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'''第3代ラクソール男爵ユースタス・ヒューバート・バイルビー・ギブズ'''({{lang-en-short|Eustace Hubert Beilby Gibbs, 3rd Baron Wraxall, [[ロイヤル・ヴィクトリア勲章#ナイト・コマンダー及びデイム・コマンダー|KCVO]] [[聖マイケル・聖ジョージ勲章#コンパニオン|CMG]]}}、[[1929年]][[7月3日]] - [[2017年]][[5月17日]])は、英国の元外交官である。[[2001年]][[7月19日]]に、兄で先代のラクソール男爵、リチャードの死を受けて第3代ラクソール男爵となった。父と同じく[[イートン・カレッジ]]から[[オックスフォード大学]]の[[クライスト・チャーチ (オックスフォード大学)|クライスト・チャーチ]]に進んでいる。 |
'''第3代ラクソール男爵ユースタス・ヒューバート・バイルビー・ギブズ'''({{lang-en-short|Eustace Hubert Beilby Gibbs, 3rd Baron Wraxall, [[ロイヤル・ヴィクトリア勲章#ナイト・コマンダー及びデイム・コマンダー|KCVO]] [[聖マイケル・聖ジョージ勲章#コンパニオン|CMG]]}}、[[1929年]][[7月3日]] - [[2017年]][[5月17日]])は、英国の元外交官である。[[2001年]][[7月19日]]に、兄で先代のラクソール男爵、リチャードの死を受けて第3代ラクソール男爵となった。父と同じく[[イートン・カレッジ]]から[[オックスフォード大学]]の[[クライスト・チャーチ (オックスフォード大学)|クライスト・チャーチ]]に進んでいる。 |
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ユースタスは、[[1982年]]から[[1986年]]にかけて{{仮リンク|外交団式部官|label=外交団副式部官|en|Marshal of the Diplomatic Corps}}を務めた<ref>{{cite web|url=http://www.rosl.org.uk/rosl/upload/OSDec09Feb10NO%20ADS.pdf|title=ROSL Newsletter "Overseas" Dec 2009-Feb 2010|format=PDF|page=19|deadlink=2016-08-20|archiveurl=https://web.archive.org/web/20101011045132/http://www.rosl.org.uk/rosl/upload/OSDec09Feb10NO%20ADS.pdf|archivedate=2010-10-11|accessdate=2016-08-20}}</ref><ref>{{cite web|url=http://www.cracroftspeerage.co.uk |
ユースタスは、[[1982年]]から[[1986年]]にかけて{{仮リンク|外交団式部官|label=外交団副式部官|en|Marshal of the Diplomatic Corps}}を務めた<ref>{{cite web|url=http://www.rosl.org.uk/rosl/upload/OSDec09Feb10NO%20ADS.pdf|title=ROSL Newsletter "Overseas" Dec 2009-Feb 2010|format=PDF|page=19|deadlink=2016-08-20|archiveurl=https://web.archive.org/web/20101011045132/http://www.rosl.org.uk/rosl/upload/OSDec09Feb10NO%20ADS.pdf|archivedate=2010-10-11|accessdate=2016-08-20}}</ref><ref>{{cite web|url=http://www.cracroftspeerage.co.uk/index1191.htm|publisher=Cracroft's Peerage online|title=Wraxall, Baron (UK, 1928)|deadlink=2016-08-20|archiveurl=https://web.archive.org/web/20110928130803/http://www.cracroftspeerage.co.uk/index1191.htm|archivedate=2011-09-28|accessdate=2016-08-20}}</ref>。また[[バンコク]]や[[リオデジャネイロ|リオ・デ・ジャネイロ]]・[[ウィーン]]・[[カラカス]]など、外交団として世界各地に赴任している<ref>{{cite web|url=http://www.gibbsfamilytree.co.uk/people/view/1069|title=Hon. Eustace Hubert Beilby Gibbs|accessdate=2016-08-21|publisher=The Gibbs Family Tree :: Interactive Family Tree}}</ref>。2017年5月17日に亡くなり<ref>{{cite news|url=http://announcements.telegraph.co.uk/deaths/214177/gibbs|newspaper=[[デイリー・テレグラフ|The Telegraph]]|accessdate=2017-06-07|title=GIBBS - Death announcements}}</ref>、爵位は息子のアントニー・ヒューバートが継承した。 |
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2020年12月4日 (金) 05:25時点における版
デヴォン州クリスト・セント・ジョージのラクソール男爵(英: Baron Wraxall, of Clyst St George in the County of Devon)は、連合王国貴族の爵位の1つである。1928年に保守党の政治家だったジョージ・ギブズ(英: George Gibbs)にラクソール男爵位が与えられて創設された。現在この爵位は、第4代男爵であるアントニー・ギブズ(英: Antony Gibbs)が保有している。現男爵は、父である第3代男爵ユースタス・ギブズ(英: Eustace Gibbs)の死に伴い、2017年に爵位を継承した。
ラクソール男爵家は、オールデナム男爵家や、ハンスドンのハンスドン男爵家と親戚関係にある。初代男爵の祖父ウィリアム・ギブズは、ハックス・ギブズ (初代オールデナム男爵)の父、ジョージ・ヘンリー・ギブズ(英: George Henry Gibbs)の弟に当たる。またハックス・ギブズは、初代ハンスドンのハンスドン男爵(第2期)、ハーバート・ギブズ(英: Herbert Gibbs, 1st Baron Hunsdon of Hunsdon)の四男である。
サマセット州ラクソールにあるティンツフィールドは、かつてギブズ家の邸宅であった。
ラクソール男爵(1928年創設)
- 初代:ジョージ・エイブラハム・ギブズ(英: George Abraham Gibbs, 1st Baron Wraxall、1873年 - 1931年)
- 第2代:ジョージ・リチャード・ロウリー・ギブズ(英: (George) Richard Lawley Gibbs, 2nd Baron Wraxall、1928年 - 2001年)
- 第3代:ユースタス・ヒューバート・バイルビー・ギブズ(英: Eustace Hubert Beilby Gibbs, 3rd Baron Wraxall、1929年 - 2017年)
- 第4代:アントニー・ヒューバート・ギブズ(英: Antony Hubert Gibbs, 4th Baron Wraxall、1958年 - )
現在の法定推定相続人は当代男爵・アントニーの息子、オーランド・ヒューバート・ギブズ(英: Orlando Hubert Gibbs、1995年 - )である。
ジョージ・ギブズ(初代ラクソール男爵)
画像外部リンク | |
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en:File:1906_George_Gibbs.jpg ? 1906年に撮影されたジョージの写真 |
初代ラクソール男爵ジョージ・エイブラハム・ギブズ(英: George Abraham Gibbs, 1st Baron Wraxall, PC、1873年7月6日 - 1931年10月28日)[1]は、英国・保守党の政治家である[注 1]。
イートン・カレッジを経てオックスフォード大学のクライスト・チャーチに進んだジョージは、アントニー・ギブズ少佐(英: Major Antony Gibbs)とジャネット・ルイーザ・メリヴェイル(英: Janet Louisa Merivale)の間に生まれた7人きょうだいで1番上の息子だった。母方の祖父はジョン・ルイス・メリヴェイル(英: John Louis Merivale)である。父方の祖父であるウィリアム・ギブズと、その父(ジョージの曾祖父)アントニー・ギブズは、貿易会社アントニー・ギブズ&サンズの共同設立者、貿易商、銀行家であった。
1906年、ジョージはマイケル・ヒックス・ビーチの後を引き継いでブリストル西選挙区 (Bristol West) 選出の庶民院議員となり、1928年まで同職を勤め上げた[1]。彼は義理の父親で植民地大臣だったウォルター・ロング (初代ロング子爵)の議会担当秘書官を務め、1917年から1921年にかけては、デビッド・ロイド・ジョージによる連合内閣で、政府の院内幹事の任に当たった[2]。1921年には王室会計局長官に任じられ、アンドルー・ボナー・ロー、スタンリー・ボールドウィン両首相の下で、1924年の中断期を挟み、1928年まで2期の任を果たしている[1][2]。1923年には枢密院の枢密顧問官に就任した。1928年、王室会計局長官などでの貢献があったことからジョージに対して爵位が与えられ、デヴォン州クリスト・セント・ジョージのラクソール男爵(英: Baron Wraxall, of Clyst St George in the County of Devon)として連合王国貴族の仲間入りを果たした[1]。ジョージはノース・サマセット義勇農騎兵団 (North Somerset Yeomanry) で大佐として働いたほか[1]、1911年にはサマセットの州副知事に就任している[3]。
家族
ジョージは2度結婚している。最初の妻はヴィクトリア・フローレンス・デ・バーグ・ロング(英: Victoria Florence de Burgh Long)で、ウォルター・ロング (初代ロング子爵)の娘だった。2人の間には、娘1人と息子2人が生まれたが、2人の息子はいずれも夭逝した。ヴィクトリアは2人の娘であるドリーン・アルビニア (Doreen Albinia) が6歳の1920年に病死し、ジョージは8年後に2度目の結婚をしている[1]。2番目の妻はアーシュラ・メアリー・ロウリー(英: Hon. Ursula Mary Lawley)で、彼女は後の第6代ウェンロック伯爵・アーサー・ロウリーの娘だった。2人の間には息子が2人産まれ、それぞれ第2代・第3代ラクソール男爵となっている。
ジョージは肺炎がもとで、1931年10月に58歳で亡くなった。第2代ラクソール男爵は、後妻アーシュラとの間に生まれた長男、ジョージ・リチャード・ロウリー・ギブズが継いだ。
グレートブリテンおよび北アイルランド連合王国議会 | ||
---|---|---|
先代 マイケル・ヒックス・ビーチ |
ブリストル西選挙区 (Bristol West) 選出の庶民院議員 1906–1928 |
次代 シリル・トーマス・カルヴァーウェル |
公職 | ||
先代 ボルトン・エアズ=モンゼル |
王室会計局長官 1921–1924 |
次代 トーマス・グリフィス |
先代 トーマス・グリフィス |
王室会計局長官 1924–1928 |
次代 ジョージ・ヘネシー[注 2] |
イギリスの爵位 | ||
爵位創設 | ラクソール男爵 Baron Wraxall 1928–1931 |
次代 ジョージ・リチャード・ロウリー・ギブズ |
リチャード・ギブズ(第2代ラクソール男爵)
第2代ラクソール男爵ジョージ・リチャード・ロウリー・ギブズ(英: George Richard Lawley Gibbs, 2nd Baron Wraxall、1928年5月16日 - 2001年7月19日)は、英国の貴族である。普段はリチャードと呼ばれていた。
リチャードは、1931年10月28日に、わずか3歳で父のラクソール男爵位を継承した。母は先述のアーシュラ・メアリー・ロウリーであり、リチャードの名付け親は当時の王妃メアリー・オブ・テックが務めた[1][4]。またイートン・カレッジに進んだ後は、サンドハースト王立陸軍士官学校を経てコールドストリームガーズ (The Coldstream Guards) に仕官し、8年間北アフリカで任務に当たった[1][5]。さらに地元の義勇農騎兵団の任務も務めている。
1988年には邸宅のティンツフィールドで誘拐に遭い、自身の保有するBMWのトランクに7時間余り閉じ込められた[1]。『タイムズ』紙によると、リチャード自身は「やれやれ、思っていたよりもトランクには空間があったよ」("Good grief, there's more room in the back than I ever thought") と漏らしたという[要出典]。誘拐犯たちはリチャードと庭園で出くわし、1人が彼の頭を板で殴りつけ、全員で彼の金庫と家の鍵を求めた。しかし防犯アラームが作動して誘拐犯たちはパニックに陥り、リチャードを車のトランクに入れて2マイル (3.2 km)ほど離れた森林に車を乗り捨てたという。その後誘拐犯たちはリチャードの財布とクレジットカードを盗んでいった。
リチャードは未婚のまま、2001年7月に73歳で亡くなった。邸宅に1人でいたところに、喘息発作を起こして亡くなったと考えられている[1]。男爵位は弟のユースタスが継いだ。
またリチャードの死を受けて、ギブズ家の邸宅だったティンツフィールドは、ナショナル・トラストへ売却されている[6][7]。
イギリスの爵位 | ||
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先代 ジョージ・エイブラハム・ギブズ |
ラクソール男爵 Baron Wraxall 1931–2001 |
次代 ユースタス・ヒューバート・バイルビー・ギブズ |
ユースタス・ギブズ(第3代ラクソール男爵)
第3代ラクソール男爵ユースタス・ヒューバート・バイルビー・ギブズ(英: Eustace Hubert Beilby Gibbs, 3rd Baron Wraxall, KCVO CMG、1929年7月3日 - 2017年5月17日)は、英国の元外交官である。2001年7月19日に、兄で先代のラクソール男爵、リチャードの死を受けて第3代ラクソール男爵となった。父と同じくイートン・カレッジからオックスフォード大学のクライスト・チャーチに進んでいる。
ユースタスは、1982年から1986年にかけて外交団副式部官を務めた[8][9]。またバンコクやリオ・デ・ジャネイロ・ウィーン・カラカスなど、外交団として世界各地に赴任している[10]。2017年5月17日に亡くなり[11]、爵位は息子のアントニー・ヒューバートが継承した。
イギリスの爵位 | ||
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先代 ジョージ・リチャード・ロウリー・ギブズ |
ラクソール男爵 Baron Wraxall 2001–2017 |
次代 アントニー・ヒューバート・ギブズ |
関連項目
脚注
注釈
- ^ "PC" とは、"Privy Council of the United Kingdom" の略称で、英国枢密院でジョージが枢密顧問官を務めていたことを表す。
- ^ ヘネシーは初代ウィンドルシャム男爵である。
出典
- ^ a b c d e f g h i j Terry Steven (17 January 2011). “History of the House and Family at Tyntesfield” (PDF). Kennet Valley National Trust. 2016年8月20日閲覧。
- ^ a b Hansard 1803–2005: contributions in Parliament by George Gibbs
- ^ "No. 28461". The London Gazette (英語). 31 January 1911. p. 778.
- ^ Fertile Fortune: The Story of Tyntesfield By James Miller. National Trust Books, 2006
- ^ Rayfield, Suzanne. “Tyntesfield House”. Club de Pontivy. Probus. 2014年7月4日時点のオリジナルよりアーカイブ。21 January 2014閲覧。
- ^ “'Remarkable' house for sale”. BBCニュース. (2002年3月13日) 2016年8月21日閲覧。
- ^ “Trust 'hopeful' of buying historic mansion”. BBCニュース. (2002年6月14日) 2016年8月21日閲覧。
- ^ “ROSL Newsletter "Overseas" Dec 2009-Feb 2010” (PDF). p. 19. 2010年10月11日時点のオリジナルよりアーカイブ。2016年8月20日閲覧。
- ^ “Wraxall, Baron (UK, 1928)”. Cracroft's Peerage online. 2011年9月28日時点のオリジナルよりアーカイブ。2016年8月20日閲覧。
- ^ “Hon. Eustace Hubert Beilby Gibbs”. The Gibbs Family Tree :: Interactive Family Tree. 2016年8月21日閲覧。
- ^ “GIBBS - Death announcements”. The Telegraph 2017年6月7日閲覧。
参考文献
- Kidd, Charles; Williamson, David, ed. (1990), Debrett's Peerage and Baronetage (1990 ed.), New York: St Martin's Press[要ページ番号]
外部リンク
- “The Gibbs Family Tree :: Interactive Family Tree”. 2016年8月19日閲覧。
- ジョージ・ギブズ (初代ラクソール男爵)
- Hansard 1803–2005: contributions in Parliament by George Gibbs
- George Abraham Gibbs - ナショナル・ポートレート・ギャラリー
- “George Abraham Gibbs, 1st Baron Wraxall”. The Peerage. 2016年8月20日閲覧。