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{{by|2002年}}から{{by|2007年}}まで、阪神で一軍打撃、二軍打撃、二軍外野守備・走塁コーチを務めた。{{by|2008年}}からはフロント入りし、{{by|2013年}}からは球団スカウトに転身<ref name="shuube20140324_P20">週刊ベースボール2014年3月24日号 P20</ref>、[[東京六大学野球連盟|東京六大学リーグ]]や[[首都大学野球連盟|首都大学野球リーグ]]を含む関東を中心とした地域を担当している。
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主な担当選手として[[高山俊|髙山俊]](2015年ドラフト1位)、[[坂本誠志郎]](同2位)、[[青柳晃洋]](同5位)、[[大山悠輔]](2016年ドラフト1位)<ref>[https://www.baseballchannel.jp/npb/24207/2/ 2016年プロ野球ドラフト会議指名選手、担当スカウトたちのコメント一挙公開 | ベースボールチャンネル(BaseBall Channel) - Part 2]</ref>等。
主な担当選手として[[髙山俊]](2015年ドラフト1位)、[[坂本誠志郎]](同2位)、[[青柳晃洋]](同5位)、[[大山悠輔]](2016年ドラフト1位)<ref>[https://www.baseballchannel.jp/npb/24207/2/ 2016年プロ野球ドラフト会議指名選手、担当スカウトたちのコメント一挙公開 | ベースボールチャンネル(BaseBall Channel) - Part 2]</ref>等。


== 人物 ==
== 人物 ==

2020年11月15日 (日) 22:31時点における版

平塚 克洋
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 東京都墨田区
生年月日 (1966-01-29) 1966年1月29日(58歳)
身長
体重
182 cm
84 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 外野手一塁手
プロ入り 1989年 ドラフト3位
初出場 1990年5月6日
最終出場 2000年10月13日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
選手歴
コーチ歴
  • 阪神タイガース (2002 - 2007)

平塚 克洋(ひらつか かつひろ、1966年1月29日 - )は、東京都墨田区出身の元プロ野球選手外野手)。

漫画『ど根性ガエル』に登場するキャラクター・佐川梅三郎に風貌がそっくりなことから、愛称はウメさん

経歴

野球部1期生として入学した春日部共栄高時代は、エースで四番打者を務めた。1983年埼玉大会で準々決勝に進出するが、長嶋一茂のいた立教高に惜敗。

高校卒業後は、明治大学に進学し同期の武田一浩投手との二本柱で活躍。東京六大学リーグでは1986年に秋季リーグで優勝。リーグ通算28試合に登板、6勝7敗、防御率2.27を記録し、登板のない時は一塁手としても活躍した。

大学卒業後は、社会人野球朝日生命に入団し外野手へ転向。1989年都市対抗NTT東京の補強選手として出場。エースの与田剛を擁し、1回戦で三菱重工広島佐々岡真司NTT中国から補強)から先制の本塁打を放つが惜敗。

1989年同年のドラフト会議横浜大洋ホエールズから3位指名を受け入団。

1年目の1990年から一軍出場を果たすが、守備要員としての出番が多く、1993年オフ、葉室太朗との交換トレードでオリックス・ブルーウェーブへ移籍。1994年には仰木彬監督の下で41試合に先発出場、5月1日から5月20日まで四番打者として起用されプロ初本塁打を記録し1軍定着するかと思われたが打撃不振等で5月21日以降レギュラーを剥奪されて出番が減り、翌1995年は先発3試合出場で1軍ノーヒットに終わる。オフに自由契約の話が持ち上がるが、阪神が獲得の意思を示したことで1996年の開幕前に金銭トレードで阪神タイガースへ移籍した[1]

1996年藤田平監督の下、一塁手右翼手左翼手で起用され、不振の石嶺和彦に変わりほぼレギュラーに定着した。5月10日対巨人戦(阪神甲子園球場)でマリオ・ブリトーから逆転満塁ホームランを放った。8月31日の対ヤクルト戦で守備中に右足首を骨折し、9月以降は関川浩一右翼手レギュラー起用されて先発出場の機会に恵まれなかったが、シーズン105試合に出場、初の規定打席(34位、打率.254)にも到達し、11本塁打を放つ。

1997年吉田義男監督が就任し、左翼手一塁手で起用され、主軸打者として活躍。キャリアハイの打率.293(15位)、17本塁打、68打点の好記録を残す。同年のオールスターゲームにも出場した。

1998年坪井智哉大豊泰昭アロンゾ・パウエルの加入もありスタメン起用が減ったが、打率.273、本塁打4本、打点20と準レギュラー選手としては好成績を残した。

1999年野村克也監督が就任し、4月は左翼手レギュラーで起用されたが5月以降は八木裕と共に右の代打起用が中心になった。阪神時代は横浜でドラフト同期でもあった大魔神こと佐々木主浩に強いことでも知られ、この年佐々木の唯一の負けが記録した試合でも先頭打者でヒットを放った。1999年6月4日、杉山賢人との交換トレードで西武ライオンズへ移籍。

西武では外国人勢総崩れによる主砲不在の状況の打破を期待された。外野の準レギュラーや代打の切り札として活躍するが、チームの若返り策もあって2000年オフにトレード要員通告、しかし結局はトレード話がまとまらずに現役を引退。

2001年スカイA近鉄戦中継の解説者を中心に活躍したが、解説1年目とは思えない玄人好みの解説を披露した。スカイAとの専属契約の前には、関西テレビの中継にも出演したことがある。

2002年から2007年まで、阪神で一軍打撃、二軍打撃、二軍外野守備・走塁コーチを務めた。2008年からはフロント入りし、2013年からは球団スカウトに転身[2]東京六大学リーグ首都大学野球リーグを含む関東を中心とした地域を担当している。

主な担当選手として髙山俊(2015年ドラフト1位)、坂本誠志郎(同2位)、青柳晃洋(同5位)、大山悠輔(2016年ドラフト1位)[3]等。

人物

趣味はロック音楽鑑賞で特にアメリカのロックバンド・KISSエリック・クラプトンの大ファンである。

子息も自身と同じく、春日部共栄高~明大から社会人野球へ進んでいる[4]

詳細情報

年度別打撃成績

















































O
P
S
1990 大洋
横浜
23 46 40 7 9 3 0 0 12 5 0 0 0 1 5 0 0 7 0 .225 .304 .300 .604
1991 17 33 32 1 9 1 0 0 10 2 0 0 1 0 0 0 0 8 0 .281 .281 .313 .594
1992 1 1 1 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 .000 .000 .000 .000
1993 10 16 13 3 2 0 0 0 2 0 0 0 0 0 3 0 0 2 0 .154 .313 .154 .466
1994 オリックス 48 160 141 17 33 3 0 7 57 21 0 1 0 1 16 0 2 31 1 .234 .319 .404 .723
1995 7 8 8 1 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 1 0 .000 .000 .000 .000
1996 阪神 105 417 370 44 94 18 1 11 147 47 1 0 2 2 41 1 2 54 8 .254 .330 .397 .727
1997 135 538 484 51 142 22 0 17 215 68 0 1 0 2 50 2 2 81 18 .293 .361 .444 .805
1998 70 210 187 16 51 9 0 4 72 20 0 1 0 0 23 2 0 34 8 .273 .352 .385 .737
1999 35 107 103 8 28 6 0 0 34 4 0 0 1 0 3 0 0 17 8 .272 .292 .330 .623
西武 54 145 121 7 29 3 0 3 41 16 1 0 0 4 20 0 0 22 6 .240 .338 .339 .677
'99計 89 252 224 15 57 9 0 3 75 20 1 0 1 4 23 0 0 39 14 .254 .319 .335 .654
2000 83 212 175 17 43 11 0 1 57 18 0 1 3 1 33 0 0 28 10 .246 .364 .326 .689
通算:11年 588 1893 1675 172 440 76 1 43 647 201 2 4 7 11 194 5 6 285 59 .263 .339 .386 .726
  • 大洋(横浜大洋ホエールズ)は、1993年に横浜(横浜ベイスターズ)に球団名を変更

記録

初記録
その他の記録

背番号

  • 35 (1990年 - 1993年)
  • 43 (1994年)
  • 25 (1995年)
  • 54 (1996年 - 1999年途中)
  • 29 (1999年途中 - 2000年)
  • 72 (2002年 - 2007年)

脚注

関連項目

外部リンク