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貴族としてのシーモア家の祖である[[エドワード・シーモア (初代サマセット公)|エドワード・シーモア]] <small>(1506–1552)</small>は、一介のナイトの息子にすぎなかったが、妹の[[ジェーン・シーモア]]が[[テューダー朝]]の国王[[ヘンリー8世 (イングランド王)|ヘンリー8世]]の三番目の王妃となったことで急速に出世し、ビーチャム子爵やハートフォード伯位を与えられた。[[1547年]]1月に甥にあたる幼王[[エドワード6世 (イングランド王)|エドワード6世]]が即位すると、その摂政として権勢をふるい、同年2月に[[サマセット公|サマセット公爵]]に叙せられたが、政敵初代[[ノーサンバーランド公爵]][[ジョン・ダドリー (初代ノーサンバランド公)|ジョン・ダドリー]]との政争に敗れ、[[1552年]]1月に[[大逆罪 (イギリス)|大逆罪]]で処刑され、爵位も剥奪されるという末路をたどった{{sfn|森護|1987|p=60-61}}<ref name="CP DS">{{Cite web |url=http://www.cracroftspeerage.co.uk |
貴族としてのシーモア家の祖である[[エドワード・シーモア (初代サマセット公)|エドワード・シーモア]] <small>(1506–1552)</small>は、一介のナイトの息子にすぎなかったが、妹の[[ジェーン・シーモア]]が[[テューダー朝]]の国王[[ヘンリー8世 (イングランド王)|ヘンリー8世]]の三番目の王妃となったことで急速に出世し、ビーチャム子爵やハートフォード伯位を与えられた。[[1547年]]1月に甥にあたる幼王[[エドワード6世 (イングランド王)|エドワード6世]]が即位すると、その摂政として権勢をふるい、同年2月に[[サマセット公|サマセット公爵]]に叙せられたが、政敵初代[[ノーサンバーランド公爵]][[ジョン・ダドリー (初代ノーサンバランド公)|ジョン・ダドリー]]との政争に敗れ、[[1552年]]1月に[[大逆罪 (イギリス)|大逆罪]]で処刑され、爵位も剥奪されるという末路をたどった{{sfn|森護|1987|p=60-61}}<ref name="CP DS">{{Cite web |url=http://www.cracroftspeerage.co.uk/somerset1546.htm|title=Somerset, Duke of (E, 1546/7)|accessdate= 2016-01-06 |last= Heraldic Media Limited |work= [http://www.cracroftspeerage.co.uk/introduction.htm Cracroft's Peerage The Complete Guide to the British Peerage & Baronetage] |language= 英語 }}</ref>。 |
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この初代サマセット公は二度結婚しており、先妻{{仮リンク|キャサリン・フィロル|en|Catherine Fillol}}との間に男子二人、後妻{{仮リンク|アン・シーモア (サマセット公爵夫人)|label=アン・スタンホープ|en|Anne Seymour, Duchess of Somerset}}との間に4男6女を儲けていた<ref name="CP DS" />。 |
この初代サマセット公は二度結婚しており、先妻{{仮リンク|キャサリン・フィロル|en|Catherine Fillol}}との間に男子二人、後妻{{仮リンク|アン・シーモア (サマセット公爵夫人)|label=アン・スタンホープ|en|Anne Seymour, Duchess of Somerset}}との間に4男6女を儲けていた<ref name="CP DS" />。 |
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一方先妻キャサリンの系統の孫{{仮リンク|エドワード・シーモア (初代準男爵)|label=エドワード・シーモア|en|Sir Edward Seymour, 1st Baronet}}は、[[1611年]]に[[準男爵]]に叙せられている。この準男爵家は自分たちこそがシーモア家の嫡流との意識が強かったという{{sfn|森護|1987|p=71}}。 |
一方先妻キャサリンの系統の孫{{仮リンク|エドワード・シーモア (初代準男爵)|label=エドワード・シーモア|en|Sir Edward Seymour, 1st Baronet}}は、[[1611年]]に[[準男爵]]に叙せられている。この準男爵家は自分たちこそがシーモア家の嫡流との意識が強かったという{{sfn|森護|1987|p=71}}。 |
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第4代準男爵{{仮リンク|エドワード・シーモア (第4代準男爵)|label=サー・エドワード・シーモア|en|Sir Edward Seymour, 4th Baronet}}の次男[[フランシス・シーモア=コンウェイ (初代コンウェイ男爵)|フランシス・シーモア=コンウェイ]]は、[[1703年]]にコンウェイ男爵に叙されており、さらにその息子第2代コンウェイ男爵[[フランシス・シーモア=コンウェイ (初代ハートフォード侯爵)|フランシス・シーモア=コンウェイ]]は[[1750年]]にハートフォード伯爵、[[1793年]]にハートフォード侯爵に叙せられている。これがハートフォード侯爵家の始まりである<ref name="CP MH">{{Cite web |url=http://www.cracroftspeerage.co.uk |
第4代準男爵{{仮リンク|エドワード・シーモア (第4代準男爵)|label=サー・エドワード・シーモア|en|Sir Edward Seymour, 4th Baronet}}の次男[[フランシス・シーモア=コンウェイ (初代コンウェイ男爵)|フランシス・シーモア=コンウェイ]]は、[[1703年]]にコンウェイ男爵に叙されており、さらにその息子第2代コンウェイ男爵[[フランシス・シーモア=コンウェイ (初代ハートフォード侯爵)|フランシス・シーモア=コンウェイ]]は[[1750年]]にハートフォード伯爵、[[1793年]]にハートフォード侯爵に叙せられている。これがハートフォード侯爵家の始まりである<ref name="CP MH">{{Cite web |url=http://www.cracroftspeerage.co.uk/hertford1793.htm|title=Hertford, Marquess of (GB, 1793)|accessdate= 2016-01-06 |last= Heraldic Media Limited |work= [http://www.cracroftspeerage.co.uk/introduction.htm Cracroft's Peerage The Complete Guide to the British Peerage & Baronetage] |language= 英語 }}</ref>。 |
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サマセット公爵位の方も[[1750年]]に第7代サマセット公爵[[アルジャーノン・シーモア (第7代サマセット公)|アルジャーノン・シーモア]]が死去したことで後妻アンの系統の男系男子が絶え、先妻キャサリンの家系に移ることになり、第6代準男爵[[エドワード・シーモア (第8代サマセット公爵)|エドワード・シーモア]]が第8代サマセット公爵位を継承した。以降今日に至るまでサマセット公爵位は彼の男系男子によって継承されている<ref name="CP DS" />。 |
サマセット公爵位の方も[[1750年]]に第7代サマセット公爵[[アルジャーノン・シーモア (第7代サマセット公)|アルジャーノン・シーモア]]が死去したことで後妻アンの系統の男系男子が絶え、先妻キャサリンの家系に移ることになり、第6代準男爵[[エドワード・シーモア (第8代サマセット公爵)|エドワード・シーモア]]が第8代サマセット公爵位を継承した。以降今日に至るまでサマセット公爵位は彼の男系男子によって継承されている<ref name="CP DS" />。 |
2020年12月4日 (金) 05:16時点における版
シーモア家(英語: Seymour family)は、イギリスの貴族の家系。
1547年にサマセット公爵に叙せられたエドワード・シーモアを祖とする。2016年現在、爵位を持つシーモア家にサマセット公爵家とその分流であるハートフォード侯爵家の2つがある。
歴史
貴族としてのシーモア家の祖であるエドワード・シーモア (1506–1552)は、一介のナイトの息子にすぎなかったが、妹のジェーン・シーモアがテューダー朝の国王ヘンリー8世の三番目の王妃となったことで急速に出世し、ビーチャム子爵やハートフォード伯位を与えられた。1547年1月に甥にあたる幼王エドワード6世が即位すると、その摂政として権勢をふるい、同年2月にサマセット公爵に叙せられたが、政敵初代ノーサンバーランド公爵ジョン・ダドリーとの政争に敗れ、1552年1月に大逆罪で処刑され、爵位も剥奪されるという末路をたどった[1][2]。
この初代サマセット公は二度結婚しており、先妻キャサリン・フィロルとの間に男子二人、後妻アン・スタンホープとの間に4男6女を儲けていた[2]。
アンとの間の息子エドワード・シーモアは、1559年にハートフォード伯爵に叙された。その孫であるウィリアム・シーモアも1640年にハートフォード侯爵に叙され、さらに1660年には曾祖父の爵位第2代サマセット公爵位の復権を許されている。特別継承権の規定でサマセット公爵位の継承順位は後妻アンの男子が優先されていたためである[2]。
一方先妻キャサリンの系統の孫エドワード・シーモアは、1611年に準男爵に叙せられている。この準男爵家は自分たちこそがシーモア家の嫡流との意識が強かったという[3]。
第4代準男爵サー・エドワード・シーモアの次男フランシス・シーモア=コンウェイは、1703年にコンウェイ男爵に叙されており、さらにその息子第2代コンウェイ男爵フランシス・シーモア=コンウェイは1750年にハートフォード伯爵、1793年にハートフォード侯爵に叙せられている。これがハートフォード侯爵家の始まりである[4]。
サマセット公爵位の方も1750年に第7代サマセット公爵アルジャーノン・シーモアが死去したことで後妻アンの系統の男系男子が絶え、先妻キャサリンの家系に移ることになり、第6代準男爵エドワード・シーモアが第8代サマセット公爵位を継承した。以降今日に至るまでサマセット公爵位は彼の男系男子によって継承されている[2]。
2016年現在、サマセット公爵家の当主は第19代サマセット公ジョン・シーモアである[2]。一方ハートフォード侯爵家の当主は第9代ハートフォード侯ヘンリー・シーモアである[4]。
家系図
ジョン・シーモア (1475-1536) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ジェーン・シーモア (1508頃–1537) | ヘンリー8世 (1491-1547) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
エドワード6世 (1537-1553) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
キャサリン・フィロル (1507頃-1535頃) | 初代サマセット公 エドワード・シーモア (1500頃–1552) | アン・スタンホープ (1497頃-1587) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
エドワード (1528頃–1593) | 初代ハートフォード伯 エドワード (1539–1621) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
初代準男爵 エドワード (1563頃–1613) | ビーチャム卿 エドワード (1561–1612) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
2代準男爵 エドワード (1580頃–1659) | 2代サマセット公 ウィリアム (1588–1660) | 初代シーモア男爵 フランシス (1590頃–1664) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
3代準男爵 エドワード (1610–1688) | ビーチャム卿 ヘンリー (1626頃–1654) | 4代サマセット公 ジョン (1646頃–1675) | 2代シーモア男爵 チャールズ (1621頃–1665) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
4代準男爵 エドワード (1633–1708) | 3代サマセット公 ウィリアム (1650–1671) | 5代サマセット公 フランシス (1658–1678) | 6代サマセット公 チャールズ (1662–1748) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
5代準男爵 エドワード (1663–1740) | 初代コンウェイ男爵 フランシス (1679–1732) | 7代サマセット公 アルジャーノン (1684–1750) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
8代サマセット公 エドワード (1695–1757) | 初代ハートフォード侯 フランシス (1718–1794) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
9代サマセット公 エドワード (1717–1792) | 10代サマセット公 ウェッブ (1718–1793) | フランシス (1726–1799) | 2代ハートフォード侯 フランシス (1743–1822) | ヒュー (1759-1801) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
11代サマセット公 エドワード (1775–1855) | フランシス (–1822) | 3代ハートフォード侯 フランシス (1777–1842) | ジョージ (1718–1793) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
12代サマセット公 エドワード (1804–1885) | 13代サマセット公 アーチボルド (1810–1891) | 14代サマセット公 アルジャーノン (1813–1894) | フランシス (1788–1866) | 4代ハートフォード侯 リチャード (1800–1870) | 5代ハートフォード侯 フランシス (1812–1884) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
15代サマセット公 アルジャーノン (1846–1923) | フランシス (1815–1870) | 6代ハートフォード侯 ヒュー (1843–1912) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
16代サマセット公 エドワード (1860–1931) | 7代ハートフォード侯 ジョージ (1871–1940) | ヘンリー (1878–1939) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
17代サマセット公 イヴリン (1882–1954) | 8代ハートフォード侯 ヒュー (1930–1997) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
18代サマセット公 パーシー (1910–1984) | 9代ハートフォード侯 ヘンリー (1958-) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
19代サマセット公 ジョン・シーモア (1952-) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
脚注
注釈
出典
- ^ 森護 1987, p. 60-61.
- ^ a b c d e Heraldic Media Limited. “Somerset, Duke of (E, 1546/7)” (英語). Cracroft's Peerage The Complete Guide to the British Peerage & Baronetage. 2016年1月6日閲覧。
- ^ 森護 1987, p. 71.
- ^ a b Heraldic Media Limited. “Hertford, Marquess of (GB, 1793)” (英語). Cracroft's Peerage The Complete Guide to the British Peerage & Baronetage. 2016年1月6日閲覧。
参考文献
- 森護『英国の貴族 遅れてきた公爵』大修館書店、1987年。ISBN 978-4469240979。