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2020年12月1日 (火) 11:47時点における版
よぎ(プラニク・ヨゲンドラ) Puranik Yogendra पुराणिक योगेंद्र | |
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ファイル:20190323-Yogi-Elect-0002.jpg 2019年撮影 | |
生年月日 | 1977年6月3日(47歳) |
出生地 |
インド マハーラーシュトラ州アンバーナス |
出身校 |
プネー大学物理学部 インド経営大学院コルカタ校 |
所属政党 |
(旧立憲民主党→) 立憲民主党 |
江戸川区議会議員 | |
当選回数 | 1回 |
在任期間 | 2019年5月2日 - 現職 |
よぎことプラニク・ヨゲンドラ(英語: Puranik Yogendra,マラーティー語: पुराणिक योगेंद्र,1977年6月3日生まれ、2012年日本国籍に帰化)は、インド出身の日本の政治家、実業家。江戸川区議会議員(1期)。日本以外のアジア出身者として初めての当選となった。
子どもの頃
インド西部、マハーラーシュトラ州アンバーナス出身[1]。父プラニク・シャラド(国営企業で研磨機のオペレーター)と母プラニク・レカ(裁縫士)の長男として誕生。姉ポトニス・ニリマと弟プラニク・ラフルの三兄弟。
教育
小中学校はインド国立アンバルナス校を1992年5月に卒業。小中学校では8年間に及びボーイスカウトで活動。その後は父親の転勤に伴い、高校はインド国立サザン・カマンド校からインド国立デフ・ロード校に移り、最終的に1994年6月同校卒業。その後、プネ大学管下のサー・パラシュラム(エス・ピ)カレッジに入学し、物理学・数学を専攻する。同時にプネ大学外国語部にて日本語とドイツ語を学び、民間のIT学校データマティックス・コーポレーションで情報技術を学ぶ。
1996年5月にITのディプロマ、1997年5月に日本語の学士号を取得し、1997年9月に国際交流基金の奨学金で1か月間来日。また、1999年9月からは二度目の奨学金により1学年に及ぶ日本留学。
物理学部を1997年に中退し、プネ大学の経済学部に転学し、それ以降国際経済・労務経済を専攻し、学士号と修士号を取得。その後、インド国立ビジネススクール(IIMカルカッタ)より国際ビジネス管理のプログラムを卒業し、フランスのスキマ・ビジネススクール(旧ESC Lille)より戦略的プロジェクトマネジメントの博士課程の一環として定量的・定性的分析や複数の研究方法論を学ぶ。
就職歴
1996年にITディプロマを卒業するとプネ市内の小規模IT企業スートラ・システムズで働き始め、2001年にIBM子会社からの派遣で社会人として初来日。2002年にはインドに帰国するが、2003年から現在まで日本に滞在し、グローバル大手のIT企業で勤務。2010年にみずほ銀行の国際事務部に調査役として就任し、以降銀行業界の仕事に従事。2019年3月に楽天銀行企画本部の副本部長として就任するが、4月の地方統一選挙に当選し辞任。
家族
2001年8月に中国人の張哲(中国県立大学の日本語講師)と結婚。2002年6月に長男(プラニク・陳明)に恵まれる。住居地における考え方の違いから2007年に離婚。よぎがチンメイ君を引き取り育てる。チンメイ君はインド・インターナショナル校、区立小中学校を経て、イギリスに留学。
社会活動
中野、町田、南行徳などを転々し、2005年に在日インド人が多く暮らす東京都江戸川区西葛西に居を構える[2]。地元の自治会その他において積極的に参加し、インド人と日本人の懸け橋となる。2011年に発生した東日本大震災では自治会役員として地元に住む高齢者の安否確認などに従事し[3]、週末には近隣の在日インド人たちと東北の被災地でカレーの炊き出しを行うなどのボランティア活動に参加した[4][5]。
翌2012年に日本へ帰化した後、母親と共同でインド家庭料理の店「レカ」を開店する[4]。当店の家庭料理は人気となり、国内のみならず海外からも注目を浴び、主要なテレビ番組や雑誌で継続的に紹介される。2016年に2号店を開設すると同時に江戸川印度文化センターも開設し、当文化センターではヨーガ、言語、音楽などの定期的なレッスンと共にインド音楽などのライブハウスを開始。インドその他から有名人の演奏者がここで演奏。
政治
長男が学校でいじめに遭ったことや、教科書に偏重しすぎる授業[4][3]、そして江戸川区が提唱した「西葛西リトルインド構想」に疑問を持ち、区議に陳情を行なうも、その際の冷めた対応への失望により「外にいるだけでは動かないんだ」と考えて自ら区議会議員として立候補を決意する[6]。
当初は無所属で活動していたが、区議会議員選挙の告示直前になり東大島駅前で街頭演説を行っていた所を初鹿明博衆議院議員の目に留まり、スカウトを受けたことから立憲民主党へ入党、4月9日に同党公認候補となった[7][4]。出馬に当たっては、愛称の「よぎ」を政治活動上の通称として届け出ている[8]。
4月21日投票・翌22日開票の結果、6,477票を得て58名中第5位(定数44)で初当選する[5][3]。江戸川区内に日本の選挙権を持つインド系住民はごく少数だが[3]、自治会やPTA役員を務めるなど長年の地域活動で人脈を築いたことが上位当選につながったとしている[4]。「インド系日本人初の政治家誕生」のニュースは第19回統一地方選挙の大きなトピックの一つとなり[9]、出身地のインドのみならず世界中でも報じられるなどの反響を呼んだ[10]。
行政において方法論的アプローチに基づき江戸川区が提供するサービス内容を分析すべきと考える。そのためにはX軸に全対象者(個人、法人、その他)をおき、Y軸にその対象者のニーズまたは課題を列挙し、現在行われている事業を割り当て、今後どの対象者におけるどの課題に重点をおくか、戦略的な分析が出来るような材料作成を提言。
また、スマートシティーや持続可能な開発目標(SDGs)のような枠組みを浸透させ、議員・執行部に対し、このような枠組みの訓練を推薦すると共に、行政に関わる一人ひとりが総合的な考えと判断が出来るような環境づくりの提言を考える。
哲学
ボディー、マインドとソール、この3要素のバランスを信じ、身体的健康、知識と哲学の三つに重みをおく。また、教育については学問のみならず、スポーツや音楽などを含めたバランスある教育を強調。今後の日本のことを考えると多文化共生を重んじた、最低限2言語による教育の必要性を訴えている。
出典
- ^ “インド出身の区議「架け橋に」 東京・江戸川区議選で当選”. TOKYO MX NEWS (東京メトロポリタンテレビジョン). (2019年5月24日) 2019年7月31日閲覧。
- ^ “外国籍の方に聞いてみた! 日本のマンション暮らしってどう? 〜インド・ヨギさん〜”. マンション・ラボ (つなぐネットコミュニケーションズ) 2019年7月31日閲覧。
- ^ a b c d “<統一地方選>インド出身男性、江戸川区議当選 外国人社会と地域の懸け橋に”. 東京新聞 (中日新聞東京本社). (2019年4月23日) 2019年7月31日閲覧。
- ^ a b c d e “江戸川区に住むインド人は4300人、インド出身「よぎさん」が立憲民主党の区議になるまで”. デイリー新潮 (新潮社). (2019年6月13日) 2019年7月31日閲覧。
- ^ a b “「日本人との架け橋に」インド出身よぎさん、区議に”. 朝日新聞デジタル (朝日新聞社). (2019年4月22日) 2019年7月31日閲覧。
- ^ 畠山理仁. “東京・江戸川区議に当選! インド出身・インド料理店経営のよぎ「カレー屋さんがビラを配ってると思われた」”. 週プレNEWS (集英社) 2019年7月31日閲覧。
- ^ 【常任幹事会】統一地方選、公認候補予定者を追加決定立憲民主党2019年4月9日付
- ^ 江戸川区のサイトでは「よ ぎ」とスペースが入っている。 江戸川区議会 議員プロフィール 「よ ぎ」
- ^ 西川邦臣. “取材ノートから「外国人労働者と共生社会 多様性尊重する時代に」”. 京都新聞 2019年7月31日閲覧。
- ^ “元ITエンジニアで今は江戸川区議員! インド出身のよぎさんに突撃インタビュー!”. Miraist (2019年7月17日). 2019年7月31日閲覧。