「ジェイムズ・ヘイ (第15代エロル伯爵)」の版間の差分
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[[1726年]][[4月20日]]、第4代{{仮リンク|キルマーノック伯爵|en|Earl of Kilmarnock}}{{仮リンク|ウィリアム・ボイド (第4代キルマーノック伯爵)|label=ウィリアム・ボイド|en|William Boyd, 4th Earl of Kilmarnock}}とその妻アン(第5代{{仮リンク|リンリスゴー伯爵|en|Earl of Linlithgow}}[[ジェイムズ・リビングストン (第4代リンリスゴー伯爵)|ジェイムズ・リビングストン]]の娘)の息子として[[スコットランド]]の[[フォルカーク]]に生まれる。初名はジェイムズ・ボイドだった<ref name="thepeerage.com">{{Cite web |url=http://www.thepeerage.com/p3643.htm#i36428 |title=James Hay, 15th Earl of Erroll |accessdate= 2015-10-2 |last= Lundy |first= Darryl |work= [http://thepeerage.com/ thepeerage.com] |language= 英語 }}</ref>。 |
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後継ぎの兄が死去した[[1728年]]から父が爵位を接収される[[1746年]]までボイド卿 (Lord Boyd) の[[儀礼称号]]を使用した。父は[[ジャコバイト]]に加担した廉で1746年に[[大逆罪 (イギリス)|大逆罪]]で有罪となり、処刑のうえキルマーノック伯爵位も没収されたので、ジェイムズは父から爵位を継承できなかった(ただしキルマーノックの土地は相続した)<ref name="thepeerage.com"/><ref name="HML">{{Cite web |url=http://www.cracroftspeerage.co.uk/erroll1452.htm?zoom_highlight|title=Erroll, Earl of (S, 1452)|accessdate= 2015-10-3 |last= Heraldic Media Limited |work= [http://www.cracroftspeerage.co.uk/introduction.htm Cracroft's Peerage The Complete Guide to the British Peerage & Baronetage] |language= 英語 }}</ref>。 |
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2020年12月4日 (金) 05:13時点における版
第15代エロル伯爵ジェイムズ・ヘイ(英: James Hay, 15th Earl of Erroll、1726年4月20日 - 1778年7月3日)は、イギリス・スコットランドの貴族。
経歴
1726年4月20日、第4代キルマーノック伯爵ウィリアム・ボイドとその妻アン(第5代リンリスゴー伯爵ジェイムズ・リビングストンの娘)の息子としてスコットランドのフォルカークに生まれる。初名はジェイムズ・ボイドだった[1]。
後継ぎの兄が死去した1728年から父が爵位を接収される1746年までボイド卿 (Lord Boyd) の儀礼称号を使用した。父はジャコバイトに加担した廉で1746年に大逆罪で有罪となり、処刑のうえキルマーノック伯爵位も没収されたので、ジェイムズは父から爵位を継承できなかった(ただしキルマーノックの土地は相続した)[1][2]。
1758年8月19日には大叔母の第14代エロル女伯爵メアリー・ヘイからスコットランド貴族爵位の第15代エロル伯爵位を継承した[2]。この継承に際してジェイムズ・ヘイに改姓した[1]。
1751年から1752年にかけてフリーメイソンのスコットランド・グランドロッジ・グランドマスターを務めた[2]。
1770年から1774年にかけてスコットランド貴族の貴族代表議員として貴族院議員に列した。議員としての所属政党はトーリー党だった[2]。
栄典
爵位
- 1758年8月19日、第15代エロル伯爵 (15th Earl of Erroll)
- 1758年8月19日、第16代ヘイ卿 (16th Lord Hay)
家族
1749年にレベッカ・ロックハートと結婚し、彼女との間に1女メアリー(1754年 – ?)を儲けた。彼女は陸軍将校ジョン・スコットと結婚した[2]。
1761年にレベッカと死別し、翌1762年にイザベラ・カー(1747年 – 1808年)と再婚した。彼女との間に3男9女を儲けた。長男ジョージ(1767年 - 1798年)は第16代エロル伯爵、次男ウィリアム(1772年 - 1819年)は第17代エロル伯爵位を継承した[2]。
また次女シャーロット(1763年 – 1800年)はウィリアム・ホルウェルと、四女オーガスタ(1766年 - 1822年)は第4代グラスゴー伯爵ジョージ・ボイルと、五女マーガレット(1769年 – 1832年)はチャールズ・キャメロンと結婚した[2]。
脚注
注釈
出典
- ^ a b c Lundy, Darryl. “James Hay, 15th Earl of Erroll” (英語). thepeerage.com. 2015年10月2日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i Heraldic Media Limited. “Erroll, Earl of (S, 1452)” (英語). Cracroft's Peerage The Complete Guide to the British Peerage & Baronetage. 2015年10月3日閲覧。
学職 | ||
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先代 ジェイムズ・ミリケン |
グラスゴー大学学長 1761年–1763年 |
次代 トマス・ミラー |
フリーメイソン | ||
先代 第10代エグリントン伯爵 |
スコットランド・グランドロッジ グランドマスター 1751年–1752年 |
次代 ジョージ・ドラモンド |
スコットランドの爵位 | ||
先代 メアリー・ヘイ |
第15代エロル伯爵 1758年–1778年 |
次代 ジョージ・ヘイ |