コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

「ローレンス男爵」の版間の差分

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
削除された内容 追加された内容
Cewbot (会話 | 投稿記録)
m Bot作業依頼: クラクロフト貴族名鑑のリンク切れ修正 (www.cracroftspeerage.co.uk/online/content/) - log
5行目: 5行目:


== 歴史 ==
== 歴史 ==
イギリス植民地インドの行政官である[[ジョン・ローレンス (初代ローレンス男爵)|ジョン・ローレンス]]<small>(1811–1879)</small>は、[[インド大反乱]]の鎮圧の戦功でイギリス中央政府からの評価を上げ、[[1858年]][[8月16日]]に連合王国称号の'''(陸軍のローレンス)[[準男爵]]'''(Baronet "Lawrence of The Army")に叙せられた{{sfn|浜渦哲雄|1999| p=116-118}}<ref name="thepeerage.com">{{Cite web |url= http://thepeerage.com/p6168.htm#i61673 |title=John Laird Mair Lawrence, 1st Baron Lawrence of the Punjaub and of Grately|accessdate= 2016-2-20 |last= Lundy |first= Darryl |work= [http://thepeerage.com/ thepeerage.com] |language= 英語 }}</ref><ref name="CP BL">{{Cite web |url=http://www.cracroftspeerage.co.uk/online/content/lawrence1869.htm|title=Lawrence, Baron (UK, 1869)|accessdate= 2016-2-20 |last= Heraldic Media Limited |work= [http://www.cracroftspeerage.co.uk/online/content/introduction.htm Cracroft's Peerage The Complete Guide to the British Peerage & Baronetage] |language= 英語 }}</ref>。[[1864年]]から[[1869年]]にかけて[[インド総督]]を務め、在任中、[[ブータン]]を保護国としている{{sfn|浜渦哲雄|1999| p=228}}。インド総督退任後の1869年4月3日に[[連合王国貴族]]'''サウサンプトン州におけるグレートリーおよびパンジャブのローレンス男爵'''(Baron Lawrence, of the Punjaub and of Grateley in the County of Southampton)に叙せられた<ref name="thepeerage.com"/><ref name="CP BL"/>。
イギリス植民地インドの行政官である[[ジョン・ローレンス (初代ローレンス男爵)|ジョン・ローレンス]]<small>(1811–1879)</small>は、[[インド大反乱]]の鎮圧の戦功でイギリス中央政府からの評価を上げ、[[1858年]][[8月16日]]に連合王国称号の'''(陸軍のローレンス)[[準男爵]]'''(Baronet "Lawrence of The Army")に叙せられた{{sfn|浜渦哲雄|1999| p=116-118}}<ref name="thepeerage.com">{{Cite web |url= http://thepeerage.com/p6168.htm#i61673 |title=John Laird Mair Lawrence, 1st Baron Lawrence of the Punjaub and of Grately|accessdate= 2016-2-20 |last= Lundy |first= Darryl |work= [http://thepeerage.com/ thepeerage.com] |language= 英語 }}</ref><ref name="CP BL">{{Cite web |url=http://www.cracroftspeerage.co.uk/lawrence1869.htm|title=Lawrence, Baron (UK, 1869)|accessdate= 2016-2-20 |last= Heraldic Media Limited |work= [http://www.cracroftspeerage.co.uk/introduction.htm Cracroft's Peerage The Complete Guide to the British Peerage & Baronetage] |language= 英語 }}</ref>。[[1864年]]から[[1869年]]にかけて[[インド総督]]を務め、在任中、[[ブータン]]を保護国としている{{sfn|浜渦哲雄|1999| p=228}}。インド総督退任後の1869年4月3日に[[連合王国貴族]]'''サウサンプトン州におけるグレートリーおよびパンジャブのローレンス男爵'''(Baron Lawrence, of the Punjaub and of Grateley in the County of Southampton)に叙せられた<ref name="thepeerage.com"/><ref name="CP BL"/>。


以降息子から息子への直系で現当主の5代男爵[[デイヴィッド・ローレンス (第5代ローレンス男爵)|デイヴィッド・ローレンス]]<small>(1937-)</small>まで継承されているが、彼には子供がなく、他に継承資格者もいない状況である<ref name="CP BL"/>。
以降息子から息子への直系で現当主の5代男爵[[デイヴィッド・ローレンス (第5代ローレンス男爵)|デイヴィッド・ローレンス]]<small>(1937-)</small>まで継承されているが、彼には子供がなく、他に継承資格者もいない状況である<ref name="CP BL"/>。

2020年12月4日 (金) 05:19時点における版

インド総督を務めた初代ローレンス男爵ジョン・ローレンス

ローレンス男爵(ローレンスだんしゃく、英語: Baron Lawrence)は、連合王国貴族男爵位。

インド総督を務めたジョン・ローレンス1869年に叙されたのに始まる。

歴史

イギリス植民地インドの行政官であるジョン・ローレンス(1811–1879)は、インド大反乱の鎮圧の戦功でイギリス中央政府からの評価を上げ、1858年8月16日に連合王国称号の(陸軍のローレンス)準男爵(Baronet "Lawrence of The Army")に叙せられた[1][2][3]1864年から1869年にかけてインド総督を務め、在任中、ブータンを保護国としている[4]。インド総督退任後の1869年4月3日に連合王国貴族サウサンプトン州におけるグレートリーおよびパンジャブのローレンス男爵(Baron Lawrence, of the Punjaub and of Grateley in the County of Southampton)に叙せられた[2][3]

以降息子から息子への直系で現当主の5代男爵デイヴィッド・ローレンス(1937-)まで継承されているが、彼には子供がなく、他に継承資格者もいない状況である[3]

ローレンス男爵 (1869年)

脚注

出典

  1. ^ 浜渦哲雄 1999, p. 116-118.
  2. ^ a b Lundy, Darryl. “John Laird Mair Lawrence, 1st Baron Lawrence of the Punjaub and of Grately” (英語). thepeerage.com. 2016年2月20日閲覧。
  3. ^ a b c Heraldic Media Limited. “Lawrence, Baron (UK, 1869)” (英語). Cracroft's Peerage The Complete Guide to the British Peerage & Baronetage. 2016年2月20日閲覧。
  4. ^ 浜渦哲雄 1999, p. 228.

参考文献

  • 浜渦哲雄『大英帝国インド総督列伝 イギリスはいかにインドを統治したか』中央公論新社、1999年(平成11年)。ISBN 978-4120029370