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[[神奈川県]]生まれ<ref name="chosen" />。[[1946年]]中国から復員し<ref name="chosen" />、[[日本郵趣協会]]を創設した。日本切手カタログ及び外国切手カタログの出版に力を注ぎ、[[郵趣用品]]の開発・普及、日本で最初の[[全国切手展]]を開催するなど、今日の[[切手収集]]の礎を確立させた。 |
[[神奈川県]]生まれ<ref name="chosen" />。[[1946年]]中国から復員し<ref name="chosen" />、[[日本郵趣協会]]を創設した。日本切手カタログ及び外国切手カタログの出版に力を注ぎ、[[郵趣用品]]の開発・普及、日本で最初の[[全国切手展]]を開催するなど、今日の[[切手収集]]の礎を確立させた。 |
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水原明窗コレクションは、チャイニーズ・フィラテリーの全分野で世界のトップを行き、さらに朝鮮[[郵便史]]、モンゴル郵便史でも世界有数の[[切手]][[収集家]]であった。国際切手展においては、100を超えて金賞を受賞する。 |
水原明窗コレクションは、チャイニーズ・フィラテリーの全分野で世界のトップを行き、さらに朝鮮[[郵便史コレクション|郵便史]]、モンゴル郵便史でも世界有数の[[切手]][[収集家]]であった。国際切手展においては、100を超えて金賞を受賞する。 |
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各国政府の招請により、[[1981年]]に[[北京市|北京]]、[[上海市|上海]]、[[1991年]]に[[ウランバートル]]で個展を開催し、[[モンゴル]]からは切手展の[[記念切手]]としては世界初の個人の収集家名が入った[[切手]]が発行された<ref>「特別付録 モンゴル郵趣報告」『郵趣』1991年8月号、付録1-12頁。</ref>。 |
各国政府の招請により、[[1981年]]に[[北京市|北京]]、[[上海市|上海]]、[[1991年]]に[[ウランバートル]]で個展を開催し、[[モンゴル]]からは切手展の[[記念切手]]としては世界初の個人の収集家名が入った[[切手]]が発行された<ref>「特別付録 モンゴル郵趣報告」『郵趣』1991年8月号、付録1-12頁。</ref>。 |
2020年12月3日 (木) 05:36時点における版
水原 明窗(水原 明窓、みずはら めいそう[1]、1924年3月29日[2] - 1993年11月28日[3])は、中国切手の世界的な切手収集家。本名、落合 光(おちあい みつ) [1]。
株式会社郵趣会館代表取締役、財団法人日本郵趣協会理事長(1982年)、財団法人フィラテリーセンター理事長(1989年)[1]。
人物
神奈川県生まれ[1]。1946年中国から復員し[1]、日本郵趣協会を創設した。日本切手カタログ及び外国切手カタログの出版に力を注ぎ、郵趣用品の開発・普及、日本で最初の全国切手展を開催するなど、今日の切手収集の礎を確立させた。
水原明窗コレクションは、チャイニーズ・フィラテリーの全分野で世界のトップを行き、さらに朝鮮郵便史、モンゴル郵便史でも世界有数の切手収集家であった。国際切手展においては、100を超えて金賞を受賞する。
各国政府の招請により、1981年に北京、上海、1991年にウランバートルで個展を開催し、モンゴルからは切手展の記念切手としては世界初の個人の収集家名が入った切手が発行された[4]。
著書には、「華郵集錦」「朝鮮近代郵便史」「中国解放区郵票図鑑」「最新もの知り切手用語集」などがある。晩年には博物館建設に力を注ぎ、東京目白にある切手の博物館の運営母体となる財団法人フィラテリーセンターを設立するが、膵臓癌にて逝去。
1993年12月18日・19日に郵趣会館で日本郵趣協会葬として「水原明窓さんを想う会」が実施された[3]。