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U-15日本代表での活躍から[[星稜高等学校]]・[[東京ヴェルディ1969]]ユース・[[サンフレッチェ広島F.Cの育成組織|サンフレッチェ広島ユース]]からスカウトされる<ref name="sigma" /><ref name="vortisvol49" /> が、その中から広島ユースを選択して入団。1年時からFWとしてレギュラーをつかみ<ref name="tyugoku20100127" />、同年度の[[日本クラブユースサッカー選手権 (U-18)大会|日本クラブユース選手権]]3位、[[高円宮杯全日本ユースサッカー選手権 (U-18)大会|高円宮杯全日本ユース選手権]]準優勝に貢献した<ref name="sigma" />。この中で年代別日本代表も経験している<ref name="vortisvol49" />。2008年、トップチームに怪我人が続出したため人数あわせでトルコ・[[アンタルヤ]]および宮崎・[[シーガイア]]キャンプに帯同<ref name="sigma" /><ref>{{Cite web|publisher=[[J's GOAL]]|date=2009-06-07|url=http://www.jsgoal.jp/news/jsgoal/00083918.html|title=ペトロヴィッチ監督(広島)記者会見コメント|accessdate=2014-01-11}}</ref>。
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2009年、[[サンフレッチェ広島F.C|広島]]のトップチームに[[2種登録選手|2種登録]]。同年6月3日ナビスコカップでJ公式戦デビュー、同月7日には公式戦初得点を挙げている<ref name="vortisvol49" />。なおこれは2014年現在、[[柳一誠]]・[[高萩洋次郎]]に次ぐクラブ史上3番目に若い得点記録でもある。同年7月3日にはリーグ戦デビューも果たした。また、同年には[[Jユースカップ]]準優勝に貢献する<ref name="tyugoku20100127" />。


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2020年11月30日 (月) 03:02時点における版

大﨑 淳矢
名前
愛称 ジュンヤ
カタカナ オオサキ ジュンヤ
ラテン文字 OSAKI Junya
基本情報
国籍 日本の旗 日本
生年月日 (1991-04-02) 1991年4月2日(33歳)
出身地 富山県富山市
身長 173cm
体重 62kg
選手情報
在籍チーム 日本の旗 栃木SC
ポジション MF / FW
背番号 21
利き足 右足
ユース
1999-2003 富山北FC
2004-2006 富山北FC (北部中)
2007-2009 サンフレッチェ広島ユース (吉田高)
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
2009 サンフレッチェ広島 (2種登録) 1 (0)
2010-2013 サンフレッチェ広島 21 (3)
2013 徳島ヴォルティス (loan) 41 (8)
2014-2017 徳島ヴォルティス 111 (13)
2018 レノファ山口FC 32 (2)
2019- 栃木SC 27 (4)
1. 国内リーグ戦に限る。2019年11月24日現在。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

大﨑 淳矢(おおさき じゅんや、1991年4月2日 - )は、日本プロサッカー選手Jリーグ栃木SC所属。ポジションはMF / FW

元プロバスケットボール選手の大崎紳矢は実兄[1]

来歴

富山県富山市出身。6歳からサッカーを始める[2]。1999年、8歳から富山北FCに入団後本格的にサッカーを始め、同クラブ同期生に森泰次郎がいる[3][4]。FWとして活躍し、2003年には全日本少年サッカー大会準優勝に貢献[5]。中学3年時にU-15日本代表に選出される。

U-15日本代表での活躍から星稜高等学校東京ヴェルディ1969ユース・サンフレッチェ広島ユースからスカウトされる[2][4] が、その中から広島ユースを選択して入団。1年時からFWとしてレギュラーをつかみ[6]、同年度の日本クラブユース選手権3位、高円宮杯全日本ユース選手権準優勝に貢献した[2]。この中で年代別日本代表も経験している[4]。2008年、トップチームに怪我人が続出したため人数あわせでトルコ・アンタルヤおよび宮崎・シーガイアキャンプに帯同[2][7]

2009年、広島のトップチームに2種登録。同年6月3日ナビスコカップでJ公式戦デビュー、同月7日には公式戦初得点を挙げている[4]。なおこれは2014年現在、髙柳一誠高萩洋次郎に次ぐクラブ史上3番目に若い得点記録でもある。同年7月3日にはリーグ戦デビューも果たした。また、同年にはJユースカップ準優勝に貢献する[6]

2010年、トップチーム昇格、同期に石川大徳[6]。シーズン終盤にチャンスを掴むと第31節のアルビレックス新潟戦でPKを決めてリーグ戦初ゴールをマーク、続く第33節のベガルタ仙台戦ではアディショナルタイムに貴重な先制弾を決める活躍を見せた。ただ、広島の選手層や自身の怪我もあり出場機会は限られていた[4]

2013年、出場機会を求めて徳島ヴォルティス期限付き移籍すると、主力として活躍し出場停止を除き全試合出場、同年末のプレーオフを経てJ1昇格に貢献した[4][8]。2014年より完全移籍[9]。主力として活躍。

2018年、高柳一誠や徳島時代の同僚・福元洋平の所属するレノファ山口FCに完全移籍[10]

2019年、栃木SCに完全移籍[11]

プレースタイル

運動量とパスセンスも備え、俊敏な動きからドリブルシュートが得意なFW[3][6]

個人成績

国内大会個人成績
年度クラブ背番号リーグ リーグ戦 リーグ杯オープン杯 期間通算
出場得点 出場得点出場得点 出場得点
日本 リーグ戦 リーグ杯天皇杯 期間通算
2009 広島 38 J1 1 0 3 1 0 0 4 1
2010 25 9 2 1 0 1 0 11 2
2011 0 0 1 0 1 0 2 0
2012 12 1 3 0 0 0 15 1
2013 徳島 20 J2 41 8 - 1 0 42 8
2014 J1 31 0 3 2 2 0 36 2
2015 10 J2 28 1 - 4 0 32 1
2016 34 6 - 1 1 35 7
2017 18 6 - 1 0 19 6
2018 山口 7 32 2 - 2 0 34 2
2019 栃木 21 27 4 - 2 0 29 4
2020 -
通算 日本 J1 53 3 10 3 4 0 67 6
日本 J2 180 27 - 11 1 191 28
総通算 233 30 10 3 15 1 258 34
  • 2009年は二種登録。

その他公式戦

国際大会個人成績 FIFA
年度 クラブ 背番号 出場 得点 出場 得点
AFCACLクラブW杯
2010 広島 25 2 1 -
2012 - 0 0
通算 AFC 2 1 0 0

出場歴・タイトル

クラブチーム

アンダーカテゴリー
トップチーム
  • 初ベンチ入り:2009年6月3日ナビスコカップ第5節対大分トリニータ戦 (九州石油ドーム)
  • 公式戦初出場:同上
  • 公式戦初得点:2009年6月7日ナビスコカップ第6節対アルビレックス新潟戦 (広島ビッグアーチ)
  • リーグ戦初出場:2009年7月3日 J1第16節対ジュビロ磐田戦 (広島ビッグアーチ)
  • リーグ戦初得点:2010年11月20日 J1第31節対アルビレックス新潟戦 (広島ビッグアーチ)
    • 85分李忠成に代わり途中出場、87分PKによりゴール

代表歴

  • 2006年:U-15日本代表
  • 2007年:U-16日本代表
  • 2009年:U-18日本代表
  • 2010年:U-19日本代表

脚注

  1. ^ J初ゴール”. 大崎紳矢オフィシャルサイト (2009年6月9日). 2014年1月11日閲覧。
  2. ^ a b c d 「涙を噛み締めて FW大崎淳矢」紫熊倶楽部2010年8月、p.12-p.15
  3. ^ a b 2県人、Jリーガーに カターレ・森と広島・大崎”. 北日本新聞社 (2009年12月12日). 2014年1月11日閲覧。
  4. ^ a b c d e f VOICE vol.49 大崎淳矢”. 徳島ヴォルティス. 2014年1月11日閲覧。
  5. ^ サッカーJ1での活躍目指し 富山北部中の大﨑君 広島ユースに入団へ”. 富山新聞 (2007年3月15日). 2014年1月11日閲覧。
  6. ^ a b c d 2010サンフレ新戦力 FW大崎淳矢”. 中国新聞 (2010年1月27日). 2010年1月27日閲覧。
  7. ^ ペトロヴィッチ監督(広島)記者会見コメント”. J's GOAL (2009年6月7日). 2014年1月11日閲覧。
  8. ^ 百戦錬磨の小林伸二監督が叩き込んだハードワークの姿勢。徳島が初のJ1切符獲得!”. J SPORTS (2013年12月9日). 2014年1月11日閲覧。
  9. ^ 大崎淳矢選手 完全移籍にて加入決定のお知らせ”. J's GOAL (2014年1月10日). 2014年1月11日閲覧。
  10. ^ "大崎 淳矢 選手 徳島ヴォルティスより完全移籍加入のお知らせ" (Press release). レノファ山口FC. 6 January 2018. 2018年1月8日閲覧
  11. ^ "大﨑淳矢選手 レノファ山口FCより完全移籍加入のお知らせ" (Press release). 栃木SC. 9 January 2019. 2019年1月9日閲覧

関連項目

外部リンク