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「ジョン・ハワード (初代ノーフォーク公)」の版間の差分

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== 経歴 ==
== 経歴 ==
[[1420年]]から[[1430年]]頃、サー・ロバート・ハワードとその妻マーガレット(初代ノーフォーク公爵[[トマス・モウブレー (初代ノーフォーク公)|トマス・モウブレー]]の娘)の一人息子として生まれた<ref name="CP DN">{{Cite web|url=http://www.cracroftspeerage.co.uk/online/content/norfolk1483.htm|title=Norfolk, Duke of (E, 1483)|accessdate=2016-02-13|last=Heraldic Media Limited|work=[http://www.cracroftspeerage.co.uk/online/content/introduction.htm Cracroft's Peerage The Complete Guide to the British Peerage & Baronetage]|language=英語|archiveurl=https://web.archive.org/web/20110823031400/http://www.cracroftspeerage.co.uk/online/content/Norfolk1483.htm|archivedate=2011年8月23日|deadurldate=2017年9月}}</ref><ref name="thepeerage">{{Cite web |url=http://thepeerage.com/p338.htm#i3380|title= John Howard, 1st Duke of Norfolk|accessdate= 2016-02-13 |last= Lundy |first= Darryl |work= [http://thepeerage.com/ thepeerage.com] |language= 英語 }}</ref>{{sfn|松村赳|富田虎男|2000| p=522}}。
[[1420年]]から[[1430年]]頃、サー・ロバート・ハワードとその妻マーガレット(初代ノーフォーク公爵[[トマス・モウブレー (初代ノーフォーク公)|トマス・モウブレー]]の娘)の一人息子として生まれた<ref name="CP DN">{{Cite web|url=http://www.cracroftspeerage.co.uk/norfolk1483.htm|title=Norfolk, Duke of (E, 1483)|accessdate=2016-02-13|last=Heraldic Media Limited|work=[http://www.cracroftspeerage.co.uk/introduction.htm Cracroft's Peerage The Complete Guide to the British Peerage & Baronetage]|language=英語|archiveurl=https://web.archive.org/web/20110823031400/http://www.cracroftspeerage.co.uk/Norfolk1483.htm|archivedate=2011年8月23日|deadurldate=2017年9月}}</ref><ref name="thepeerage">{{Cite web |url=http://thepeerage.com/p338.htm#i3380|title= John Howard, 1st Duke of Norfolk|accessdate= 2016-02-13 |last= Lundy |first= Darryl |work= [http://thepeerage.com/ thepeerage.com] |language= 英語 }}</ref>{{sfn|松村赳|富田虎男|2000| p=522}}。


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[[1452年]]から[[1453年]]にかけて初代[[シュルーズベリー伯爵]][[ジョン・タルボット (初代シュルーズベリー伯)|ジョン・タルボット]]のガスコーニュ遠征軍に従軍し、[[百年戦争]]最後の戦いである[[カスティヨンの戦い]]に参戦した{{sfn|松村赳|富田虎男|2000| p=522}}。
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しかし、[[1485年]][[5月22日]]の[[ボズワースの戦い]]でリチャード3世と共に戦死した{{sfn|松村赳|富田虎男|2000| p=523}}{{sfn|森護|1987|p=25}}。テッドフォードの小修道院に埋葬されたが、後の[[宗教改革]]の際にどこか(恐らくフラムリンガム教会の孫・[[トマス・ハワード (第3代ノーフォーク公)|トマス・ハワード]]の墓所だろう)に移葬されてしまった。彼の墓所は分からなくなってしまったが、最初の妻キャサリン・モリンズの真鍮記念碑だけは今でも[[サフォーク]]で見る事ができる。
しかし、[[1485年]][[5月22日]]の[[ボズワースの戦い]]でリチャード3世と共に戦死した{{sfn|松村赳|富田虎男|2000| p=523}}{{sfn|森護|1987|p=25}}。テッドフォードの小修道院に埋葬されたが、後の[[宗教改革]]の際にどこか(恐らくフラムリンガム教会の孫・[[トマス・ハワード (第3代ノーフォーク公)|トマス・ハワード]]の墓所だろう)に移葬されてしまった。彼の墓所は分からなくなってしまったが、最初の妻キャサリン・モリンズの真鍮記念碑だけは今でも[[サフォーク]]で見る事ができる。

2020年12月4日 (金) 05:03時点における版

初代ノーフォーク公
ジョン・ハワード
John Howard
1st Duke of Norfolk
ノーフォーク公ハワード家

称号 初代ノーフォーク公爵、初代ハワード男爵、第12代モウブレー男爵、第13代セグレイヴ男爵ガーター勲章勲爵士(KG)
敬称 Your Grace(公爵閣下)
出生 1425年
死去 1485年8月22日
配偶者 キャサリン・モリンズ
  マーガレット・チェドワース
子女 家族参照
父親 サー・ロバート・ハワード
母親 マーガレット・モウブレー
役職 海軍卿英語版(1483-1485)、軍務伯(1483-1485)、庶民院議員(1455)、貴族院議員
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初代ノーフォーク公ジョン・ハワード英語: John Howard, 1st Duke of Norfolk, KG1425年頃 - 1485年8月22日)は、イングランドの貴族、廷臣

リチャード3世を支持して1483年ノーフォーク公爵に叙せられたが、1485年にはリチャード3世ともどもボズワースの戦いで敗死した。ノーフォーク公爵ハワード家の祖にあたる。

経歴

1420年から1430年頃、サー・ロバート・ハワードとその妻マーガレット(初代ノーフォーク公爵トマス・モウブレーの娘)の一人息子として生まれた[1][2][3]

1452年から1453年にかけて初代シュルーズベリー伯爵ジョン・タルボットのガスコーニュ遠征軍に従軍し、百年戦争最後の戦いであるカスティヨンの戦いに参戦した[3]

1455年にはノーフォーク州から選出されて庶民院議員となった[1][2]

1461年3月に即位したヨーク派のエドワード4世を支持し、ランカスター派と戦った[3]タウトンの戦いにも参加した[2]。エドワード4世の寵臣となり、同年にナイトに叙されるとともにノーフォークサフォークシェリフ、またノリッジ城コルチェスター城英語版の城守(Constable)に任じられた[1][2]。さらに1467年にはオックスフォードシャーのシェリフ、1467年から1474年にかけては王室財政長官英語版を務めた。1470年にはハワード男爵に叙せられ、1472年にはガーター勲章を受勲した[1][2]。しばしばフランスへの外交使節にも登用された[3]

1483年エドワード5世の退位問題の際には追い落とす側のリチャード3世を支持したため、その功で同年6月ノーフォーク公に叙せられた。臣民への公爵位授与は彼が最初であった[4][5]。また軍務伯海軍卿英語版などの重職に任じられている[3]。さらに1484年頃には貴族院の決定により母方のモウブレー家から議会招集令状英語版[要リンク修正]による爵位(男子がなく女子のみある場合に姉妹間に優劣がない女系継承が可能)であるモウブレー男爵セグレイヴ男爵を継承した[6]

しかし、1485年5月22日ボズワースの戦いでリチャード3世と共に戦死した[7][8]。テッドフォードの小修道院に埋葬されたが、後の宗教改革の際にどこか(恐らくフラムリンガム教会の孫・トマス・ハワードの墓所だろう)に移葬されてしまった。彼の墓所は分からなくなってしまったが、最初の妻キャサリン・モリンズの真鍮記念碑だけは今でもサフォークで見る事ができる。

死後、ノーフォーク公爵はヘンリー7世に剥奪され、子のトマスロンドン塔に投獄された。後にトマスは釈放されたが、ノーフォーク公を取り戻すには1514年を待たなければならなかった。

ボズワースの決戦前夜にトマス・スタンリー男爵ノーサンバランド伯ヘンリー・パーシーの中立を暗示するメモが手元に残されたと言われるが、真偽は不明。

栄典

爵位

1470年10月15日に以下の爵位を新規に与えられた[1]

1483年6月28日に以下の爵位を新規に与えられた[1]

1484年頃にアン・モウブレーの死去後保持者不在となっていた以下の爵位を継承した[6]

  • 第12代モウブレー男爵 (12th Baron Mowbray)
    (議会招集令状によるイングランド貴族爵位)
  • 第13代セグレイヴ男爵 (13th Baron Segrave)
    (議会招集令状によるイングランド貴族爵位)

勲章

家族

1442年にキャサリン・モリンズ(1424年 - 1465年、ウィリアム・ドゥ・モリンズとマージョリー・ウェルズブラウの娘)と結婚、以下の1男4女を儲けた[1]

  1. 長男トマス(1443年 - 1524年) 第2代ノーフォーク公に復権
  2. 長女アン(? - ?) - エドマンド・ゴーゲスと結婚
  3. 次女イサベル(? - ?) - サー・ロバート・モーティマーと結婚
  4. 三女ジェーン (? - ?)
  5. 四女マーガレット(? - ?) - サー・ジョン・ウィンダムと結婚

1467年にマーガレット・チェドワース(1436年 - 1494年、ジョン・チェドワース卿とマーガレット・バウエットの娘)と再婚、娘を1人儲けた[1]

  1. 五女キャサリン(? - 1536年) - 第2代バーナーズ男爵ジョン・バウチャー英語版と結婚

脚注

注釈

出典

  1. ^ a b c d e f g h i Heraldic Media Limited. “Norfolk, Duke of (E, 1483)” (英語). Cracroft's Peerage The Complete Guide to the British Peerage & Baronetage. 2011年8月23日時点のオリジナルよりアーカイブ。2016年2月13日閲覧。
  2. ^ a b c d e f Lundy, Darryl. “John Howard, 1st Duke of Norfolk” (英語). thepeerage.com. 2016年2月13日閲覧。
  3. ^ a b c d e 松村赳 & 富田虎男 2000, p. 522.
  4. ^ 松村赳 & 富田虎男 2000, p. 522-523.
  5. ^ 森護 1987, p. 6/24-25.
  6. ^ a b Heraldic Media Limited. “Mowbray, Baron (E, 1283 or 1640)” (英語). Cracroft's Peerage The Complete Guide to the British Peerage & Baronetage. 2016年2月13日閲覧。
  7. ^ 松村赳 & 富田虎男 2000, p. 523.
  8. ^ 森護 1987, p. 25.

参考文献

  • 海保眞夫『イギリスの大貴族』平凡社平凡社新書020〉、1999年。ISBN 978-4582850208 
  • 森護『英国の貴族 遅れてきた公爵』大修館書店、1987年。ISBN 978-4469240979 
  • 松村赳富田虎男『英米史辞典』研究社、2000年。ISBN 978-4767430478 
公職
先代
グロスター公
海軍卿英語版
1483年1485年
次代
第13代オックスフォード伯
先代
ヨーク公
軍務伯
1483年1485年
次代
初代ノッティンガム伯英語版
イングランドの爵位
爵位創設 初代ノーフォーク公爵
(第3期)

1483年1485年
剥奪
(爵位回復
2代ノ―フォーク公トマス・ハワード)
保持者不在(最後の受爵者
アン・ド・モウブレー)
第12代モウブレー男爵
13代セグレイヴ男爵

1484年頃–1485年
剥奪
(爵位回復
4代ノーフォーク公トマス・ハワード)
爵位創設 初代ハワード男爵
1470年-1485年
剥奪