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メイヨー伯爵位を与えられるボーク家はボーク家の分流であり、サー・トマス・ボーク<small>(-1397)</small>の四男ジョン・ボークの末裔である(次男エドムンド・ボークの末裔が{{仮リンク|メイヨー子爵|en|Viscount Mayo}}(1627年創設、1767年廃絶)に叙されるボーク家本家)。ジョン・ボークの同名の子孫であるジョン・ボーク<small>(1705頃–1790)</small>は、[[メイヨー県]][[シェリフ]]、{{仮リンク|枢密院 (アイルランド)|label=アイルランド枢密顧問官|en|Privy Council of Ireland}}、アイルランド歳入第一弁務官(First Commissioner of the Irish Revenue)等を務め、[[1776年]][[8月1日]]に'''キルデア県におけるネイスのネイス男爵'''(Baron Naas, of Naas in the County of Kildare)、[[1781年]][[1月13日]]に'''メイヨー県におけるマニークロワーのメイヨー子爵'''(Viscount Mayo, of Moneycrower in the County of Mayo)、そして[[1785年]][[6月24日]]に'''メイヨー伯爵'''(Earl of the County of Mayo)に叙せられた(いずれも[[アイルランド貴族]])。以降これらの爵位はその子孫によって現在まで継承されていく<ref>{{Cite web |url=http://thepeerage.com/p3232.htm#i32311|title=John Bourke, 1st Earl of Mayo|accessdate= 2016-02-09 |last= Lundy |first= Darryl |work= [http://thepeerage.com/ thepeerage.com] |language= 英語 }}</ref><ref name="CP EM">{{Cite web |url=http://www.cracroftspeerage.co.uk |
メイヨー伯爵位を与えられるボーク家はボーク家の分流であり、サー・トマス・ボーク<small>(-1397)</small>の四男ジョン・ボークの末裔である(次男エドムンド・ボークの末裔が{{仮リンク|メイヨー子爵|en|Viscount Mayo}}(1627年創設、1767年廃絶)に叙されるボーク家本家)。ジョン・ボークの同名の子孫であるジョン・ボーク<small>(1705頃–1790)</small>は、[[メイヨー県]][[シェリフ]]、{{仮リンク|枢密院 (アイルランド)|label=アイルランド枢密顧問官|en|Privy Council of Ireland}}、アイルランド歳入第一弁務官(First Commissioner of the Irish Revenue)等を務め、[[1776年]][[8月1日]]に'''キルデア県におけるネイスのネイス男爵'''(Baron Naas, of Naas in the County of Kildare)、[[1781年]][[1月13日]]に'''メイヨー県におけるマニークロワーのメイヨー子爵'''(Viscount Mayo, of Moneycrower in the County of Mayo)、そして[[1785年]][[6月24日]]に'''メイヨー伯爵'''(Earl of the County of Mayo)に叙せられた(いずれも[[アイルランド貴族]])。以降これらの爵位はその子孫によって現在まで継承されていく<ref>{{Cite web |url=http://thepeerage.com/p3232.htm#i32311|title=John Bourke, 1st Earl of Mayo|accessdate= 2016-02-09 |last= Lundy |first= Darryl |work= [http://thepeerage.com/ thepeerage.com] |language= 英語 }}</ref><ref name="CP EM">{{Cite web |url=http://www.cracroftspeerage.co.uk/mayo1785.htm|title=Mayo, Earl of (I, 1785)|accessdate= 2016-02-09 |last= Heraldic Media Limited |work= [http://www.cracroftspeerage.co.uk/introduction.htm Cracroft's Peerage The Complete Guide to the British Peerage & Baronetage] |language= 英語 }}</ref>。 |
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初代伯の長男である2代伯[[ジョン・ボーク (第2代メイヨー伯爵)|ジョン・ボーク]]<small>(1729–1792)</small>は襲爵前に[[アイルランド議会 (1297-1800)|アイルランド議会]]庶民院議員を務めた<ref name="CP EM" /><ref>{{Cite web |url=http://thepeerage.com/p3231.htm#i32310|title=John Bourke, 2nd Earl of Mayo|accessdate= 2016-02-09 |last= Lundy |first= Darryl |work= [http://thepeerage.com/ thepeerage.com] |language= 英語 }}</ref>。 |
初代伯の長男である2代伯[[ジョン・ボーク (第2代メイヨー伯爵)|ジョン・ボーク]]<small>(1729–1792)</small>は襲爵前に[[アイルランド議会 (1297-1800)|アイルランド議会]]庶民院議員を務めた<ref name="CP EM" /><ref>{{Cite web |url=http://thepeerage.com/p3231.htm#i32310|title=John Bourke, 2nd Earl of Mayo|accessdate= 2016-02-09 |last= Lundy |first= Darryl |work= [http://thepeerage.com/ thepeerage.com] |language= 英語 }}</ref>。 |
2020年12月4日 (金) 05:17時点における版
メイヨー県伯爵(英: Earl of the County of Mayo)は、アイルランド貴族の伯爵位。通常はメイヨー伯爵(英: Earl of Mayo)と言及される。
歴史
メイヨー伯爵位を与えられるボーク家はボーク家の分流であり、サー・トマス・ボーク(-1397)の四男ジョン・ボークの末裔である(次男エドムンド・ボークの末裔がメイヨー子爵(1627年創設、1767年廃絶)に叙されるボーク家本家)。ジョン・ボークの同名の子孫であるジョン・ボーク(1705頃–1790)は、メイヨー県シェリフ、アイルランド枢密顧問官、アイルランド歳入第一弁務官(First Commissioner of the Irish Revenue)等を務め、1776年8月1日にキルデア県におけるネイスのネイス男爵(Baron Naas, of Naas in the County of Kildare)、1781年1月13日にメイヨー県におけるマニークロワーのメイヨー子爵(Viscount Mayo, of Moneycrower in the County of Mayo)、そして1785年6月24日にメイヨー伯爵(Earl of the County of Mayo)に叙せられた(いずれもアイルランド貴族)。以降これらの爵位はその子孫によって現在まで継承されていく[1][2]。
初代伯の長男である2代伯ジョン・ボーク(1729–1792)は襲爵前にアイルランド議会庶民院議員を務めた[2][3]。
2代伯には子供がなかったため、弟(初代伯の次男)のジョゼフ・ボーク(1740頃–1794)が爵位を継承した。彼はアイルランド国教会の聖職者であり、1782年から1794年にかけてトゥアム大主教を務めた[2][4]。
その長男である4代伯ジョン・ボーク(1766–1849)は襲爵前にアイルランド議会庶民院議員を務め、グレートブリテンとアイルランドの連合後の1816年から1849年にかけてはアイルランド貴族代表議員としてイギリス議会貴族院に議席を有した。所属政党はトーリー党だった[2][5]。
4代伯にも子供がなく、甥(3代伯の次男リチャードの長男)にあたるロバート・ボーク(1797–1867)が5代伯を継承した。彼は1852年から1867年にかけてアイルランド貴族代表議員を務めた。党派は保守党だった[2][6]。
その長男である6代伯リチャード・ボーク(1822–1872)も保守党の政治家であり、1847年から1868年まで庶民院議員を務め、その間3期にわたってアイルランド担当大臣(在職1852年、1858年-1859年、1866年-1868年)を務めた。さらに1869年からインド総督に就任した[2][7]。しかし総督在任中の1872年にアンダマン諸島で暗殺されている。歴代インド総督の中で暗殺されたのは彼だけである[8]。
その長男である7代伯ダーモット・ロバート・ウィンダム・ボーク(1851–1927)も保守党の政治家であり、1890年から1927年にかけてアイルランド貴族代表議員を務めた[2]。またアイルランド自由国成立後にはその元老院議員となった[9]。
7代伯には子供がなく、従兄弟(5代伯の四男ジョージの長男)にあたるウォルター・ボーク(1859–1939)が8代伯を継承した。8代伯の死後はその次男(長男は先立って死去)のウリック・ボーク(1890–1962)が9代伯を継承した[2][10]。
9代伯には子供がなかったので、甥(8代伯の三男ブライアンの長男)にあたるテレンス・ボーク(1929–2006)が10代伯を継承した[2][11]。
10代伯の死後、その長男であるチャールズ・ボーク(1953-)が11代伯を継承した。彼が2016年現在の当主である[2][12]。
本邸はアイルランド・ゴールウェイ県・クリフデンにあるデリーインヴァ―(Derryinver)である[2]。
現当主の保有爵位
現在の当主第11代メイヨー伯爵チャールズ・ボークは、以下の爵位を保有している[2][12]。
- 第11代メイヨー伯爵 (11th Earl of the County of Mayo)
- メイヨー県におけるマニークロワーの第11代メイヨー子爵 (11th Viscount Mayo, of Moneycrower in the County of Mayo)
- キルデア県におけるネイスの第11代ネイス男爵 (11th Baron Naas, of Naas in the County of Kildare)
メイヨー伯爵 (1785年)
- 初代メイヨー伯ジョン・ボーク (1705頃–1790)
- 2代メイヨー伯ジョン・ボーク (1729–1792)
- 3代メイヨー伯ジョゼフ・ディーン・ボーク (1740頃–1794)
- 4代メイヨー伯ジョン・ボーク (1766–1849)
- 5代メイヨー伯ロバート・ボーク (1797–1867)
- 6代メイヨー伯リチャード・サウスウェル・ボーク (1822–1872)
- 7代メイヨー伯ダーモット・ロバート・ウィンダム・ボーク (1851–1927)
- 8代メイヨー伯ウォルター・ロングリー・ボーク (1859–1939)
- 9代メイヨー伯ウリック・ヘンリー・ボーク (1890–1962)
- 10代メイヨー伯テレンス・パトリック・ボーク (1929–2006)
- 11代メイヨー伯チャールズ・ダーマッド・ジョン・ボーク (1953-)
- 法定推定相続人は現当主の長男ネイス卿リチャード・トマス・ボーク (1985-)
系譜図
ジョン 初代メイヨー伯爵 初代メイヨー子爵 初代ネイス男爵 (1705頃-1790) | |||||||||||||||||||||||||||||||||
ジョン 第2代メイヨー伯爵 第2代メイヨー子爵 第2代ネイス男爵 (1729-1792) | ジョゼフ' 第3代メイヨー伯爵 第3代メイヨー子爵 第3代ネイス男爵 (1740頃-1794) | ||||||||||||||||||||||||||||||||
ジョン 第4代メイヨー伯爵 第4代メイヨー子爵 第4代ネイス男爵 (1766-1849) | リチャード | ||||||||||||||||||||||||||||||||
ロバート 第5代メイヨー伯爵 第5代メイヨー子爵 第5代ネイス男爵 (1797-1867) | |||||||||||||||||||||||||||||||||
リチャード 第6代メイヨー伯爵 第6代メイヨー子爵 第6代ネイス男爵 (1822-1872) | ジョージ | ||||||||||||||||||||||||||||||||
ダーモット 第7代メイヨー伯爵 第7代メイヨー子爵 第7代ネイス男爵 (1851-1927) | ウォルター 第8代メイヨー伯爵 第8代メイヨー子爵 第8代ネイス男爵 (1859-1939) | ||||||||||||||||||||||||||||||||
ウリック 第9代メイヨー伯爵 第9代メイヨー子爵 第9代ネイス男爵 (1890-1962) | ブライアン | ||||||||||||||||||||||||||||||||
テレンス 第10代メイヨー伯爵 第10代メイヨー子爵 第10代ネイス男爵 (1929-2006) | |||||||||||||||||||||||||||||||||
チャールズ 第11代メイヨー伯爵 第11代メイヨー子爵 第11代ネイス男爵 (1953-) | |||||||||||||||||||||||||||||||||
リチャード (法定推定相続人) (1985-) | |||||||||||||||||||||||||||||||||
脚注
出典
- ^ Lundy, Darryl. “John Bourke, 1st Earl of Mayo” (英語). thepeerage.com. 2016年2月9日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i j k l Heraldic Media Limited. “Mayo, Earl of (I, 1785)” (英語). Cracroft's Peerage The Complete Guide to the British Peerage & Baronetage. 2016年2月9日閲覧。
- ^ Lundy, Darryl. “John Bourke, 2nd Earl of Mayo” (英語). thepeerage.com. 2016年2月9日閲覧。
- ^ Lundy, Darryl. “Most Rev. Joseph Deane Bourke, 3rd Earl of Mayo” (英語). thepeerage.com. 2016年2月9日閲覧。
- ^ Lundy, Darryl. “John Bourke, 4th Earl of Mayo” (英語). thepeerage.com. 2016年2月9日閲覧。
- ^ Lundy, Darryl. “Robert Bourke, 5th Earl of Mayo” (英語). thepeerage.com. 2016年2月9日閲覧。
- ^ Lundy, Darryl. “Richard Southwell Bourke, 6th Earl of Mayo” (英語). thepeerage.com. 2016年2月9日閲覧。
- ^ 浜渦哲雄 1999, p. 120-122.
- ^ Lundy, Darryl. “Dermot Robert Wyndham Bourke, 7th Earl of Mayo” (英語). thepeerage.com. 2016年2月9日閲覧。
- ^ Lundy, Darryl. “Walter Longley Bourke, 8th Earl of Mayo” (英語). thepeerage.com. 2016年2月9日閲覧。
- ^ Lundy, Darryl. “Terence Patrick Bourke, 10th Earl of Mayo” (英語). thepeerage.com. 2016年2月9日閲覧。
- ^ a b Lundy, Darryl. “Charles Diarmuidh John Bourke, 11th Earl of Mayo” (英語). thepeerage.com. 2016年2月9日閲覧。
参考文献
- 浜渦哲雄『大英帝国インド総督列伝 イギリスはいかにインドを統治したか』中央公論新社、1999年。ISBN 978-4120029370。
関連項目
- メイヨー子爵 - 本家筋
- スライゴ侯爵
- コーンメイラ男爵 - 分流
- ポシルのカーター=キャンベル