「宮原和也」の版間の差分
20041027 tatsu (会話 | 投稿記録) →名古屋グランパス: 新型コロナウイルス、曖昧さ回避 タグ: モバイル編集 モバイルウェブ編集 改良版モバイル編集 |
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2011年、川辺・大谷らと共にサンフレッチェ広島ユースに昇格する。当初は攻撃的MFを担当していた<ref name="gekisaka20130731" />。同年度の[[第66回国民体育大会|山口国体]]少年の部3位に貢献するがこの時はボランチ<ref>{{Cite web|publisher=ゲキサカ|date=2011-10-06|url=http://web.gekisaka.jp/189845_87322_fl|title=3位決定戦は壮絶な撃ち合いに!大谷ロスタイムV弾で広島が3位|accessdate=2014-01-30}}</ref>。[[高円宮杯U-18サッカーリーグ2011|2011年高円宮杯プレミア]]でもベンチメンバーとして大会制覇に貢献する<ref>{{Cite web|publisher=日本サッカー協会|date=2011-12-17|url=http://www.jfa.or.jp/match/matches/2011/takamado_cs/schedule_result/pdf/m01.pdf|format=PDF|title=高円宮杯U-18サッカーリーグ2011 チャンピオンシップ|accessdate=2014-01-30}}</ref>。2012年高2の時に、ディフェンダーに怪我人が続出したことからCBにコンバートされレギュラーを獲得し[[高円宮杯U-18サッカーリーグ2012|2012年高円宮杯プレミア]]連覇に貢献する<ref>「無双・広島ユース、西国を制す」『エルゴラッソ』2012年10月16日付</ref>。同年U-16日本代表に選出され、[[AFC U-16選手権2012]]ではCBとしてキャプテンを務めた<ref>{{Cite web|publisher=ゲキサカ|date=2012-10-07|url=http://web.gekisaka.jp/372083_107968_fl|title=U-16代表はアジア準V、PK戦でウズベキスタンに敗れる|accessdate=2014-01-30}}</ref>。 |
2011年、川辺・大谷らと共にサンフレッチェ広島ユースに昇格する。当初は攻撃的MFを担当していた<ref name="gekisaka20130731" />。同年度の[[第66回国民体育大会|山口国体]]少年の部3位に貢献するがこの時はボランチ<ref>{{Cite web|publisher=ゲキサカ|date=2011-10-06|url=http://web.gekisaka.jp/189845_87322_fl|title=3位決定戦は壮絶な撃ち合いに!大谷ロスタイムV弾で広島が3位|accessdate=2014-01-30}}</ref>。[[高円宮杯U-18サッカーリーグ2011|2011年高円宮杯プレミア]]でもベンチメンバーとして大会制覇に貢献する<ref>{{Cite web|publisher=日本サッカー協会|date=2011-12-17|url=http://www.jfa.or.jp/match/matches/2011/takamado_cs/schedule_result/pdf/m01.pdf|format=PDF|title=高円宮杯U-18サッカーリーグ2011 チャンピオンシップ|accessdate=2014-01-30}}</ref>。2012年高2の時に、ディフェンダーに怪我人が続出したことからCBにコンバートされレギュラーを獲得し[[高円宮杯U-18サッカーリーグ2012|2012年高円宮杯プレミア]]連覇に貢献する<ref>「無双・広島ユース、西国を制す」『エルゴラッソ』2012年10月16日付</ref>。同年U-16日本代表に選出され、[[AFC U-16選手権2012]]ではCBとしてキャプテンを務めた<ref>{{Cite web|publisher=ゲキサカ|date=2012-10-07|url=http://web.gekisaka.jp/372083_107968_fl|title=U-16代表はアジア準V、PK戦でウズベキスタンに敗れる|accessdate=2014-01-30}}</ref>。 |
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2013年高3から川辺・大谷らと共にトップチームに[[2種登録選手]]として登録され、同年3月25日川辺と共に所属はユースのままトップチームとプロ契約を結ぶ<ref name="chugoku20130326">{{Cite web|publisher=中国新聞|date=2013-03-26|url=http://www1.chugoku-np.co.jp/Sanfre/Sw201303260053.html|title=ユースの川辺・宮原とプロ契約|accessdate=2013-05-07}}</ref>。なお高校年代選手のプロ契約としては[[ |
2013年高3から川辺・大谷らと共にトップチームに[[2種登録選手]]として登録され、同年3月25日川辺と共に所属はユースのままトップチームとプロ契約を結ぶ<ref name="chugoku20130326">{{Cite web|publisher=中国新聞|date=2013-03-26|url=http://www1.chugoku-np.co.jp/Sanfre/Sw201303260053.html|title=ユースの川辺・宮原とプロ契約|accessdate=2013-05-07}}</ref>。なお高校年代選手のプロ契約としては[[髙萩洋次郎]]・[[岡本知剛]]以来3例目であるが<ref name="chugoku20130326" />、ユース所属でのプロ契約は初のケース。ただこの年はトップチームでは公式戦に出場できなかった。また、同年の[[2013 FIFA U-17ワールドカップ]]にU-17日本代表の一員として3試合出場している。同時に活躍した広島ユースでは[[第37回日本クラブユースサッカー選手権 (U-18)大会|同年度のクラブユース選手権(U-18)]]準優勝、[[第21回Jリーグユース選手権大会|同年度のJユースカップ]]準優勝に貢献する。 |
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=== サンフレッチェ広島 === |
=== サンフレッチェ広島 === |
2020年11月30日 (月) 04:03時点における版
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名前 | ||||||
カタカナ | ミヤハラ カズヤ | |||||
ラテン文字 | MIYAHARA Kazuya | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 | 日本 | |||||
生年月日 | 1996年3月22日(28歳) | |||||
出身地 | 広島県広島市 | |||||
身長 | 172cm | |||||
体重 | 67kg | |||||
選手情報 | ||||||
在籍チーム | 名古屋グランパス | |||||
ポジション | DF / MF | |||||
背番号 | 6 | |||||
利き足 | 右足 | |||||
ユース | ||||||
-2007 | 佐東FC(緑井小) | |||||
2008-2010 | サンフレッチェ広島Jr.ユース(城南中) | |||||
2011-2013 | サンフレッチェ広島ユース(吉田高) | |||||
クラブ1 | ||||||
年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
2014-2018 | サンフレッチェ広島 | 20 | (1) | |||
2014-2015 | →Jリーグ・アンダー22選抜 | 7 | (0) | |||
2017-2018 | →名古屋グランパス (loan) | 67 | (0) | |||
2019- | 名古屋グランパス | 31 | (4) | |||
1. 国内リーグ戦に限る。2020年1月31日現在。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
宮原 和也(みやはら かずや、1996年3月22日 - )は、広島県広島市安佐南区出身[1]出身のプロサッカー選手。並木学院高等学校卒。ポジションはミッドフィールダー。Jリーグ・名古屋グランパス所属。
来歴
プロ入り前
2人の兄がおり、自身も含め3人ともサンフレッチェ広島ジュニアユース出身で、うち長兄も広島ユース出身。小学生の頃はFWあるいは攻撃的なMFとしてプレーしている[1]。
2008年、サンフレッチェ広島ジュニアユースに入団する[2]。同期に川辺駿・大谷尚輝。攻撃的なミッドフィルダーとして活躍し、2010年クラブユース選手権(U-15)3位進出に貢献している[3]。中学3年ではボランチとしてプレーした[4]。
2011年、川辺・大谷らと共にサンフレッチェ広島ユースに昇格する。当初は攻撃的MFを担当していた[4]。同年度の山口国体少年の部3位に貢献するがこの時はボランチ[5]。2011年高円宮杯プレミアでもベンチメンバーとして大会制覇に貢献する[6]。2012年高2の時に、ディフェンダーに怪我人が続出したことからCBにコンバートされレギュラーを獲得し2012年高円宮杯プレミア連覇に貢献する[7]。同年U-16日本代表に選出され、AFC U-16選手権2012ではCBとしてキャプテンを務めた[8]。
2013年高3から川辺・大谷らと共にトップチームに2種登録選手として登録され、同年3月25日川辺と共に所属はユースのままトップチームとプロ契約を結ぶ[9]。なお高校年代選手のプロ契約としては髙萩洋次郎・岡本知剛以来3例目であるが[9]、ユース所属でのプロ契約は初のケース。ただこの年はトップチームでは公式戦に出場できなかった。また、同年の2013 FIFA U-17ワールドカップにU-17日本代表の一員として3試合出場している。同時に活躍した広島ユースでは同年度のクラブユース選手権(U-18)準優勝、同年度のJユースカップ準優勝に貢献する。
サンフレッチェ広島
2014年、正式にトップチーム昇格[1]。同期入団は、川辺、大谷、高橋壮也、皆川佑介、茶島雄介、ビョン・ジュンボン。昇格当初はボランチとして考えられていたが[1]、3バックの一角としてレギュラー故障の穴を埋めて出場機会を得た。2016年、1stステージではボランチとして出場機会を増やしたが、2ndステージでは森崎にポジションを奪われてベンチメンバーとなった。
名古屋グランパス
2016年12月26日、名古屋グランパスに期限付きで移籍することが発表された。守備ユーティリティから開幕戦から3バックの一角として、戦術理解度の高さからレギュラーに定着した[10]。シーズン終了後、期限付きの期間を1年間延長した[11]。
2019年シーズンより名古屋に完全移籍することが発表された[12]。
2020年シーズン中の7月25日、PCR検査において新型コロナウイルス(COVID-19)への感染が判明した[13]。
所属クラブ
ユース経歴
- 佐東FC
- サンフレッチェ広島ジュニアユース
- サンフレッチェ広島ユース
- 2013年 サンフレッチェ広島(2種登録)
プロ経歴
個人成績
国内大会個人成績 | |||||||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
年度 | クラブ | 背番号 | リーグ | リーグ戦 | リーグ杯 | オープン杯 | 期間通算 | ||||
出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | ||||
日本 | リーグ戦 | リーグ杯 | 天皇杯 | 期間通算 | |||||||
2013 | 広島 | 37[注 1] | J1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 |
2014 | 37 | 4 | 0 | 2 | 0 | 2 | 0 | 8 | 0 | ||
2015 | 3 | 1 | 5 | 0 | 4 | 0 | 12 | 1 | |||
2016 | 13 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 13 | 0 | |||
2017 | 名古屋 | 15 | J2 | 41 | 0 | - | 2 | 0 | 43 | 0 | |
2018 | 6 | J1 | 26 | 0 | 2 | 0 | 1 | 0 | 29 | 0 | |
2019 | 31 | 4 | 3 | 0 | 1 | 0 | 35 | 4 | |||
2020 | |||||||||||
通算 | 日本 | J1 | 77 | 5 | 12 | 0 | 8 | 0 | 97 | 5 | |
日本 | J2 | 41 | 0 | - | 2 | 0 | 43 | 0 | |||
総通算 | 118 | 5 | 12 | 0 | 10 | 0 | 140 | 5 |
その他の公式戦
国内大会個人成績 | |||||||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
年度 | クラブ | 背番号 | リーグ | リーグ戦 | 期間通算 | ||||||
出場 | 得点 | 出場 | 得点 | ||||||||
日本 | リーグ戦 | 期間通算 | |||||||||
2014 | J-22 | - | J3 | 5 | 0 | 5 | 0 | ||||
2015 | 2 | 0 | 2 | 0 | |||||||
通算 | 日本 | J3 | 7 | 0 | 7 | 0 | |||||
総通算 | 7 | 0 | 7 | 0 |
- 2017年
- J1昇格プレーオフ 2試合0得点
国際大会個人成績 | ||||
---|---|---|---|---|
年度 | クラブ | 背番号 | 出場 | 得点 |
AFC | ACL | |||
2013 | 広島 | 34[注 1] | 0 | 0 |
2014 | 37 | 1 | 0 | |
2016 | 1 | 0 | ||
通算 | AFC | 2 | 0 |
- 公式戦初出場 : 2014年2月25日ACLグループステージ第1節対北京国安戦(エディスタ)
- 89分、佐藤寿人に代わり途中交代出場
- Jリーグ初出場 : 2014年3月1日J1第1節対セレッソ大阪戦(ヤンマースタ)
- 87分、山岸智に代わり途中交代出場
- Jリーグ初得点 : 2015年7月11日J1・2nd第1節対ベガルタ仙台戦(ユアスタ)
- 先発出場、40分ゴール
タイトル
チーム
- サンフレッチェ広島ユース
- 高円宮杯 JFA U-18サッカープレミアリーグ WEST(2011年、2012年)
- 高円宮杯 JFA U-18サッカープレミアリーグ チャンピオンシップ(2011年、2012年)
- サンフレッチェ広島
- J1リーグ:2回(2013年、2015年)
- ゼロックススーパーカップ:3回(2013年、2014年、2016年)
個人
- TAG Heuer YOUNG GUNS AWARD・ベストイレブン(2018年)
代表歴
- 2011年 U-15日本代表
- 2012年 U-16日本代表
- 2013年 U-17日本代表
- 2014年 U-19日本代表
- 2015年 U-22日本代表
脚注
- 注釈
- 出典
- ^ a b c d “輝け サンフレルーキーズ<2>MF宮原和也(17)=広島ユース”. 中国新聞 (2014年1月30日). 2014年1月30日閲覧。
- ^ J's GOAL、2013年3月25日付
- ^ “adidas CUP 2010 日本クラブユースサッカー選手権(U-15)大会 準決勝” (PDF). 日本クラブユースサッカー連盟 (2010年8月22日). 2014年1月30日閲覧。
- ^ a b “広島ユースMF宮原和也(3年)_「広島のオールラウンダー」が逆転勝利演出!”. ゲキサカ (2013年7月31日). 2014年1月30日閲覧。
- ^ “3位決定戦は壮絶な撃ち合いに!大谷ロスタイムV弾で広島が3位”. ゲキサカ (2011年10月6日). 2014年1月30日閲覧。
- ^ “高円宮杯U-18サッカーリーグ2011 チャンピオンシップ” (PDF). 日本サッカー協会 (2011年12月17日). 2014年1月30日閲覧。
- ^ 「無双・広島ユース、西国を制す」『エルゴラッソ』2012年10月16日付
- ^ “U-16代表はアジア準V、PK戦でウズベキスタンに敗れる”. ゲキサカ (2012年10月7日). 2014年1月30日閲覧。
- ^ a b “ユースの川辺・宮原とプロ契約”. 中国新聞 (2013年3月26日). 2013年5月7日閲覧。
- ^ 【ライターコラムfrom名古屋】ただ一人全試合出場を続ける宮原和也…チームを攻守両面で下支えする職人 サッカーキング(2017年7月6日)
- ^ 今季チーム最多41試合出場…広島DF宮原、名古屋へのレンタル延長が決定 ゲキサカ(2017年12月30日)
- ^ 宮原 和也選手、名古屋グランパスへ完全移籍のお知らせ, 名古屋グランパス, (2018-12-18) 2018年12月19日閲覧。
- ^ 名古屋DF宮原 新型コロナ感染を発表、Jリーグ再開後で初 濃厚接触者なし あす広島戦 - Sponichi Annex 2020年7月25日
参考資料
- 宮原和也 – FIFA主催大会成績
- “宮原和也選手(サンフレッチェ広島ユース)プロ契約締結のお知らせ”. J's GOAL (2013年3月25日). 2013年5月7日閲覧。
- 宮原和也 - ゲキサカ
関連項目
外部リンク
- サンフレッチェ広島F.Cによる公式プロフィール
- 宮原和也 - J. League Data Siteによる選手データ
- 宮原和也 (@Kazusoccer0322) - X(旧Twitter)