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[[1509年]]には、初代卿の孫で[[スコットランド枢密院顧問官]]を務めた3代卿デイビッド<small>(1463-1513)</small>が'''カセルス伯爵'''<small>(Earl of Cassillis)</small>{{#tag:ref|実際の発音は、({{IPAc-en|ˈ|k|æ|s|əl|z}} {{respell|KASS|əlz}})であり、対応するカタカナ表記では「カサルズ」。|group="註釈"}}に叙された。<ref name=":1" />その後も初代伯の系統は7代伯ジョン <small>(1653-1701)</small>まで順当に継承されていったが、その孫である8代伯ジョン<small>(1700–1759)</small>が[[1759年]]に嗣子なく没した。<ref name=":1">{{Cite web|url=http://www.cracroftspeerage.co.uk |
[[1509年]]には、初代卿の孫で[[スコットランド枢密院顧問官]]を務めた3代卿デイビッド<small>(1463-1513)</small>が'''カセルス伯爵'''<small>(Earl of Cassillis)</small>{{#tag:ref|実際の発音は、({{IPAc-en|ˈ|k|æ|s|əl|z}} {{respell|KASS|əlz}})であり、対応するカタカナ表記では「カサルズ」。|group="註釈"}}に叙された。<ref name=":1" />その後も初代伯の系統は7代伯ジョン <small>(1653-1701)</small>まで順当に継承されていったが、その孫である8代伯ジョン<small>(1700–1759)</small>が[[1759年]]に嗣子なく没した。<ref name=":1">{{Cite web|url=http://www.cracroftspeerage.co.uk/cassillis1509.htm|title=Cassillis, Earl of (S, 1509)|accessdate=2019年11月29日|publisher=Cracroft's Peerage}}</ref><br>この際に、伯爵位及び卿位が男系相続(heir male)であるのか、女系も含めた相続(heir general)かを巡って論争となった。男系の場合は、3代伯の男系子孫である{{仮リンク|クレインのケネディ准男爵|en|Kennedy_baronets#Kennedy_baronets.2C_of_Culzean_.281682.29|label=}}家当主のトーマス・ケネディ<small>(?-1775)</small>が継承者であった。一方で女系の継承者として、7代伯の娘の孫にあたる[[ウィリアム・ダグラス (第4代クイーンズベリー公爵)|第4代クイーンズベリー公爵ウィリアム・ダグラス]]がその爵位の継承を主張したため、[[貴族院 (イギリス)|貴族院]]による裁定を求めることとなった。<ref name=":1" /> |
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これに対して、貴族院は[[1762年]]に『カセルス伯爵位及びケネディ卿位は男系子孫がこれを承継する』との決定を下したため、トーマス・ケネディが第9代カセルス伯爵を襲うこととなった。<ref name=":1" /><ref> The Complete Peerage, vol. III, pp 78 – 79</ref> |
これに対して、貴族院は[[1762年]]に『カセルス伯爵位及びケネディ卿位は男系子孫がこれを承継する』との決定を下したため、トーマス・ケネディが第9代カセルス伯爵を襲うこととなった。<ref name=":1" /><ref> The Complete Peerage, vol. III, pp 78 – 79</ref> |
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9代伯ののちは弟のデイヴィッドが爵位を相続した。しかし、10代伯デイヴィッド<small>(?-1792)</small>には男子がなかったため(クレインのケネディ)準男爵位は廃絶、カセルス伯爵は遠縁のアーチボルド<small>(?-1794)</small>が爵位を相続した。<ref name=":1" />さらに、その息子である12代伯アーチーボルド<small>(1770–1846)</small>は[[貴族代表議員|スコットランド貴族代表議員]]を務めたほか、[[1831年]]に'''エアー州エイルザ島のエイルザ侯爵'''<small>(Marquess of Ailsa of the Isle of Ailsa in the County of Ayr)</small>に陛爵した。 |
9代伯ののちは弟のデイヴィッドが爵位を相続した。しかし、10代伯デイヴィッド<small>(?-1792)</small>には男子がなかったため(クレインのケネディ)準男爵位は廃絶、カセルス伯爵は遠縁のアーチボルド<small>(?-1794)</small>が爵位を相続した。<ref name=":1" />さらに、その息子である12代伯アーチーボルド<small>(1770–1846)</small>は[[貴族代表議員|スコットランド貴族代表議員]]を務めたほか、[[1831年]]に'''エアー州エイルザ島のエイルザ侯爵'''<small>(Marquess of Ailsa of the Isle of Ailsa in the County of Ayr)</small>に陛爵した。 |
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現在もその初代侯の系統で続いており、彼が[[1806年]]に[[連合王国貴族]]として'''エアー州エイルザのエイルザ男爵'''<small>(Baron Ailsa, of Ailsa in the County of Ayr)</small>に叙されたため、[[1999年貴族院法]]制定まではエイルザ侯爵家当主は自動的に[[貴族院 (イギリス)|貴族院]]に議席を持ち続けていた。<ref name=":2" /><ref>{{Cite web|url=https://www.thegazette.co.uk/London/issue/15971/page/1438|title=No.15971|accessdate=2019年11月29日|publisher=The Gazette 1 November 1806}}</ref> |
現在もその初代侯の系統で続いており、彼が[[1806年]]に[[連合王国貴族]]として'''エアー州エイルザのエイルザ男爵'''<small>(Baron Ailsa, of Ailsa in the County of Ayr)</small>に叙されたため、[[1999年貴族院法]]制定まではエイルザ侯爵家当主は自動的に[[貴族院 (イギリス)|貴族院]]に議席を持ち続けていた。<ref name=":2" /><ref>{{Cite web|url=https://www.thegazette.co.uk/London/issue/15971/page/1438|title=No.15971|accessdate=2019年11月29日|publisher=The Gazette 1 November 1806}}</ref> |
2020年12月4日 (金) 05:27時点における版
エイルザ侯爵 | |
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創設時期 | 1831年9月10日 |
創設者 | ウィリアム4世 |
貴族 | 連合王国貴族 |
初代 | 第12代カセルス伯ジョン・ケネディ |
現所有者 | 第9代エイルザ侯デイビッド・トーマス・ケネディ |
相続資格 | 初代侯の嫡出直系男子(1st Marquess's heirs male of the body lawfully begotten) |
付随称号 | カセルス伯 ケネディ卿 エイルザ男爵 |
旧邸宅 | カセルスハウス(Cassillis House) クレイン城(Culzean Castle) |
モットー | AVISE LA FIN (Consider the end) [1] |
エイルザ侯爵(英:Marquess of Ailsa)は、イギリスの侯爵位、貴族。連合王国貴族爵位。スコットランド貴族の第12代カセルス伯爵アーチーボルド・ケネディが1831年に叙された。[2][3]
爵位はクライド湾に浮かぶ小島、アルサクレイグ島に由来するもので長らくケネディ家の所有であったが、2013年に売却された。[4] なお、エイルザ侯爵家の当主は代々ケネディ氏族の氏族長を務める。
かつての邸宅には、カセルスハウスやエアーシャー州メイルボール近郊のクレイン城などがあった。[5]
歴史
スコットランドの有力氏族であるケネディ家の歴史は長く、14世紀末までにその先祖の存在を確認することができる。その中でも、ギルバート・ケネディ(1406頃‐1480頃)がスコットランド王ジェームズ3世の御世の1457年にケネディー卿(Lord Kennedy)に叙されたことはのちのエイルザ侯爵家につながる出来事であった。[7]
1509年には、初代卿の孫でスコットランド枢密院顧問官を務めた3代卿デイビッド(1463-1513)がカセルス伯爵(Earl of Cassillis)[註釈 1]に叙された。[8]その後も初代伯の系統は7代伯ジョン (1653-1701)まで順当に継承されていったが、その孫である8代伯ジョン(1700–1759)が1759年に嗣子なく没した。[8]
この際に、伯爵位及び卿位が男系相続(heir male)であるのか、女系も含めた相続(heir general)かを巡って論争となった。男系の場合は、3代伯の男系子孫であるクレインのケネディ准男爵家当主のトーマス・ケネディ(?-1775)が継承者であった。一方で女系の継承者として、7代伯の娘の孫にあたる第4代クイーンズベリー公爵ウィリアム・ダグラスがその爵位の継承を主張したため、貴族院による裁定を求めることとなった。[8]
これに対して、貴族院は1762年に『カセルス伯爵位及びケネディ卿位は男系子孫がこれを承継する』との決定を下したため、トーマス・ケネディが第9代カセルス伯爵を襲うこととなった。[8][9]
9代伯ののちは弟のデイヴィッドが爵位を相続した。しかし、10代伯デイヴィッド(?-1792)には男子がなかったため(クレインのケネディ)準男爵位は廃絶、カセルス伯爵は遠縁のアーチボルド(?-1794)が爵位を相続した。[8]さらに、その息子である12代伯アーチーボルド(1770–1846)はスコットランド貴族代表議員を務めたほか、1831年にエアー州エイルザ島のエイルザ侯爵(Marquess of Ailsa of the Isle of Ailsa in the County of Ayr)に陛爵した。 [2][10]
現在もその初代侯の系統で続いており、彼が1806年に連合王国貴族としてエアー州エイルザのエイルザ男爵(Baron Ailsa, of Ailsa in the County of Ayr)に叙されたため、1999年貴族院法制定まではエイルザ侯爵家当主は自動的に貴族院に議席を持ち続けていた。[10][11]
現当主の保有爵位
現当主である第9代エイルザ侯爵デイビッド・トーマス・ケネディは以下の爵位を保有している。 [10]
- 第9代エアー州エイルザ島のエイルザ侯爵(9th Marquess of Ailsa, of the Isle of Ailsa in the County of Ayr)
(1831年9月10日の勅許状による連合王国貴族爵位) - 第20代カセルス伯爵(20th Earl of Cassillis)
(1509年創設のスコットランド貴族爵位) - 第22代ケネディ卿(22nd Lord Kennedy)
(1457年創設のスコットランド貴族爵位) - 第9代エアー州エイルザのエイルザ男爵(9th Baron Ailsa, of Ailsa in the County of Ayr)
(1806年11月12日の勅許状による連合王国貴族爵位)
一覧
ケネディ卿(1457)
- 初代ケネディ卿ギルバート・ケネディ(c. 1406–c. 1480)
- 第2代ケネディ卿ジョン・ケネディ(生年未詳-1508)
- 第3代ケネディ卿デイビッド・ケネディ (生年未詳-1513) (1509年にカセルス伯爵位創設)
カセルス伯爵(1509)
- 初代カセルス伯(第3代ケネディ卿)デイビッド・ケネディ(1463-1513)
- 第2代カセルス伯爵(第4代ケネディ卿)ギルバート・ケネディ(生年未詳-1527)
- 第3代カセルス伯爵(第5代ケネディ卿)ギルバート・ケネディ(1515–1558)
- 第4代カセルス伯爵(第6代ケネディ卿)ギルバート・ケネディ(1541頃–1576)
- 第5代カセルス伯爵(第7代ケネディ卿)ジョン・ケネディ(1573頃–1615)
- 第6代カセルス伯爵(第8代ケネディ卿)ジョン・ケネディ(生年未詳-1668)
- 第7代カセルス伯爵(第9代ケネディ卿)ジョン・ケネディ(1653-1701)
- 第8代カセルス伯爵(第10代ケネディ卿)ジョン・ケネディ(1700–1759)
- 第9代カセルス伯爵(第11代ケネディ卿)トーマス・ケネディ(生年未詳-1775)(クレインのケネディ準男爵家第4代当主)
- 第10代カセルス伯爵(第12代ケネディ卿)デイビッド・ケネディ(生年未詳-1792) (1792年にクレインのケネディ準男爵廃絶)
- 第11代カセルス伯爵(第13代ケネディ卿)アーチボルド・ケネディ(生年未詳-1794)
- 第12代カセルス伯爵(第14代ケネディ卿ジョン・ケネディ(1770–1846) (1807年にエイルザ男爵、ついで1831年にエイルザ侯爵位創設)
エイルザ侯爵(1831)
- 初代エイルザ侯爵(第12代カセルス伯爵)ジョン・ケネディ(1770–1846)
- 第2代エイルザ侯爵(第13代カセルス伯爵)アーチボルド・ケネディ(1816–1870)
- 第3代エイルザ侯爵(第14代カセルス伯爵)アーチボルド・ケネディ(1847–1938)
- 第4代エイルザ侯爵(第15代カセルス伯爵)アーチボルド・ケネディ(1872–1943)
- 第5代エイルザ侯爵(第16代カセルス伯爵)チャールズ・ケネディ(1875–1956)
- 第6代エイルザ侯爵(第17代カセルス伯爵)アンガス・ケネディ(1882–1957)
- 第7代エイルザ侯爵(第18代カセルス伯爵)アーチボルド・デイビッド・ケネディ(1925–1994)
- 第8代エイルザ侯爵(第19代カセルス伯爵)アーチーボルド・アンガス・チャールズ・ケネディ (1956–2015)
- 第9代エイルザ侯爵(第20代カセルス伯爵)デイビッド・トーマス・ケネディ (1958-)
法定推定相続人は現当主の息子であるカセルス伯爵(儀礼称号)アーチーボルド・デイビッド・ケネディ(1995-)。
脚注
註釈
出典
- ^ Debrett's Peerage, 1876, p.16
- ^ a b “No.18846”. The Gazette 9 September 1831. 2019年11月29日閲覧。
- ^ Cokayne(1910), p. 67.
- ^ Kevin McKenna, 'Ailsa Craig, granite jewel of the Firth of Clyde, finally finds a buyer', The Guardian, Saturday 7 December 2013
- ^ “Battle brews over castle 'clearances'” (英語). www.scotsman.com. 2019年11月28日閲覧。
- ^ “Battle brews over castle 'clearances'” (英語). www.scotsman.com. 2019年11月28日閲覧。
- ^ “Kennedy, Lord (S, 1457-8)”. Cracroft's Peerage. 2019年11月29日閲覧。
- ^ a b c d e “Cassillis, Earl of (S, 1509)”. Cracroft's Peerage. 2019年11月29日閲覧。
- ^ The Complete Peerage, vol. III, pp 78 – 79
- ^ a b c “Ailsa, Marquess of (UK, 1831)”. Cracroft's Peerage. 2019年11月29日閲覧。
- ^ “No.15971”. The Gazette 1 November 1806. 2019年11月29日閲覧。
関連項目
参考図書
- Cokayne, George E. (1910). Gibbs, Vicary. ed. The complete peerage of England, Scotland, Ireland, Great Britain and the United Kingdom, extant, extinct, or dormant. I, Ab-Adam to Basing. London: St. Catherine Press. pp. 67–68
- Cokayne, George E. (1998). Hammond, Peter W.. ed. The complete peerage of England, Scotland, Ireland, Great Britain and the United Kingdom, extant, extinct, or dormant. XIV, Addenda and Corrigenda. London: St. Catherine Press. pp. 12–13
- The Rulers of Strathspey, a history of the lairds of Grant and the Earls of Seafield, 1911, by the Earl of Cassilis