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「モートン伯爵」の版間の差分

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ダルキースのダグラス家当主{{仮リンク|ジェイムズ・ダグラス (初代ダルキース卿)|label=ジェイムズ・ダグラス|en|James Douglas, 1st Lord Dalkeith}}<small>(1372以後-1441以前)</small>は、ダルキース卿というスコットランド貴族に叙されたとされるが、その明確な証拠はない<ref>{{Cite web |url= http://www.thepeerage.com/p10825.htm#i108241|title=Sir James Douglas, 1st Lord of Dalkeith|accessdate= 2016-01-21 |last= Lundy |first= Darryl |work= [http://thepeerage.com/ thepeerage.com] |language= 英語 }}</ref>。
ダルキースのダグラス家当主{{仮リンク|ジェイムズ・ダグラス (初代ダルキース卿)|label=ジェイムズ・ダグラス|en|James Douglas, 1st Lord Dalkeith}}<small>(1372以後-1441以前)</small>は、ダルキース卿というスコットランド貴族に叙されたとされるが、その明確な証拠はない<ref>{{Cite web |url= http://www.thepeerage.com/p10825.htm#i108241|title=Sir James Douglas, 1st Lord of Dalkeith|accessdate= 2016-01-21 |last= Lundy |first= Darryl |work= [http://thepeerage.com/ thepeerage.com] |language= 英語 }}</ref>。


その孫である{{仮リンク|ジェイムズ・ダグラス (初代モートン伯)|label=ジェイムズ・ダグラス|en|James Douglas, 1st Earl of Morton}}<small>(-1493)</small>は、[[1458年]][[3月14日]]にスコットランド貴族モートン伯に叙せられた<ref name="CP EM">{{Cite web|url=http://www.cracroftspeerage.co.uk/online/content/morton1457.htm|title=Morton, Earl of (S, 1457/8)|accessdate=2016-01-20|last=Heraldic Media Limited|work=[http://www.cracroftspeerage.co.uk/online/content/introduction.htm Cracroft's Peerage The Complete Guide to the British Peerage & Baronetage]|language=英語|archiveurl=https://web.archive.org/web/20100627211301/http://www.cracroftspeerage.co.uk/online/content/Morton1457.htm|archivedate=2010年6月27日|deadurldate=2017年9月}}</ref><ref>{{Cite web |url= http://www.thepeerage.com/p10825.htm#i108246|title=James Douglas, 1st Earl of Morton|accessdate= 2016-01-21 |last= Lundy |first= Darryl |work= [http://thepeerage.com/ thepeerage.com] |language= 英語 }}</ref>。
その孫である{{仮リンク|ジェイムズ・ダグラス (初代モートン伯)|label=ジェイムズ・ダグラス|en|James Douglas, 1st Earl of Morton}}<small>(-1493)</small>は、[[1458年]][[3月14日]]にスコットランド貴族モートン伯に叙せられた<ref name="CP EM">{{Cite web|url=http://www.cracroftspeerage.co.uk/morton1457.htm|title=Morton, Earl of (S, 1457/8)|accessdate=2016-01-20|last=Heraldic Media Limited|work=[http://www.cracroftspeerage.co.uk/introduction.htm Cracroft's Peerage The Complete Guide to the British Peerage & Baronetage]|language=英語|archiveurl=https://web.archive.org/web/20100627211301/http://www.cracroftspeerage.co.uk/Morton1457.htm|archivedate=2010年6月27日|deadurldate=2017年9月}}</ref><ref>{{Cite web |url= http://www.thepeerage.com/p10825.htm#i108246|title=James Douglas, 1st Earl of Morton|accessdate= 2016-01-21 |last= Lundy |first= Darryl |work= [http://thepeerage.com/ thepeerage.com] |language= 英語 }}</ref>。


3代伯{{仮リンク|ジェイムズ・ダグラス (第3代モートン伯)|label=ジェイムズ・ダグラス|en|James Douglas, 3rd Earl of Morton}}<small>(-1548)</small>の死去で一時[[停止 (爵位)|保持者不在]]になったが、娘婿でアンガス伯ダグラス家の出身の[[ジェイムズ・ダグラス (第4代モートン伯)|ジェイムズ・ダグラス(4代伯)]]<small>(1516頃–1581)</small>への継承が認められて存続した<ref name="CP EM" />。この4代伯は[[プロテスタント]]の貴族として名を馳せ、[[ジェームズ1世 (イングランド王)|ジェイムズ6世]]の摂政として権勢をふるったが、[[カトリック]]貴族の初代[[レノックス公爵]][[エズメ・ステュワート (初代レノックス公)|エズメ・ステュワート]]の奸計により[[王配]]ダーンリー卿[[ヘンリー・ステュアート (ダーンリー卿)|ヘンリー・ステュワート]]暗殺の罪を着せられて[[1581年]][[6月2日]]に処刑されている{{sfn|松村赳|富田虎男|2000| p=415/657}}{{sfn|森護|1988|p=298}}。
3代伯{{仮リンク|ジェイムズ・ダグラス (第3代モートン伯)|label=ジェイムズ・ダグラス|en|James Douglas, 3rd Earl of Morton}}<small>(-1548)</small>の死去で一時[[停止 (爵位)|保持者不在]]になったが、娘婿でアンガス伯ダグラス家の出身の[[ジェイムズ・ダグラス (第4代モートン伯)|ジェイムズ・ダグラス(4代伯)]]<small>(1516頃–1581)</small>への継承が認められて存続した<ref name="CP EM" />。この4代伯は[[プロテスタント]]の貴族として名を馳せ、[[ジェームズ1世 (イングランド王)|ジェイムズ6世]]の摂政として権勢をふるったが、[[カトリック]]貴族の初代[[レノックス公爵]][[エズメ・ステュワート (初代レノックス公)|エズメ・ステュワート]]の奸計により[[王配]]ダーンリー卿[[ヘンリー・ステュアート (ダーンリー卿)|ヘンリー・ステュワート]]暗殺の罪を着せられて[[1581年]][[6月2日]]に処刑されている{{sfn|松村赳|富田虎男|2000| p=415/657}}{{sfn|森護|1988|p=298}}。

2020年12月4日 (金) 05:17時点における版

モートン伯爵家の紋章

モートン伯爵英語: Earl of Morton)は、スコットランド貴族伯爵位。

ジェイムズ・ダグラス英語版1458年に叙されたのに始まる。

歴史

第4代モートン伯ジェイムズ・ダグラスアーノルド・ブロンコスト英語版画)

モートン伯爵に叙されるダルキースのダグラス家は、ダグラス家の祖ウィリアム・ダグラス(1174-1213)の子アンドリュー(1213-1240)の長男アンドリュー(1240以前-1259)の末裔である(一方ダグラス伯爵英語版ダグラス家やアンガス伯爵英語版ダグラス家は次男ウィリアム(1240-1274)の末裔である)[1][2]

ダルキースのダグラス家当主ジェイムズ・ダグラス英語版(1372以後-1441以前)は、ダルキース卿というスコットランド貴族に叙されたとされるが、その明確な証拠はない[3]

その孫であるジェイムズ・ダグラス英語版(-1493)は、1458年3月14日にスコットランド貴族モートン伯に叙せられた[4][5]

3代伯ジェイムズ・ダグラス英語版(-1548)の死去で一時保持者不在になったが、娘婿でアンガス伯ダグラス家の出身のジェイムズ・ダグラス(4代伯)(1516頃–1581)への継承が認められて存続した[4]。この4代伯はプロテスタントの貴族として名を馳せ、ジェイムズ6世の摂政として権勢をふるったが、カトリック貴族の初代レノックス公爵エズメ・ステュワートの奸計により王配ダーンリー卿ヘンリー・ステュワート暗殺の罪を着せられて1581年6月2日に処刑されている[6][7]

爵位も接収され、1581年11月29日には3代伯の娘婿にあたる8代マクスウェル卿英語版ジョン・マクスウェル英語版が新規にモートン伯爵に叙されたが、1586年1月29日には4代伯の甥にあたる8代アンガス伯アーチボルド・ダグラス英語版に5代モートン伯位の継承が認められた[4]

5代伯が子供無く死去すると初代伯の高祖父に遡っての分流ウィリアム・ダグラス(6代伯)英語版(1540–1606)に継承された[4]

7代伯ウィリアム・ダグラス英語版(1582–1648)は、1630年から1636年にかけてスコットランド大蔵卿英語版を務めた[4][8]

1708年のイングランドとスコットランドの連合後もモートン伯爵家はモートン伯爵位のみしか有さなかったため、原則としてイギリス貴族院に議席を持たなかった。しかし歴代当主のほとんどはスコットランド貴族の貴族代表議員として貴族院議員に就任している。13代伯ジョージ・ダグラス(1662–1738)(在職1730年-1738年)、14代伯ジェイムズ・ダグラス(1703頃–1768)(在職1739年-1768年)、16代伯ジョージ・ダグラス(1761–1827)(在職1784年-1790年)、17代伯ジョージ・ショルト・ダグラス(1789–1858)(在職1828年-1858年)、18代伯ショルト・ダグラス英語版(1818–1884)(在職1859年-1884年)、19代伯ショルト・ダグラス英語版(1844–1935)(在職1886年-1935年)が貴族代表議員に選出されている[4]

14代伯、15代伯ショルト・チャールズ・ダグラス(1732–1774)、16代伯の3代は、フリーメイソンスコットランド・グランドロッジ英語版で最高指導者グランドマスター英語版を務めている[4]

2016年現在の当主は22代伯ジョン・ダグラス英語版(1952-)である。現当主の保有爵位はモートン伯爵位しかないが、爵位の法定推定相続人は伯爵家の所有地の一つに由来するアバーダー卿(Lord Aberdour)を称する[4]

現在の邸宅はミッドロージアンにあるオールド・マンション・ハウス(Old Mansion House)である[4]。かつてはファイフアバーダー城英語版や ミッドロージアンのダルキース・ハウス英語版エディンバラダルマホイ英語版パース・アンド・キンロスロッチ・リーヴェン城英語版ダンフリーズ・アンド・ガロウェイモートン城英語版などを所有していた。

モートン伯 (1458年)

脚注

出典

  1. ^ Lundy, Darryl. “Archibald of Douglas” (英語). thepeerage.com. 2016年1月21日閲覧。
  2. ^ 松村赳 & 富田虎男 2000, p. 206/863.
  3. ^ Lundy, Darryl. “Sir James Douglas, 1st Lord of Dalkeith” (英語). thepeerage.com. 2016年1月21日閲覧。
  4. ^ a b c d e f g h i Heraldic Media Limited. “Morton, Earl of (S, 1457/8)” (英語). Cracroft's Peerage The Complete Guide to the British Peerage & Baronetage. 2010年6月27日時点のオリジナルよりアーカイブ。2016年1月20日閲覧。
  5. ^ Lundy, Darryl. “James Douglas, 1st Earl of Morton” (英語). thepeerage.com. 2016年1月21日閲覧。
  6. ^ 松村赳 & 富田虎男 2000, p. 415/657.
  7. ^ 森護 1988, p. 298.
  8. ^ Henderson, Thomas Finlayson (1888). "Douglas, William (1582-1650)" . In Stephen, Leslie (ed.). Dictionary of National Biography (英語). Vol. 15. London: Smith, Elder & Co. pp. 367–368.

参考文献