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「ウィリアム・ポーレット (初代ウィンチェスター侯爵)」の版間の差分

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== 経歴 ==
== 経歴 ==
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2020年12月4日 (金) 05:16時点における版

初代ウィンチェスター侯爵
ウィリアム・ポーレット
William Paulet
1st Marquess of Winchester
ウィンチェスター侯ポーレット家
ナショナル・ポートレート・ギャラリー所蔵のウィンチェスター侯の肖像画

称号 初代ウィンチェスター侯爵、初代ウィルトシャー伯爵英語版、初代ベイジングのセントジョン男爵英語版ガーター勲章ナイト(KG)、枢密顧問官(PC)
出生 1483年1485年
イングランド王国の旗 イングランド王国ウィルトシャーフィッシャートン・デラメール英語版
死去 1572年3月10日
イングランド王国の旗 イングランド王国ハンプシャーベイジング英語版ベイジング・ハウス英語版
配偶者 エリザベス・カペル
子女 下記参照
父親 サー・ジョン・ポーレット
母親 アリス・ポーレット
役職 王室監査官英語版(1532-1537)、王室会計長官英語版(1537-1539)、宮内長官英語版(1543-1545)、王室家政長官英語版(1545-1550)、枢密院議長(1546-1549)、大蔵卿英語版(1550-1572)、貴族院議長(1559,1566)、庶民院議員(1529-1536)
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初代ウィンチェスター侯爵ウィリアム・ポーレット: William Paulet, 1st Marquess of Winchester, KG, PC1483年1485年 - 1572年3月10日)は、イングランドの政治家、廷臣、貴族。

ヘンリー8世からエリザベス女王までのテューダー朝の王に仕えた。激動の中でも失脚することなく多年にわたって地位を維持した。1531年にセントジョン男爵、1550年にウィルトシャー伯爵、1551年にウィンチェスター侯爵に叙せられた。

ウィンチェスター侯爵ポーレット家の祖にあたる。

経歴

1483年1485年頃、サー・ジョン・ポーレットとその妻アリス・ポーレットの長男として生まれる[1][2]

1511年から1512年1518年から1519年1522年から1523年にかけてハンプシャーシェリフを務め、1525年終わり頃にナイトの称号を得る[2][3]1529年からの改革議会英語版ではハンプシャーの州代表騎士として庶民院議員を務める[3][2]

1532年から1537年にかけては王室監査官英語版を務める[3][2]

1536年には修道院から没収したサウサンプトン近くの土地を与えられた[3]

1537年10月から1539年3月まで王室会計長官英語版を務めた。この役職の退任の際にイングランド貴族爵位ベイジングのセントジョン男爵英語版に叙された[3][2]

1540年には後見裁判所英語版の長官に任じられた[3]。1542年に枢密顧問官に列し[2]、1543年にはガーター勲章を受勲した[3][2]

1543年から1545年まで宮内長官英語版、1545年から1550年まで王室家政長官英語版1546年から1549年まで枢密院議長を務める[3][2]

1547年ヘンリー8世の崩御に際しては遺言執行人の一人に指名されている[3]エドワード6世が即位し、初代サマセット公エドワード・シーモアの支配がはじまると国璽尚書に就任したが、数カ月で辞職した[3][2]

1550年には初代ウォリック伯ジョン・ダドリーによるサマセット公打倒に協力し、同年1月19日にイングランド貴族爵位ウィルトシャー伯爵英語版に叙された。さらに翌1551年10月12日にはウィンチェスター侯爵に叙せられた(同じ日にウォリック伯はノーサンバーランド公に叙された)[3]1550年から1572年まで大蔵卿英語版を務める[2]

ヘンリー8世晩年からの戦争で財政が破たん状態になっていたため、1551年にはノーサンバーランド公の主導で通貨悪鋳を行われたが、急速なインフレーションを招き、国家財政が危機的状態に陥った。大蔵卿のウィンチェスター侯や国際金融専門家トマス・グレシャムらによって対策が練られ、1552年には通貨の品質を向上させて信用回復を図った[4]。また財政機構改革にもあたった[4]

1553年にエドワード6世が崩御した後、はじめノーサンバーランド公が女王に擁立したジェーンを支持したが、後にロンドンを脱出してメアリー女王を支持した。その結果、メアリー女王、つづくエリザベス女王の時代にも官職を維持した[3][2]

1559年1566年の議会では貴族院議長を務めている[3][2]

1572年3月10日にハンプシャー・ベイジング・ハウス英語版で90近い高齢で死去した[3]

栄典

爵位

1539年3月9日に以下の爵位を新規に叙される[2]

1550年1月19日に以下の爵位を新規に叙される。

1551年10月12日に以下の爵位を新規に叙される。

勲章

家族

1509年ロンドン市長ウィリアム・カペル英語版の娘エリザベス(-1558)と結婚。彼女との間に以下の8子を儲けた[2]

  • 長男ジョン・ポーレット英語版 (1510頃-1576) - 第2代ウィンチェスター侯爵位を継承
  • 次男トマス・ポーレット (生没年不詳)
  • 三男チディオック・ポーレット (生没年不詳) - サウサンプトン総督
  • 四男 ジャイルズ・ポーレット (生没年不詳)
  • 長女アリス・ポーレット (生没年不詳) - リチャード・ストーウェルと結婚
  • 次女マーガレット・ポーレット (生没年不詳) - サー・ウィリアム・バークリーと結婚
  • 三女マージェリー・ポーレット (生没年不詳) - サー・リチャード・ウォーラーと結婚
  • 四女エレノア・ポーレット (生年不詳-1558) - サー・リチャード・ペックサールと結婚

脚注

注釈

出典

  1. ^ Lundy, Darryl. “William Paulet, 1st Marquess of Winchester” (英語). thepeerage.com. 2015年12月28日閲覧。
  2. ^ a b c d e f g h i j k l m n o Heraldic Media Limited. “Winchester, Marquess of (E, 1551)” (英語). Cracroft's Peerage The Complete Guide to the British Peerage & Baronetage. 2015年12月28日閲覧。
  3. ^ a b c d e f g h i j k l m n Tait, James (1895). "Paulet, William (1485?-1572)". In Lee, Sidney (ed.). Dictionary of National Biography (英語). Vol. 44. London: Smith, Elder & Co. pp. 92–94.
  4. ^ a b 今井宏(編) 1990, p. 60.

参考文献

外部リンク

公職
先代
サー・ヘンリー・ギルフォード英語版
王室監査官英語版
1532年–1537年
次代
サー・ジョン・ラッセル
先代
初代サンディーズ男爵英語版
宮内長官英語版
1535年–1550年
次代
初代ウェントワース男爵英語版
先代
サー・ウィリアム・フィッツウィリアム英語版
王室会計長官英語版
1538年–1541年
次代
サー・トマス・チェイニー英語版
先代
初代サフォーク公爵
王室家政長官英語版
1544年–1551年
次代
初代ノーサンバーランド公爵
枢密院議長
1546年–1550年
先代
初代サウサンプトン伯爵英語版
国璽尚書
1547年
次代
リチャード・リッチ英語版
先代
初代サマセット公爵
大蔵卿英語版
1550年–1572年
次代
初代バーリー男爵
司法職
先代
初代サフォーク公爵
巡回裁判官英語版
南トレント

1545年–bef. 1550年
次代
第3代ドーセット侯爵
名誉職
先代
Unknown
ハンプシャー主席治安判事英語版
1544年以前 - 1558年より後
次代
ウィルトシャー伯爵英語版
先代
不詳
ハンプシャー知事
1551年–?
次代
不詳
イングランドの爵位
新設 初代ウィンチェスター侯爵
1551年–1572年
次代
ジョン・ポーレット英語版
初代ウィルトシャー伯爵英語版
1550年–1572年
初代ベイジングのセントジョン男爵英語版
(繰上貴族院招集令状により生前に爵位譲る)

1539年–1544年