「アーサー・ポンソンビー (シュールブリードの初代ポンソンビー男爵)」の版間の差分
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2020年12月4日 (金) 05:22時点における版
シュールブリードの 初代ポンソンビー男爵 アーサー・ポンソンビー Arthur Ponsonby 1st Baron Ponsonby of Shulbrede | |
---|---|
| |
生年月日 | 1871年2月16日 |
没年月日 | 1946年3月23日(75歳没) |
出身校 | オックスフォード大学ベリオール・カレッジ |
所属政党 | 自由党→労働党 |
称号 | シュールブリードの初代ポンソンビー男爵 |
配偶者 | ドロシア |
内閣 | 第2次マクドナルド内閣 |
在任期間 | 1931年3月13日 - 1931年8月25日 |
庶民院議員 | |
選挙区 |
スターリング・バラズ選挙区 シェフィールド・ブリッジサイド選挙区 |
在任期間 |
1908年5月22日 - 1918年12月14日 1922年11月15日 - 1930年2月6日[1] |
貴族院議員 | |
在任期間 | 1930年1月17日 - 1946年3月24日[1] |
シュールブリードの初代ポンソンビー男爵アーサー・オーガスタス・ウィリアム・ハリー・ポンソンビー(英: Arthur Augustus William Harry Ponsonby, 1st Baron Ponsonby of Shulbrede、1871年2月16日 - 1946年3月23日)は、イギリスの政治家・貴族。
ベスバラ伯爵家の分流の生まれ。はじめ自由党、ついで労働党の政治家となり、労働党政権下で役職を歴任した。
経歴
1871年2月16日にベスバラ伯爵家の分流でヴィクトリア女王の個人秘書を務めた陸軍軍人サー・ヘンリー・ポンソンビー大将とその妻エリザベス(旧姓バルテール)の間の三男として生まれる。長兄に陸軍少将となるサー・ジョン・ポンソンビー、次兄にシソンビー男爵に叙されるフレデリック・ポンソンビーがいる[2][3]。
イートン校を卒業[4]。イートン校在学中の1882年から1887年にかけてはヴィクトリア女王の名誉小姓を務めた[4][3]。その後、オックスフォード大学ベリオール・カレッジへ進学[4]。
1894年から1903年にかけては外交官をしていた[4]。1905年から1907年にかけてヘンリー・キャンベル=バナマン首相の個人秘書を務めた[4][3]。1908年から1918年にかけてキャンベル=バナマンの選挙区だったスターリング・バラズ選挙区から自由党所属の庶民院議員に選出された[4][3]。ついで1922年から1930年にかけてはシェフィールド・ブリッジサイド選挙区から選出される労働党所属の庶民院議員となった[4][3]。
1924年1月から11月にかけては第一次マクドナルド内閣で外務省政務次官を務め、ついで1929年7月から12月にかけて第二次マクドナルド内閣のドミニオン省政務次官、1929年から1931年にかけては運輸省政務官を務めた[4][3]。
1930年1月17日にはサセックス州におけるシュールブリードのシュールブリードのポンソンビー男爵 (Baron Ponsonby of Shulbrede, of Shulbrede in the County of Sussex)に叙され[4][3]、貴族院議員に転じた[1]。
1931年3月から8月にかけてランカスター公領大臣を務めたが、同年8月の労働党の分裂に際して主流派に属して下野した。その後は反対党(労働党)貴族院院内総務となり、1935年まで務めた[4][3]。
1946年3月24日に死去した。爵位は長男のマシューが継承した[4][3]。
著作
- The Camel and the Needle's Eye (1910)[4]
- The Decline of the Aristocracy (1912)[4]
- The Priory and Manor of Lynchmere and Shulbrede (1920)[4]
- Falsehood in Wartime (1928)
- Henry Ponsonby: his Life from his Letters (1942)[4]
栄典
爵位
1930年1月17日に以下の爵位を新規に叙された[4][3]。
- サセックス州におけるシュールブリードのシュールブリードの初代ポンソンビー男爵 (1st Baron Ponsonby of Shulbrede, of Shulbrede in the County of Sussex)
家族
作曲家の初代準男爵チャールズ・ヒューバート・パリーの娘ドロシア・パリーと結婚し、彼女との間に以下の2子を儲けた[4][3]。
- 第1子(長女)エリザベス・ポンソンビー (1900-1940) : ジョン・ペリーと結婚
- 第2子(長男)マシュー・ヘンリー・ヒューバート・ポンソンビー (1904-1976) : シュールブリードの第2代ポンソンビー男爵位を継承
脚注
注釈
出典
- ^ a b c UK Parliament. “Mr Arthur Ponsonby” (英語). HANSARD 1803-2005. 2016年6月10日閲覧。
- ^ Lundy, Darryl. “General Rt. Hon. Sir Henry Frederick Ponsonby” (英語). thepeerage.com. 2016年6月7日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i j k Heraldic Media Limited. “Ponsonby of Shulbrede, Baron (UK, 1930)” (英語). Cracroft's Peerage The Complete Guide to the British Peerage & Baronetage. 2016年4月16日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q Lundy, Darryl. “Arthur Augustus William Harry Ponsonby, 1st Baron Ponsonby of Shulbrede” (英語). thepeerage.com. 2016年6月7日閲覧。
関連項目
グレートブリテンおよびアイルランド連合王国議会 | ||
---|---|---|
先代 サー・ヘンリー・キャンベル=バナマン |
スターリング・バラズ選挙区 選出庶民院議員 1908年 – 1918年 |
選挙区廃止 |
先代 サー・テューダー・ウォルターズ |
シェフィールド・ブリッジサイド選挙区 選出庶民院議員 1922年 – 1930年 |
次代 フレッド・マーシャル |
公職 | ||
先代 ロナルド・マクネイル |
外務省政務次官 1924年 |
次代 ロナルド・マクネイル |
先代 第2代プリマス伯爵 |
ドミニオン省政務次官 1929年 |
次代 ウィリアム・ラン |
先代 第2代ラッセル伯爵 |
運輸省政務官 1929年 - 1931年 |
次代 ジョン・パーキンソン |
先代 クレメント・アトリー |
ランカスター公領大臣 1931年 |
次代 第11代ロジアン侯爵 |
党職 | ||
先代 初代パームア男爵 |
労働党貴族院院内総務 1931年 - 1935年 |
次代 ハリー・スネル |
非営利団体 | ||
先代 フェナー・ブロックウェイ |
戦争抵抗者インターナショナル議長 1934年 - 1937年 |
次代 ジョージ・ランズベリー |
イギリスの爵位 | ||
新設 | シュールブリードの 初代ポンソンビー男爵 1930年-1946年 |
次代 マシュー |