズ]]のペンブルック伯領放棄と引き換えに'''{{仮リンク|ハンティンドン伯爵|en|Earl_of_Huntingdon}}'''{{Fontsize|small|(Earl of Huningdon)}}を授けられたが、男子がおらずこの伯爵位は廃絶した<ref name=":02" /><ref name="EB19112" />。他方、女系継承を許す男爵位は彼の娘エリザベスに継承された<ref name=":02" />。 |
2020年12月4日 (金) 05:41時点における版
ハーバート男爵 | |
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Arms:Per pale Azure and Gules three Lions rampant two and one Argent Crest:A Moorish Woman's Head and Shoulders Sable about the head a Wreath Argent and Gules in her sinister ear a Ring Or Supporters:Dexter: A Lion Argent; Sinister: A Panther guardant Argent semée of Roundels Vert Azure and Gules incensed proper, both gorged with a Collar attached thereto a Chain reflexed over the back and terminating in a Ring Or
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創設時期 | 1461年7月26日 |
創設者 | エドワード4世 |
貴族 | イングランド貴族 |
初代 | 初代男爵ウィリアム・ハーバート |
現所有者 | 19代男爵デイヴィッド・サイフリード=ハーバート |
相続人 | オスカー・ハーバート閣下 |
付随称号 | なし |
現況 | 現存 |
モットー | Honour thy word |
ハーバート男爵(英: Baron Herbert)は、イギリスの貴族、男爵。イングランド貴族爵位。廷臣ウィリアム・ハーバートが1461年に議会招集を受けたことに始まり、ボーフォート公爵家を経て、現在はサイフリード=ハーバート家が保持する。
歴史
その始祖ウィリアム・ハーバート(1423-1469)は父ウィリアム・アプ・トマスとともにリチャード・プランタジネットを支持して、薔薇戦争においてはヨーク派に属した廷臣である[1]。彼は1461年7月26日にイングランド貴族のハーバート男爵(Baron Herbert)として貴族院より議会招集を受けた[1][2]。ウィリアムは1468年にペンブルック伯爵(Earl of Pembroke)へと位階を進めている[2][3]。
その子である2代伯ウィリアム(1451-1491)は国王エドワード4世によってウェールズのペンブルック伯領放棄と引き換えにハンティンドン伯爵(Earl of Huningdon)を授けられたが、男子がおらずこの伯爵位は廃絶した[2][3]。他方、女系継承を許す男爵位は彼の娘エリザベスに継承された[2]。
3代女男爵エリザベス(1476-1513)はのちにウスター伯爵家を興すチャールズ・サマセット[註釈 1]と結婚したため、爵位はサマセット家へと流出することとなった[2]。同家はやがてボーフォート公爵に叙されるとともに、男爵位も15代にわたって継承され続けた[2]。
しかし、18代男爵にあたる第10代ボーフォート公爵が子のないまま死去すると、男爵位は彼の長妹ブランシェの子孫間で優劣がつかず、爵位は停止した[2]。
その後、親族のデイヴィッド・サイフリード(1952-)が2002年1月10日にハーバート男爵を継承することが認められて、停止解除となった[註釈 2][2][5]。彼は同年にハーバートの姓名と紋章の使用を認める勅許を得て、家名を「サイフリード=ハーバート(Seyfried-Herbert)」としている[6]。2020年現在、その彼が当代の男爵である。
ハーバート男爵(1461年)
- 初代ハーバート男爵(初代ペンブルック伯爵)ウィリアム・ハーバート (1423–1469)
- 第2代ハーバート男爵(第2代ペンブルック伯爵)ウィリアム・ハーバート (d. 1491)
- 第3代ハーバート女男爵エリザベス・サマセット (c.1476-1509/13)
- 第4代ハーバート男爵(第2代ウスター伯爵)ヘンリー・サマセット (c. 1495–1548) (son);
- 第5代ハーバート男爵(第3代ウスター伯爵)ウィリアム・サマセット (d. 1589) (son);
- 第6代ハーバート男爵(第4代ウスター伯爵)エドワード・サマセット (d. 1628) (son);
- 第7代ハーバート男爵(初代ウスター侯爵)ヘンリー・サマセット
- 第8代ハーバート男爵(第2代ウスター侯爵)エドワード・サマセット (1601–1667)
- 第9代ハーバート男爵(初代ボーフォート公爵)ヘンリー・サマセット (1629–1700)
- 第10代ハーバート男爵(第2代ボーフォート公爵)ヘンリー・サマセット (1684–1714)
- 第11代ハーバート男爵(第3代ボーフォート公爵)ヘンリー・サマセット (1707–1745)
- 第12代ハーバート男爵(第4代ボーフォート公爵)チャールズ・ノエル・サマセット (1709–1756)
- 第13代ハーバート男爵(第5代ボーフォート公爵)ヘンリー・サマセット (1744–1803)
- 第14代ハーバート男爵(第6代ボーフォート公爵)ヘンリー・チャールズ・サマセット (1766–1835)
- 第15代ハーバート男爵(第7代ボーフォート公爵)ヘンリー・サマセット (1792–1853)
- 第16代ハーバート男爵(第8代ボーフォート公爵)ヘンリー・チャールズ・フィッツロイ・サマセット (1824–1899)
- 第17代ハーバート男爵(第9代ボーフォート公爵)ヘンリー・アデルバート・ウェリントン・フィッツロイ・サマセット (1847–1924)
- 第18代ハーバート男爵(第10代ボーフォート公爵)ヘンリー・ヒュー・アーサー・サマセット (1900–1984) (1984年に爵位停止)
- 第19代ハーバート男爵デイヴィッド・ジョン・サイフリード=ハーバート (1952- ) (2002年に爵位停止解除)
爵位の法定推定相続人は、現当主の息子であるオスカー・ジェイムズ・サイフリード・ハーバート閣下(2004- )。
脚注
註釈
- ^ チャールズは妻の権利によってラグラン、チェプストー及びゴアのハーバート男爵(英: Baron Herbert of Raglan, Chepstow and Gower)を得て、その後は男爵位叙爵に基づいて議会招集も受けたとされる[2][4]。しかしながら、その叙爵にかかる勅許状は見つかっていない[2]。
- ^ デイヴィッド・サイフリードは10代公の長妹ブランシェの次女の長男にあたる[2]。
出典
- ^ a b R. A. Griffiths. "Herbert, William, first earl of Pembroke". Oxford Dictionary of National Biography (英語) (online ed.). Oxford University Press. doi:10.1093/ref:odnb/13053。 (要購読、またはイギリス公立図書館への会員加入。)
- ^ a b c d e f g h i j k Heraldic Media Limited. “Herbert, Baron (E, 1461)” (英語). www.cracroftspeerage.co.uk. Cracroft's Peerage The Complete Guide to the British Peerage & Baronetage. 2020年9月7日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年9月7日閲覧。
- ^ a b Chisholm, Hugh, ed. (1911). . Encyclopædia Britannica (英語). Vol. 13 (11th ed.). Cambridge University Press. p. 339.
- ^ この記述にはアメリカ合衆国内で著作権が消滅した次の百科事典本文を含む: Chisholm, Hugh, ed. (1911). "Worcester, Earls and Marquesses of". Encyclopædia Britannica (英語). Vol. 28 (11th ed.). Cambridge University Press. p. 820.
- ^ "Crown Office". The London Gazette (英語). No. 56481. 14 February 2002. 2020年9月26日閲覧。
- ^ (Lord Chancellor’s Department)"Change of Name and/or Arms". The London Gazette (英語). No. 56772. 4 December 2002. 2020年9月26日閲覧。