「アルジャーノン・パーシー (第6代ノーサンバーランド公爵)」の版間の差分
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[[File:6th Duke of Northumberland.png|180px|thumb|left|1884年6月14日の『[[バニティ・フェア (イギリスの雑誌)|バニティ・フェア]]』誌に描かれたノーサンバーランド公。]] |
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2020年12月4日 (金) 05:08時点における版
第6代ノーサンバーランド公爵 アルジャーノン・パーシー Algernon Percy 6th Duke of Northumberland | |
---|---|
1886年のノーサンバーランド公 | |
生年月日 | 1810年5月20日 |
没年月日 | 1899年1月2日(満88歳没) |
所属政党 | 保守党 |
称号 | 第6代ノーサンバーランド公爵、ガーター勲章士(KG)、枢密顧問官(PC) |
配偶者 | ルイーザ(旧姓ドラモンド) |
内閣 | 第二次ダービー伯爵内閣 |
在任期間 | 1859年3月3日 - 1859年6月11日 |
内閣 | 第二次ディズレーリ内閣 |
在任期間 | 1878年2月4日 - 1880年4月21日 |
庶民院議員 | |
選挙区 |
バー・オールストン選挙区 北ノーザンバーランド選挙区 |
在任期間 |
1831年5月2日 - 1832年12月10日 1852年7月7日 - 1865年7月11日[1] |
貴族院議員 | |
在任期間 | 1867年 - 1899年[1] |
第6代ノーサンバーランド公爵アルジャーノン・ジョージ・パーシー(英語: Algernon George Percy, 6th Duke of Northumberland, KG, PC、1810年5月20日 - 1899年1月2日)は、イギリスの政治家、貴族。
経歴
1810年5月20日、後に第5代ノーサンバーランド公爵となるロヴェイン卿ジョージ・パーシーとその妻ルイーザ(旧姓ウォートレイ)の長男として生まれる[2][3]。
1831年から1832年にかけてバー・オールストン選挙区から選出されて庶民院議員を務める[4]。1852年から1865年にかけては北ノーザンバーランド選挙区から選出される[5]
保守党に所属し、1858年から1859年にかけて第二次ダービー伯爵内閣で海軍省民政長官、ついで支払長官と商務庁副長官を務めた[6]。
1867年に爵位を継承して貴族院へ移籍した。1867年にダービー伯爵やディズレーリが行った第二次選挙法改正には「下層民を我々の仲間に引き入れるつもりか」と述べて強く反対し、1868年の総選挙でもディズレーリ政権に協力しようとしなかった[7]。
1878年から1880年にかけては第二次ディズレーリ内閣で王璽尚書を務めた[8]。1877年から死去するまでノーサンバランド知事を務める[8]。
1886年中に成立した自由党政権第三次グラッドストン内閣によるアイルランド自治法の際には「1832年と1867年(二度の選挙法改正)に我々貴族が譲歩した結果、現在の事態を招いた。これ以上何らの譲歩も許されない」と述べて強く反対した[9]。1886年にガーター勲章を受けた[10]。
1869年から1886年にかけてはフリーメイソンのノーサンバーランド地方のグランドマスター代理を務めた[3]。
栄典
爵位/準男爵位
1867年8月21日に父ジョージ・パーシーの死により以下の爵位を継承[3][2]。
- 第6代ノーサンバーランド公爵 (6th Duke of Northumberland)
- (1766年10月22日の勅許状によるグレートブリテン貴族爵位)
- 第7代ノーサンバーランド伯爵 (7th Earl of Northumberland)
- 第6代パーシー伯爵 (6th Earl Percy)
- (1766年10月22日の勅許状によるグレートブリテン貴族爵位)
- 第3代ビバリー伯爵 (3rd Earl of Beverley)
- ノーサンバーランド州におけるワークワース城の第7代ワークワース男爵 (7th Baron Warkworth, of Warkworth Castle in the County of Northumberland)
- (1749年10月2日の勅許状によるグレートブリテン貴族爵位)
- ノーサンバーランド州におけるアニックの第4代ロヴェイン男爵 (4th Baron Lovaine, of Alnwick in the County of Northumberland)
- (ヨーク州におけるスタンウィックの)第9代準男爵 (9th Baronet, "of Stanwick in the County of York")
勲章
家族
1845年にルイーザ・ドラモンドと結婚し、彼女との間に以下の2子を儲ける[3][2]。
- 第1子(長男)ヘンリー・ジョージ・パーシー(1846-1918) - 第7代ノーサンバーランド公爵位を継承。政治家
- 第2子(次男)アルジャーノン・マルカム・アーサー・パーシー(1851-1933) - 政治家
脚注
注釈
出典
- ^ a b UK Parliament. “Lord Lovaine” (英語). HANSARD 1803–2005. 2014年6月13日閲覧。
- ^ a b c d e Lundy, Darryl. “Algernon George Percy, 6th Duke of Northumberland” (英語). thepeerage.com. 2016年2月3日閲覧。
- ^ a b c d e Heraldic Media Limited. “Northumberland, Duke of (GB, 1766)” (英語). Cracroft's Peerage The Complete Guide to the British Peerage & Baronetage. 2016年2月3日閲覧。
- ^ leighrayment.com House of Commons: Bedford to Berwick upon Tweed
- ^ leighrayment.com House of Commons: Northampton North to Nuneaton
- ^ "No. 22236". The London Gazette (英語). 4 March 1859. p. 988.
- ^ 海保(1999) p.114
- ^ a b leighrayment.com Peerage: Norfolk to Nuneham
- ^ 海保(1999) p.115
- ^ "No. 25561". The London Gazette (英語). 23 February 1886. p. 848.
参考文献
- 海保眞夫『イギリスの大貴族』平凡社〈平凡社新書020〉、1999年(平成11年)。ISBN 978-4582850208。
外部リンク
- Hansard 1803–2005: contributions in Parliament by the Duke of Northumberland
公職 | ||
---|---|---|
先代 トマス・ベアリング |
海軍省民政長官 1858年 - 1859年 |
次代 フレデリック・リゴン閣下 |
先代 第4代ドナウモア伯爵 |
支払長官 1859年 |
次代 ジェームズ・ウィルソン |
商務庁副長官 1859年 | ||
先代 初代ビーコンズフィールド伯爵 |
王璽尚書 1878年 - 1880年 |
次代 第8代アーガイル公爵 |
グレートブリテンおよびアイルランド連合王国議会 | ||
先代 クリストファー・ブラケット デヴィッド・ライオン |
バー・オールストン選挙区選出庶民院議員 1831年 - 1832年 同一選挙区同時当選者 デヴィッド・ライオン |
廃止 |
先代 オサルストン子爵 サー・ジョージ・グレイ准男爵 |
北ノーザンバーランド選挙区選出庶民院議員 1852年 - 1865年 同一選挙区同時当選者 オサルストン子爵(1832 - 1859) サー・マシュー・ホワイト・リドリー准男爵(1859-1868) |
次代 サー・マシュー・ホワイト・リドリー准男爵 ヘンリー・パーシー卿 |
名誉職 | ||
先代 第3代グレイ伯爵 |
ノーサンバランド知事 1878年 - 1899年 |
次代 第4代グレイ伯爵 |
グレートブリテンの爵位 | ||
先代 ジョージ・パーシー |
第6代ノーサンバーランド公爵 1867年 - 1899年 |
次代 ヘンリー・パーシー |
第4代ロヴェイン男爵 (繰上勅書により生前に爵位を譲る) 1867年 - 1887年 |