「チャールズ・レノックス (初代リッチモンド公)」の版間の差分
表示
削除された内容 追加された内容
Baudanbau20 (会話 | 投稿記録) m スペースを含むカテゴリ |
|||
35行目: | 35行目: | ||
[[1685年]]に父が亡くなり叔父の[[ジェームズ2世 (イングランド王)|ジェームズ2世]]が即位すると主馬頭を解任されるもジェームズ2世の下でスコットランド海軍委員会に所属、[[1701年]]に[[スコットランド海軍司令長官]]に任命されるも[[1705年]]に辞職、以後は政治活動から手を引いて趣味に明け暮れ、1723年に50歳で死去、息子の[[チャールズ・レノックス (第2代リッチモンド公)|チャールズ]]が爵位を継いだ。 |
[[1685年]]に父が亡くなり叔父の[[ジェームズ2世 (イングランド王)|ジェームズ2世]]が即位すると主馬頭を解任されるもジェームズ2世の下でスコットランド海軍委員会に所属、[[1701年]]に[[スコットランド海軍司令長官]]に任命されるも[[1705年]]に辞職、以後は政治活動から手を引いて趣味に明け暮れ、1723年に50歳で死去、息子の[[チャールズ・レノックス (第2代リッチモンド公)|チャールズ]]が爵位を継いだ。 |
||
[[1696年]]から[[1697年]]にかけて[[フリーメイソン]]のグランドマスターを務めた<ref name="HML">{{Cite web |url=http://www.cracroftspeerage.co.uk |
[[1696年]]から[[1697年]]にかけて[[フリーメイソン]]のグランドマスターを務めた<ref name="HML">{{Cite web |url=http://www.cracroftspeerage.co.uk/richmond1675.htm?zoom_highlight|title=Richmond, Duke of (E, 1675)|accessdate= 2015-9-28 |last= Heraldic Media Limited |work= [http://www.cracroftspeerage.co.uk/introduction.htm Cracroft's Peerage The Complete Guide to the British Peerage & Baronetage] |language= 英語 }}</ref>。また、[[クリケット]]を一般的なスポーツとして広めようと積極的に支援、[[1697年]]と[[1702年]]に大会を開催するまでになった。この性質は息子チャールズにも受け継がれ、2代にわたるクリケットのパトロンとして活動した。 |
||
== 子女 == |
== 子女 == |
2020年12月4日 (金) 05:06時点における版
チャールズ・レノックス Charles Lennox | |
---|---|
初代リッチモンド公 | |
初代リッチモンド公チャールズ・レノックス(ゴドフリー・ネラー画) | |
在位 | 1675年 - 1723年 |
称号 | オウビーニュイ公 |
出生 |
1672年7月29日 イングランド王国、ロンドン |
死去 |
1723年5月27日(50歳没) グレートブリテン王国、サセックス |
配偶者 | アン・ブルデネル |
子女 |
ルイーズ チャールズ アン |
家名 | レノックス家 |
父親 | イングランド王チャールズ2世 |
母親 | ルイーズ・ケルアイユ |
初代リッチモンド公チャールズ・レノックス(Charles Lennox, 1st Duke of Richmond, KG, 1672年7月29日 - 1723年5月27日)は、イギリスとフランスの貴族。イングランド王チャールズ2世と愛人ルイーズ・ケルアイユの間の庶子。初代リッチモンド公・オウビーニュイ公でレノックス家の祖。ダイアナ元皇太子妃の先祖の1人でもある。
生涯
1675年8月9日、3歳で父からイングランド貴族のリッチモンド公、マーチ伯、セトリントン男爵に叙せられ、9月9日にはスコットランド貴族としてレノックス公、ダーンリー伯に叙せられた。1681年にガーター勲章を受勲、主馬頭に任じられ、1684年にフランス王ルイ14世からフランス貴族のオウビーニュイ公に叙爵され、イングランドとフランスの貴族となった。
1685年に父が亡くなり叔父のジェームズ2世が即位すると主馬頭を解任されるもジェームズ2世の下でスコットランド海軍委員会に所属、1701年にスコットランド海軍司令長官に任命されるも1705年に辞職、以後は政治活動から手を引いて趣味に明け暮れ、1723年に50歳で死去、息子のチャールズが爵位を継いだ。
1696年から1697年にかけてフリーメイソンのグランドマスターを務めた[1]。また、クリケットを一般的なスポーツとして広めようと積極的に支援、1697年と1702年に大会を開催するまでになった。この性質は息子チャールズにも受け継がれ、2代にわたるクリケットのパトロンとして活動した。
子女
1692年、ブルデネル男爵フランシスの娘アンと結婚、3人の子を儲けた。
- ルイーズ(1694年 - 1716年) - バークレー伯ジェームズ・バークレーと結婚
- チャールズ(1701年 - 1750年) - 第2代リッチモンド公
- アン(1703年 - 1789年) - アルベマール伯ウィリアム・ヴァン・ケッペルと結婚
脚注
注釈
出典
- ^ Heraldic Media Limited. “Richmond, Duke of (E, 1675)” (英語). Cracroft's Peerage The Complete Guide to the British Peerage & Baronetage. 2015年9月28日閲覧。
参考文献
公職 | ||
---|---|---|
先代 モンマス公 |
主馬頭 1681年 - 1685年 |
次代 ダートマス男爵 |
先代 ジェームズ2世 |
スコットランド海軍司令長官 1701年 - 1705年 |
次代 モントローズ侯 |
イングランドの爵位 | ||
先代 新設 |
リッチモンド公 1675年 - 1723年 |
次代 チャールズ・レノックス |
フランスの爵位 | ||
先代 新設 |
オウビーニュイ公 1684年 - 1723年 |
次代 チャールズ・レノックス |