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== 来歴 ==
== 来歴 ==
[[広島高陽FC]]時代の一学年下に[[柳一誠]]、二学年下に[[森重真人]]がいた。その後[[サンフレッチェ広島F.Cの育成組織|サンフレッチェ広島ジュニアユース]]へ入団、同期に[[前田和之 (サッカー選手)|前田和之]]・[[田村祐基]]ら。ジュニアユース時代に[[中村重和]]・[[小野剛 (サッカー指導者)|小野剛]]らの指導を受けている。2001年に広島ユースに昇格、同期に前田・田村・[[西山貴永]]・[[吉村修平]]がいた。広島ユースは2003年の[[日本クラブユースサッカー選手権 (U-18)大会|日本クラブユース選手権]]初優勝、[[高円宮杯全日本ユースサッカー選手権 (U-18)大会|高円宮杯全日本ユース選手権]]3位、[[Jユースカップ]]優勝、天皇杯ではJ2[[水戸ホーリーホック]]相手に健闘する。その中で田坂はサイドアタッカーとして、[[高萩洋次郎]]がトップ昇格した後はボランチとして活躍した。
[[広島高陽FC]]時代の一学年下に[[柳一誠]]、二学年下に[[森重真人]]がいた。その後[[サンフレッチェ広島F.Cの育成組織|サンフレッチェ広島ジュニアユース]]へ入団、同期に[[前田和之 (サッカー選手)|前田和之]]・[[田村祐基]]ら。ジュニアユース時代に[[中村重和]]・[[小野剛 (サッカー指導者)|小野剛]]らの指導を受けている。2001年に広島ユースに昇格、同期に前田・田村・[[西山貴永]]・[[吉村修平]]がいた。広島ユースは2003年の[[日本クラブユースサッカー選手権 (U-18)大会|日本クラブユース選手権]]初優勝、[[高円宮杯全日本ユースサッカー選手権 (U-18)大会|高円宮杯全日本ユース選手権]]3位、[[Jユースカップ]]優勝、天皇杯ではJ2[[水戸ホーリーホック]]相手に健闘する。その中で田坂はサイドアタッカーとして、[[高萩洋次郎]]がトップ昇格した後はボランチとして活躍した。


その後、推薦の決まっていた[[青山学院大学]]へ進学。サッカー部では主将を務め、[[下地奨]]と共にプレーした。青学大4年在学中の[[2007年]]より[[特別指定選手]]として[[川崎フロンターレ]]に登録。卒業後の[[2008年]]シーズンから川崎とプロ契約を結び正式入団し、新人選手ながら[[サッカーの背番号|背番号]]6が与えられた。
その後、推薦の決まっていた[[青山学院大学]]へ進学。サッカー部では主将を務め、[[下地奨]]と共にプレーした。青学大4年在学中の[[2007年]]より[[特別指定選手]]として[[川崎フロンターレ]]に登録。卒業後の[[2008年]]シーズンから川崎とプロ契約を結び正式入団し、新人選手ながら[[サッカーの背番号|背番号]]6が与えられた。

2020年11月30日 (月) 03:01時点における版

田坂 祐介
名前
愛称 たっぴー
カタカナ タサカ ユウスケ
ラテン文字 TASAKA Yusuke
基本情報
国籍 日本の旗 日本
生年月日 (1985-07-08) 1985年7月8日(39歳)
出身地 広島県広島市
身長 174cm
体重 69kg
選手情報
在籍チーム 日本の旗 ジェフユナイテッド市原・千葉
ポジション MF
背番号 6
利き足 右足
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
2007-2012 日本の旗 川崎フロンターレ 105 (11)
2012-2015 ドイツの旗 VfLボーフム 81 (9)
2015-2018 日本の旗 川崎フロンターレ 51 (4)
2019- 日本の旗 ジェフユナイテッド市原・千葉 8 (0)
1. 国内リーグ戦に限る。2019年11月24日現在。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

田坂 祐介(たさか ゆうすけ、1985年7月8日 - )は、広島県広島市出身[1]プロサッカー選手。ポジションはミッドフィールダージェフユナイテッド市原・千葉所属。

来歴

広島高陽FC時代の一学年下に髙柳一誠、二学年下に森重真人がいた。その後サンフレッチェ広島ジュニアユースへ入団、同期に前田和之田村祐基ら。ジュニアユース時代に中村重和小野剛らの指導を受けている。2001年に広島ユースに昇格、同期に前田・田村・西山貴永吉村修平がいた。広島ユースは2003年の日本クラブユース選手権初優勝、高円宮杯全日本ユース選手権3位、Jユースカップ優勝、天皇杯ではJ2水戸ホーリーホック相手に健闘する。その中で田坂はサイドアタッカーとして、高萩洋次郎がトップ昇格した後はボランチとして活躍した。

その後、推薦の決まっていた青山学院大学へ進学。サッカー部では主将を務め、下地奨と共にプレーした。青学大4年在学中の2007年より特別指定選手として川崎フロンターレに登録。卒業後の2008年シーズンから川崎とプロ契約を結び正式入団し、新人選手ながら背番号6が与えられた。

2012年7月20日、ブンデスリーガ2部VfLボーフムへの移籍が発表された[2]。移籍1年目はリーグ戦28試合に出場し3得点を記録した。

2015年6月23日、渡欧前4年半を過ごした川崎フロンターレへ復帰することが発表された[3]。背番号は特別指定当時に付けていた35。

2016年、前シーズンまで所属していた山本真希が退団したこともあり、移籍前に付けていた背番号6に番号を変更した。 若手や加入選手の台頭もあり安定した出場は出来なかったが、シーズン途中怪我人が続出した事から9月10日福岡戦から3バックの右を務めた。安定してた事もあり、そのままシーズン終了までスタメンで出場し続けた。

2019年シーズンよりジェフユナイテッド市原・千葉に完全移籍で加入[4]。開幕からレギュラーを確保するも、第9節岡山戦にて負傷。右膝前十字靭帯等を損傷する大怪我を負い、5月2日には全治7ヶ月であることが発表された[5]

所属クラブ

ユース経歴
プロ経歴

個人成績

国内大会個人成績
年度クラブ背番号リーグ リーグ戦 リーグ杯オープン杯 期間通算
出場得点 出場得点出場得点 出場得点
日本 リーグ戦 リーグ杯天皇杯 期間通算
2002 広島Y 7 - - - 1 0 1 0
2003 6 - - - 1 0 1 0
2007 川崎 35 J1 1 0 0 0 0 0 1 0
2008 6 12 1 3 0 1 0 16 1
2009 24 2 3 0 3 0 30 2
2010 27 3 4 1 1 0 32 4
2011 25 2 4 1 3 2 32 5
2012 16 3 6 1 - 22 4
ドイツ リーグ戦 リーグ杯DFBポカール 期間通算
2012-13 ボーフム 8 ブンデス2部 28 3 - 2 0 30 3
2013-14 10 31 3 - 2 0 33 3
2014-15 22 3 - 2 0 24 3
日本 リーグ戦 リーグ杯天皇杯 期間通算
2015 川崎 35 J1 12 3 - 3 0 15 3
2016 6 18 1 5 0 5 1 28 2
2017 18 0 2 0 4 2 24 2
2018 3 0 1 0 1 0 5 0
2019 千葉 J2 8 0 - 0 0 8 0
通算 日本 J1 156 15 28 3 21 5 205 23
日本 J2 8 0 - 0 0 8 0
日本 - - 2 0 2 0
ドイツ ブンデス2部 81 9 - 6 0 87 9
総通算 245 24 28 3 29 5 302 32
国際大会個人成績
年度 クラブ 背番号 出場 得点
AFCACL
2009 川崎 6 3 0
2010 6 1
2017 9 0
2018 1 0
通算 AFC 19 1

タイトル

クラブ

川崎フロンターレ

選抜歴

  • 2006年 関東大学選抜
    • 関東大学サッカーオープニングフェスティバル

脚注

  1. ^ 中国新聞、2007年8月18日23面
  2. ^ 川崎フロンターレ公式サイト (2012年7月20日). “田坂祐介選手移籍のお知らせ”. 2012年7月20日閲覧。
  3. ^ 田坂祐介選手加入のお知らせ 川崎フロンターレ (2015年6月23日)
  4. ^ 田坂祐介選手の加入について, ジェフユナイテッド市原・千葉, (2018-12-21), https://jefunited.co.jp/news/2018/12/top/154537560012059.html 2018年12月21日閲覧。 
  5. ^ 田坂祐介選手の負傷及び手術について, ジェフユナイテッド市原・千葉, (2019-05-02), https://jefunited.co.jp/news/2019/05/top/155677230012421.html 2019年5月3日閲覧。 

関連項目

外部リンク